天下母 1
のちに邛成太后と号された王皇后が皇帝の後宮に入ったのはひとえに結婚運が悪かったからである。
諱を正という王皇后は、高祖・劉邦と逸話のある人物を先祖にもつ由緒正しい家柄の出身である。それゆえに王家の子供たちの一人として生まれる前から「もし男児であったら自分の娘と」、「女児であったらぜひ我が息子に」と縁談を打診されるほどであった。
それらの中から母親同士が仲が良いという縁が決定打となって選ばれた許嫁がいたのだが、残念なことにその相手は6歳にもならぬうちに流行病により命を落としてしまった。なにしろ予防接種など無かった時代である。そのようなことが起きるのはさほど珍しくもなく、双方の両親はともに哀しみはしたものの致し方のないこととお互いに慰めあいその縁はなかったものとされた。
愛らしくすくすくと育っていた王正にとっては幸いなことに、まるでそのような不幸などなかったかの如くそれこそ降るように縁談が舞い込み続けた。そしてそれこそあっという間に相手に半ば押し切られる形で次の話も纏まった。だが今度はなんと相手が字(成人)を迎えた祝いの最中に馬に蹴られて事故死してしまったのである。
「御息女のお相手は庶人であってはなりません。命中克夫とまでは申しませんが、相手の運が負けてしまうのです」
縁談につきものなのが占いである。相性を占うのは当然のこととして、六礼を行う日取りひとつを決めるにしても占いに頼るのが常識であった時代である。そのことからひきも切らない縁談を選んだり決定したりするにもいちいち卜いに頼っていたのだが、お抱え占い師のあまりの外しっぷりに呆れた父・王奉光は伝手を辿って焦延寿という気鋭の易者に相談を持ちかけた。
焦は目をしょぼしょぼさせながら気の毒そうに続けた。
「結婚されるのは非常に遅くなるでしょう。笄を済ませてすぐ、ということにはならないかもしれません。お子さんに恵まれることはないかもしれませんが、不思議なことに天下の母となる相を持っておられる。…ですがこれは周りに言ってまわらないほうがよろしいようですね」
「母となる相があるのに、母となることはない…いったいどういうことでしょうか」
「さあ、こればかりは。ただ、お家を盛り立てていかれる方なのは間違いないようですよ。婚家のみならず、ご実家にも繁栄をもたらされるでしょう」
「それは、天下の母となるからですか?」
「そうとも言えますし、そうではないとも言えるでしょう」
「では、天下の母でなくなったならば良いのでしょうか」
「いいえ」
「…娘は幸せな結婚ができますか?」
王奉光の問いに、焦は首を傾げて答えた。
「その質問の答えは、何を幸せかと感じるかによって然りとも否とも言えるでしょう」
そして焦の答えに肩を落とす王奉光を慰めるように言った。
「ただ、本当にご縁のある方とは不幸な結婚にはならないようです。その縁をお待ちなさい」
王奉光は言葉なく頷き、娘が天下の母となると言われたことは自分一人の胸に仕舞いこむことに決めた。そして落ち込む娘や妻を慰めつつも今度は舞い込んでくる縁談をのらりくらりと躱し続け、進んで次の縁談をまとめようとはしなかった。そして王奉光自身もそれから間も無く魏郡都尉を拝命し、赴任するための準備の忙しさに取り紛れているうちにいつの間にか占いのことなど忘れてしまったのであった。
魏郡での王親子の生活はとても穏やかで幸せなものであった。王正の二人の兄、敞と舜は詩書や孔子の伝といった士大夫層の教養の話題になると妹がさりげなく側にやって来て耳を澄ましていることに気づくとーー最初の頃は暇つぶしと兄貴風を吹かせたいだけという理由だけだったのだがーー面白半分で王正にそれらの男の学問を教え始めた。そしてあまり時を置かぬうちに王正が存外に頭の回転の早いことを知ると大喜びし、母の渋い顔を見て見ぬふりをしながら妹に学問の楽しさを教えていった。そのようなわけで、二人の兄たちが太学で学ぶため長安に旅立った後も王正は刺繍などの一般的な花嫁修行だけでなく、支配者階級の男たちの学問にも励んだのである。
だがそんな平和な日々も、魏郡の治所である鄴に監察に訪れた冀州刺史である林という男が王正を見染めたことから急に終止符が打たれた。林が好ましい人物であったならば、王奉光もこれも縁であろうと喜び娘の幸せを願ったに違いなかったが、残念なことにこの男は仕事だけでなく男女関係においても蛇のような男と評判がよくなかった。
刺史という立場を笠にきて、自らの望まぬ返答をしようものならでっち上げもしかねない男からの申し込みに王奉光は頭を抱えた。