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ナーシャ

 その日の夜。

 一階の食堂で軽く食事をすませてから、ついでにそのまま湯浴みを頂いてきた俺たち。

 この国での入浴方法は大体において、風呂釜にお湯を張って湯船に浸かるというものだ。

 高熱に温めた蒸気を浴びてたくさんの汗をかいたあと、水をかけて洗い流すという風習もあるにはあるが、それは余所の国のやり方だった。


 王国では身体を石けんで洗い、湯船に浸かって疲れを癒やす。

 まぁ、これがスタンダードなわけだが、すべての家でこのような湯浴みができるわけではない。

 どちらかと言えば、このような入浴方法は贅沢な部類に入る。

 水もそこまで安くないし、お湯を沸かすときだって薪が必要となる。


 中には薪ではなく、魔法の力を道具に宿した魔道具を使って風呂を沸かすような家もあるが、それができるのは金持ちだけで、一般市民にはまったく手が出せない方法だった。


 そういったわけで、一般家庭では大体において風呂場なんてものは作らず、大衆浴場に通っている。

 そして、どこの町や村にもそういった施設は存在しているから、俺たちのような宿に泊まる旅人なんかにとっては本当にありがたい公共施設だった。



「さてっと……飯も風呂もすんだし、あとは明日以降のことを煮詰めてから寝るだけか」



 薄暗い室内には既に、明かりが灯っておらず暗い。

 窓から差し込む街の明かりだけが唯一の光源となっている。

 そんな時分。

 俺は頭の後ろに手を組んで、窓側のベッドの上に寝転がっていたのだが。



「んっふふ……。あぁ……なんて幸せな一時。まさかこんなにも早く、あなたと愛を語り合える日がやってくるなんて夢にも思わなかったわぁ……」



 突然、甘ったるい声と吐息を吐き出して、襲いかかってきた奴がいた。言わずもがなイリスである。

 俺たちが借りているこの宿部屋は、大人用ベッドが二台置かれているだけの簡素な作りをした普通の部屋だった。


 高級宿でもないこの手の安宿ではありきたりの作り。

 ベッドも寝返りを打てば軋み音がするし、布団はそこまで粗末ではなかったものの、それでも貴族や金持ちが使っているものと比べたら、馬小屋の藁みたいなものだった。

 そんな一室を俺たちは借りていたのだが、改めて俺は後悔した。なぜ部屋を二つに分けなかったのかと。



『ん? 部屋なんて一つで十分でしょう? そんなにお金が潤沢にあるわけでもないし、部屋を分散してもしものことがあったらどうするの?』



 そう言われて、俺は確かにと思ってしまったのだ。

 今後、どれだけの金が必要になるかもわからないし、何より、イリスを連れ戻そうと、王都から追手が来るかもしれない。


 そう思って、普通に納得してしまったのだが、しかし、よくよく考えてみたら、こいつと一緒の部屋で寝泊まりするなんて、狼と同じ家畜小屋で寝泊まりする可愛らしい羊さんみたいなものだった。つまり、俺。



「――まったくもう。なんで自分のベッドで寝てないんだよ。ホント、昔っから何も変わらないよな。顔を合わせる度に襲われる俺の身にもなってくれよ」

「うっふふ。本当は嬉しいくせに」

「嬉しくないわっ」



 既に隣のベッドではナーシャが寝息を立てて寝ている。あまり大きな声を出すと起こしてしまうので、俺も彼女も、どこか冷静なまま静かに話していた。

 知らない間に俺が寝ていたベッドに忍び込んで、身体の左側からべったりと抱きついてきている彼女。

 そのまま狂ったように俺の顔に頬ずりしていた。



「うふふ……照れちゃって可愛い~」



 頬をツンツンしてくる彼女に俺はむっとなる。



「照れてないし! それに、ナーシャがいるんだから、おかしなことすんなよ」



 頬を膨らませて半眼を向けてやると、



「……まぁ、そうだけどねぇ」



 といって、彼女はようやく俺から離れて横に寝た。



「ねぇ」

「うん?」

「ナーシャのことどう思う?」

「ナーシャ? どう思うとは?」

「あの子、本当に可愛いと思わない?」

「まぁそうだな」



 まだ王宮に出入りしていた頃。

 用があって登城すると、大体いつも一人でいたような気がする。

 生まれたばかりの頃は先代女王が生きていたけど、彼女がまだ一歳という本当に赤ん坊だった頃に、彼女の両親は他界してしまった。


 そしてそのあとすぐ、イリスが戴冠することになったから、以来、幼い彼女はいつも乳母や専属侍女たちに囲まれて生活することになってしまった。

 同世代の遊び相手もいないし、親の愛情も知らない。姉はいるけど、公務が忙しくて夜とかそういった時間しか相手してもらえない。


 本当に不憫な子だった。

 そんなだからか、親父に連れられ初めて彼女と会ったとき、不思議と、彼女はなんの人見知りもせずに俺に気を許してくれた。


 時々、気にして顔を合わせていたけど、その度にニコニコしてにぃにとか、お兄たまといって抱きついてきた。

 そんな彼女に困惑もしたけど、俺の心を占めていたのは、



「やっぱりいつ見ても可愛いな」



 それだけだった。

 だから間違いなく、今も昔も変わらず、ナーシャのことは可愛いと思っているし、俺の唯一の! 本当に唯一の癒やしである!

 絶対にあの笑顔は守らなければならない!



「ホント、ナーシャはいつ見ても可愛いよなぁ……。正真正銘、血の繋がった妹のように思えてくるよ」



 俺は隣のベッドですやすや寝ているナーシャを、上半身起こして眺めた。

 ほとんど暗くて様子を窺い知ることはできなかったが、彼女のベッドの枕元近くに設置されている棚の上には、今日手に入れたばかりの幻魔の卵二つが大事そうに置かれていた。



「ねぇ……」



 ちょっとニヤニヤしていたのがいけなかったのかもしれない。

 ドスの利いた低い声を出したイリスが再び襲いかかってきた。



「ちょ、おい、ばかっ」

「キ~~~! ナーシャが相手でも浮気は絶対に許さないわよっ」

「な……! う、浮気ってなんだよっ。俺は別にそんな意味じゃ――」

「問答無用よ!」



 そう言って、俺に覆い被さった状態で顔中に口付けしようとしてくる頭のおかしな女王様。

 俺がその後、どうなったのかは敢えて言うまい…………相変わらず、ひどい!

本作に興味を持っていただき、誠にありがとうございます!

『ブックマーク登録』や『☆☆☆☆☆』付けまでして頂き、本当に嬉しく思っております。

皆さんの応援が執筆の励みとなり、ひいては大勢の方に読んでいただくきっかけともなりますので、今後ともよろしくお願いいたします(笑

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