浮気許すまじ1
「誰かしら、その女」
馬車を引っ張ってくれている黒馬の頭を撫でていた女王様。
彼女から放たれた開口一番の一言がそれだった。
極限まで目が細められ、翡翠色の美しい瞳から、光の一切が失われているような死んだ目を向けられた。
俺は、それを見て思わず仰け反ってしまった。
「お、おい! なんだか知らないけど、先に言っとくけど誤解だからな!? 誤解! この人は乗合馬車の唯一の生き残りで、間一髪のところを助けてきた人だからな!?」
俺はなんでこんなことをわざわざ必死になって説明しているんだろうと思わないでもなかったが、こうでも言っておかなければイリスが予想外のおかしな行動に出そうな気がして、落ち着いていられなかったのだ。
「へぇ~……」
相変わらず俺や隣の女性のことを、ゴミを見るような目つきで睨んでくる彼女。
俺はなるべく気が付かなかった振りをして、俺たちの馬車の元へと歩み寄った。
「とにかくだ。事情は町に向かいながら説明するから早いところ出発しよう。予定よりも少し遅れてしまってるし、何より――」
俺は周囲の陰惨な光景を見て顔をしかめた。
馬車の周囲に血臭が漂っている。
俺が燃えさかる馬車の周辺で倒した狼と同型の死骸まで散乱しているところを見ると、どうやらこっちにもあいつらが現れたらしい。
「あれだけ周囲を警戒していたのに、どっから湧いたんだよ」
俺は助けた女性を馬車の荷台へと乗せたあと、急いで御者台に乗り込んだ。
何か物言いたげにぶそ~~っとした顔を向けてくるイリスは既に上に乗っていた。
「さ、さぁ、とにかく急ごう」
「――えぇ、そうね。だけれど、フレッド?」
「う、うん? なんだ?」
「今夜は――わかっていますね?」
そう言ったときの彼女の顔がいつもの笑みに変わっていた。目尻を下げたニヤニヤ笑顔。
「う……」
俺は今夜どんな目に遭わされてしまうんだろうかと、半ばゾッとしながら、街道に向けて馬車を走らせた。
◇◆◇
「つまりあの馬車はトゥーランからリヨンバラッドに向かっていた乗合馬車で、街道を走っていたらいきなりあの狼を連れた妖魔に襲われたってこと?」
「はい。そうなります……」
イリスの質問に、ナーシャと同じように荷台のシートに座った女性が開いていた幌の間から顔を出しながら答えていた。
彼女の名前はエレノア・ミリティス。
赤髪茶瞳のそばかすが目立つ素朴な感じが好印象の女性だった。
赤い髪は肩まで伸ばされていて、外から入り込んでくる風に煽られ、揺れ動いている。
歳は俺やイリスよりも二つ上の十九歳らしい。
別段美女というわけでも、美少女という感じでもないが、彼女が持つ柔らかい雰囲気や若干童顔なところが、見る人に愛らしい印象を与える。そんな感じの女性だった。
聞くところによると、彼女はリヨンバラッドに住んでいるらしく、旅行で訪れていたトゥーランから故郷へと帰ってくるときに運悪く、襲われてしまったらしい。
「だけど、そこがわからないんだよなぁ。なんで妖魔がウェアウルフを引き連れて馬車を襲っていたんだ?」
俺たちが倒した黒い巨狼は、ウェアウルフと呼称されている魔獣だった。
正式名称はワイルド・ウォーウルフ。北の教国が主に生息地域として知られていて、あちらではウォーがウェアとして発音されているらしく、略称としてウェアウルフが定着したのだとか。
ハンターギルドにも登録されている有名な魔獣だ。
ギルドには現時点で判明している様々な種類の魔獣や幻獣などの情報が記録されている。
その中にあの狼も含まれていて、上からS、A、B、C、D、E、Fの七段階ある強さランクのうち、Cに位置する魔獣だった。
元来、他の種類の魔獣と群れないことで知られているのに、なぜ妖魔なんかと一緒にいたのか。
それ以前に、なぜ妖魔どもの生息域である魔の領域と接していない帝国に斥候種であるインレクティスがいたのか。
「考えられるとしたら、妖魔たちが版図を広げようとして秘密裏に帝国へと侵入していたってことだけれど」
「そう考えるのが妥当だろうけど、でも、なんで急に? 今まではそんなこと、奴らまったく考えていなかったと思うんだけど?」
時折出る妖魔被害。
インレクティスだけでなく、魔の領域には俺たち人類が把握しきれていないほど、多種多様な種類の妖魔がひしめき合っている。
そのうちの何種類かが王国内に侵入して好き勝手暴れているという報告が上がっていた程度だ。
悪逆の限りを尽くす奴らにとっての遊び場となる国境を接する王国や公国、教国以外に出没するとは考えられない。
「う~む。何かの前兆じゃなければいいんだけどな」
俺は幼い頃に見た未来視のことを思い出して、ぶるっと身震いした。
「――そろそろかしらね」
一人、王国が炎に包まれている映像を脳裏に思い描いてもやっとした気分になっていたら、隣のイリスが前方を見据えながら呟いた。
「やっとか」
地平線の先。
そこには夕闇に照らされた城壁が顔を覗かせていた。
俺たちが目指していた帝国最初の町、リヨンバラッド。
ここまで辿り着くまでに色々あったが、あと少しで町につくという安堵感から、俺はすべての疲れから解放されたような気分となって、ほっと、息を吐き出した。
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