2.地を這うもの、空を飛びたい①
定期試験の結果を報告しにミズキを訪ねた弥彦は目の前の光景に生唾を飲んだ。
目の前に紅茶とロールケーキが並んでいる。花の模様があしらわれたカップソーサーは高級感がある。その中には透明感のある琥珀色の紅茶がミズキの侍女の手によって注がれていく。それは目が覚めるほど香りが高くこの場を優雅な空気に染めていった。ロールケーキはたっぷりのクリームの中に旬の果物が宝石のようにキラキラとあしらわれている。
談話用の席へ紅茶とケーキを運んでくれた侍女が部屋を出るのを見送ると、ミズキはおしとやかながら普段より上機嫌な笑みを弥彦に浮かべた。
「総合獲得点二位の成績を修められたこと、誠におめでとうございます。よく頑張りましたね。これはほんのお祝いの気持ちです、よかったら召し上がってください」
「あ、ありがとうございます……! いただきます!」
弥彦にとってケーキは誕生日以外に友人と出掛けた喫茶店でしか食べない代物だ。そんなケーキを一口分フォークで切って口に運んだ。
――おいしい!
スポンジはふわふわでほどよい弾力、クリームは甘さ控えめながら滑らかな舌触りだ。それに包まれた果物たちは口内に芳醇な果汁を弾けさせた。だがそれらの味わいは不思議と喧嘩し合わない。それぞれの果物とクリーム、スポンジの全てが調和の整った逸品だ。誰もが感動してしまうのではないだろうかと確信するほどのロールケーキに、弥彦は自然と頬が緩んだ。
「お口に合いましたでしょうか?」
「とんでもなく美味しいです!」
「ふふ、そう言ってくださいまして嬉しい限りです。こちらはあなたへの労いの証なので遠慮なく食べてください」
「ありがとうございます……! こんな素敵なお祝い、なんだか久しぶりです!」
ご褒美にケーキを用意してくれたことに弥彦は幸せを噛み締めた。
まさか既に定期試験の結果を知っていたとは驚きだった。だがそれもそのはず、リチェルカーレ当代が理事長を務める異能者学校――その理事長代理をミズキが担っているのだ。少し考えれば思い当たりそうなものだが、オリジンの代表のイメージが強いばかりに、弥彦はそのことをすっかり忘れていた。弥彦は改めてフォークを下ろして申し訳ない表情で頭を下げる。
「ただ本当に報告が遅れてすみませんでした」
「大丈夫ですよ、わたくしも食事以外はなかなか時間を取れませんでしたから」
ミズキは見る者を癒すほどの朗らかな笑顔を浮かべた。
「それにこの成績に文句の付け所はございません。それにセプタンプラ科長から定期的にご連絡を頂いておりますが、益々のご活躍だとか。異療発展研究科に参加して僅か二ヵ月あまり。その短期間で明らかな成果を更新し続けている――と評判です。異能医療院に引き抜かれないか心配になってしまいます。スカウトされましたらどうしますか?」
「いやいやいやいや! 彼らほどのレベルには程遠いですよ⁉ 絶対あり得ませんから!」
異能医療院は格別な治癒のスペシャリストだ。大陸中から依頼があれば、一日で西から東へ移動することも珍しくないとソフィアが言っていた。実際、弥彦がオリジン案件でサハテハイから帰国してからというもの、これまでの間でソフィアと授業を共にした日は数少なかった。一度その腕前を見たことがあったが、足の骨が折れても数十分異能を発現した程度で歩けられるほどまで回復させていた。あれは神の力だと言われてもおかしくないと思えば、現代医療泣かせだとも思ったほどだ。自分はそこまでいかない、と弥彦は自身の実力を見つめなおした。
「僕は実際眠ってもらわなくちゃ効力を発揮しないので」
「それでも一夜で切り傷が分からなくなるくらい治せるのも偉大かと」
「あ、ありがとうございます……」
――べた褒めだ!
非常にくすぐったい称賛に弥彦は誇らしくも表情を緩め過ぎないように絶妙な表情で声を震わせた。ただ少し背中の力が抜けてしまい、なんだか骨抜きにされている変な気分だ。
「実際異療の可能性を見いだせただけでも才能なのです。オリジンでも異療を施せるのは貴方だけですから、もっと胸を張ってくださいな」
――もうそれ以上褒めないでくださいっ!
本当に骨抜きにされそうだ。このままでは顔も体幹も機能しなくなってしまう。
だが、オリジンでただ一人、と言われると、やっと貢献出来ることが増えたようで嬉しくなる。
「この調子で様々な経験を積まれましたら、来杉さんが異能者学校を卒業した暁には一人で活動して頂くことが増えるかもしれません。勿論貴方が不安で無ければ、ですが」
「そうなれるように頑張ります……!」
ミズキがあまりにも眩しい笑顔で、いい意味で攻めたてて来る。これ以上称賛されては敵わない。弥彦は照れ隠しに震える手でカップを持ち、紅茶を口に含んだ。だが残念な事に緊張し過ぎて味が分からなかった。
「慢心は出来ませんが、これならば次の遠征も間違いなくロフティの力になることでしょう」
そう言うとミズキは「少しお待ちください」と腰を上げ、デスクに向かう。その引き出しから何かを取り出し戻ってきた。小さな箱だ、それをテーブルの中央に置き、揃えた指先で差し示しめした。
「こちらはささやかながらのお祝いです」
「え⁉ 頂いていいんですか⁉」
「はい、二位だなんて並大抵の努力じゃ叶いません。その学業と異療を含めた異能の発展を祝しまして、上司としてのちょっとした贈り物です。どうぞ手に取って確認してみてください」
弥彦は恐る恐る手に取った。緊張した手で中を開けてみると、そこには小さな貝ほどの鉱石が収まっていた。シンプルなデザインでネックレスのように作られている。鉱石をよく観察すると、水晶のように透明だが傾ける度に光が波打っている。まるで水や光の生成石のようだ。
「なんだか普通の鉱石には見えないんですが、これはいったい?」
「ふふふ、見破られましたね。そちらはわたくしの異能で作った異能の塊です」
「異能の塊⁉」
弥彦は眼玉が飛び出そうになった。
そんなもの聞いたことが無い。例えば異能者が装着している共鳴石は、異能の発現に呼応して発光するだけ。生成石は自然エネルギーを秘めている鉱石であり、現代では専用の機構を用いることで、内包するエネルギーを利用できる貴重品だ。
だが異能の塊といえる鉱石については、授業でも聞いたことが無い。食い入るようにそれを観察しているとミズキは嬉しそうに説明をした。
「最近、鉱石専門の研究局員が解明してきている存在です。確か【異能石】と呼ばれているのだとか。相性の良い生成石を用いて毎日少しずつ異能を当てるだけ……というと簡単そうですが、未だに安定した精製は困難なようです。これはそのわずかな成功例のひとつで、記念に頂いた品です」
「生成石ってそんなことも出来るんですね⁉ え、すごく貴重じゃないですか⁉」
震える弥彦の新鮮な反応にミズキはくすりと笑った。
「こちらはわたくしの【結界】の異能がよく馴染んでいます。もし来杉さんに危機が訪れた際にはこの石が反応して貴方を護るでしょう。どうか次の遠征に持って行ってください」
「え⁉ 僕なんかがこんな貴重な物を頂いていいんですか⁉」
「もちろんです」
微笑みかけるミズキに、動揺の波に脳が揺さぶられるが、弥彦は残った理性で異能石を持った手を震わせながら頭を下げた。
「ほほほほほ本当にありがとうございます……! 大事に使わさせていただきます……!」
自己研鑽は積んだものの黒の神獣使いとの対峙があるのだと思うと、正直、不安が尽きない。だがこれで少し気の重みが軽くなった。
「ただ――」
「〝ただ〟?」
「ポトビトシアでも無理しないでください。危険を感じたら一旦離脱を検討するのですよ。あなたたちの命もかけがえのないものなのですから。今やらないとダメだという思考に囚われずに相談してください。いいですね?」
笑顔のままのミズキは唐突なまくしたてを浴びさせる。前科がある弥彦は青ざめる気持ちで一瞬固まった後、声を張り上げた。
「――はいっ! 気を付けます!」
「どうかロフティのこともよろしくお願いします」
「はい! 全力を尽くします!」
弥彦は鉱石の収まる箱をぎゅっと握り、表情を引き締める。ミズキは「ほんとうに頼みましたよ?」とふんわりと微笑んだ。




