4.木を択ぶ鳥は振り返る②
マ・リータ号は王族専用の飛行船だ。
客室は全てスイートルーム。
余暇を過ごせられる場所は娯楽室、書斎、温室、そしてプールやスポーツジムと多岐に渡る。
それぞれただならぬ広さだ。長旅でも楽しく有意義に過ごすことが出来るだろう。
「どうだ、ひと泳ぎすっか?」
気軽に提案するリアイゼルに弥彦はあまりの身の丈に合わない環境に身震いした。
「いやあ……折角ですが今はいいです……!」
置いてある物はどれも高級品だろう。万が一傷を付けないか心配過ぎて触れる事さえ憚られる。
「そうか? ならもうそろそろ戻るか。準備も済んでる頃合いだろうしな」
「準備……?」
そう疑問に思いながらまた先ほどの客室に戻る。
するとそれを察していたかのようにコンコンと誰かがノックした。
「入っていいぞ」
そうリアイゼルが一声かけると数人の給仕が入ってきて一礼した。
「失礼致します」
そう言うと銀色のトレイに乗せて持ち運んだコーヒーをカップに注ぎ、二人分としては十分すぎる多種多様なお茶菓子を置いていく。
「ありがとな」
リアイゼルが軽く礼を言うと給仕たちは指先を揃える。
「ご用命の際はそちらのベルでお呼びください」
そう言い残すと、給仕たちは再度頭を下げて部屋を後にしていった。
「この部屋から鳴らして分かるんですね……」
「部屋の前に使用人が控えてるからな」
「なんか、すごいですね……」
住む世界の違いを一身に浴びて目を細めた。かたや白夜は窓辺の景色が気に入ったらしく、傍らのテーブルへと一人移動しては目を輝かせていた。
折角淹れてもらったコーヒーだ。自分も頂こうとリアイゼルの対角にあるソファへと腰をかけた。
コーヒーと言えばセツラのオリジナル缶コーヒーが脳裏を過ったが、華やかな香りが嫌なイメージを払拭してくれる。
――あ、美味しい。
舌を湿らせると酸味は柔らかであり、豆の渋みの後に華やかな香りが口内に広がる。一番手前のクッキーも口に含むと、甘さ控えめなバニラの味がした。サクサクとあっという間に食べてしまう。油断していると手が勝手に伸びていきそうになるほどの美味しさだ。
「美味いか?」
その問いに弥彦は爛々とした眼差しを向けて頷いた。
「はい、すごく、美味しいです」
思わず力を込めて言うと、リアイゼルは嬉しそうに笑顔を向けた。
「昼飯も期待していいぜ、なんたってサハテハイ屈指のシェフが取り仕切ってるからな」
仕事でサハテハイに向かっているはずなのだが、正直すごく楽しい。サハテハイ料理は香辛料を活かしたものが多いと聞く。凝った肉料理も出てきそうだ。
――心が躍ってしまう……。
しかしその一方でリアイゼルはこのレベルの食事は特別なものではないのだろう。
「ゼルさんは凄く舌が肥えてそうですね」
「うん? ん~、どうだろうな。ここんとこ自炊か飲み屋ばっかだったし」
「でも王族なんでしたらお付きの人とかいるんじゃないんですか?」
「いやいや、アルバドリスで王族ぶるとか恥ずかしいじゃねえか! そういうのは断って独り暮らししてんだよ。だからこの口はもう下町仕立てだ」
そう明るく言うリアイゼルはコーヒーを味わってから弥彦に尋ねた。
「んで、ミズキさんとの修行はどうだったんだ?」
丁度コーヒーをごくっと飲んだ弥彦は眉をひそめた。その反応にリアイゼルは悪戯をしかけた少年のようにニヤけた。
「相当しごかれたな?」
「はい……それはもう、すごく」
弥彦は昨日の出来事を思い返して青ざめた。
ミズキの課外授業は、大変だった。
なにが大変だったか。ミズキと二人だけかと思っていたら、なんと担当教師のタベルを交えた課外授業だったのだ。
「はあ~、あのタベル先公ね」
「もしかして担当教師でした?」
「いんや、俺が学生だった頃にはいなかったな。でも世話になったヤツらは性格のワリに個別の指導は的確だったって評判だぜ。大変だったとも言ってたが」
その人たちが熱弁していたのだろうか。リアイゼルはそれを思い出したかのように苦笑した。
もしその人たちも大変だったのなら、手を握って語り明かしたいところだ。
「ははは……それはもう、贅沢な時間でした……。ゼルさんに移動手段の手配をして頂けて助かりました」
ミズキが稽古をつけ、それをタベルが見守る――そんな環境でこれじゃない、あれじゃないと異能の発現に格闘していた。
それのお陰で、結論として足りないことは把握できた。
「やはり、理事長代理が懸念されている通りですね」
そうミズキに淡々と話すタベルはその調子で事実を突き刺す。
「クルスギ、キミは異能の在り方に迷いを持っています。そうでしょう?」
タベルの発言に対して弥彦は図星を突かれて驚愕した。
初めて異能を発現してから半年も経たない。それでも今日までの間、オリジン専用の異能鍛錬場で発現の練習をしたり、白夜と共に過ごす時間を確保して互いの理解を深め合った。
本来ならオリジンの誰かに見てもらえると良かったのだろう。だが彼らは黒の侵蝕や黒の神獣の案件が無くとも他の異能者組織から依頼されるほど忙しい。他のメンバーに教授を願うのはどうしても気が引けて、結果伸び悩んでいたのが現状だ。
白兎の神獣の件といい、変に理由をつけて他者を頼れないのは、いい加減自分の悪い癖だろう。
――だから今から変わるしかない……!
気持ちを切り替え、弥彦は顔を上げた。
「あの、異能の在り方ってどうすれば定めることが出来るんですか?」
「分かりません」
「分からない……⁉」
思い切り踏み込んでみたら穴に落ちてしまった、そんな心境だ。ただタベルは考え込む様子で話を続けた。
「正しくは、キミの在り方は分からない、という意味です。ワタクシはキミがどういう人間か把握しきれてないので。因みに、キミは今までどうやって異能を発現していたのかね」
「ええっと……こう、使うぞーって共鳴石が光って放つ……という感じです」
自信なく段々と声のボリュームが弱くなる。
それにミズキは口を隠すよう驚き、タベルは一瞬ピクリと眉根を動かした。
「なにか悪いことだったんですか?」
「人はそれを悪癖と呼びます」
「悪癖⁉」
「タベル教師、依頼している側で恐縮ですが、驚きで説明を投げないでください」
そんなに驚く事なのだろうか? いったいなにに二人が動揺しているのか分からない。弥彦はぽかんとした顔でタベルに説明を乞うと、タベルは腕を組んだ。
「異能は確かに感覚的なもの。キミは発現するタイミングを共鳴石に委ねている、これが思わず悪癖だと言った理由です」
「な、なるほど。でも、それのどこが悪いんですか?」
発現出来ていれば同じなのではないだろうかと首を捻る。
それにタベルは頭を横に振った。
「時間がない、からと言って説明を短縮して変に解釈をされても困るので、一般論を混ぜつつ持論を言います。そもそも異能者は異能を使うから異能者です。これは百人がこの場にいれば全員が頷く事実です。では、大工が家を作るのと、テーブルを作る、なにが違いますか?」
「大工がですか? 材料とか規模とか、完成までの時間とか……でしょうか」
「他は?」
「他ですか⁉」
どうやら望んだ答えがなかったのだろう。弥彦はタベルの気だるそうなのにどこか重みのある視線に耐えながら、眉間にシワを寄せて考えて、ひとつ思い浮かんだことを呟いた。
「どうしてそれを作るのか……作る目的とか、でしょうか」
「はい、正解です。そもそもなぜそれらを作るのか、というきっかけや計画、前準備が第一に来なければ何も始まりません。異能者も同じです。共鳴石が輝くから異能を使うのではなく、異能を使う目的があるから異能を使えるのです」
タベルの教導を見守っていたミズキも真剣な様子で弥彦に言った。
「勿論、まるで息をつくような感覚で異能を使う異能者もいますが、そういう者のほとんどが短命です。見たところ、来杉さんはまだ悪い癖が定着する前なので、大丈夫ですね? タベル教師」
「ええ。厄介なことにキミの場合は表出型であるにも関わらず見える形に現れない。ただ、悪癖であっても使おうと思えば使えているのも事実です。これを共鳴石に頼らず上達するには、見直す点はたったひとつ」
タベルは指を一本立てた。
「異能の名前の見直してください」
「な、名前ですか?」
それだけでどうにかなるのだろうか。と疑問に思っていると、それに気付いたであろうタベルは、全身に疲労がのしかかっていると言わんばかりに首を揉んだ。
「ワタクシには【気絶】の異能の底が見える。経験で断言します、アナタはそのままでは成長しない」
「――!」
成長しない、その言葉に絶句する。
自分の異能は神獣をも気を失わせる――だから気絶の異能だと認識していた。
――それが、もう成長の見込みがない。
虚無感が全身にのしかかる。
今まで自分の異能に……いや、異能に関わる全ての事に対して関心がなかった。そのツケが今に現れているようで視線を落とした。
そんな中、タベルはミズキに淡々と言った。
「……ワタクシの役目は以上となるようですが、理事長代理」
「えぇ、十二分の働きでした。お忙しいところありがとうございました」
タベルは「それでは」と短く挨拶をして鞄を片手に颯爽とその場を後にした。その背中を見送ってからミズキが弥彦に向き合った。
「良いタイミングですね、来杉さん」
「え?」
気を重くしていた弥彦に対して、ミズキはどこか勝気に微笑んでいた。
「名前の付け直しは何も珍しい事ではございません。もちろん、場合によっては、鷹宗の言葉を借りるなら諸刃の剣。人によって、異能を上手く使えず難航してしまうこともあります。ですが貴方が異能を使い始めたのはまだ数ヵ月だけのこと。早い段階で気付きを得られたのは僥倖です。今よりも貴方の異能の特徴を知り、本来の異能の力を上手く引き出せれば、貴方は今よりずっと強くなれます」
ミズキはどこか嬉しそうに、そして励ますように弥彦の両手をぎゅっと握った。
――~っ!
小さくて柔らかなその手から人肌の暖かさがじんわりと伝わる。それを感じた瞬間、弥彦は心臓が跳ね上がった。
だがそれも束の間。ミズキはするりと手をほどく。弥彦は内心ほっとした。
ミズキはそれに気付いていない様子で話を進める。
「来杉さん、ちなみに名付けについて思い当たるものはありますでしょうか」
「それがあまりピンとこなくて……」
【気絶】が一番しっくりときていたのだ、今新たに考えるのは寝不足のもとになるだろう。
「最初は名付け師による異能診断が参考になるでしょう。わたくしのほうで腕利きの者を紹介いたしましょう」
名付け師――異能の命名にヒントをくれる占い師のような異能の専門職だ。確かに彼らを頼るのを第一に考えた方が良いに違いない。
「そういえば明日はサハテハイでしたね?」
「はい。なのでもし診断を受けるなら暫く後になっちゃいますね」
本日中に受けられたら良いのだがそれは難しい話だろう。国内の名付け師は非常に希少な存在だ。それにさすがは異能者共存国アルバドリス、国内異能者人口密度が高いこの場所では、尚更需要が高いため思い付きで出会えるものではないはずだ。
だというのにそれに反してミズキは未来に確信を持っているようだ。
「ふふふ。どうやらわたくしもお役に立てそうです。優秀な名付け師が彼の国にいます。その方へこちらから連絡を入れますので、到着次第現場の異能者協会のスタッフの案内を受けてください」
「本当ですか⁉ ありがとうございます!」
任務に支障なく最速で診断できるのはありがたい。その提案に弥彦は甘んじて受けることになった。
それまでの間、万が一黒の神獣に遭遇した場合はこれまで通り【気絶】として発現する事として解散となった。
「異能を使いこなすって、大変なんですね……」
弥彦はカップを両手に持って思わず空っぽに笑う。
「やっと異能でみなさんの役に立てると思ってたんですが、まだまだですよ……」
「お、おい弥彦さん? 目が笑ってなくて怖いぞ?」
自分の内側から湧いて出てくる不甲斐なさでどうしようもない気持ちがどろどろと表に溢れてくる。我武者羅に異能を使い続けるよりは多少なりとも前進しただろう。だがどうしても〝この異能がもう少し使いこなせていたら〟と無念に思ってしまう。その不安に乗じて〝これからもこの不甲斐ない自分で留まってしまうのではないか〟という嫌な想像もしてしまう。
「異能ってやつは一朝一夕じゃ上達しねえさ。だからそう落ち込むなよ、な」
リアイゼルは苦く笑いながら励ます。そんな時、扉のほうからノックが響いた。
「失礼いたします」
入ってきたのはゴーシュイシェだ。
「バーラ様、緊急事態でございます」
「緊急事態? 嵐でも発生したか?」
「いいえ。空路に支障はありません。ですがこのマ・リータ号は已む無く近隣諸国へ着陸します」
「どういうことだ?」
訝しむリアイゼルにゴーシュイシェは落ち着いた様子で言葉を紡いだ。
「王都サハテス全域に緊急避難指令が発令されました」
「――⁉」
弥彦はゴーシュイシェの言葉に一瞬呼吸が止まった。これには白夜も「え⁉」と動揺し、アヴァロカナも視線を執事に投げる。
リアイゼルは眉間に皺を寄せて立ち上がった。
「もう一度聞く……どういうことだ?」
ぴりついた空気の中でゴーシュイシェは言い放った。
「マ・ハテス王城に襲撃あり、とのことです」
「っ⁉」
――襲撃……⁉
突拍子もない展開に弥彦はリアイゼルに向く。
リアイゼルはそれを聞くやいなや即座に目を閉じ、その左手首のブレスレットの共鳴石を何度も瞬かせた。異能を発現していると、リアイゼルは何かに絶句した。
「主!」
異能の濫用に制止をかけるアヴァロカナ。
焦った形相になるリアイゼルはぎりっと歯を食いしばるとゴーシュイシェに接近した。
「進路は変更するな……」
らしくなく声を震わせる。
「バーラ様、それは出来ま……」
リアイゼルは低い声でゴーシュイシェの言葉を遮った。
「これは命令だ……」
リアイゼルは震える声を荒げた。
「ドゥルーヴ・ゴーシュイシェ! 敵は黒の神獣だ! 俺らを王城に運べ!」
――黒の神獣……⁉
向かう先に出現するとは。だが光の柱の件もあれば黒の侵蝕の発生頻度の増加した件もある。ありえない話ではない。
――今の僕でどうにかなるのか……⁉
いや、どうにかするしかない。嫌に鼓動する胸に、弥彦は両の手を握りしめた。




