第2話 うた
自分を落ち着かせようと、本とは反対の手で持ったままだったお酒をもう一口飲んだ。ゴクリ。弱いアルコールが湯上りの身体に廻ることで、やんわりと思考を鈍らせた。
「ふぅ・・・。何でかは分からないけど間違えて持って帰って来ちゃったのかも。明日本屋に持って行って謝りに行こう」
そう半ば強引に自分を納得させて弁当の前に座る。
とにかく、冷めちゃうし弁当を食べよう。
持ったままだった本はとりあえずテーブルの端に置いておいた。
いただきます、と両手を合わせ呟き、今晩の牛丼弁当を口に運ぶ。
コンビニ弁当だからなのか、この不可思議な現象のせいなのか、口にした牛丼の味はあまり美味しくなかった。
自分を納得させるように口ではああ言ってみたものの、この不思議な出来事に落ち着かず、テレビを付けた。最近お気に入りの芸人が出ているバラエティ番組がやっている。
「あはは」
芸人が身体を張るVTRに、静かだった部屋にテレビと私の笑い声が流れ出し不安な気持ちが少し和らいでいった。
テレビを見ながら缶酎ハイをもう1缶あける。
先ほどとは違う味が喉を通り過ぎる。気持ちはだいぶ落ち着いたようだった。
ご飯も食べ終わり、手持ち無沙汰になった私は、晩酌で酔いが回った状態で先程の本をもう一度手に取ってみる。お酒の力で少し肝が据わったのか、中身が気になり出したのだ。
バックの中に入れて持ち運ぶのに丁度良さそうなサイズ感。漫画の単行本くらいの大きさだろうか。厚めの表紙カバーだが、持ってみるとさほど重くはない。
もう一度その表紙を見てみる。
赤地・・・というか、よく見るともっと深みのある落ち着いた色をしている。ボルドー系だろうか。それを彩る金の模様が表紙の外周を飾っている。その配色には高級感が感じられた。凄く繊細で綺麗・・・。
中心からやや上に、『唄う魔女の詠唱集』と書かれており、その下には繊細なバラの花が描かれていた。
「えいしょうしゅう・・・?って何だろ、魔女ってことは、呪文とかが書いてあったりして」
魔女やオカルトには詳しくないが、少しばかり興味がそそられた。
本の背や表紙に著者の名前は書かれていない。小口の部分は本屋でも思ったが、金色に塗ってあり、手が込んでいるなと感じた。
左開きのハードカバーの表紙をそのまま1ページ捲る。
見返しの部分は表紙と同じ落ち着いたボルドーの無地だった。更に1ページ捲る。
「あなたには・・その素質がありますか・・・?」
・・・?
横書きで一行。真っ白な紙の中央に、ただそれだけが書かれている。
素質?どういうこと?
少しばかり目を細め、訝しげな表情になりつつ続けて二枚目のページを捲った。
見開きの左側のページには、一言「唄え」とだけ書かれていた。
「なんだこれ?」
右側のページには見たことのない文字のようなものが数行書かれている。
「変なの」
誰かがいたずらで本屋に置いていったのだろうか?
表紙は可愛いが、内容は変テコだ。この文字もいきなりどうして日本語じゃないんだろう?
そもそも何語?・・・漢字やアルファベットとも違う。東南アジア系・・・とか?そこについては見識がないからよく分からない。
バーコードや値段が付いていないのも、そもそも出版されている本でなく誰かの悪戯なら納得がいく気がする。
「なんかよくわかんないけど、変なの・・・」
ぼんやりその文字の羅列をながめていると、ふと、不思議な感覚に包まれた。
あれ?初めて見る文字なのに・・・なんだかメロディが頭に浮かぶような感覚。
その感覚におされてポツリポツリと知らない言葉が、口から発せられていた。
『〜♪〜♪〜♪〜♪〜(え?なに??どういうこと????)』
自分の口が勝手に動く。知らない、聞いたことのない言葉とメロディが、自分の意思に反して溢れ出す。
怖い。どうしてこんな事になってるの?!信じられない出来事に対する恐怖が、再び脳をパニックに誘い込む。目線を本から変えることができない。自分の身体が自分のものでないかのような感覚ーーーー。
『・・・・・・。』
30秒ほどだろうか。体感としてはもっと長く感じたが、自分の口からメロディが止み、一人暮らしのワンルームにはバラエティー番組の笑い声だけが響く。
本を握っていた手を動かそうとすると、ピクリと一瞬指が痙攣した。気づかず強張っていたのだろう。ドクン、ドクンと高鳴っている鼓動を抑えるため、片方の掌を胸元に持っていく。
「何だったの・・・?」
もう片方の手で持ったままの小さな本へ、目を落とす。あの何と書いてあるか読めない文字が視界に入りそうになり、思わずパタンと表紙を閉じ、床へ放り出そうとした、その時ーーーー!
「え、ええぇぇ?!?!」
突然、その小さな本から金色の光が放たれ、その光があっという間に周囲を覆った。
「なになになに?!今度はなにーーー!!!」
半ば泣きそうになりながら、そのまましゃがみ込み、大きく目を瞑った。放り出そうとしていた本は、身体が強張り、しっかりとその手に握りこんだままだった。
立て続けに起こる、訳の分からない現実にパニックだ。どうしてこうなったの?このままどうなっちゃうの?!
それに答えてくれる人は、この部屋にはいなかった。