5.一歩目の足取りは重く②
西区の住宅街。
火災が起きたと報道されたその地域は、今もなお厳戒体勢になっている。
一帯にはバリゲートテープで境界線を引かれ、経験豊かそうな非異能者の中年男性警察官と新人そうな初々しい雰囲気のある青年の異能警備隊員に阻まれるように人だかりが出来ていた。
「鎮火はしてるんだろ? まだ家に帰らせてくれないってのかい?」
「避難所にいる意味、もうないだろ?」
「庭の植物が心配なのよ~。少しくらい見に行ってもいいじゃない~」
様々な理由で言いがかりをつける住民たちに、警察官たちは毅然とした態度で言い放つ。
「鎮火はしておりますが、まだ安全な状態ではありませ~ん。安全確認のため各専門の異能者を手配中ですので一旦避難所にお戻りください~!」
その横で険しい顔つきの中年男性警察官が大声をだす。
「死にたくなかったら帰んな!」
「ちょ、バリーさん! そんな言い方したら火に油っすよ⁉」
「事実、こっから先に行ったら命の保証は出来ねえんだ! 死にてえってんなら話は別だがな。おい、そこの兄ちゃんはどうなんだ?」
「は? 何言ってんのこのじじい?」
「もーバリーさん! 挑発しないでください~! とりあえず、本当に安全が確保できておりません! どうかご協力を~!」
喧嘩腰の中年警察官に、泣きそうになる青年の異能警備隊員。弥彦はそれを人だかりの後方から唖然として見ていた。その隣でロフティは片手で頭を抱えて重いため息をついた。
「身をもって痛い目をみないとわからない奴っているのよね……」
まだ安全ではないというのに行こうとする無謀さにモヤモヤと感じるものがある。だが、事情を知らない一般人が家のことを心配する気持ちも分からなくはない。
「説明されてないんですか?」
「ああ。〝アルバドリスで神域が出現した〟だなんて知れ渡ったら、異常に騒ぎ立てる厄介な集団がいるからな。情報操作ってやつさ。はいはい、ちょっと通りますよ~」
そうリアイゼルは率先して人だかりに割って入っていく。
「置いていかれるとあそこに着くまで一苦労よ」
「わあ!」
呆然としていた弥彦にロフティが背中を押す。リアイゼルのすぐ後ろを歩くと、リアイゼルの巨体も相まって面白いほど人が控えめに避けていく。弥彦は苦労せずバリゲートテープ前までたどり着けた。
そのテープの向こう側に立っていた中年警察官が片眉を上げると。
「おっせえぞゼル坊」
「わりぃなバリーのおっさん。人員を調整していたんだよ。入ってもいいよな?」
「入らねぇと始まんねぇだろうが。さっさと来い」
「うぃっす。お、エリザークも久しぶりだな。相変わらずおっさんを追いかけてるのか」
エリザークと呼ばれた青年警備隊員はとんでもないと首をぶんぶんと振った。
「違いますって~! なぜだかいつも一緒の現場になっちゃうだけなんです~!」
「ははは、ジョーダンだよ、ジョーダン」
笑いながらバリゲートテープを乗り越えるリアイゼルに倣って、弥彦もおぼつかない足取りで乗り越えた。その先で、こちらをじっと見る中年警察官――バリーと目が合う。
今、自分は学校帰りの制服姿だ。
「おい、なんだこいつは」
――そうですよね! ごもっともな疑問です!
明らかに一般人にしか見えないことだろう。自覚しているから余計バリーの威圧に硬直していると、颯爽とリアイゼルが言葉を添えた。
「今回の人員の一人だ」
「あぁ? こいつぁ学生じゃねぇか」
端から見れば妥当と思えない人員だろう。疑いの眼差しをリアイゼルに向けるが、リアイゼルは不適な笑みを浮かべた。
「この俺が冗談でただの学生を連れてくるわけねぇだろ?」
そんな調子に、バリーがガシガシと頭を掻いた。
「ちっ。仕方ねぇな。現場の指揮権を持ってるのはお前だ。何も言わねぇよ」
「いつもありがてぇ、バリーのおっさん」
「お前の積み重ねた無茶苦茶な実績に感謝しな」
そして「ついてこい」とぶっきらぼうに言うとバリーはすぐさま道案内を始めた。
西区の住宅街は特に非異能者の家庭に人気のある場所だ。マンションやアパートも遠くに見かけるが、ここは戸建てが多く連なっている。歩いていく毎に、少しずつ煤のついた家や道路が増えていく。その道中で弥彦はこっそりとロフティに耳打ちした。
「あの、お二人はどういった関係なんですか……?」
今回のようなことがアルバドリスで起こったという事例は自分の知る限りでは聞いたことがない。そんな中でオリジンのリアイゼルと非異能者である警察官ビリーの関係性は良好に見える。
ロフティは淡々と答えた。
「あの警察官は異能者組織でも有名な変人と聞くわね。非異能者なのに異能者の事件ばかり追いかけてるらしいわよ。だから顔の広いあいつと面識があるんでしょ」
「ゼルさんってそんなに顔が広いんですか?」
「そうね。異能者が組織の垣根を越えて仕事をすることは珍しくないけど、その中でもあいつは群を抜いて依頼されているわ」
――す、すごい人なんだなあ。
自分の知りたいことをなんでも知れる異能――それは大変重宝されるであろう。引っ張りだこになるのも頷ける。
歩みを進ませていくうちに、景色は段々と悲惨になっていく。焼け焦げた程度の家から半壊した家、葉を失い焼け朽ちた街路樹が痛々しく目につく。焦げ臭い匂いが鼻を刺激し、弥彦は顔をしかめた。
――酷い……。
火災のあった現場を見るのは初めてだ。炎が奪った多くの人々の生活を想うと胸が痛くなる。
そんな中、とあるマンションの広い駐車場に辿り着く。そこにはいくつかの大型の車が乱雑に停車しており、白衣を着た人たちが忙しそうに機器を取り扱っていた。
前を歩くバリーが足を止めて振り向いた。
「俺はここまでだ。じゃ、任せたぞ」
「案内ありがとな。今度飲みに行こうぜ」
リアイゼルの軽快な発言に。
「お前ってやつはな……まあいい、互いに生きてたらな」
バリーはどこだかげんなりした様子だ。リアイゼルの肩を叩くと歩いてきた道を引き返した。
「さてと」
リアイゼルは弥彦に視線を向けた。
「ここからは【特別災害対策課】とそれに招集された異能者だけの立ち入りってことになるんだが、弥彦は俺について来てくれ」
「は、はい!」
「あたしは準備を済ませるから」
「おう、任せた。弥彦、こっちだ」
そういうリアイゼルはゆったりとした足取りで機器を取り扱う人たちの方へと向かった。忙しそうにキーボードを叩いている人やモニターの数字を睨んでいる人には、とてもじゃないが話しかけられる雰囲気ではない。そこでリアイゼルは、その後方でノートを片手に控えている、黒ぶち眼鏡と二つに分けたおさげが特徴的な小柄の女性に肩を叩いた。
「びゃーっ⁉」
まるでお化けにでも出会ったように驚くと、リアイゼルはけたけたと笑った。
「待たせたな! やっと例の少年を捕まえてきたぜ」
「リアイゼルさん! いつも驚かさないでと言ってますよね⁉ やめてくださいよ!」
「わりいわりい」
「絶対悪いと思ってないでしょう!」
女性は頬を膨らませて怒っているが、小柄なのもあいまって、可愛らしさが見え隠れしていて恐ろしさをまるで感じない。リアイゼルは余裕な顔だ。
「って、そちらの方は?」
しかし彼女は弥彦に気付くと先程の怒りが嘘だったように消えて、キョトンとした表情で首を傾げた。
「前の選抜試験の少年。来杉弥彦だよ」
「ご協力頂けたんですか⁉ よかったあ!」
ご機嫌な様子で満面に笑顔を浮かべ弥彦へと歩み寄る。
「初めまして! 異能研究局兼オリジン専属研究局員のヨキといいます! まだ下っ端ですが、よろしくお願いします!」
「は、はい! 来杉弥彦です、よろしくお願いします!」
弥彦は差し出された手にすかさず握手を交わした。
「ヨキは非常に優秀な異能研究局員でな。でもちょっとおっちょこちょいなんだよ。よろしくな?」
ヨキはムッとなった。
「おっちょこちょいじゃありません! たまにうっかりしちゃうだけです!」
――たまにうっかり……?
それは内容によってはおっちょこちょいなのかもしれない。
「あとは変人だ。異能オタクで指折りさ。話聞く時は覚悟しろよ?」
「失礼ですね! 加減くらいしますよ――一時間で収めてみせます!」
「すごく長いですね⁉」
興奮ぎみなヨキははっとしたように口を手で塞いだ。
「そんな事を言わせに来たんですか⁉」
「ははは、わりいわりい」
「せめて否定してください!」
――ああ、これは完全にゼルさんのペースにハマってますね……。
弥彦はどう反応すればいいのか困り果てた。だがそんなおちゃらけた雰囲気が一変、リアイゼルは真剣な表情になった。
「それで、状況はどうなんだ?」
空気が変わった。それを肌身で感じる。ヨキはそれに動じた様子はなく、話を進める。
「はい。神域が発生してから推定十二時間経過してますが、範囲はさほど広がってないようです。神域の広さはいままでのケースと比べると小さいほうですね」
「神獣の特徴や居所についてはなにか分かったか?」
「それが謎なんですよ。普通、遠視の異能で多少なりとも姿を確認できるはずなんですがまったく観測できなくて」
「…………」
リアイゼルの左手首に飾られたブレスレットの共鳴石が一瞬光ると。
「神域内には確実にいるな。仕掛けはわからんが、近寄らないと姿を見せないタイプだ」
「場所は割り出せそうですか?」
「それは負担がでかい。異能は温存させときたいな」
「わかりました。そうでしたら、やはり三方向から探索したほうが効率いいかもしれませんが、来杉さんは大丈夫でしょうか……?」
ヨキは心配そうに横目で弥彦を見た。リアイゼルは首を横に振った。
「さすがに無責任に一人には出来ねえ。それじゃ、地図を三分割にしてっと……」
リアイゼルはヨキのノートに書かれた地図をじっと見つめ、また、共鳴石が輝く。
「ん。ここは調べなくてもいいだろ。二手に分かれて調べる方向性で行く」
「わかりました。抑止班はいつも通りの配置でいきますね」
「ああ。だいたいのことはそっちにまかせた。判断しかねることがあれば連絡くれ」
「はい、わかりました」
「よし、弥彦。行くぞ」
「は、はい!」
リアイゼルはいつもより足早にロフティのいる方向へと向かう。身長の高さも相まって、早歩き程度であろうリアイゼルに対して弥彦は小走りで追った。
周囲の人たちがさらに忙しさに拍車をかけて騒がしくなっていく。中には大声で指示をだし、その対応に追われる人たちから緊張感がビリビリと伝わってくる。
アルバドリスの崩壊を賭けた作戦だ。非日常な現状に弥彦の心臓は嫌に速く高鳴る。緊張のしすぎで胃酸が上がってきそうだ。
「ちょっと、あんた大丈夫?」
「――⁉」
はっと我に帰ると、ロフティが怪訝そうに眉間のシワを寄せていた。
「顔、青いわよ」
「すすすすすみません! 少し緊張してしまって!」
慌てて周囲を見てみるとリアイゼルはロフティに弥彦を任せてどこかへいってしまったらしい。まった
く気が付かなかった。
こんな状況下で不安になっている暇はない。
自分の役割、出来ることに必死になるしかないはず。それなのに不安に駆られてしまう自分が酷く不甲斐なく思う。
ロフティは何を思ったのか一旦顔伏せて深くため息をついた。
不快に思わせてしまったことだろう。
「すみません! すぐ落ち着きますので……!」
そう焦っていると、ロフティは鋭い目つきで、だがいつもよりトゲのない声色で言った。
「安心しなさい」
「…………………………え?」
不意打ちの気遣いに弥彦は目を丸くする。
「え、じゃない」
ロフティは長い銀髪を払いながら神域のあると思われる方向に視線を向けた。
「神域の質によって危険性はかなり変わるの。神獣には『白』と『黒』の二種類があって、今回は気配からして『白』なのは確実。白の神獣と臨むあたしたちとは相性がいいから、選抜試験ほどの流血沙汰にはならない……はず」
そう言いつつも最後に言葉を濁す。
それもそうだ。アルバドリスが滅ぶ可能性があるのなら、相性が良いと言えど自分たちが命の危機に立ち会うことになるのは間違いないはずだ。
だが不器用ながらもこちらを気にかけてくれた。それだけは分かる。
――優しい人なんだろうな……。
最初はいきなり手を引っ張って強引に連れていかれたが、単に言葉足らずなだけで、意外に優しい人なのかもしれない。そう意外に思っているとロフティは柳眉を潜めた。
「ああもう、こういうのガラじゃないのよっ」
もどかしいと言わんばかりに難しい表情をすると、腕を組んで声を荒げた。
「あたしが言いたいのは、あんたを死なせない! それだけよ!」
「あ、ありがとうございます! なるべくご迷惑をかけないようにしたいと思いますのでよろしくお願いします!」
「……協力してくれてるだけでもこっちはありがたいから」
「そうだそうだ」
どこからか戻って来たリアイゼルがロフティに肩を組んだ。
「弥彦が必要になる場面は必ずある。俺たちはそれを全力でフォローする。それだけだ。な?」
「近い……!」
「ははは、ワリイワリイ」
明らかに嫌がるロフティにリアイゼルはさっと身を引いた。
笑顔のリアイゼルに対して、ロフティはギロリと睨み付けた。
「それより全体の準備は?」
「へいへい、滞りなく。二人にこれを渡しとくぜ」
なんだろうと思い手を差し出すと、無線イヤホンを手渡された。
「それ、耳に入れてみ」
リアイゼルに促されるまま、弥彦はイヤホンに見えるそれを片耳にいれてみた。
「ここを押すとこれ着けてる奴同士で通話できる。通話状態からもう一度押したら通話が切れる代わりに外の音がよく聞こえる優れもんだ。絶対外すなよ?」
たしかに片耳を塞いでいる状態であるにも関わらず、両耳で周囲の音を聞いているような状態と遜色ない。しかも軽い。つけっぱなしで一日を過ごしてしまいそうだ。
「今回は俺がお前につくけど、予想外な事も起きるだろう。もし一人になっちまったら、これを通話状態にして逐一報告してくれ。俺やロフティ、それと神域外にいるヨキが聞いてるはずだからな」
「わ、わかりました」
いよいよ動き出す。緊張から手に汗を握る。リアイゼルは不意にロフティに言った。
「お前もそうだからな。報告を怠らず、無駄に深追いすんじゃねえぞ」
だがロフティは顔を背けた。どこだか気まずそうだ。
「…………」
期待していた反応がない。それにリアイゼルは少し考え込むと、弥彦の耳元に片手を添えた。
「いいか弥彦。ああなっちゃいけねえからな。ちゃんと報告しろな」
耳打ち、とはほど遠い。ロフティにも聞こえる程度の声量だ。
「は……はい」
これはそう言えという雰囲気だ。弥彦は苦笑いしながら言うしかない。
ロフティは痺れを切らしたのか振り返った。
「あ、あたしだってちゃんとやるわよ!」
年下ができるのに、お前はできないのか――という言葉の端を感じたのか、ロフティは勢いで言ったようだった。
現場のピリピリとした緊張感――それがここだけ緩やかになった気がする。
少しだけ、心が軽くなった。弥彦は固かった表情を自然に緩ませた。
「茶番は終わったか?」
中性的な声が空から落ちてきた。弥彦は頭上を見上げる。
電柱の上。そこに一羽の中型の白い鳥が止まっていた。
「もしかして……」
思わず呟くと、リアイゼルが「そのまさかさ」と言って頭上の鳥に声をかけた。
「アヴァロカナ、偵察は済んだのか?」
どこか理知的な雰囲気を纏った白い鳥――アヴァロカナは翼を広げて身軽に飛び立つ。すぐさま身を翻すと軽やかにリアイゼルの肩に止まった。
華麗な身のこなしだ。
「静かなものだ。少なくとも目に見える形ではなにも仕掛けていない」
「神獣は?」
「主が言った場所を遠くから見たが、補足はできなかった」
「これは探すのに苦労しそうだ」
やれやれとため息をつくと、今度はロフティが突然身を屈んだ。
どうしたのかと思い目を配ると、ロフティの足元に一匹の愛らしい白い子狐がちょこんと座っていた。
ロフティは両腕で優しく抱える。その姿は一枚の絵になるような微笑ましさがあった。
だがじっと見ているとロフティから鋭い目付きで睨まれ、弥彦は咄嗟に空に目を逸らした。
――間違いない。この二体の白い獣は神獣だ。
神獣に対抗できるのは神獣、ということなのだろうか。
――それってもしかして。
そう考えた瞬間。
「ヤーーーヒーーーコーーー!」
明るい少年の声が下から這い上がる。
足に、なにか絡んだ気がすると。
「――⁉」
白い蛇が足に巻き付いていた。
白蛇はくりっとした目で口を開いた。
「やぁ!」
「わああああああ⁉」
突然の再会で弥彦は絶叫した。




