防衛戦
【女王様サイド】
一方その頃。
草原のど真ん中に停車していた馬車。
そこに乗車していたイリスやナーシャの二人は、フレッドが帰ってくるのを今か今かとじっと待っていたのだが――
ザッ――
突然、周囲に何かしらの気配が湧いた。
「へぇ……」
いきなり湧き始めたどす黒い生き物たち。
それに気がついたイリスはニヤッと笑った。
しかし、余裕の笑みを浮かべているのは彼女だけ。
馬車の荷台に座っていたナーシャは、卵の入った鞄を抱きしめ、一人震えていた。
「ぽこちゃん、ぽこちゃん……! 早くナーシャに会いにきてください! そして、ナーシャをたしゅけてください!」
大きな翡翠色の瞳をつむって、ただただ祈りを捧げることしかできなかった。
その祈りがどこに向かっているのかはわからない。
けれど、確実にその思いは彼女が大事そうに抱えている『彼女の』卵には届いているようだった。
ピキ……。
仄かに青白く輝いているナーシャ。
同じように光っている一見なんの変哲もない旅行鞄。
その中に入っていた色とりどりの卵に、ヒビが入り始めていた。
「ふふ……大丈夫よ、ナーシャ。あなたには指一本触れさせはしないから」
御者台からそう愛らしい幼子に声をかけて地面に飛び降りた黒いローブの女。
今、彼女の目の前には、いずこからか湧き出た無数の黒い巨狼たちが立ち塞がっていた。
遠くの空で立ち上っている黒煙の場所とはまるで違ったところから、急に湧いた黒い魔獣。
そのあまりにも不自然な出現の仕方になんらかの悪意すら感じ取れたが、魔獣は妖魔とは違う。
魔獣は普通の動物が凶暴になったような生物というだけで、人間並みに高い知能を有しているわけではない。
もっと言えば、妖魔のように瘴気が具現化した生物でもない。
ゆえに、何もない空間から突然湧くなんてことは絶対にない。
となると、残された可能性として考えられるのは、草むらに身を隠しながら接近してきたということか。
「一、二、三……全部で五匹ね。これってどういうことかしら? あの人が取り逃がしたってことでもなさそうだけれど?」
つい先刻までは猫の子一匹たりとも存在していなかった周辺一帯の草原。
運悪く遠くにいた魔獣に見つかって接近を許してしまったということなのかもしれない。
彼女はそんなことを考えながら、ぷっくりとした、しかし薄い唇の両端を吊り上げてにんまりと笑った。
強く吹いた風が彼女の被ったフードを煽り、素顔がさらけ出される。
後頭部の上の方で一纏めにされた白銀の長く美しい髪。
色白できめ細やかな肌。
細くて整った銀色の眉と、同じく長い銀色の睫毛。
そして、大きな双眸が揶揄するように細められていた。
艶然とした笑み。まさに妖女が浮かべる怪しげな笑みだった。
「ふふ。さぁ、いらっしゃい。あの人が帰ってくる前に片付けてあげますから。そして――」
黒いローブの女、女王イリスレーネは腰の長剣を鞘ごと引っこ抜くと、左手で鞘、右手で柄を握りしめ、左右同時に引っ張った。
金銀の宝飾が施された宝剣のような鞘と、同じように高価な宝石と無数の彫刻が施された柄。
まさに女王が持つのに相応しい、王者の剣だった。
「どういうことなのかきっちりと、あの人に説明してもらわないとね。うっふふ。さぁ、行きますよ」
笑いながらそう呟いて、彼女は鞘を放り投げると、一気に左前方の狼へと距離を詰めた。
それが合図となった。
遠巻きにこちらの様子を窺っていた黒い狼たちが一斉に彼女に襲いかかった。
全身から淡い銀光を迸らせた彼女と五匹の巨狼が接敵する。
その瞬間、火花を散らしたように強烈な斬撃が無数の銀閃を描き、群がっていた狼どもすべてを吹っ飛ばしていた。
王者の剣を携えたイリスだけが一人その場に佇んでいる。
彼女は艶然と笑い、まるで舞い踊るかのように、重力を感じさせぬ動きで華麗に跳躍した。
彼女の剣さばきを見て、最初にイリスを『剣の舞姫』と称したのは、いつも側で彼女から逃げ続けていたフレッドだった。
そんな彼が一瞬でも魅了されてしまった剣閃。そして、流れるような動き。
女神スキル『剣姫』を授かったからそのような離れ業ができるようになったわけではない。
彼女はやはり、ヴァルトハイネセン王家に相応しい、天才肌の剣士だったのだ。
幼少期から既に開花していた天性の才能が、剣姫スキルと融合を果たして爆発的な強さを手に入れるきっかけとなった。
そんな彼女は、自らが吹っ飛ばした狼の一体の元へと着地するや、巨大な顎門で襲いかかってきたそれを思い切り蹴り飛ばしていた。
そこへ、他の四体が飛びかかってくる。しかし、それらすべてはことごとく、彼女の剣の前に無残に後退を余儀なくされた。
吹っ飛ばされた狼たちが何度も何度も襲いかかっていくが、白銀の剣姫はまるで遊んでいるかのように、それを軽くいなして巨狼たちを傷だらけにしていた。
剣姫スキルが乗った彼女の剣撃は、剣の軌跡に触れただけでも相手を切り裂く。
光を帯びた長剣は刃が触れていなくても風圧だけで敵を切り刻んだ。
一見でたらめに動いているような剣筋だったが、剣が光っているからか、剣刃が通り抜けたあとの軌跡が可視化され、踊り狂う剣舞を見ているような感じだった。
「うっふふ。そろそろあちらも終わった頃みたいだし、私の方も……」
彼女は終始、楽しそうに笑ったまま、かつて、顔面蒼白で逃げ回っていたフレッドを追いかけ回していたときみたいに、物凄い速さで巨狼に迫ると、五体を点にそれらすべてを繋ぐかのように高速移動してすべてを一刀のもとに斬り伏せていた。
どかっと倒れる巨狼の群れ。
黒い獣たちが完全に動きを止めたとき、一陣の風が舞った。
白銀の髪が風になびき、彼女はそれを抑えながら、南の空を見て――そして、思い切り目を細めた。
そこには、先程まで浮かべていた陽気な笑みはまるでない。
あるのは妖気。
じ~~っと見つめる先には、彼女の愛する夫が一人の女性を連れて、こちらに歩いてきているところだった。
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