溶解液VS溶解液
【ナーシャサイド】
「ナーシャ様、絶対にこの防護結界から外へ出てはいけませんよ?」
小さな女の子を守るように彼女の前に立っていた背の高いメイド服を着たお姉さん。
彼女は顔だけ振り返って、スライムみたいな幻獣を抱きしめ立っていた幼い少女を見下ろしていた。
「うん~~」
銀髪ツインテのナーシャは真剣な顔をしてエルレオネへと頷いてから、彼女の目には視認できないぐらいの速度で剣を振り回している姉や兄を見つめた。
左手の林の中では大好きな兄が、襲い来る木のお化けが繰り出してきた枝を華麗に交わしながら、真っ黒い化け物を片っ端からぶちのめしていた。
時々、変な黒い水みたいなものがそこら中に飛び散っては白煙を上げて、悪臭を撒き散らしていた。
それが身体にかかって兄は顔をしかめることはあったが、動きが止まることはまったくなかった。
対して右手側では、姉が例によって全身を青白く光らせながら、踊るように戦っていた。
大地を抉るような攻撃をしかけてきた木の枝を叩き切りながら、手短の黒い奴らを光る剣で切り裂き、一秒にも満たないタイムラグののちに雷光のような光が迸って、黒い靄が雲散霧散していった。
「しゅごい……!」
なんだか本当に夢を見ているような気分だった。
ナーシャの目には、大好きなあの二人が、寝物語の英雄譚に出てくるどんな偉人たちよりもかっこよく見えたのだ。
そう。会ったこともない建国王や、記憶の片隅にすら存在していない実の母である先代女王よりも。
彼女にとっての英雄はまさしく目の前の二人に他ならなかった。
そんな二人が自分の大好きな姉であり兄である。これほど嬉しくて誇らしい事実は他になかった。
(ぽ、ぽこちゃん! ナーシャは今、も~れつに感動してるでしゅ! お兄たまとお姉たま、しゅごくつよいでしゅ!)
(おうよっ。兄さんも姉さんもメチャクチャ強いぞ!? おいらたちなんかよりも圧倒的にな!)
(うん~~!)
(だけど、嬉しい反面、なんだかちょっぴり、おいらは悲しいよ、ナーシャ!)
(うん? どうしてでしゅか?)
(だってさ! おいらたちだって、がんばればもっともっと強くなれると思うんだ。だけど、あの強さを見せられたら、本当にあんなに強くなれるのか、自信なくなってきちゃったよ)
(そんなことないでしゅよ、ぽこちゃん! ぽこちゃんはもっともっとつよくなれるでしゅ! ナーシャだってもっともっとつよくなれるでしゅ! いっぱい、い~っぱい修行しゅれば、絶対に強くなれるでしゅ!)
抱きしめていたぽこちゃんを自分の方に向けて、ナーシャはにかっと満面の笑みを浮かべた。
それを見たぽこちゃんは、つぶらな瞳で彼女を凝視した。人間のように表情こそ浮かばなかったが、何か、確固たる強い意志をそこから読み取れた。
(そうだな。うん。そうだ。ナーシャの言う通りだよ! おいらだって、いっぱい修行すれば、きっと強くなれるよな!?)
(うん~~! もちろんでしゅ! だから、今からしゅぎょうをはじめるでしゅ!)
(え……? 今から……? 本気……?)
(本気でしゅ! だから、あの真っ黒い悪い人をやっつけるでしゅよ!)
白銀の眉毛をキリッとさせ、真面目な顔で宣言するナーシャに、ぽこちゃんは何度か瞬きをしてから、
(おっし! おいらだっていいとこ見せないとな!)
(その意気でしゅよ!)
二人は心の中でニシシと笑いながら、
(ではいくのでしゅ!)
(おうよ!)
そうしてナーシャは右方向へと駆け出していった。仁王立ちして後ろを向いていたエルレオネの目を盗んで。
【エルレオネサイド】
「ぽこちゃん! あいつをやっつけるでしゅ!」
「ピキキ~~!」
その声は突然右手方向から聞こえてきた。
エルレオネは始め、それが何を意味しているのか理解できなかったが、背後にいるはずの幼子が妖精の泉外周を巡る右手側の通路三メートルほど先を走っている姿を視認し、一気に血の気が引いてしまった。
「ナーシャ様!」
彼女は戦斧槍を携え、瞬間的に駆け出していた。しかし、時すでに遅し。
ナーシャの目の前には蠢く樹木が彼女を捉えて攻撃態勢に入っていた。更に運の悪いことに、彼女から更に数メートル森の中に入ったところにはシェードまでいる。
このままでは、確実に、彼女は嬲り殺しに遭ってしまう。
「ナーシャ様ぁ!」
エルレオネの叫びが闇夜を鋭く切り裂いた。
彼女の声に反応して、それまで無数の闇と対峙し、獅子奮迅の戦いをしていたフレッドとイリスが愕然と振り返る。
「ナーシャ!?」
美しい白銀の髪の姉が妹の姿を捉えて瞳を大きく揺り動かした。
彼女はあまりにも突然のことに、まったく身体が反応できず硬直してしまう。
そんな彼女をまるで嘲笑うかのように、幼子に向かって鞭と化した巨木の一撃が炸裂した――はずだったのだが、
「――させない!」
敵の攻撃とほぼ同時に、エルレオネの手から燃えさかる戦斧槍が樹木目がけて飛んでいた。
彼女から放たれた槍が轟音を立てて、蠢いていた枝もろともに大木を木っ端微塵に粉砕していた。
更に、まとった炎によって、へし折れた樹木が一気に燃え上がってしまう。
水分を含んだ生木ですら燃やしてしまった彼女の槍は、その一本だけに留まらず、周辺の木々にまで飛び火し、一気に燃え上がらせてしまった。
たちまちのうちに広がっていく炎。
「ォオオオオー……」
それに恐れを抱いたのか、黒い闇が激しく揺らめいてその場から逃げようとする。
まるでそれに呼応したかのように、まだ健在だった他の樹木が突然、周辺一帯へと溶解液をばら撒いた。
「危ない!」
エルレオネがそれを視認し、呆然と立ち尽くしていたナーシャを背後から抱きしめると、そのまま彼女を庇うように、ナーシャと自分の位置を素早く変えて森に対して背を向けた。
「くっ……」
背中に雫が無数にかかってジュッと肌を焼かれてしまう。しかし、その程度のことで弱音を吐いているわけにはいかなかった。
「ナーシャ様! お怪我は? お怪我はありませんか!?」
「う……うん……?」
腕の中の幼子はいまいち状況を理解できていないようできょとんとしていた。
エルレオネはそんな彼女の姿を見て、胸を撫で下ろすと共に、そのままナーシャを抱き上げた。
「ともかく、今は退避します」
エルレオネはすぐさま防護結界を張ってある場所へと移動しようとしたのだが、
「あ、まってくださいなのでしゅ! ナーシャ、悪い人をやっつけてやるのでしゅ!」
「え……?」
幼子が何を言っているのかいまいち理解できなかったエルレオネは一瞬、固まってしまった。
その隙を突いて、ナーシャの腕の中にいたぽこちゃんが森の方へと飛んでいってしまう。
そして、翼の生えた真っ黒いスライムから、無数の溶解液が放出され、そこら中の樹木へと付着した――と思った次の瞬間だった。
爆音轟かせながら、蠢めいていた樹木が次から次へと爆発炎上してしまったのである。
しかもそれだけでなく、木々の間で揺らめいていた影にまで引火し、ドミノ倒しがよろしく、泉の右から左へと凄まじい勢いで炎が広がっていった。
それをエルレオネに抱きしめられながら見つめていたナーシャは、
「しゅ、しゅごいのでしゅ! ぽこちゃん!」
「ピキッキキ~~!」
真っ黒いスライムと一緒に、大きな瞳を目一杯見開いて無邪気に大喜びする幼子。
それに対してエルレオネたちすべての大人たちは、事の成り行きにただ呆然と佇むことしかできなかった。
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