６コマ目 扉の先
「ここに入るんだよね？…………本当に入っていいの？どう考えても知らない人の家なんだけどなぁ」
伊奈野は躊躇していた。
先ほど過去（？）を見て入れることは理解しているはずだというのに、伊奈野はまだ扉の先へと進めずにいるのだ。本当に自分がこの中へと進んでいってもいい物なのかと考えて。
もし入れたとして、その先にあるものが目の前の光景と同じものだった場合どうしたらいいのだろうか、などと考えて。
あまりにも不明な点が多すぎる。それが何よりも問題だった。
躊躇していても仕方がないのだが、様々な可能性が思い浮かび足が前に進まない。それこそ、家庭の状況によっては入れるか入れないかが決まっていたり、入れたとしてもどこに行くかは違っていたりとする可能性だって考えてしまうわけだ。
そしてそんなことをうだうだ考えていた結果、
ドンッ！
「え？」
軽く伊奈野の背中に衝撃が。
前に倒れ扉の先に進む伊奈野の目に入ったのは、伊奈野がいた場所の後ろにプカプカと浮かんでいる。
「黒い本！？裏切ったなぁ！」
特に裏切りの要素はなかったが、とりあえず伊奈野の背中を押して進ませようとした存在は黒い本だった。事情は自分の持っている資料を提供して伊奈野が武器の試練に挑もうとしたことから何となく分かっているのだが、それはそれとしてなかなか行こうとしない伊奈野を待っていられなくなったのだ。今の伊奈野は、あまりにも観察できる部分が少なかったのだから。
ついに黒い本は反抗期を迎えたのかもしれない。
ただ、そうして押し込んだことは決して悪意を込めたわけではなかった。自分も早くやって欲しかったとはいえ、勇気の出ない主人の背中を押してあげた（物理）というだけのはずだったのである。
であるから、完全な善意とは言わずとも悪いことなど何も考えておらず、
ガンッ！
「っ！？……イ、イタタッ」
伊奈野が扉の先の空間とのはざまで硬い何かに衝突し、痛みで苦しむことなど全くもって想定していなかったのである。てっきりこの空間に入ることはできるものなのだと考えてしまっていたのだから。
伊奈野は背中を押して伊奈野を倒れさせ硬い物と激突させた張本人（本）に恨みがましい視線を向け、
「黒い本？私に何か恨みでもあるのかな？」
「…………」
恨みがあるかどうかということはいったんおいておくが、黒い本は慌てて故意でやったことではないと否定する。それはもう体でも伊奈野が視る称号の効果によるものでもわかるくらい必至で否定をした。伊奈野に恨みなど向けられれば、どうなるか分かったものではないのだから。
特に直近では伊奈野を主と認めさせられたばかりの剣とも交流して伊奈野がいかにひどいことをしてくるかと言うことも把握しているため、絶対にそんな目には遭いたくないわけだ。
どう考えてもろくな目に合う気がしない。
ただ、そう否定はしても伊奈野の疑いを晴らすことはできない。こんなことをされれば、それも仕方のないことだろう。
伊奈野は黒い本に疑いの目を向けつつ立ち上がり、
「黒い本をどうするのかはいったんおいておいて、この扉の方を先にやるしかないかな」
まさかの切り替えである。黒い本ではなく、扉の先の事を優先したのだ。
まさか何かされることもなく終わるとは思っていなかったため黒い本としては若干拍子抜け。また何かあった時には背中を押してあげようなどと考える始末である。
もちろん伊奈野はそんなことなど知らず、宣言通り扉を調べ始める。やはり扉の先に行こうとしても硬い感触がかて進めず、
「特定の家庭でしか行けないってパターンかな？それなら何回か試し見るしかなさそう」
一旦扉の先へと進めるのは、特定の家庭の状況が見えている場合だけだと仮定する。そしてその後はその仮説が正しいかどうかを試していくのだ。これが仮説検定である（大嘘）。
何度か扉を開けていけるかどうか確認して閉めてという作業を繰り返し、
「…………これ、場合によってはこの間と同じくらい開けることになったりする？」
伊奈野は嫌な可能性にたどり着いてしまった。
以前伊奈野がこの扉を開け閉めした時にも、それなりの回数開け閉めを繰り返した記憶がある。そこに入れるかどうかの作業を差し込めば、さらに時間がかかることは間違いないだろう。
しかも、この間だけで全ての家庭を見終えたかどうかも分からないのだ。もしかするとまだまだ知らない家庭が大量にあるなんて言う可能性が考えられ、伊奈野は少し気が遠くなった。
ただ一応伊奈野はすべての家庭をすでに見ているためその部分の心配は必要ないのだが、その場合はその場合で別の心配事項がある。
伊奈野は家庭によっては入れるか入れないかが決まるという仮説を立てたが、それがあっているかどうかも定かではないのだ。もし他の条件があるのだとすれば、その作業と時間は無駄になってしまう。
何とも恐ろしい状況に伊奈野は陥っているのだ。
「いい加減諦めるべきかなぁ」
伊奈野も自分がかなり良くない状態になっている。いわゆる沼っているという状況になっていることに気がつき、そろそろ終わり時だろうかと考え始めた。
この時間を無駄にすることは問題だし、粘った結果得られるものが伊奈野にとって良い物かどうかなんて分からない。
入った先にあるものが伝説の武器だったなんてオチはさすがに勘弁してほしいのだ。
なんて考えていると伊奈野も思考の方に比重が偏って実際の行動が少し作業のような状態になってしまう。
であるから、
スカッ
「この時間を勉強に当てた方が…………ん？今私の手、空を切らなかった！？あ、危ない！今、閉めるところだったんだけど！？」
自分の手が硬い物にぶつからなったことに気がつくことも遅れてしまう。ギリギリ扉と枠の隙間にクツをはさむことでそれが完全に閉じきることを回避したが、なかなか危ないところであった。伊奈野の鼓動は急激に早くなる。
ここでミスをしてしまえば、次にまた同じ家庭を見つけられるまでどれだけの時間がかかるのか分かったものではないのだから。
ミスをしていた可能性を考えると、焦りと安心感が同時に襲ってくる。
そんな状態でさすがに思考が落ち着かないためしばらく休憩し、ある程度覚悟が決まったところでもう一度手を伸ばす。
そうしてみるとやはりその手は奥へと吸い込まれていき、もう少し進めば手だけでなく伊奈野の全身が消えて、
「…………ここは？」
伊奈野の目に移る光景が変化していた。
そこにあるのは先ほどまで見ていた家庭ではない。そんなこのゲームには全く世界観があってないものではなく、このゲームらしい街並み。このゲームらしい空気感。それこそ先歩までいた場所とそっくりの雰囲気で、なんと目の前には黒い本までいた。
「…………あれ？私、戻って来ちゃった？」
「みたいだね」
伊奈野はただただ元の場所へと戻ってきていた。どうやら伊奈野が使ったものは、伊奈野を元の場所へと戻すものだったらしい。ハッキリ言ってここまでの事は時間の無駄であった。
《称号『ファストトラベル？』を獲得しました》
最近の数学で教えているらしい仮説検定のことを軽く調べてみたのですが、作者は優位水準の辺りで頭が爆発しましたw
ただ、ちゃんと学べば面白いと思えそうでもあったので、もし習った記憶がないという方は是非是非一度見てみてください
