愛ゆえに選んだ逃避行
突然泣いてしまった彼女。
涙や泣き声を堪えようと、必死で目や口をつぐむようにしている。
「え……え~っと……?」
俺の首元を握りしめたまま固まってしまった彼女にどうしていいかわからず、一人戸惑っていたら、
「お兄たま、お姉たまを泣かせたらメ~でしゅよ? メ!」
いつの間にか近寄ってきてベッドの上に女の子座りしていたナーシャにコチンと、頭を叩かれてしまった。
とても痛くない優しいお仕置きだった。
だけれど、多分、それが合図となったのだろう。
堪えていた何かよくわからない悲しみに耐えきれなくなったかのように、イリスは声を上げて泣き出してしまった。
勢いよく俺の胸に飛び込んで、ワンワン泣いてしまう。
「ちょ、ちょっと、イリス……?」
彼女のこんな弱い姿を見るのは生まれて初めてだった。
初めて会ったあの日からずっと、彼女はいつもニヤニヤしたり、にかっと笑ったりしていた。
どちらかと言えば、いつも追いかけ回されていた俺の方がさんざか泣かされていたような気がする。
常に勝ち気で、お転婆で、ときにあの人と同じぐらい何を考えているのかわからない腹黒い部分まで隠し持っている女王様。
「イリス……イリス……?」
どうしていいかわからず、ただそう声をかけることしかできなかった俺の腕を、ナーシャがぐいぐい引っ張ってくる。
「うん?」
「こういうときはこうしゅるでしゅ」
物凄く真面目な顔をして俺の両腕をイリスの背中に回そうとするちっちゃな女の子。
彼女は親指立てて、得意げににかっと笑ってくる。
「マジか……」
俺はナーシャの意図を汲み、なんだかなぁと思いながらも、仕方なくイリスを優しく抱きしめてやった。
ナーシャも大真面目な顔に戻って、一生懸命イリスの美しい白銀の髪を撫で始める。
「よしよし。お姉たまはいい子でしゅね~~がんばったでしゅね~~」
「――うん……私……ずっとがんばってきたの……」
ナーシャの声に応じるように、くぐもった声でイリスはそう答えた。
「フレくんと距離を取らないと……フレくんが陰謀に巻き込まれて殺されてしまうかもって……言われたから……だから……私はずっと、我慢してきたの……色んなこと、がんばってきたの……」
独り言のように泣きながら呟く彼女。
「そうか……」
怒ったり泣いたり、好き好きモードになったり、暴走したり。
本当に忙しくてハチャメチャな女の子だった。
俺は彼女がこの数年間、なぜあんなにも素っ気ない言動を取っていたのか、なぜいきなり泣き出したのか今になってようやく理解し、なんだかなぁと思いつつも、ばつが悪くなって頬をかいた。
――まぁ、でも、そうだよな……。考えてみれば、俺も思いっ切り権力闘争の渦中にいたんだよな。
守護竜ジークリンデの契約者。
そして、宰相たちにとっては宿敵の息子。
そんな奴が王権を有するイリスと仲がよかったら、邪魔に思って最悪、暗殺されても仕方のないことだった。
――先代か、それとも親父かわからないけど、それらを憂慮して引き離したんだろうな。
俺はなんだかおかしなことになったなと思わないでもなかったけれど、しばらくそうして、腕の中の彼女を慰め続けた。
◇◆◇
余程しばらくしてから、大分気分の落ち着いてきたイリスは、ゆっくりと俺から離れていった。
そして、ベッドの端に座ると、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「もう、大丈夫そうだな」
俺はそう声をかけながら、彼女の右隣に腰を下ろした。
ナーシャはイリスの膝の上に座った。
「……何から話せばいいかしらね」
どこか鼻声でそう声を発する女王様。
彼女は膝の上の妹を後ろから抱きしめながら、顔を幼子の頭に押しつけている。
「……えっと……もし、きついなら無理しなくてもいいぞ……? その、なんだ。さっきはすまなかったな」
「ぃえ……いいの。どの道、宿に着いたら話すつもりでいたから。そうしないと、今後の作戦に支障を来すから」
「作戦?」
「えぇ……」
彼女はそう答えて、顔を俺に向けてきた。
どこか寂しげながらも、いつになく真面目で緊張したような面持ちをしている。
「すべては私たち三人の明るい未来のため。そして、王国の民を救うため」
静かに語り始める彼女。
「どういうことだ?」
「話せば長くなるわ」
「構わないさ。少しぐらいならな」
何かを探るかのようにじっと見つめてくる彼女。
そんな彼女の硬い表情がふと、和らいだ。
「ふふ、こうやって面と向かって真面目な話をするのっていつ以来かしら」
「さてね。だけどまぁ、多分、あのとき以来じゃないかな」
「あのとき……? あぁ、そうね。多分アレね。悪い魔法使いをやっつけろ」
「そうそう、それ!」
昔のことを思い出して、思わず笑ってしまう俺とイリス。
「悪いまほうつかいってなんでしゅか?」
きょとんとしながらナーシャが聞いてくる。
「悪いことばかりしていた本当に仕方のない人が昔、王国にいたのよ」
「そうなのでしゅか!?」
「えぇ。本当にしょっちゅう、私もフレッドも虐められたものよ。だから、いつも虐められてばかりじゃ癪だからと思って、仕返し作戦を何度も実行したのだけれど、さすが、腹黒王女の異名は伊達じゃなかった」
「そうだな。何やっても返り討ちだったからなぁ」
「えぇ、そうね」
俺たちの会話内容は、多分、幼いナーシャにはいまいちピンとこないだろう。
終始きょとんとしながら、小首を傾げている。
「今頃あの人何してんだろうな……。帝国でも悪さばかりしてなければいいんだけど……」
多分もう六年も前になるだろうか。
あの頃はまだ、生まれてから五年しか経っていないナーシャは生まれてなかったけど、俺もイリスも十一歳のとき、あの人は帝国へと嫁いでいった。
現帝国皇帝レオンバルドス・アレス・サー・ユーグリッヒの元へ。
「そのことなのだけれど」
「うん?」
「今回の一件にはあの人が絡んでいるのよ」
「へ……?」
厳かに告げられた一言。
俺は最初、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
そんな俺に追い打ちをかけるように、彼女はこう告げた。
「私たちも含めて、今回、あなたが王都の外へと放逐されるように計画立案したのはすべて、あの人なの」
「は? どういうことだよ、それ」
「簡単な話よ。あまり気は進まなかったのだけれど、あの人を頼ったのよ。今の腐りきった王国を立て直すために。そして、命を狙われる危険性のあった私やナーシャ、そして、ナーシャと同じぐらい愛しているあなたを、帝国で受け入れてもらえるようにするために」
そう告げた彼女は、とても悔しそうに顔を歪めながら、事情を説明し始めた。
なぜ、あの人に相談しなければならなかったのかといった事情のすべてを。
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