#2 新学期初日はいつでもどこでも騒がしい。
(眠い……眠すぎる……)
引っ越しやもろもろの新学期準備を一日で済ませなくてはいけなかったリンは、結局9月1日を徹夜明けで迎えることになった。
(こんな状態で初対面の生徒19人と顔合わせ、しかも全員がリトルマーダーって……)
ふらふらとした足取りで校舎の中を教室に向かって歩いていると、後ろから甲高い女子生徒の声がした。
「せーんせっ」
リンが振り返るとそこには男子生徒が一人後ろを歩いているだけだった。
「何ですか?」
「いや、ごめんね。なんでもない」
(気のせいか?)
再びリンは歩き出す。
「せんせってば~」
(いや、気のせいじゃない……)
リンはもう一度立ち止まり振り返ると、そこにはやはり先ほどの男子生徒しかいない。
「どうしたんですかぁ?せんせっ」
(……?)
リンは耳を疑った。しゃべっているのは目の前の男子生徒だったからだ。
「あれ?わたしの顔になんかついてますぅ?」
リンは必死に昨日覚えたクラス名簿を思い返す。
(……一人いた。見た目と声色を自由自在に操る百面相、『アオイ』)
リンはなんとか冷静を保った顔に戻す。
「おはようございます、アオイくっ」
(痛っ!何か当たった!?)
アオイに挨拶をしようとしたその時、後頭部を何かが突いた。
リンの足元にBB弾が転がる。
ぱっと振り返ると、そこにはおもちゃの銃を構えた男子生徒が一人。
「先生眠そうだったから起こしてあげようと思ったんよ~」
その男子生徒はいかにも子供らしく、いたずらに笑う。
(国家間売買が行われるほどの凄腕スナイパー、ユナ…君か。)
「お、……おはようございます。ユナくん。」
アオイとユナはリンにかけよった。
「今死んだな~、先生」
「しんだしんだ♪」
「アオイ君、とりあえず調子がくるうからその声出さないでほしいな……。」
後をついてくる二人と一緒に教室に入ろうと扉を開けると、一人の女子生徒が待ち構えていた。
「あなたが担任のリン・パレット先生ね。私はノア。ノア・ワール。16歳よ。」
「よろしく。…教室にいれてもらってもいいかな?」
「えぇ、もちろん」
そういうとノアは教壇までの道を開ける。
教室はもうすでに半分くらいの席が埋まっていた。
その中には二日前にもこの教室にいたアルの姿もあった。
その後も次々と生徒がやってくる。
始業の時間にはクラス全員が着席していた。
(ひとまず全員揃ってよかった……)
「では、新学期初日のホームルームを始めたいと思います!」
(はじめは肝心だ。元気よく、元気よく。)
リンは少しまだ眠い目をカッと開く。
そしてこれまで担任を持ってきたクラスと“同じように”、スタートダッシュを決めようとしていた。
「ホームルームって何?」
「…ていうかここで何勉強するの?」
「先生ってリトルマーダーの卒業生なの?」
生徒たちは一斉に、思い思いに話を始める。
「え、いや、ちょっとみんな……」
「ねぇ学校って何するの?」
「僕はもう何も教わることなんてないと思うけど」
「この制服本当に素敵、先生のセンス?」
(うん……僕の常識は通用しないんだな。よし、)
リンは大きく息を吸った。
「みんな!!一回黙ろうか!!!」
教室が静まり返る。
「いいかな?ここは教室で、僕はみんなの先生だ。
みんなが聞きたいことは、ちゃんと僕が答えるから。こうやって」
リンは右手をまっすぐ挙げた。
「……聞きたいことがある人は手を挙げて」
リンがそう言うと真っ先に一人の生徒が手を挙げた。
「はい、ジューク・マックスくん。」
「なんで急に高校なんて始まったの?」
「そう、こうして僕が指名する。
こうしたら19人いるクラスでも意見が共有できるでしょ。
…このクラスの詳細については副担任のオーブ先生から話してもらった方がいいかな」
『オーブ“先生”?』と先生という言葉を疑う声がちらほら聞こえる。
スっと教室に入ったオーブは話を始める。
「副担任のオーブ先生だ。君たちの中にオーブ先生が“監督者”の人もいるかもしれないけど、ここでは副担任として僕のサポートをしてくれます。
では、オーブ先生。ジューク君の質問に答えてあげてください。」
「『なんでこのクラスが始まったか』、は……」
オーブはリンに命の選択をさせたときの勢いが嘘だったかのように言葉を詰まらせる。
「自分で考えろ」
(あれ?)
「「「「……え?」」」」
生徒たちがまたざわつき始める。
「でも、リン先生がちゃんと教えてくれるって」
すかさずジュークが水を差した。
「なんでもとは言ってないだろ。それに、俺はリン先生じゃない。聞きたければリン先生に聞け。」
そういってオーブは教室を出てしまった。
生徒たちの視線がリンに集まる。
「なんでですか?リン先生」
(オーブ先生、そんな無責任な……)
リンは二日前から引っ越しやクラスの新学期準備でオーブからいろいろな話を聞いていた。
リトルマーダーがどんな存在なのか、このクラスの生徒がどんな子たちなのか、これまでどんな任務をこなしてきたのか。
担任として、……もちろん『リトルマーダークラスルーム』がどうして設立されたかも聞いていた。
(これは僕から話す事じゃないよな)
「……優しさ、じゃないかな?」
リンのあいまいな返答にぽかんとする生徒たち。
「その答えはずるいんじゃないのぉ?」
冗談っぽくリンに突っ込んだのは『このクラス最年長』のアーサー・ホワイトだ。
「……確かにずるいかもね。でも、このクラスが設立されるまで結構大変だったらしいんだ。僕が君たちの担任に決まったのはついこの間の話だけど、オーブ先生はこのクラスを作るためにずっと前から君たちの任務の調整をしたりそれぞれの監督者に何度も相談したりしてたらしいからね。
みんながどう思うかはわからないけど、僕は優しい人じゃないとそんなことできないと思うよ。」
数分前までざわざわしていた生徒たちだったが、もうリンの話を途中で遮ろうとはしなかった。
「まぁ僕ができる事は普通に君たちの担任をやることくらいだよ。
それで……早速なんだけど、
みんなには自己紹介をしてもらった後、このクラス『ハーフスター高校2年L組』のクラス委員長と副委員長を決めようと思う。」
「はい!」
元気よく一人の生徒が手を挙げた。
「はい、ルーくん」
「委員長って何やるんですか?」
「良い質問だね。委員長はいわゆるクラスのリーダーのようなもの。話し合いをするときに意見をまとめたり、クラスで行動するときに全員に指示を出したりする。
僕の方から特に誰かにってわけじゃないけど、
“このクラスは高校2年生のクラスって事になってるけどみんなが普通の高校2年生の16歳・17歳ってわけじゃないし”
年上の人がやった方がいいんじゃないかな、とは思ってる。」
◇
「え?全員が同じ年じゃない?」
リン、オーブ、アルは引っ越しのために校舎からリンが元々住んでいたコンクリート打ちっぱなしのアパートへ向かっている車の中での話だ。
「当たり前じゃないですか。そんな都合よく生徒たちが同じ年齢なわけ……」
運転席のオーブが答える。
「そもそも、俺たちの所属するRaise Sir Flagという組織は4年前にリトルマーダーの選出を止めています。リン先生も知ってるでしょ、倫理的にリトルマーダー廃止の動きが進んでいること。」
「まぁ……」
リトルマーダーは【イータ】でかなり黒に近いグレーな存在だ。
特別いい家柄ではない限り、その話は都市伝説に近いもの。
しかし、近年一代で叩きあがってきたような富裕層を中心にその存在を知って糾弾することも多くなってきたことで、これまで影のような存在だったのが一気に輪郭を帯びてきた。
「身寄りのない子供たちの中から身体能力や知能に優れている子を人殺しに仕立て上げる。……まぁ褒められたことじゃない。
Raise Sir Flagは、上層部が【イータ】の王族や貴族院ともコネクションがあるような歴史のあるリトルマーダー組織です。今の国家の形があるのもリトルマーダーの暗躍があるらしいですし。
ただ、時代は変化してる。表向きに政府としてリトルマーダーを終わらせようと動いているふりをしている分、俺たちもそう動かざるを得なかったんです。だから新たにリトルマーダーを選出して育成することはやめた。だからうちの組織で現存するリトルマーダーは今日あの教室に来ていた20人で最後なんです。だから年齢もバラバラ、下は14歳から上はリトルマーダーとしては最後の年になる19歳。ちなみにリン先生の隣に座ってるアルは15歳。」
(アルくんが15歳……。400点満点者の一人だぞ!……しかも高校2年生の内容で。)
◇
教室では一人一人の自己紹介が終わった。
リンの提案でとりあえずクラスの年長者が委員長候補として挙げられることになった。
「出席番号1番、ジューク・マックス、19歳。まぁ、ここにいるお子様たちが委員長をやるくらいなら僕が委員長をやってもいいとは思います。」
出席番号1番は学力テストと、監督者による身体能力評価の合計値が一番高い生徒ということだ。リンはたしかに『彼が委員長をやってもいい』とは思った。
「出席番号4番のユナです。18歳です。僕は海外任務も多いので委員長はやりたくないです。」
今朝、リンの後頭部を一発で仕留めたユナはその理由を聞くに委員長には不向きだろう。
「アオイ、出席番号9番、18歳。右に同じく。」
百面相のアオイ、本人の意思でやりたくないのなら仕方がない。
「出席番号11番、チェック・クロスです。18歳。委員長はジューク君が良いと思います。」
オーブ曰く、彼はどんな組織にも色無く潜入するスーパーバランサー。
潜入任務に長けたマーダーらしい。リンは彼が委員長をするのがいいのではないかと考えていたが本人はこの意見だ。
「アーサー・ホワイトです。出席番号12番、19歳。委員長は俺じゃないと思います。」
アーサーは事前に要注意人物としてオーブがリンに伝えた生徒だ。人心掌握が得意だという。たしかに、彼が委員長をやるのはリスクが大きいか。
「出席番号19番のメイです。誰もやりたくないなら私がやってもいいですけど…。副委員長ぐらいがいいかな。」
年長組唯一の女子生徒のメイ。控えめながら落ち着きがある。
年長グループの6人がそれぞれ意思表明を終える。
(さて、ここからどうしたものか。)
すると熱心に6人の話を聞いていたノアが手を挙げた。
「はい、ノアさん。」
「普通の高校なら男女一人ずつ、委員長が男性なら副委員長は女性、委員長が女性なら副委員長は男性、としていることが多いと聞きますわ。
候補者の方の中に女性は一人。男子生徒の方たちの中で、特に委員長にふさわしい方はいないようですし、メイさんが副委員長が良いというならば、委員長はメイさんに決めてもらうのはいかがかしら?」
(確かに……それが良いかもしれないな。)
「ありがとう、ノア。メイはどうかな?」
「みんながそれでよければ私は」
「何か別の意見がある人?
……は、いないようだね。じゃあ副委員長はメイで」
リンが拍手をすると、生徒たちも続けて拍手をした。
「そしたら、委員長だけど……。メイは誰が良いと思う?」
「えっと……」
メイは残りの5人を見ながら与えられたわずかな情報で委員長を選ぶ。
「ジュークが良いんじゃないかな」
「ジューク君、どう?」
こういう時、一番大事な肝心なのは本人の意思だ。
「……まぁそうなるだろうね」
「じゃあ、委員長がジューク君、副委員長がメイさんで決定だ。みんな二人に拍手」
生徒たちの拍手が二人に向けられると、メイは照れくさそうに、ジュークは堂々と一礼した。
「じゃあ6人とも席に戻って。今日はこの後アイスブレイクを兼ねて少しだけみんなで遊ぼうか、『アイスブレイク』だ。体を動かした方がみんなお互いのことを知れるんじゃないか?」
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生徒たちを用意したジャージに着替えさせ体育館に連れていくリン。
リンが古い体育館の重い扉を開けると生徒たちは目を丸くした。
体育館は一面真っ白な紙に覆われ、中央に用意されたテーブルにはバケツ一杯のカラフルな絵具に大きなローラー、ペイントボールと絵具の入った水鉄砲。
用意された絵具とペインティング道具の数々に目を輝かせる生徒たち。
「今日はこれでチーム対抗ペインティング対決だ!早速委員長たちの出番だよ。話し合いで19人を4チームに分けるんだ。ジュークとメイはチームが決まったら僕に報告して。」
ジュークとメイはリンの合図で19人を集め話し合いを始めた。
生徒たちの様子をしっかり見に来ていたオーブにリンが話しかける。
「彼らのこと、少し心配してましたけど大丈夫そうですね。」
「それはこっちのセリフです。俺はリン先生のことを心配してましたけど、大丈夫そうで安心しました。」
あっというまにジュークとメイが二人の元に駆け付ける。
「先生、決まりました。」
「よし!そしたらチームごとに好きな色の絵具を持って四隅に移動するんだ。僕の合図で体育館をそのチームの色で埋めていくんだ。着実に自分の陣地を広げていくもよし、敵チームの妨害をするもよし!とにかく15分経った時に一番その色の面積が大きかったチームが勝ちだ!」
リンはスピーカーで軽快な音楽を流し始めた。
生徒たちの表情がぱっと明るくなる。
「よーい、スタート!!」
リンが手を大きく上げると四隅から4色の絵具が勢いよく放たれた。