第4話 逃げた
「はあっ・・・ハァ、はっ・・・」
私は全力疾走で走っていた。
とにかく遠くに逃げなければ。
脚を動かせる限り懸命に、ひたすら走る。高校の体育祭以来、こんなに必死に走ったことはない。肺が苦しくなるのを抑え、私はとにかく遠くまで逃げる事に集中した。
『ようこそ魔女の里へ、伝説の大魔女アリア様』
次に紡がれる、メデューアと呼ばれた美女の言葉。
『わたくしどもは、500年間あなた様の復活を待ちわびておりました』
『ご・・・ひゃく、ねん・・・・』
つい、その途方もない数字を繰り返した。
ああ、ダメだ。500年って、一体なんの話をしているのか全く分からない。付いていけない・・・。
『あなた様は500年前のワルプルギスの夜、来る混沌の時代に備え自らを封印されました。
その膨大な魔力は、肉体が朽ちても魂となって転生し、500年後に復活を遂げると言い残していたのです。わたくしどもはその伝承を元に、今日、青き満月が照らすワルプルギスの夜に、大魔女召喚の議を執り行いました』
そう口にする赤い唇が、緑に輝くその瞳が、ふざけているのではなく大真面目に語っているのだと伝えてくる。
『で、でも私っ、魔女なんかじゃない!魔法だって、使えないし!アリアなんて名前でもないです!!』
そもそも魔法って何だろう。そんなもの実在するの?
20年間生きてきて、魔法なんて使えた試しはない。映画やアニメで見かけるそれは、ただの空想上の設定で、ファンタジーなのだ。
常識的に考えて、この人たちが言っていることはおかしい。
何とか私が、彼女たちが思っている人物とは違うのだと、伝えようと声を張り上げる。
『大丈夫、ご心配には及びません。きっとアリア様の魂が、覚えておいでです』
そういわれた瞬間、ああ、この人たちの中では私の意志に関係なく、私は大魔女アリアとかいう人物という事になっているのだ。と思った。
私はアリアなんて名前じゃないし、魔女なんかでもない。
『早急に思い出していただく、僭越ながらわたくしどもの方で、シャドウをご用意しました。』
パチン、とメデューアがその細くキレイな指を鳴らすと、奥の方から大きなケージのような物を持った黒装束が現れた。
それを目にして、背筋に冷たい汗が一筋流れるのを感じた。
ケージの中で赤い光が二つ、光っている。よく目を凝らすが、それが何なのか暗くて分からない。
ただ、それが何かの生き物であり、赤い二つの眼光に見えるのだ。
『シャドウは低級魔族。アリア様のお力であれば、瞬時に滅することが可能でしょう』
そう言いながら、メデューアは立ち上がり、コツコツとヒールを鳴らしてケージの前に立った。
メデューアの腰の高さまであるケージがガタガタと揺れだす。
『さぁ、その唄を聞かせてください!!』
ギィィィィ
少し錆び付いたケージの扉が開かれる。
私はゆっくりと立ち上がり、一歩後ずさった。
ケージの後ろから松明をもった黒装束が2人、前に出ると、その火でケージを照らした。
その瞬間。
『ギシャァァァァァ!!』
『ひっ・・・』
その聞いたこともない叫び声に、両耳を塞ぐ。
低くて高い、鼓膜に刺すように叫び放つそれは、ケージからゆっくりと姿を現した。
そのシャドウと呼ばれる生き物は、真っ黒な闇のようだった。
そもそも生き物なのか・・・?しかし、目の前のそれは、個として動いている。
『え・・・』
私は徐々に大きくなるそれを見上げた。
先ほどまであのケージに入っていた・・・のと同じ生き物なの・・・・?
大きな闇の塊は、天井まで成長すると、その叫び声を止め振り返った。
闇の中に光る大きな赤い瞳が私を捉える。
『ふ・・・えぇ・・・っ』
極限まで張りつめていた神経の糸が、一気に切れた気がした。
気が付くと目からは大量の涙が溢れていた。
腰が砕けそうになって、一歩後ずさる。
必死に脚に力を入れて、崩れ落ちないように耐えた。
『も・・・無理。怖い・・・』
助けを求めるように、メデューアを見たが、その顔は美しい笑顔を形作るだけで助けてもらえる様子はない。
他の黒装束を見るも、そもそもメデューア以外はフードで顔も見えない。
見知らぬ土地、目の前には見たこともない巨大な化け物。周りにいる怪しげな人たちは助けてくれない。
私は意を決して後ろに振り返り、そのまま全速力で逃げ出した。
どのくらい走っただろうか。
先ほどの化け物や黒装束が追ってきているのかは分からない。
ギリシャ神殿のような構造物の大きな柱間をすり抜け、ひたすら走ったが周囲は木しか無かったように思う。
自分がどこを走っているかも分からず、無我夢中だったが、疲労と共に周りが見えるほどに冷静さを取り戻してきた。
走りすぎて痛くなってきたわき腹を押さえつつ、走る速度を徐々に弱める。
「はぁー、ハァ、ハァ・・・」
呼吸を整えつつ、目の前にある大きな木の陰に隠れた。
次第に呼吸が楽になり、下げていた頭を上げた。
初めに目についたのは、漆黒の空に輝く大きく丸い月だった。先ほどメデューアが、青き満月がどうこうと言っていた。
確かに、見上げた大きな月は、青く見えた。