前
──隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自恃むところ頗厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
日本国が検定教科書に掲載された一文には、斯くの如く、記されている。
その男、ある朝目覚めしを境に、自らが李徴へと変ぜしことに気づくや否や、官職を捨て、詩歌を捨て、妻子を捨て、絶食断食を続けながら、如水(※原作李徴が虎へと変じたとされる地)へと駈ていった。
転生後、即、人虎変生RTAの装いである。
その眼光は、餓えずして既に炯々とし、李徴が李徴として生来持ちうる、狂悖の気性は増すばかりである。肉體が李徴であれば、その精神もまた李徴である。日本全国の高校生どもに百億回以上は擦られたであろう、彼の終生の友である尊大な羞恥心と臆病な自尊心という生来の性は、たとえ転生しようが否応無しに備わっていた。
虎だ李徴、己は虎になるのだ。転生李徴は、駈る闇の中繰り返し呟く。
臆病な自尊心は、凡愚の輩より優れし己の才気よ煥発なれと叫び、死後百年の名を遺せと欲する。尊大な羞恥心は、その手段に詩歌を選んだ。しかし、名を遺すのに、手弱女なる詩歌なぞ選ぶ必要が何処にあろうか。
人の己には学識があり、虎の己には爪牙がある。
科挙に登第せし後に詩歌で身を立て百年名を遺すなどという夢想は不要だ。物言わぬ木々をその爪で薙ぎ倒し、気に食わぬ人獣をその牙で蹂躙し、銀月に吠える金虎となるのだ!
闇に堕ちた李徴がその後どうなったか知るものは、誰もなかった。
翌年、監察御史、陳郡の袁傪という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。
袁傪はしかし、
「わたしは、その虎を殺しにきたのだ」と答え、供廻の中精鋭を二、三ばかり連れて、暮れたる闇へと出発した。
時は天宝の世、帝は若き貴妃の色香に惑い、国は大いに乱れている。
嶺南の人喰虎は、治に徳が失われたが故に天が遣わしたのだという都の風聞、人間に実しやかに囁かれ、監察御史袁傪は獸狩りの任を拝命したのだった。
天頂の月をたよりに林中の草地へと赴けば、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。
虎は供廻連中を一撃で屠りながら、あわや拳を構えた袁傪に躍りかかると見えたが、忽ち身を翻して元の叢へと隠れた。
叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁傪は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
袁傪は李徴と同門にして同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。袁傪の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
叢の中からは、暫く返辞が無かった。しのび笑いかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。
「如何にも自分は隴西の李徴である」と。