1.築かれた平和――潜む影③
学校のチャイムが鳴り響く。それが下校時間を告げた。
卒業まで残り三ヶ月を切った。高校三年生は、この時期最後の大学入学試験を受ける生徒だけ残る。しかし大半の三年生は開放的になって昼中の市街地へと遊びに行く者がほとんどだ。卒業までの間、青春を謳歌するのである。
そんな中、入学先の決まっている弥彦は友人と共に帰路についていた。
「弥彦ー、今日もゲーセンにいかね?」
そう声をかけたのは幼馴染みのロイだ。漫画、ゲーム、美人で色気のある女性を好む年相応な少年だ。ネクタイは緩め、シャツはどこかよれよれしている。彼の事だ、家に帰ったら服を脱ぎすてて放置している結果だろう。だが幼い頃からよく遊び、時には街や山に大冒険にでて苦楽を共にした仲である。
いつもなら特別用事がなければ誘いに乗るのだが、今日はそうもいかず弥彦は残念ながら断る。
「ごめん、ロイくん。今日は予定があって……」
「そうなの⁉ おばさんのお使いか? 大変だなあ」
「いやいやいや」
ロイの早合点に首を振る。確かにそういうことはよくあったのだが、今回は珍しく違う。
「異能者協会と約束があるんです」
以前、夕凪鷹宗から電話があった。それは約一週間前の出来事だ。
〈指定の日に異能者協会本部に来てほしい〉
詳細はその場で話すらしいのでかなり緊張している。なにせ、かの有名な夕凪鷹宗に呼び出される用事がなにひとつ思い当たらないからだ。
――事情聴取の続き、だったり?
そうにしても同じ事件に巻き込まれたランは呼ばれなかったという。
それじゃあいったいなんで呼ばれたのか……。かのセレモニーに行けなかった弥彦としては英雄である夕凪鷹宗と出会うことは気持ちが昂るはずが、緊張も相まって複雑な心境が渦巻いている。
なにはともあれ、行けば分かること。弥彦は一度気持ちに踏ん切りをつけようと心がける。
学校から近いバス停に着いたところでロイと別れる。
学生服を身にまとった少年少女で占められているバスに揺られ、駅に着いたら電車に乗り換える。
異能者協会本部までの道のりは約一時間。その間、やはりなぜ指名されたのか考えてしまう。別れる前にロイが嬉々として言ったことを思い出した。
〈異能者協会へのスカウトなんじゃないか? 稀に本部への就職を薦めることがあるって噂があるし。それにさ、そのために異能者学校には普通科と特別科があるじゃん〉
異能者学校とは、営利のために異能を使用する資格を得るための学校である。入学して既になんらかの異能者組織からすでに内定をもらっている異能者が入るクラスが【特別科】だ。だがそもそもの話、入学前にスカウトされる人物はある程度異能を使いこなしている者に限る。弥彦にいたっては異能の発現すらしていない。
――やっぱりわからない!
電車のなかで思わず頭を抱える。どこからかクスクスと笑う声が聞こえて顔を上げると向かい側の座席の人たちから視線をそらされ、幼い子供だけは興味深そうにこちらをじっと見ていた。弥彦は顔に火がついたのではないかと思うほど熱くなり、視線を落とす。恥ずかしさで悶えた。
………
【異能者協会本部前駅】に降りた弥彦は、改札を出て階段を下ると存在感のある巨大ビルに視線を吸い込まれた。
五十階ほどある巨大なオフィスビルだ。アルバドリスの象徴であり、国内で最大規模のビルであり、その敷地も広大だ。異能者協会本部を中心に異能に関連する研究所の棟が並び建ち、異能の使用を許可されている運動場など、様々な設備が整っている。
駅から本部へ向かう道のりには子供たちがめいいっぱいに走り回れるだろう公園がある。芝生や木々、そして季節の花がそこらかしこに咲いている憩いの場だ。立地から太陽を遮る大きな建造物はなく日当たりが非常に良い。所々に屋根付きの休憩所が設けられ、遅めの昼食を摂っている社員も見受けられた。
先日行われたセレモニーはここで行われたのだ。
テレビで見た人混みを思い出すと、公園の敷地が埋まるほどの人でごったがえして賑わっていたことだろう。
そう思いつつも、バス・タクシーターミナルを通りすぎて異能者協会本部の前に辿り着く。汚れのないガラスの自動ドアに自分が映り込む。
不安で浮かばない表情で――なんて情けない顔だ。内側に巻いた肩を張り背筋を伸ばす。不安で垂れた眉を持ち上げて瞼をよく開く。
――よし!
口を固く結んだ状態でぎこちなく足を踏み出した。
自動ドアを抜けた先は、天井の高い受付フロアだ。今は閑散としている時間帯で、広々とした受付フロアに自分の足音が普段より大きく響く。それが緊張を助長させる。
まずは中心にある受付に足を運ぶと、何度も心の中で練習した台詞を言った。
「あの、オリジンと約束して来ました、来杉弥彦です」
そのように伝えればいいと夕凪鷹宗から言われた通りにそのまま伝える。そうすると、受付嬢が手元でなにか確認するとニコリと笑顔を向けた。
「はい、承っております。それではこちらを記入してください」
数回しか訪れる機会がなかった中でも見覚えのある書類だ。氏名や生年月日、住所などを記入すると、次に手渡された客人用のネームプレートを首から下げる。
後から来た案内係の女性に導かれるまま奥の方へ行くと、駅の改札口のようなものがあり、そこにネームプレートを当てると道が開かれる。重い足取りで中層階用のエレベーターに乗って会議室フロアに着くと、いくつもある個室の一室へと案内される。
「こちらにおかけになってお待ちください」
そう言われて上座に促され、弥彦はおどおどとしながら鞄を床に置いて着席する。
案内係の女性が去ってから三分経つ。相手は夕凪鷹宗だ、きっと多忙に違いない。まだ来ないであろう、そう思いつつもこの待ち時間が異様に長く感じて何度も壁の時計を確認してしまう。
手に汗が滲んできた頃、ドアノブが動いた。
――来た!
弥彦は背筋を伸ばして扉を凝視する。
扉が勢いよく開け放たれた。
「ぱっぱらぱーーーーん!」
ハイトーンの楽しげな声が耳に通りすぎ、空虚な時間が流れた。
夕凪鷹宗……ではない。上機嫌に姿を現したのは、おとぎ話に出てきそうな奇妙な帽子を目深く被った白衣の人物だった。
「………………………」
弥彦は間抜けにも開いた口が塞がらない。だが心の中で叫んだ。
――夕凪さんじゃない!
部屋を間違えていますよ! と、喉からでかけた拍子。
「やーやー、来杉弥彦クン。ボクはセツラ。異能研究局所属でオリジン専属の科学者だヨ」
奇妙な喋り方をしながら独りでワルツを踊るような機敏なステップで近寄ってきた。顔をずいっと覗き見られる。髪でかくされているというのに不気味なほどの眼力を感じる。それに威圧されて弥彦は仰け反る。
「な、なんなんですか⁉」
――明らかに変人だ! こんな人は初めてだ!
奇妙な男――セツラはヒヒヒと笑う。
「驚いてくれたようだネ! キミに刺激を与えることが出来て嬉しいヨ!」
――寿命が縮みましたよ!
こちらは明らかに動揺しているというのにそれを楽しんでいる。なんて失礼な人なんだ!
「な、なんなんですかいきなり! 僕は夕凪さんに呼ばれて来たんですが!」
セツラはまたヒヒヒと笑う。
「その鷹宗クンから頼まれて迎いに来たんだヨネ、ボク」
「え」
訝しく眉間に皺をつくる。
こんな人を送り出すより他の適任者がいたはずだ。
「今、本気で疑ってるねェ……正直傷つくヨ」
と、声を落として言った。
「なんて言うと思ったかイ! ジョーダン! 大いに喜ばしいことだヨー!」
セツラは盛大に手を叩きながら耳をつんざく笑い声をあげた。
どこあたりが喜ばしいんだろう……⁉ この人の感性は自分とはどこかかけ離れている。こんなに不快な人がいただろうか――正直この人から距離をとりたい。手が自然と鞄に手が伸びる。
「でもネ、鷹宗クンの使いで来たのはホントだヨ」
鞄にふれた手が止まる。セツラは笑いを堪えながら言った。
「言っただろウ? ボクはオリジンの専属の科学者だっテ」
信じられない――が、「ホラ、ここをゴラン」と、セツラは白衣の左胸にある名札を指差す。
「た、確かに……」
そこにはセツラの怪しい顔写真の社員証があった。その顔写真の横に【異能者協会本部所属異能研究局員兼オリジン専属研究者 セツラ】と印字されていた。紛れもない事実のようである。
「鷹宗クン、仕事が片付かないみたいでネ。先に説明してくれってお願いされたワケサ」
――なんか信用できないな……。
ずっと訝しんでいると、難しい表情をしえちる弥彦に対してセツラは肩をすくめた。
「疑うのは良いことだけどサ、これじゃあなにも話が進まないんだよネ。帰りたくなったら帰っていいからサ、試しに話を聞いてくれないかナ?」
そうさせてもらうのも正直【あり】なのか……?
自分がなんのために呼ばれたのか――それを知らずに帰るのは本望ではない。それに日を改めて来るのは少々面倒でもある。
――初対面で決めつけるのはよくない、か……?
恐らく誰が会っても怪しいと判断するであろう。だが曲がりなりにも異能者協会の正式な社員だ。初対面であるにも関わらず、人柄を断定するのに抵抗がある。そう思い、なんだか嫌な予感がするのを飲み込んだ。
「……わかりました。是非お話を聞かせてください」
ぎこちない表情で言ったが、セツラは満足げに頷いた。
「素直なことは良いことダ。それじゃ、ここじゃなんだかラ着いてきたまエ」
「え、ここで話してくれるんじゃないんですか?」
「キミに見せたいものがあるんだヨ」
「見せたいもの……? ってちょっと待ってください⁉」
弥彦の言葉を待たずに部屋から出てしまうセツラに、弥彦は鞄を持って慌てて追いかけた。
向かった先は来た時とは異なる場所に位置するエレベーター。促されるまま乗り込むと、セツラは社員証を端末に当て、画面に現れた文字盤を操作する。その拍子にエレベーターは静かに閉まり、動き出した。
「上じゃないんですね……?」
頭上にある階層を示すパネルで段々と下っているのが分かる。
低階層に見せたいものがあるのだろうか? あそこは未成年の異能者が何らかの手続きをする際に行くことになる事務所がある。その他にも異能者による治療を受けることができる病院も設営されているはずだ。
――⁉
止まらない。そんなことよりパネルの数字は先ほどより早く小さな数字になっていく。どんどん一階へと近付いていった――と思えば地下へと潜りこんだ。
「地下なんてあったんですか⁉」
あまりにも驚愕の声を上げてしまう。セツラはクツクツと笑った。
「地下駐車場もあるけどネェ……それよりももっともっと深いところにご招待サ」
「もっと⁉」
パネルの表示は地下五階から点滅を繰り返すだけで、止まる気配がない。
この状態がいつまで続くのだろうかとそわそわしていると、弥彦の前に立つセツラはこちらに顔をむけずに言った。
「そんなに怖がらナイデヨ。ただボクらの働く場所がソコにあるってだけサ」
そうしているとどことなく軽微な浮遊感に襲われる。止まったのだろうかと思うと、チンッ。と軽い音が鳴り、エレベータが開かれた。
暗い空間だ。電気がついていない部屋は、非常灯の緑色の淡い光でほんのりと室内を照らしている。
「アラアラ、誰もいなかったネ。電気つけるからチョット待っててネ」
二人でエレベータを降りると、エレベーターの扉が閉じ始め、最も明るい光源が無くなった。
あたりを見回すと、精密そうな機械や身厚いファイルが収納された棚が綺麗に並んでいる。
精密そうな機械は何に使われているのか見当のつかないものだった。それが並んでいる壁の色は他よりも真っ黒に見える。
耳をすませば、僅かに機械が作動しているような音しか聞こえない。
――なにか胸騒ぎがするような……。
この暗さといい、真夜中の学校のような不気味な気配がして落ち着かない。
そう思った瞬間。
「――ガッ⁉」
なにが起きたのか、それを把握するよりも早く体の力が抜ける。弥彦は膝から崩れ倒れた。
――力が……はいら、ない……。
意識が遠のいていく。
その間、一人の足音が近付き、身を屈めて顔を覗き込んだ。
口端を大きく広げて不気味な笑みを見せたセツラだ。
「サア、本題に入ろうカ」
セツラのクククと上機嫌な笑い声を最後に、弥彦は気を失った。