歓楽街に潜む怪
その現場はリヨンバラッドの南街区に存在した。
噴水広場から南へと通る大通りをひたすら南進していくと、最終的には南門に出る。
その南門辺りから噴水広場までの半分ほどが歓楽街となっていた。
大通りに面している店舗は大抵、ただの酒場や食堂なのだが、そこから東や西に入っていけば行くほど、町の装いが変化し、夜の雰囲気が色濃くなる。
要するに、春を求めて彷徨う男女が足繁く通う享楽の店。娼館街である。
大都市であれば大抵どこにでもこの手の店は存在し、そこだけが別世界といった感じで華やかに彩られている。
ここに出入りする客は大方金持ちの貴族や高級官僚、豪商といった連中だが、中には借金してまで春を買いたがる輩も多いのだとか。
しかし、そういった手合いに待っているのは地獄である。
一度味わった快楽は魔薬となる。美しい男や女たちから得られる悦楽を何度でも味わいたくて、更に借金漬けとなり、あとはもう、破滅を辿るしかなくなってしまう。
ここはそういった街だった。
そんな華盛りの街区。本来であれば、朝と言えどもまだ饗宴の余韻が残っていてもおかしくはないその場所は、今や見る影もなかった。
狭い路地には無数の男女が倒れ、すべてが血塗れとなっている。
動いている人間といったら、遠巻きにこの状況を見つめている野次馬のみ。
「ナーシャ、見てはいけませんよ?」
「う、うん……」
幼心ながらに何が起こっているのか敏感に感じ取っているのだろう。ナーシャの声色に若干の緊張が混ざっていた。
「それで、やはりこれも例のあれなのか?」
野次馬たちの最前列に躍り出て様子を見ていた俺は、隣のギーヴと衛兵に声をかけた。
「状況から見るとそうだろうな。既に駆け付けた守備隊によって鎮圧されているみたいだから、動いている暴漢の類いは見かけないけど……」
「でも、本当にここんところ、異常だよ。日に日に暴漢の数が増えていってる気がするし。なんかホント、これって伝染性の病とかそういったのじゃないだろうな?」
ギーヴのあとを継ぐようにそう答えた、どこか気の弱そうな衛兵が自身を抱きしめるようにしてぶるっと震えた。
俺はそんな彼を見ながら、自分の顎に手を当て思案する。
「日増しに……か。それだけを見ると確かに伝染病を疑ってしまうけど、だけど、その暴漢になる奴らって、全員男なのか?」
「いや。全部ってわけじゃない。中には女もいるんだけど、それでも圧倒的に男が多いんだよ」
「ギーヴの言う通りだ。女はハンターや行商人みたいな連中がほとんどだけど、男はそれ以外にも、色んな連中が暴徒と化している」
二人はそんなことを口にした。
「なるほど。だから、ひとくくりに暴漢って言ってるのか」
「まぁ、そういうことだ」
「しかし、そうなってくるとよくわからないな。男女関係なくなら、流行病って可能性も高いと思うけど、ただ、こんな病、俺は知らないし。それに確か、外に出ていった連中に多いって言ってたから、やっぱり、外から持ち込まれた可能性も高いってことだよな?」
「かもしれないな」
俺の疑問に、眉間に皺を寄せたギーヴがそう応じてくれる。
ギーヴと衛兵は互いに顔を見合わせ、深刻そうに事件のことについて話し始めた。
俺は背後にいたイリスを見た。
「やっぱりこれって、妖魔の仕業って考えるのは安直過ぎるか?」
「どうかしらね。だけれど、彼らが普段とは違う行動に出始めていて、しかも、昨日はウェアウルフとまるで連携取るように馬車を襲っていたところを見ると、あながち間違いとは思えないけれど」
「そこなんだよな。奴らが何かこの一件に関与していて、それが原因で人々が魔獣みたいになってしまったとしたら……」
とてもではないが、この暴漢事件だけで収まるとは到底思えない。近い将来必ず起こるであろう王都陥落と世界滅亡。
これはその前兆なのではないのか?
そんなことを考えていたとき、一陣の風が吹いた。
「あ……」
短く声を上げたイリスのフードが風に煽られめくれてしまう。
「と……!」
俺は大慌てで彼女のフードを抑え込んだが、一瞬だけ、イリスの美しい顔が外気に晒されてしまった。
俺たちの周囲にいた野次馬の中にはそれに気が付いた奴らがいて、一瞬、息を飲むような顔を浮かべていた。
「まずいな……」
ギーヴとエレノアは大丈夫と判断して素顔を晒していたが、これだけ大勢の人間がいる場所で顔など見せたら何が起こるかわからない。
「イリス……移動した方がいいかもしれない」
「……えぇ。そうね」
「――ギーヴ!」
俺は先程からどこからか刺すような視線を感じていた。イリスの素顔が晒される前後当たりから。
「ん? どうした?」
「あまり長居したくない場所だ。ナーシャのこともあるし、そろそろ一旦戻らないか?」
「あぁ、そうだな。俺も早く支度して仕事に行かなくちゃいけないしな」
ギーヴはそう応じ、仲間の衛兵に笑顔で別れを告げたのだが、そんなときだった。
「あれは……」
俺は遠くの物陰からこちらを見ているそいつを視界に捉えた。灰色ローブで頭から全身を覆った人間。
一瞬、俺はそいつと目が合ったような気がした。その瞬間、いきなり奴が逃げ出した。
「イリス!」
「わかってるわ」
どうやら彼女も視線に気が付いたらしい。
「ギーヴ! すまないが先に帰っていてくれ! 俺たちは急用ができた!」
「は? あ……おい、フレッド!」
俺はギーヴの返事も待たずに走り出していた。
あいつが何者なのかはわからない。
昨日の夜、広場で暴漢を倒して行方を眩ませた人間が、今の灰色ローブと同じような格好をしていたという目撃情報があった。
更には宿でも三人ほど、似たような格好をしている連中を目撃している。
そして、そのあとに起こった宿での惨事。
あいつが今回の一件に絡んでいるのかどうかはわからないが、俺たちがいたすべての現場に奴がいた。
むしろ、無関係と考える方が不自然だった。
「イリス! 先行するぞ!」
「わかったわっ。くれぐれも気をつけて!」
「あぁ!」
俺はまるで滑るように高速で逃げていくあのローブの人間に巻かれないよう、必死で食らいついていった。
元軍人の俺は相当な鍛え込みをしている。そんじょそこらのハンターに引けを取るつもりもない。
しかし、それなのに、相手の動きは俺以上に洗練されていて化け物じみていた。
軍人やハンターとは比べものにならないぐらい、一つの軌跡のように動いている。まったく無駄がなく、余裕すら感じさせる走りだった。それなのに、メチャクチャ早い。
「おかしい」
入り組んだ街路を右に左にと頻繁に走り抜けていく不審者。どんどん人気のないところへと向かっているような気がした。歓楽街はとうに抜け、南東街区の一番端――城壁付近に密集している貧民街まで来たところで急に動きが変わった。
「どこへ行く気だ……? まさか、町の外に逃げる気か!?」
ローブの人間が向かっている先がどこなのか理解し、俺は更に走る足を速めた。
奴の進行方向には南門がある。もしかしたら、そこから外へ逃げられてしまうかもしれない。
「そうはさせるかっ」
俺は叫んで腰の剣を抜こうとしたのだが、その瞬間、目の前で奴が消えた――いや、上だ。
俺は走るのを止めて上方を仰ぎ見た。
町の四方を囲む城壁。その上は人が歩けるようになっているのだが、そこに、灰色のローブを着た人間が立っていたのである。
しかも、俺を見下ろすようにじっと。
「フレッド……!」
ナーシャを抱っこしているため全速力で走れなかったイリスが遅れて到着する。
城壁の上に立つ灰色ローブはそんな俺たちを見て、壁の向こう側へと消えていった。
その姿はまるで、俺たちを誘い込んでいるかのようだった。
「イリス、奴が何者か特定できたか?」
「いえ、一瞬だけだったから間に合わなかったわ。それに、なんだか魔法の障壁のようなものまで張ってあるような気がしたのよね」
「そうか。となると、誘いに応じるしかないってことか」
「フレッド?」
「……一目見ただけでわかったよ。あいつの強さは尋常じゃないって。まともに戦ったら俺なんかじゃ手も足も出ないかもしれないってぐらいにな。そう思えるぐらい、奴はわざと俺たちに合わせて走る速さを抑えていた節がある」
「それって……」
「あぁ、すぐに逃げずに今、俺たちを見下ろしていたことからもわかる通り、奴は明らかに俺たちをここへと誘っていた。とくれば、きっと、何か裏があるはずだ」
妙に胸がざわついた。
こちらには守らなければならない幼子もいるし、本当は余計なことに首を突っ込まずにさっさと帝都へ向かった方がいいに決まっている。
しかし、それでも、目の前に降って湧いた面倒事を無視して先に進んではいけないと、理屈抜きに俺の直感がそう告げていた。
――もしかしたら、俺が習得した女神スキル『世界龍の円環』の子カテゴリーである『真眼』の影響かもしれないけどな。
物事のすべてを見通す力。
物体にしか働かないから、それ以外には無力ではあるけれど。
「イリス、すまないが俺を信じてついてきてくれるか? 奴を追いかける」
無表情で彼女を見つめる俺に、
「まぁ、あなたならそういうでしょうね。ふふ、あとでいっぱい手数料頂くわよ?」
そう言ってニヤッと笑うのだった。
俺は、
「何が手数料だよっ。そんなもん払うか!」
叫びながら南門へと向かった。
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