シェード・アンタレス
俺はほとんど無意識のうちに負傷した村人を抱きかかえて後方へと跳躍し、それをかわしていた。
バシンッと、闇の中から飛んできた何かが少し前まで俺や負傷した村人が尻餅をついていた場所に強烈な一撃を叩き込んでいた。
間一髪で避けた俺の顔に、土が礫となってぶつかってくる。
見ると、何かが思い切りぶつかったかのように、大地が抉り取られていた。
「くそっ。いったい、なんだって言うんだよっ」
俺は次から次へと飛んでくる目に見えない一撃を、ほとんど勘だけで避けながら後方へと下がっていった。
反対方向で村人を救助していたイリスも同じように、怪我人を連れて戻ってくる。
そこへ、更なる一撃が真正面の泉奥から飛んできた。
しかし――
「テンブリス・フレイマ!」
炎に包まれた戦斧槍を掲げていたエルレオネの魔法が完成し、泉の直上に巨大な火の玉が現出していた。
地獄の業火を彷彿とさせる灼熱の炎が天へ火柱となって燃え上がる。
その魔法はただそれだけのもので、周囲に爆発炎上するような攻撃ではなかったが、闇に蠢く何かを映し出すにはそれだけで十分だった。
「なんだ、あれは!」
泉周辺のみならず、この場所を覆い隠すように広がっていた森まで昼間のような光に照らされていた。
そんな中、俺たちの視界に映ったもの。
それは真っ赤に燃えさかる炎の明かりの中に浮かび上がっていた無数の闇だった。
風のように揺らめくサソリのような形をした深淵。
それが樹木の間に隠れるように存在し、更に、彼らの周りにあった木々の枝葉が生き物のようにうねり狂っていたのである。
「シェード・アンタレス」
呆然とする俺や村人たちとは対照的に、魔獣図鑑にすら載っていないような化け物をまっすぐに凝視していたイリスが静かに呟いた。
「シェード・アンタレス? なんだそれは?」
「私もよくは知らないわ。だけれど、私の王家スキルがそう告げているのよ。あのどす黒い闇の名前。そして、その正体」
そこまで言って、イリスは俺を見た。
「どうやらあれは、なんらかの力に汚染された樹木の精霊――つまり、邪霊らしいわ。弱点は――おそらく炎と光」
「邪霊だって……?」
俺は幼少の頃に親父から教わったこの世界の成り立ちについての朧気な記憶を呼び覚ましていた。
人が生まれ出でる遙か以前から、自然界に存在するすべての物質には魔力とは異なるカテゴリーに分類される生命エネルギーが宿っていたと言われている。
生物や植物、無機物問わず。
それらから漏れ出たエネルギーがやがては目に見えるような形に可視化され、大気中に浮遊するようになったのが、総称して精霊と呼ばれる存在だった。
太古の昔では、それら精霊は人の目にも見える存在として親しまれていたが、いつの間にか、視認できなくなってしまったらしい。
だから現代を生きる俺たちには、精霊なんてものは見えないのだが、今でも普通にその辺に漂っていると考えられている。
そんな存在。
「しかし、なんだってそんなエネルギー体が今になって俺たちの目の前に現れたんだ? しかも、汚染されたとか」
「わからないわ。だけれど、精霊は汚染されると邪霊になると言われている。伝承によれば、精霊という存在は極まれに高次元の生命体へと進化した個体もいたそうよ」
「妖精のことか?」
「えぇ。その妖精も、文献によれば、毒や瘴気によって汚染されると邪妖精になると考えられている。そして、そういった存在になった者たちは、精神を狂わせ、周囲の生命体に襲いかかると言われているのよ」
「つまり、それが目の前にいる連中ってことか? 汚染されて邪霊になったから俺たちを攻撃してきたと」
「多分ね。だけれど、幸いなのが、彼らは光に弱い。だから、日中は土の中で隠れているのよ。しかも、どうやら大地に縛られているみたいだから、この泉周辺から移動できなかったということね」
「そういうことかよ」
だから、いくら昼間調査してもそれらしい獣も見当たらなかったし、移動できないから村が襲われることもなかった。おまけに魔獣でもないから図鑑にも載らず、結界に怯えることもなかったということだ。
「だが、なぜ最近になってそんな奴らがここに現れたんだ? それに、汚染されたってことは汚染源があるってことだ。いったいそれってなんなんだ?」
エルレオネの炎魔法が効いているのか、襲ってこようとしていたシェード・アンタレスたちがまったくこちら側へと近寄ってこようとしなくなっていた。
しかし、油断していると足下をすくわれるかもしれない。俺は警戒を怠ることなく、周囲に視線を投げていた。
「そこまではわからないわ。だけれど、私たちがやらなければならないことは既に見えている」
「そうだな」
敵の正体がわかったんだから、あとは奴らを倒せばすべてが終わる。
俺は右手に長剣を手にしたままエルレオネを見た。
「エルレオネ、あの炎はどれぐらい持つ?」
「あと数分といったところでしょうか。私は魔法を扱うことはできますが、専門家ではありません。ですので、自分の武器に魔法強化するのは得意ですが、魔法で敵を攻撃するような戦い方は不得手だとお考えください」
「そうか――イリス」
「何かしら?」
「あの邪霊って、普通に剣で切れるのか?」
「どうかしら? 精霊は物質ではなく、どちらかと言えば魔力に近いから、魔法強化された武器でないと切れないかもしれないけれど」
「わかった。それだけ聞ければ十分だ」
俺は口元に笑みを浮かべた。
俺が持っている武器は丁度、魔法強化されたものだった。
この武器であれば、奴らを倒せる。
「時間がない。斬り込むぞ!」
俺はイリスたちの返事も待たずに左方向へと駆け始めた。
それを認めたシェードたちがすぐさま反応する。
蠢く樹木の枝が鞭のようにしなり、俺の身体を薙ぎ払おうとする。
おそらく村人たちがやられたのはこの攻撃だったのだろう。闇の中で不意を突かれたら、この速度だ。豪腕の剣士が至近距離で剣を振り下ろしたのと同じぐらいの速度で襲いかかってくる一撃など、視界に捉えられるはずがない。
しかし、今は違った。エルレオネのお陰で昼間のように視界が確保されているし、どうやら、炎や光が弱点というのも本当のことらしく、酷く動きが鈍っているような気がした。
俺はバシュッと空気を切り裂きながら振り下ろされた無数の枝をなんとかかわしながら、樹木の間にいた影のような化け物へと上段から長剣を振り下ろした。
敵は逃げる素振りを見せたがそれよりも早く、俺の剣が奴の身体を捉えていた。
バチバチバチという、何かが爆ぜるような音をさせて、影が真っ二つに切り裂かれた。
シェードは金切り声のような悲鳴を上げて、霞のように消えていった。
すると、その付近に生えていた樹木が動きを止めた。どうやら本体であるシェードさえ倒せば、樹木も元通りの木に戻るらしい。
俺はそれだけを確認すると、すぐさま別の一体へと標的を変える。しかし、そんな俺の元へと、何か液体のようなものが飛んできた。
「ちっ」
ギリギリ直撃を免れたが、飛び散った雫のいくつかが身体にかかってしまい、焼けるような痛みに襲われた。
見ると、白煙を上げて服が溶けている。
「まさか、溶解液か何かでも吐き出したのか!? ――いや、違う、これは樹液か……!」
おそらくシェードによって強酸へと変異した樹液が飛んできたのだろう。
「厄介極まりないな」
俺は焼け付く痛みを堪えながら、手短にいた敵を片っ端から切り捨てていった。
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