愛の重い女王様
城塞都市トゥーランは、簡単に言うと北門から南門に向かって一本の大通りが通っていて、その左右に露天や様々な店舗などが建ち並んでいるような町だ。
そして、そこから外の城壁へ向かうようにして、町に暮らす人々の家が建てられている。
俺たちはよくわからないまま、イリスレーネに渡された身分証明書を、衛兵に取っ捕まる覚悟で提示したのだが、なんだか知らないがあっさりと中へ招じ入れられてしまった。
本当に意味がわからない『リーンリヴァイア一家』として。
今の俺の身分はフレッド・リーンリヴァイアだった。
イリスレーネはイリス・リーンリヴァイア、アナスタシアに関してもナーシャ・リーンリヴァイアということになっている。
しかも、イリスレーネことイリスは俺の妻で、アナスタシアことナーシャはイリスの妹――つまり、俺の義理の妹ということになっていた。
まったくもって意味がわからなかった。
「これ、どう考えても偽造だよな?」
南門近くの比較的大通りから少し東奥に入ったところにある小ぢんまりとした宿酒場に入った俺たち。
馬車の係留場所もあったので、馬車移動していた俺たちには本当に都合のいい店。
既に大分日も傾いており、あと一時間もしないうちに夜の帳が下りるだろう。
そういった時分だった。
俺たちは二階一番奥の部屋を一部屋借りたのだが、中に入るなり、開口一番、俺はイリスにそう問い質していた。
彼女とナーシャは既に黒いローブをベッドの上に脱ぎ捨てていて、思い思いにくつろいでいる。
二台あるうちの窓側に置かれたベッドの上に腰かけていたイリスの今の格好は、肩と腕が剥き出しになっている白地のチュニックと黒系のミニスカート。
膝上丈の黒いタイツと黒いショートブーツといった出で立ち。
厚手の生地の服を選んでいるところを見ると、やはり、長旅を想定した装いと言わざるを得ない。
対して、扉側にあるベッドの上で左右にゴロゴロ寝転んでいたナーシャは、可愛らしい白地のワンピースを着用していた。
こちらも、旅人がよく着ていそうな格好となっている。
「――まぁ、フレッドの言う通り、偽造と言えば偽造でしょうね。だけれど、本物と言えば本物よ?」
そんなことを言いながら、イリスはベッドに座ったまま、壁際に立っていた俺のことを、目を細めてじ~~っと見つめてきた。
馬車移動していたときもそうだが、彼女の顔をこれほど近くで見るのは随分と久しぶりのような気がした。
いつものように、白銀の長く美しい髪は後頭部の上の方で一纏めにされていて、ドリルヘアのように緩く巻かれている。
流れるような細い眉と長い睫毛も白銀の美しい色合いを宿している。
大きな翡翠色の瞳は、なぜか細めるように垂れ目がちに俺を見ている。
鼻筋も通っていて、唇はぷっくりと艶やか。
どこからどう見ても、美少女。
悔しいが、今まで見たどんな女性たちよりも美しくて愛らしい女の子だった。
そんな彼女だが、相変わらず、食い入るように俺を見つめてきている。
何かを堪えるかのように、微かに唇が震えているような気さえした。身体までプルプルしている。
思わず、幼い頃の猪突猛進にむしゃぶりついてきた彼女を思い出してしまい、ひじょ~に嫌な予感がしないでもなかったけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
俺は目を細めながら、改めて、首から提げた自身の身分証明書を眺め、そっと溜息を吐いた。
「――とにかくだ。なんでこんなもん持ってるのか知らないけど、わざわざ偽造の品まで用意して何企んでるんだ? 衛兵にバレなかったからよかったものの、俺もお前も普通の旅人じゃないんだから、正体バレたら大事になっていたんだぞ?」
「……そうね」
全身をプルプルさせている彼女はただそれだけしか言わなかった。
「なんだかなぁ」
俺は天を仰いだ。
この町には仕事で何度か来たことがあったけど、衛兵と顔見知りというわけでもなかったから何も疑われずにすんだが、もし俺の顔を知っている奴がいたらえらいことになる。
当然、イリスやナーシャもそうだ。
辺境とは言え、さすがに女王と王妹殿下の顔を街中の人間すべてが知らないなんてことあるはずがない。
フードを外して顔を見せろと言われなかったからよかったものの、詳しく調べられていたら多分終わっていただろう。
事情はよくわからないが、こんなところに護衛もつけずに突然女王と王妹殿下が現れたら、最悪、表向き犯罪者指定されている俺が拉致したと疑われかねない。
実際には俺が拉致されたっていうのにな!
宿を借りるときにも身分証明書は必要になるので、そこでも提示したのだが、身バレすることこそなかったものの、宿屋のおばちゃんに意味深なニタニタ笑いを向けられてしまった。
まさかとは思うが、俺とイリスが今夜、ベッドの上で暴れると思っていないだろうな?
嘘だよな?
ナーシャがいるのに?
「はぁ……」
俺は色んなことを想像して深い溜息を吐いてから、舐めるように俺を見つめていた女王様にジト目を送った。
「まぁいいや。とりあえず、イリス」
「何かしら?」
「対応に困るから事情だけでも説明してくれないか? なんで王宮から飛び出してきて、更に俺まで拉致したのか。その辺の事情をさ」
俺はベッドに座る女王様にゆっくりと近寄っていった。
正方形の部屋。
扉側に一台、窓側に一台ベッドが置かれている。
そのうちの窓側に設置されていたベッドに腰かけていた彼女は、すぐ目の前で立ち止まった俺を、組んだ足の上に頬杖ついた状態で食い入るように見つめてきた。
ただじ~っと。目尻の下がったどこか面白そうな、それでいて、うっとりとした顔。
唇の端や頬が微妙に震えていて、何かに耐えているようにも見える。
それはまるで、猛り狂う欲情を抑え……え? 欲情? うっとり?
――は!? まずい!
俺はそこまで認識して、一気に血の気が引いていった。
幼い頃から彼女に追いかけ回され、心の奥底に深いトラウマを刻み込まれてきたからこそ、俺にはよくわかる。
あの妖しげな微笑みを浮かべているときには必ずと言っていいほど、彼女は――
俺は大慌てで後退ったのだが、すべては遅かった。
「説明する……えぇ、勿論説明するわ。だけれど、その前に――」
言うが早いか、彼女はそこまで言って、いきなり襲いかかってきた。
「久しぶりのフレくんをいっぱい味わわせて~~!」
「ぅわぁ~~! おい、バカっ止めろ!」
物凄い力と速さで飛びかかってきた彼女によって、俺はあっという間にベッドに押し倒されていた。
「……ぁあん……フレくん……フレくんの匂い~! フレくんのいい匂いがするわ……! それに、久しぶりのフレくんの感触……温もり……ぁあんもう、たまらない! 我慢できないわ……!」
暴走し始めた彼女はそう叫んで、俺の頬に思い切り頬ずりし、口付けしてくるのであった。
「フレくんフレくんフレくんフレくんフレく~~~んっ♥ だ~~い好き~~~!」
「おい、バカ、止めろって言ってんだよっ」
しかし、一度暴走し始めた彼女がまったく聞く耳持たないということを俺は身をもって知っていた。
「あぁ……会いたかった……ず~っとこうしたかったのよぉ……! この数年間、ずっとず~~っと、我慢してきたんだからぁ……!」
「ちょっ……バカ、ぉぃっ……止めろってばっ……ていうか、今、好きって言ったのかっ? お前は俺のこと、嫌いになったんじゃなかったのかよ!?」
十歳過ぎた辺りからちょっとずつ疎遠になっていった彼女。
俺はてっきり嫌われたんだと思っていたのだが、どうやら、そうではなかったらしい。
無駄と知りつつ、なんとかして俺に覆い被さっていた怪力女の肩を押し戻していたら、突然、彼女の動きが止まった。
「ん……?」
ギギギと、ゆっくり身体を離していく彼女。
イリスの比較的大きな胸によって押し潰されていた肺に空気が流れ込み、やっと一息つける、そう思ったのだが、彼女の顔を見てぎょっとした。
鬼、妖女、妖魔、魔獣。
そのすべての形容詞が似合いそうなくらい、凶悪な顔つきをしていた。
「この私が……この私が……フレッドのことを嫌いになるわけないでしょ~~~が~~~!」
「うわ、バカ、まてぇっ~~」
激怒した彼女の手が俺の襟元に伸びて思い切り揺さぶられてしまった。
お陰で脳しんとうを起こしかける俺。
しかし――
「え……?」
俺は顔に何か温かい雫が降ってきたことに気が付き、呆然となってしまった。
怒り狂っていた彼女が、知らない間に泣いていたからだ。
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