それぞれの遺言
「ね、ねぇ、ナーシャ? そろそろ私の番だと思うのよ」
突然、御者台に座っていた俺の隣に腰かけていたイリスが、おかしなことを言い出した。
妖精の泉の村フロスペリアを出発してから四日目の早朝のことである。
俺たちは無事、フロスペリアの次に立ち寄る予定だった宿場砦二つを経て、三日目の夕方には城塞都市アンセラスへと到着し、そこで補充やら情報収集やらをすませつつ、一泊することができた。
特に何事もなく、久しぶりの町に随分と身も心も安らぐことができた。
ただ、追手のことも気になるし、エルレオネによると、リヨンバラッド周辺での情報を最後に、あれ以来、追手――おそらくレンディルたちの最新情報がまったく入ってこなくなっているようだった。
そのため、何も気にせず安心して休むことはできず、今朝早くに町を出発したという次第である。
とまぁ、そこまではよかったのだが。
今問題になっているのは、いつものように、銀髪姉妹がじゃれ合ってることにあった。
「まだでしゅ~! まだまだずっと、ナーシャはお兄たまのおひざの上がいいのでしゅ~♪」
そんなことを言って、黒いフードを被ったちびっ子が、御者台に座って馬を操っていた俺の膝の上で楽しげに足をバタバタさせた。
「ちょ、ちょっと、ナーシャ。動いたら危ないぞ? ていうか、俺は今、馬車を操縦している最中だから、本当に危ないんだってば」
この馬車は荷台の前部に長椅子のような御者台がついているので、普通に三人ぐらいは横一列に並んで座れる。
馬を操る御者は当然真ん中だが、その左右に一人ずつ座れる。
だからいつも、大体俺の左にイリスやエルレオネが座っていたのだが、さすがに膝の上に乗られると危ない。
ちょっとした弾みで落っこちてしまう可能性だってある。
俺は気が気ではなかった。
「えへへ~♪ ナーシャは大丈夫なのでしゅ♪」
いつになく上機嫌で鼻歌まで歌い始める幼子。
俺は溜息を吐いた。
「まったくもう。ホント、この状態、心臓に悪いんだけどなぁ……」
げっそりしながら呟いていると、
「ところで、本当に行くのですか?」
そんな、いつも通りの脳天気な俺たち『家族』に、荷台から唐突に声がかかった。
黒髪美人なメイドお姉さんことエルレオネである。
「――えぇ。少し気になるから」
「ゃ~~!」
エルレオネに声をかけられて、おふざけを止めたイリスが嫌がるナーシャを強引に自身の膝の上に乗せながら、そう答えていた。
「例のあの話か」
「えぇ。妖精が最後に言い残したことがちょっと気になっててね」
イリスはそう、どこか遠くを見るように呟いた。
彼女が示唆する妖精の最後の言葉とは、妖精が俺の頭の中に直接話しかけてきたときの、あのおかしな現象のことだった。
実はあのとき、俺以外にもイリスやナーシャ、それからエルレオネ全員に、妖精は話しかけていたようなのである。
しかも、俺たちそれぞれにゆかりがある人物として。
俺は母さんの幻影に言葉を伝えられたが、どうやらイリスは先代女王、つまり、彼女たちにとっても母となる人物の幻影が謎の言葉を残したそうなのだ。
それが、
『金色の主が孵ろうとしています。ですが、今のあなたたちでは手にあまる。それでももし、契約したいというのであれば、氷結の洞にて精霊の力を借りなさい』
というものだった。
ナーシャはナーシャで、別の声を聞いたらしいのだが、内緒と言われてしまった。
エルレオネに関しては黙して語らず、といったところか。
あれが果たして、本当に死者の言葉だったのかどうかは未だもってわかっていない。
女神や妖精の力を借りて、一時的に現代へと蘇って神託のような言葉を述べたのか。
それとも、単純に俺たちの心の奥底に秘められたものが、妖精の力によって幻覚となって現れたのか。
どちらなのかは妖精が消えてしまった今となってはもう何もわからなかった。
けれど、もしあれが本当に母さんだったとしたら、俺が転生者だったということを知っていたことになる。
果たしてそれが何を意味するのか。
「う~~む」
時々あのときのことを思い出して考えてみたのだが、結局のところ、今の俺たちには何もわからなかった。
ともかく。
「金色の主っていったいなんのことだろうな」
城塞都市アンセラスから南へと延びた街道をひたすら馬車を走らせながら、俺はそう呟いた。
「単純に考えて、ナーシャが持っているもう一つの卵でしょうね」
「卵……幻魔のか」
「えぇ。私の王家スキルで一応確認してみたのだけれど、卵の状態じゃやっぱりどんな個体が生まれてくるのかさっぱりなのよね。だけれど、孵ると言えばおそらく卵のことだろうし、契約と言えば幻魔契約でしょ?」
「だろうな。だけど、俺たちじゃ手にあまるって、それ、やばくないか?」
「そうね。ナーシャの力をもってしても手にあまるんじゃ、とんでもない個体が生まれてくる可能性があるわ。それこそ、ぽこちゃんみたいな幻獣クラスかそれ以上の」
「なんだか考えるだけでもうんざりするな……しかも、それを選んだのが俺の真眼スキルだという」
俺はナーシャが普段から肌身離さず持っている鞄を見た。
今も肩から提げられた一見どこにでもある鞄を大事そうに膝の上に抱えている。
その鞄は幻魔の卵専用の魔道具で、卵が孵りやすくなる機能が備わっているものだ。
卵を買った当初は二つ中に収められていたが、うち一つはすぐに孵って幻獣ぽこちゃんとなった。
しかし、もう一つの金色をした卵はまったく孵る様子もなく、今もまだ眠ったままだった。
個人的にはそのまま孵らず死滅してくれた方が嬉しかったのだが、そんなことになったら、ぽこちゃんと同じぐらい大事にしているナーシャが悲しむことになる。
「だけど、その卵って、いつ孵るかまだわからないんでしょ?」
「えぇ。ただ、ナーシャが言うには声が聞こえるそうよ?」
「え……」
卵から声ってどういうことだ?
そんなことを考えていたら、自分の名前が出たからだろうか。
ナーシャがきょとんとした顔をして俺の方を見た。
「もう一人のぽこちゃんから声が聞こえたのでしゅ! 妖精さんと会ったあとからでしゅ。なんて言ってるのかはわからないでしゅが」
「なるほど……これもまた、予兆ってことか?」
「予兆?」
呟くように言った俺の言葉にイリスが反応した。
「あぁ。妖精なのか先代なのかはわからないけど、イリスに卵のことを伝えたんだ。それが無意味だなんて思えない。だから、おそらくもうじき生まれてくる可能性が高いってことさ」
「なるほど。そうね。そして、生まれてきたら、もしかしたらとんでもなくまずいことになるかもしれない」
「あぁ。だから、もし孵る前に卵を破壊しないんであれば、その氷結の洞か? そこへ向かえってことなんだろうけど……だけど、本当にそこへ行く気か? もうかなり寄り道してるし、これ以上時間食うと、さすがに追手に追い付かれる可能性があると思うんだが……」
俺の意見に荷台にいたエルレオネが同意した。
「私もフレッド様に賛成です。これ以上、時間を取られてしまいますと、確実に追い付かれてしまうでしょう。ですから、できることならこのまま予定通りに南進し、次の町、商業都市ヴェラスに向かう方が賢明かと。そこに辿り着くまでには三日もかかりますから途中、宿場砦にも立ち寄らなければなりませんし」
難しい顔をしてイリスを凝視するエルレオネ。
イリスもまた、考え込む仕草をしてみせたが、
「だけれど、逆に言うと三日もあるってことよね?」
「えぇ、そうですが」
「だったら、町に辿り着く前に、もしかしたら追い付かれる可能性もあるってことよね?」
「うん? それってどういうことだ?」
突然おかしなことを言い出した彼女に、俺は間髪入れず問い返していた。
「今、レンディルたちとどれくらい距離が開いているかわからないでしょう? それに追手がもし、本当にレンディルとあの黒騎士なら、もしかしたら本来ではあり得ないような方法で追いかけてきている可能性も高いと思うの」
「なるほど。つまり、知らない間に距離が詰められていて、休息している間に背後を取られかねないってことか」
「えぇ。だから逆に、ここは敢えて氷結の洞へ向かった方が賢明かもしれないと思うの。どうかしら? エルレオネ」
背後を振り返るイリス。エルレオネはしばらく思案顔となるも、
「――そうですね。追手の情報も途中からばったりと途絶えていますし、正攻法で行かない方が危険も少ないかもしれませんね。ですが、イリス様。もし本当に立ち寄るのでしたら、どこかで必ず遭遇すると思います。その覚悟はしっかりとお持ちになってください」
イリスとエルレオネはしばらく見つめ合ったのち、
「わかっているわ。もし鉢合わせするようなことになったら、相手が王国人であろうとも、全力で排除してみせる。それが、妖精ケフィフィと交わした約束だから」
そう宣言したイリスの顔には、いつものような不敵な笑みは浮かんでいなかった。
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