1.築かれた平和――潜む影①
世界は一度滅びかけた。
【黒の侵蝕】と呼ばれた自然災害。今から二十年前に自然大災害としてそれが起きたのだ。
フィアネス大陸は文字通り〝黒に染められた〟のだという。どこから始まったか不明だが、空も川も地面も黒くなっては、そこから日光や水、作物が失われていった。そしてそれは空間を侵蝕していくように拡大していった。その瘴気に触れた人たちは錯乱して周囲の人を傷つけてしまう――それだけに留まらず、瘴気は凝縮するようになんらかの生物の形をとり、爪や牙などで人々に襲い掛かる――そんな事例のない大災害が世を襲ったのだ。
普通の人にはない能力を持つ【異能者】は、その障気にいくらか耐性があった。彼らを中心に一般人の警護や避難誘導、そして襲い来る驚異の対処を行いなんとか生き永らえていた。
それでも進行し続ける侵蝕を前に、長時間の活動には限界があった。もはや対抗する術がないと思われた状況まで追い込まれたのだ。
それを打破したのが【白の神獣】だった。
なんらかの獣の姿をした彼らは、五名の異能者と手を組み、これを治めたのだという。
それ以降、異能者は多くの非異能者から賛美され、異能者を異端だと迫害していた国も考えを改めた革命の日ともなったのだ。
そんな大災害――通称【黒の大侵蝕】から二十年経った今日。【復興記念日】としてフィアネス大陸全土の規模の祭りがあげられるめでたき日を迎える。異能者協会本部のあるアルバドリスでは特に国際色豊かな人々で街が賑わっている。
本日の目玉は、夕凪鷹宗が参席する正午のセレモニーだ。黒の大侵蝕の立役者である彼を一目見ようと大陸中から多くの人が押し寄せていた。これには異能者協会の想定以上の人気だったようで現場は早朝から混乱しているとのニュースが報道されていた。
そんな混乱の外、非異能者と異能者の共学校では、在学生からくじ引きで選ばれた学生二十名がセレモニーに招待されていた。関係者席のすぐ後方で見れるというこれからの未来を担う若者への大人たちの計らいだ。
その一方で若い彼らは黒の大侵蝕は未経験で実感が湧かない。大人たちが話していると、少なからず「またその話かよ」と聞き流す者もいる。
たまたま選ばれたとある学生も興味がなかったそうで、「代わりにお前が行ってこいよ」と高校三年生の来杉弥彦のもとにチケットが流れてきた。
もとから選ばれていた幼馴染みの少女――ランは嬉しそうに「一緒にいきましょ!」と誘ってくれた。セレモニーは午後からだったので、それまでの間暇をどこかで潰してから行くという方針になったのだ。
登校日と同じように六時に目覚めよく起き、着替えを済ませてから家の手伝いと朝食を済ませる。寝癖のつきやすい明るめの茶髪を整えてから、ランと約束していた駅に向かった。
――楽しみだな。
未知なる体験に対してわくわくが止まらず、足取りがいつもより軽い。
休みはただただ空を見上げてのんびりと過ごすことも好きだが、こうやって友達となにかで遊び楽しむ時間を共有するのもかけがえのないものである。
自然と表情が輝いていたのか、すれ違う近所の中年男性に「なんだい彼女ができたのか?」と茶化され「え⁉ ち、違いますよ、友人と遊びに行くだけですから!」と手を激しく振った。
でもなんで、こんなことになってしまったのであろうか。
「ランさん、こっち!」
足がもつれるランの手を引いて弥彦は走る。
始まりは突然の出会いだった。
「行きたいところがあるの」
そう話を切り出したのはランだ。
彼女は文化について興味を強く抱く勉強家だ。幼い頃から成績優秀。男女から人気の声が高く、生徒会長の任を担った経験もある。そんな彼女が尊敬する歴史学者の叔父の話は彼女の大好物だ。
いつか行ってみたい廃墟がある――そう切り出したのは弥彦が「どこか行きたいところがありますか?」と尋ねた後のことだった。
まるで話題の喫茶店に行くような感覚で楽しそうに話す彼女に弥彦も興味をそそられた。そのためランの希望の場所へと足を運んだのだった。
セレモニーの時間のこともある。少し見たら会場へ行こう。そう決めていた。
アルバドリス南西部に位置する暗く湿っぽいビルが建つ廃墟群――通称〝廃墟区〟。国に忘れ去られたようにあるここは、過去の遺産とも、管理者が夜逃げしてどうしようもなくなった土地だとも言われている場所だ。
ランの目的の場所はここの中にある古民家だった。
そこへ行く途中、彼女が持ってきた古い地図を頼りに道を曲がったところで出くわしてしまった。上下黒のジャージに黒のブーツ、そして目と口だけくり抜かれた黒い覆面を被った集団だ。十人いる彼らの中にはナイフや鉄パイプなどの鈍器を持っていて、どこか殺気だっていた。
「テメェらなにもんだ!」
ここに立ち止まっては行けないと二人は来た道を引き返した。
後ろから全員が追いかけて来る。命の危機を感じ焦って道を曲がっていくが追跡を免れない。そのうちランのほうが激しく息を切らして体力の限界を迎えてしまう。
「ここは僕が時間を稼ぎます! ランさんはここから逃げて助けを呼んできてください!」
ランは一瞬渋る表情を見せるが、迫りくる後方に目をやると「絶対に助けるから……!」と言葉を残してこの場を去っていく。
彼女は責任感の強い女性だ。きっと言葉通り戻ってきてくれることだろう――。
弥彦はその背中を横目で見送り、来た道を正面に向き直る。
ただし、こんな集団を止める手はなにひとつもっていない。
――ランさんが逃げ切ることが出来ればそれでいい!
自分が傷つくのは構わない。だが、女性であるランが危機に瀕している状況は見過ごせない。
震える体、強張った表情で弥彦は目の前に左手をかざした。
「止まってください!」
「そう言われて誰が止まるってんだ! ひゃっはー!」
先頭を走る黒いジャージの男が鉄パイプを振り上げる。
こういう行為に慣れているのか――脅しではなく頭上から振り下ろされようとする寸でで。
「止まれ馬鹿野郎が!」
集団の奥から制止され、鉄パイプの男は驚いた表情で動きを固めた。
――あ、危なかった!
殺されるかと思った。ひとまず回避できたことに弥彦は止まっていた息を震えながら吐いた。
集団は時が止まったかのようにピタリと足を止める。だが、その代わりに奥から遅く歩いてくる足音が近付いてきた。
かっぷくの良い小柄な中年男性だ。集団で統一された黒いジャージを身に纏っている。弥彦より慎重が少し低いもののサングラス越しに見える眼光は鋭く、威圧される。弥彦は危機がより歩み寄ってきたように感じて心臓が高鳴った。
「てめえ、異能者だな?」
そう言って弥彦が突き出した左手――その手首に装着した腕輪を睨んだ。
異能者である証拠、〝共鳴石〟と呼ばれる水晶の嵌め込まれた細いデザインの銀の腕輪だ。
異能者――それはフィニアス大陸で稀に生まれてくる特異な能力〝異能〟を使える者の総称だ。異能とは異能者によって個性があり、目に見えない異能を使ったとしても共鳴石が輝くため、アルバドリスで生きる異能者はこれを装着する義務を課せられている。身分の証明みたいなものでもある。
「そうです、それ以上動くと異能を使います……!」
目を見るだけでもその覇気に気圧されそうだ。だが目を離してはいけないと奥歯を噛み締めて集団のリーダー格の男を睨み返した。
リーダー格の男が舌打ちをする後方で、子分たちが声を上げた。
「アニキ、さっさとこいつらどうにかしねえと、時間に間に合わなくなっちまいやすぜ」
「そっすよアニキ。首かっ切ろうっす」
「てめえらは黙ってろ、気軽に首を跳ねようとすんじゃねえ」
そうは言うが、今にも暴力を振るいそうな雰囲気だ。
それでもこうやって動きを止めているのは異能を警戒してのことだ。
――意図した通りになった。でもここからが本番だ……。
一方通行の道――目に見えるだけでリーダー格の男を含めて六人、その後ろに四人いるはずだ。
リーダー格の男自身を制止させたことで周囲の子分たちも動きを止めている。この状況をなんとしても維持しなくてはならない。
「だいたいなんでこんな場所にてめえみたいな高校生が来てんだ、デートスポットにしちゃ趣味が悪いんじゃねえか、ああ?」
「な、ランさんの趣味が悪いと言うんですか⁉」
「ちげえよ! もっと街中に行けって言ってんだ!」
「それなら貴方たちもこんなところじゃなくてカラオケ店で集会を開けばいいじゃないですか!」
「なにかの穏やかな出し物だと思ってんのか! 馬鹿か! こんな格好した正気な集団がいるかよ⁉」
――あなたがそれを言っちゃうんですか⁉
だがやはりこの人たちは反社会的勢力というものなのだろう。それを再確認すると集団の全員が手に握る鈍器が自分を殺してくるのだと思えて恐怖心を煽られる。
「どうした? ビビってきたか?」
リーダー格の男が嘲笑に目を歪ませる。
体が緊張で強張る。このままでは震えだしてしまいそうだ。
――雰囲気にのまれちゃだめだ!
声を低くして弥彦は見下ろした。
「えぇ。思わず間違えて異能を使ってしまいそうです」
「――てめえ……!」
リーダー格の男は眉間に深い皺を寄せた。
「いいですか、ここで異能を使ってしまったら貴方たちは間違いなく大怪我をして、最悪死に至るでしょう……僕を興奮させないことをお勧めします」
本当はそんなことは嘘っぱちだ。実際は異能を使った試しがない。
だから自分がどんな異能を持っているのかすらわからないのだ。
――でも警戒さえしてくれればいい。
なんなら身を引いてくれたらベストだ。
リーダー格の男がそう思ったのか、僅かに片足を後ろに動かした。
思い通りになり喜びが湧き出そうになった時、誰かの一笑が響いた。
その笑い声の持ち主は集団の後方で控えていた一人の覆面の男だった。リーダー格の男とは対照的に長身痩躯の不健康そうな男だ。集団の中で際立って緊張感のない雰囲気で腹を抱えていた。
「っ⁉」
弥彦もだが、リーダー格の男もそれに戸惑って笑った男へと視線をむける。
「お、お前、いきなりなに笑ってんだよ……変なことしたら死ぬかもしれねえんだぞ⁉」
慌てるリーダー格の男のことすら滑稽に思っているようだった。長身痩躯の男は笑いすぎて息切れを起こしながら言った。
「ボス、落ち着いてくだせぇ。こいつはハッタリですわ」
「はぁ⁉」
長身痩躯の男はそのまま饒舌に話し続ける。
「異能者ってのにも法律があってですね、死ぬような異能を持った未成年は施設に送られるんですわ。こいつは見たところ普通の学校に通えている高校生――つまり〝そんな能力を保持していない〟ということになるんすよ」
「そうなのか⁉」
リーダー格の男は狼狽して弥彦を横目に確認する。
それは正しい情報だ。弥彦は思わず後ずさる。
「こいつぁ、失敗したんですよ。脅すなら〝殺す〟や〝死ぬ〟異能じゃないヤツにしねえとな……あ、それじゃあ脅しにもなんにもならないか!」
――くっ!
長身痩躯の男がけたたましく笑う。それは今までの空気を一掃するには十分すぎる切っ掛けだった。
ここにいる誰もが弥彦に視線を向ける。それは異能者としての恐怖心じゃない。ただの暴力に抗えない、なんの変哲もない学生を蔑む目だ。
リーダー格の男がゆっくりと、笑みを浮かべた。
「形勢逆転ってか? どうなんだよ、異能者様よ」
リーダー格は服の裏ポケットからなにかを取り出す。
拳銃だ。
銃口がこちらを向き、額に固い感触で当てられる。
――なっ⁉
なんて物を持っているんだ……! そんな物、一般人が持っているはずがない!
――もしかして、反異能者組織……⁉
自分の鼓動が煩い。汗が身体中から吹き出す。
異能者を非異能者と同じ場に住ませるな、隔絶しろと訴える集団がいる。世間では自然と反異能者組織と呼ばれるようになった。その者たちが過激に暴力を振るう際には、どこから仕入れたのか拳銃や爆発物を使うと報道されている。
大陸中から人が集まる特別な日だ。事件を大々的に起こされては中止に追い込まれることだってあり得る。
それを狙っているのか? であれば異能を使うことは自己防衛になる。
異能を使えばいい、ただそれだけだ。
それなのに、手が震えだす。
――こんなときに!
迷っている暇はない。なのに、心が反応する。
異能を使ってはならない。
どこか心に直接囁く声が恐ろしく、掻き乱される。
――今はそういう場合じゃない!
そうじゃないというのに、寒気が、気持ち悪いなにかが体を蝕む。
カチリと音を鳴らし、引き金にかける指に力が籠った。
――終わりだっ!
弥彦は目を閉じた――その瞬間。
「ぐあぁ!」
男の野太い悲鳴が聞こえた。
――……………………なんだ?
死を迎える銃弾が来ない。恐る恐る目を開く。
目の前のリーダー格の男は相変わらずこちらに銃口を向けているが、先程よりも下がっていた。そんな彼は――いや、彼らは来た方向へと振り向いていたのだ。
「そこまでだ」
鬱々とした路地裏に低い声が切り込む。
困惑した子分たちの隙間から弥彦が見てとれたのは、一人の子分が白い制服を見にまとった男に組伏せられた状況であった。
藍色の髪を短く切り揃えた凛々しい男だ。その白い制服の男がどうやら気絶したらしい子分の両手首に手早く手錠をかける。
「まさかこんなところに不穏分子が控えていたとは笑ってしまうな」
そう面白くなさそうに言う白い制服の男はすっと立ち上がった。
――あれ、あの人……⁉
心当たりのある顔に驚愕していると、
「な、てめえ、夕凪鷹宗か⁉」
リーダー格の男が弥彦を忘れて白い制服の男に吠える。
ここ最近、復興祭関連のニュースで過去映像などで取り上げられているよく見る顔――黒の大侵蝕の立役者の夕凪鷹宗その人だ。
白い制服の男――夕凪はそれをものともせず、鋭い視線を向ける。
「非異能者社会を訴えるアバランチ。貴様らはその一味に雇われたのだろう?」
「な、なんだとこらぁ⁉ デタラメ言ってんじゃねえぞ⁉」
「大規模なテロリズムの陽動だとしらず大金を積まれて請け負った末端組織。ということも把握済みだ」
「ま、末端……だと……⁉」
「とりあえず適当に街中で騒ぎを起こそうと出向くところだった。そうだな?」
図星だったのかリーダー格の男が「なぜそれをっ!」と狼狽える。夕凪は鼻で一笑した。
「行動される前に取り押さえようと足を運んだのだが、ただの一般市民に搔き乱されていたとはな」
だがリーダー格の男は薄ら笑いを取り繕った。
「……それでもこの人数を前に一人でのこのことやってきたもんだな。多勢になんとかって言葉、知らねえのか?」
リーダー格の男が合図を出すと七人の覆面の下っ端が夕凪を囲んだ。
夕凪は過去に黒の侵食を収めたとはいえ、現在では外交に忙しい日々を送っているという。数の暴力で連携されてはどちらに分があるかわからない。
そうだというのに夕凪は周囲を一瞥すると言葉を吐き捨てた。
「とるに足らんな」
その言葉が口火を切った。リーダー格が苛立ちに声を荒げる。
「てめえら! やっちまいな!」
見え透いた挑発に、覆面の集団が一斉に動きだす。
ナイフ、バッド、スタンガン――各々が手に持っている凶器を夕凪に振りかざす。
――危ない!
誰もがそう思う瞬間だった。
夕凪は一歩踏み出す。殺気立たない静かな一歩は一番手短な覆面の男の懐に潜り込み脇腹に拳を入れた。
「がはっ!」
脇腹を打たれた覆面の男は脇腹を抑えながら気絶し倒れる。
夕凪の後方にいた覆面の男がナイフを突きだすが、それを最低限の足運びで避ける。その最中、腕を掴むと覆面の男を背負い宙に浮かせ地に叩きつけた。
バッドを持った男が声を上げて夕凪に振り下ろすが、紙一重で避け顎に掌打を入れた。
夕凪は息を乱さず、ただ整然と覆面の男たちを見渡す。
「これでも勝てる――そう思えるか?」
場の空気が完全に変わった。
今まで覆面の男たちが支配していた空気が、夕凪によって制圧された。
――す、すごい!
素人目にも格が違うことがわかる。
あの男には勝てない。そう認識を改めたのか、まだ攻撃をされていない下っ端の二人の覆面の男たちは足をすくめ、一人は腰を抜かした。
戦意を削いだ――それすらも夕凪の無駄のない戦略だったのだと思える。
「ウソだろ…………」
リーダー格の男はポカンと口を開けた。
一分経ったのだろうか。あっという間の事で弥彦も感動してしまう。
そうしている暇はなかったというのに。
「あぁ、まだ勝ち筋はある。そうだろぉ?」
長身痩躯の男が言葉を放つ。
「なっ!」
――しまった!
その時には弥彦は長身痩躯の男に身動きがとれないように首に腕を巻かれ、こめかみには無機質に冷たく固い銃口を押し付けられた。それには夕凪に目を奪われていたリーダー格の男も間抜けな声をあげる。
「お、オレの拳銃っ⁉」
いつの間にか腕を下ろしてしまったリーダー格の男から掠め取ったらしい。
「おっと。動くんじゃありませんよ。この若者の命を散らしたくなければね」
夕凪は長身痩躯の男を見つめたままその場で立ち止まる。彼の瞬時に懐に入ってくる素早さをもってしても、この距離では撃たれる前に詰めきれないであろう。
長身痩躯の男が嘲笑する。
「有名人がわざわざこんなところに来るとは夢にも思いませんでしたよ……実力者が一人で来たんだ。ということは他もやられたってことか?」
「そうだ。アバランチとしては大騒動を起こすのに今日ほどうってつけの日はないだろう。そこの裏を読んだだけのことだが、事件が起こる前に上手く事を片付けたようだ」
「そうかあ。結構大規模に展開してたはずなんだけどなあ……それならこっちも失敗ってことかね。残念だあ」
わざとらしくため息を盛大につく。だが拳銃を降ろす気配は微塵も感じ取れない。
弥彦は目だけ動かして長身痩躯の男の様子を伺う。
――っ⁉
目がまったく笑っていない。口角を上げているものの、その気迫は怒りや苛立ちを湧かせている。
頭に当てられた拳銃をごりっと押し付けられ、弥彦は心臓が跳ね上がる。全身から汗が噴き出した。
「でもこちらとしては、騒動を起こすことだけがご注文だったからさ。異能者が復興祭で一人死んだだけでも世間体悪くなるますよねえ? 最悪、復興祭は中止。そうじゃなくても、情報操作をいつか暴かれて世論が悪化するってわけだ。これは殺るしかないよねえ?」
「それでも彼を撃たないのは、交渉するためということか」
「そうだよ、この少年を生かしたかったら俺たちを見逃しな。さもなくば撃つ」
殺気たっている。この男は本気のようだ。
ランが呼んでいるであろう警備の人たちもいつかやってくる。それすらもどうにかしろと言っているのだ。
「あんたならそんな事、余裕で出来るだろ?」
夕凪は毅然とした態度のまま腕を組んだ。
「確かにそう取り計らう程度、容易だろうな」
「それなら話が早くて助かるねえ」
長身痩躯の男はにやりと笑みを浮かべる。
だが夕凪は鷹のように鋭く睨みつけた。
「甘く見られたものだ」
「あ?」
言葉で交渉を切り落とした。
――え。
弥彦は驚きに一瞬息が止まった。
今、この瞬間、一番やってはいけない挑発をしたのだ。
「いまなんつった」
聞き間違いを装って長身痩躯の男が声を震わせ聞き返すが、夕凪は毅然としていた。
「確かに、お前は人質をとり優位に立っている。ここで私を倒すよりも確実に逃げる策に切り替えたのは良い判断だ」
だが、と、言葉を紡いだ。
「私が僅かな不穏分子すら見逃すはずがない」
夕凪は長身痩躯の男に指を差す。
それに痺れを切らさない訳がない。
「じゃあお望みどおりふっとばしてやるよ!」
目が真っ赤に血走り、この上なく激昂した。
――もうだめだっ!
弥彦は目を固く閉じる。
引き金の指に力が入り、カチリと音が響く。
銃弾が発砲される音が――――――。
――聞こえ、ない……?
目をうっすらと開ける。そして目にしてから気付く。
こめかみに当てられていた銃口が、無くなっていた。
――切り落とされている……⁉
引き金から先が綺麗な断面を覗かせていた。足元へと視線を向けると、今まさに銃口だったものが音をたてて落下した。
「な、てめえ、この距離で……⁉」
――異能だ!
そういえばたまたま見かけた特集でその異能を取り上げられていた。
【切断の異能】。近距離の物体を断絶する異能だ。だが黒の大侵蝕後は全くといってその異能を大衆にさらけ出すこともなく、あくまでも手の届くほどの距離で使える異能だと言われていた。
だがそれよりも距離を離して、加えて引き金を引くより早く。夕凪は依然と同じ場所に立ったまま淡々と話す。
「見えなかったか? ならばもう一度見せてやろう」
夕凪が指先を男へと一線引く。
その拍子、その覆面の顎下部分がはらりと切り落とされる。無精髭を生やした顎が露になると、今度こそ長身痩躯の男は身を震わせた。
「なっ⁉」
長身痩躯の男は思わず銃だったものを持っていた手で己の顎に手を当てる。
表皮への傷はなく、血は流れていない。
――たった数ミリの布だけを切り裂いた!
なんて精密な異能のコントロール力だろうか。雑な異能の発現では首を切り落としていてもおかしくない。
「次に危害を加えようとしたらどうなるか――わからんでもあるまい?」
次に地面に転がっていたバッドやナイフに対して指を引く。それはすっぱりと両断され、次はお前だぞと言い放っていた。
「これでも、殺り続けると?」
ただ淡々とした語調が余計に容赦しないことを告げていた。
長身痩躯の男は弥彦の拘束を解くと力をなくして膝から崩れ落ちる。
「ま、参り、ました………………」
今のやり取りまで唖然としていたリーダー格の男も為す術なく投降したのだった。