16コマ目 好き嫌い
「お嬢様!」
「ん?どうしたの瑠季ちゃん」
「お嬢様はあの薬、使ってないですわよね!」
ある朝。
登校中に使用人の瑠季が伊奈野へと必死さを感じさせる形相で詰め寄ってきた。
伊奈野はそれに何事かと少しビビりながらも対応して、
「薬って、何の薬?ヤバい薬とかの話じゃないよね?犯罪になるようなことをした覚えはないけど?この受験期でストレスを感じるかもしれないけど、さすがにそれはやらないって」
「いえ。そういう話ではありませんわ!確かにヤバい薬ともいえますが…………ゲームでの薬の話ですわよ。最近ゲームで使用者が多くなっている、性別転換薬なる物の話ですわ!」
「ああ。TS薬の話?」
「そうですわ。お嬢様はあの薬、使っておりませんわよね!」
「うん。特に使ってないけど」
「それは何よりですわ…………私の周りはあれを服用してふざけたことをする者ばかりで。いつの間にか私のギルドメンバーすら汚染されていてとてもではないですけど耐えられないのですわ。お嬢様があの薬の魔の手にかかっておらず本当にもう私は歓喜しております…………」
「そ、そんなに?」
瑠季の様子に伊奈野は苦笑い。そこまでの反応をする必要はないだろうとでも言いたげな様子を見せている。
が、内心のほどはそれだけには収まらない。
(これ、TS薬を作ってるのが私だとは言えないね)
伊奈野は確かに使用はしていない。特にそういう趣味や悩みもないから、服用はしていないのだ。
しかしまず、そうした知識を伊奈野が持っているという事自体がおかしいことに気づかなければならない。プレイヤーの間でどれだけ流行っていようと、伊奈野が知っていることなんてほとんどないのだから。
もしそれを知っているのだとすれば、それは伊奈野が渦中にいる時。たいてい問題の中心で問題の発端となっている時である。
現在プレイヤーたちの間ではやっているTS薬と言うのもまた、伊奈野が中心となり引き起こされたものであった。何せ、作っているのが伊奈野なのだから。
もちろん今は生産ラインに乗せているだけではあるのだが、その生産ラインを作ったのは伊奈野だけでそこ以外でTS薬を作ることができる存在がいない(屈辱さんなどNPCには一部例外はいるものとする)こともまた事実。
とは言っても、これは決して悪い事でもないのだ。
なぜならその薬は、所詮伊奈野がいくつも作った珍しい薬の中の1つでしかないのだから。本来は数個納品するだけで終わらせるつもりのものだったのだから。
そして何よりも、
「なんであれで貴族の病気が治りますの」
「そこは、えぇ~。うん…………私も意味が分からないよ」
なんとその薬で病気が治ってしまったようなのだから。
伊奈野も詳しい事情は知らないが、それの貢献により多額の報酬といくつかのアイテムが店主さんを通して渡されたため貢献したことは把握している。
とは言っても、性別転換薬で治る病気の存在も良くわからない。
さらに言えばそのあと定期的にその貴族から依頼が来るという事もないため、肉体と精神のギャップによって薬を求めていたという事もなさそうなことが余計に理解しがたい要素となっている。性別転換薬と言ってもその効果は限定的で一時的なものとなっており、長くても半日程度しか続かないようであるのだから。
ちなみに詳しいことは書かないが本当に精神と肉体のギャップではなく、病気が今回の薬で解決していたりする。
性別転換薬で起こせる変化の事を考えれば何の症状にしてもきわどい話になるため詳しいことは一切かけないが。
「でも、ゲームなんだからそうしないと治らない病気があってもおかしくないよね。ほら、場合によってはダンジョンが特定の性別限定だったり職業が限定されてたりするから」
「ああ。確かに。最近は配慮もあって少ないですけど、昔の作品ではありましたわよね。そういうたぐいのものであるというなら納得できなくもない…………ですけど、本当にあるでしょうか?あれなんて最近の主要ゲームですし少数派への配慮なんてものすごく気を使ってるはずですわよ」
「うぅん。それを言われるとねぇ。よく分からないね」
2人して首をかしげる。
ただ、そこで一旦TS薬の話は終わったため話題が転換。
TS薬から繋がってなのかは不明だが瑠季は最近の薬の値上がりによって起きたのだろう事柄の話を始めて、
「そういえば最近は珍しい薬が多いですけど、何かお嬢様も服用されてまして?私は、状態異常反転薬をボスに飲ませて遊んでますけど」
「あれって結構高いんじゃなかったっけ?」
「あの程度はした金でしてよ~。100個でも1000個でも10000個でも購入したところでまったく痛手にはなりませんわ。オホホホッ」
「ふぅ~ん。やっぱりそうなんだね」
2人は珍しい薬と言う少し幅が広がる話を始めた。
なお、ここまでの間に2人の間には大きな勘違いが生まれている。
状態異常反転薬と言うのはかなり特殊な使い方をしない限り非常に多くの状態異常に同時にかかるという非常に恐ろしい薬なのだが、それの製造ももちろん伊奈野が担当していた。そして当然ながら恐ろしい薬なだけはあってそれなりに値段も高いという事を黒い本から聞いていたのだが、瑠季の話を聞いてそこまでプレイヤーにとっては高い物ではないと考えてしまったのだ。
瑠季としては、ゲーム内で伊奈野を越える資金を持っているからこそそれくらいははした金に感じるという事で発言をしたわけだが、その意図を伊奈野がくみ取れなかったために起きてしまった誤解である。
こうして伊奈野は、自分の金銭感覚はおかしくないのだと思ってしまうのだった。
と、たいして今は重要ではない誤解は挟みつつ話は続いて行き、
「私は回復薬を色々と試してみてるかな。ちょっと特殊な呪いみたいな状態がまだ解除できてないから」
「あ~。あれ、まだ終わってなかったんですの!?」
「うん。ちょっと解除しようとしたら逆にひどくなっちゃってね」
「あら~。大変ではないですの」
言葉は軽い。
聞く人によっては、それがどうしたと言われているような気すらするほどの軽さだ。
しかし、瑠季が伊奈野の言葉を軽く扱うことなどあり得ない。もちろん流れによってはそういう風な扱い方をするときもあるが、
「そこまでの余裕があるかは分かりませんが、珍しい薬草生えている場所などお教えしますわ!」
「珍しい薬草?」
「ええ。例えばですわねぇ…………」
そこから始まる、瑠季による薬草の群生地の解説。
伊奈野にはなじみのない土地の名前などが大量に出てくるが、伊奈野はそれを話半分に聞いておく。伊奈野が行くことだってないし、きっと黒い本もそこに1人で行くのは危険すぎるように思うのだから。
しかし、だからと言って全てを適当に扱うわけではない。
いくつか気になる物もあるのだ。
例えば、その群生地に生えているという薬草の名前とか。
ほとんどは聞き覚えがあるようなものだが、いくつか聞いたことのないような名前の植物もある。伊奈野自身の問題に行き詰っている現状、そうして知らない植物も育てて何かに使えないか探ってみるというのも悪くないように思うのだ。
特にそれらも薬草だという事なのだから、手を出してみるのは悪いことではない。
伊奈野は学校が終わり帰宅すると早速覚えている限りのそうした植物の名前を黒い本に告げ、
「え?これって実在する植物なの?図鑑にも載ってないようなものなんだけど」
「群生地があるらしいよ?」
「本当に!?ちょ、ちょっと買えないか聞いてみるね!」
店主さんのもとへと飛び出していった。
すこしではあるが、またもや伊奈野の薬の生産に変化が訪れる。




