プロローグ
世界が今、滅びようとしている。
青年は五十階ほどある高層ビルの屋上から遠くの景色を眺めていた。
空が真っ黒に染まり、天からの光はまったくない。
街明かりはこの高層ビルを中心とした半径一キロメートル程度しか広がっていない。その向こうは空から地面までただひたすらの闇しか見渡せない。こんな状況がもう三日も続いていた。
我が国【異能者共存国アルバドリス】は、フィアネス大陸内で各国から異能者が集まる国である。この異常事態に多くの避難民を集わせたのがこの高層ビル【異能者協会本部】だ。これを死守するために攻守優れた異能者たちが巡回しているが、誰もが憔悴しきっている。それでもこれがアルバドリスにとっての最後の砦となる。
恐らく、これから迫りくる脅威を前に生き残れやしないだろう。
そうしたら今度こそ大陸全土の滅び――ひいては世界が〝黒〟に飲み込まれていくことだろうと、誰もが怯えていた。
――時間だ。
今は夕刻。夜になると【黒の侵蝕】が再開される。
そうなるとこの異能者協会本部から半径一キロメートルほどを照らす街明かりも縮小してくるはずだ。灯りは消えなくとも、色そのものを奪い取られるように失ってしまうのだ
青年はそんな大陸を蝕む暗闇のずっと向こうを睨みつけた。
「本当にいいんだな」
天空から声が落ちた。大声ではないのに、その声は確かに少年へと届く。その拍子に後ろから大風が吹き荒れる。
現れた。
そう思った時にそれは振動をたてて着地する。
一対の立派な角に翼をもつ巨大な白い竜だ。
その竜は人工的な光も、この空間を覆う闇からも切り取られたように一際淡く輝いていた。そんな白竜が理性を兼ね備えた瞳を向けて青年の覚悟を見定める。
青年はただ先を見据えて答えた。
「これでいいんだ」
これしかないんだ。と、心で決意する。
青年は幼い頃の過ちを憎んだ。
青年は今の自分をも許せなかった。
そんな汚れた自分がこの世界に最後に贈れることは、自己犠牲しかなかった。
歪んだ結論、と思われてもおかしくない。
――それでも僕は。
この自己犠牲が後の未来に繋がると確信している。
大切な人たちを守りたい。ただそれだけなのだ。
「――そうか」
白竜は憂うように目を伏せると、四肢を折り曲げて青年を促す。
「さあ、我が背に乗るがいい。そなたと我で決着をつけよう」
今日でフィアネス大陸の生死が決まる。
青年一人と白竜一体だけで解決させるために、青年は白竜の躯体に足をかけて背に乗る。
白竜はむくりと立ち上がり、翼を広げると四肢にぐっと力を溜め込んだ。
後ろから声がする。と、認識した時には、白竜が空へと羽ばたいた。
聞き馴染みのある男性と女性の声だ。何を言っているか聞こえなかったが、自分を止めようと必死に声をあげていることがわかる。
青年は空へと運ばれながら振り向く。
男は怒りの形相で叫び、女は悲しみながらもまっすぐにこちらを見て説得を試みている。
それに対して青年は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう」
きっと届かないその言葉を宙に残して、白竜が闇へと飛び立った。