38:別離
闇の中を落下しながらベルハイドはシロップに手を伸ばす。
どうにか追いついたようだ。
シロップをぐっと胸元に抱き寄せると、素早く眼下の闇に目を凝らし、耳を立てた。
大怪我を負ったであろうシロップと一緒に急流に飛び込むのは避けたい。
自分1人ならまだしも。
怪我人と一緒で、その手を決して離さないとすると……2人とも溺れてしまう。
あの耳障りな高音と低音が遠ざかったお陰で、ベルハイドは谷間を吹き上げる風の音を聞き分け、凡その地形を把握する事が出来た。
海洋哺乳類のエコーロケーションに近いことが可能なのだ。
そして落下していく少し先の崖から飛び出る灌木と岩棚の存在を感知した。
ベルハイドは瞬時に判断を下す。
シロップを片手で抱くと、空いた手で灌木の枝を掴んだ。
すると灌木は大きく撓り、落下の勢いを殺してくれた。
そのまま撓りが戻る力を利用し、ベルハイドは少し離れた岩棚に飛び移る。
すぐにシロップを横たえると、頬に手を翳し声を掛けた。
「しっかりしろ。傷を癒やすんだ」
「う……」
シロップが苦しそうな声を上げる。
不味い。これでは聖句を唱えられそうにない――いや、違う。
パナケイアを起動する聖句は、ユビキタスと同じ筈だ。
以前シロップが傷を癒やしてくれた時に、いつもの聖句からパナケイアへ働きかけていた。
ALAYAにそのことについて質問したことがあるが『メーカーが同じですからね』と、よくわからないことを言っていたのを思い出す。
ベルハイドは目を閉じ、大きく息を吸った。
「こまんど・たーみなる。ぼいすふぃるたー・かっと」
瞬間、ベルハイドとシロップの身体が青白い光に包まれる。
「シロップの中のパナケイア、傷を癒やしてくれ!」
その言葉に呼応し、シロップが怪我を負った部分が輝く。
成功だ――しかし。
(~~ッ!?)
ベルハイドは目を見開いた。
魔那の青い輝きで、暗闇に覆われていたシロップの傷口が見えたのだ。
身体の数カ所に、丸い孔が開いている。
恐ろしいことにその孔は身体を完全に貫通しているのである。
更にその創は焼け焦げており、まだ白い煙を上げていた。
そして焦げているが故に、出血をしていない。
出血を伴わない、巨大な貫通創。
いったいどのような攻撃を加えれば、こんな状態をつくりだせるのか。
ベルハイドの頬を汗が伝う。
焦げた組織が邪魔をし、パナケイアの治療が進んでいないように見える。
ユビキタスに働きかけ、焦げた組織を剥離すべきか。
いや、それでは大出血を起こし、すぐに失血死してしまうのではないか。
適切に同時進行できる物なのか。判断がつかない。
「う……ぐ……」
シロップが苦しそうに目を開く。
「肉食男子……ううん、ベルハイド……失敗、しちゃったな……もっと素直に接してればよかった」
「喋るな。意識を保って、治療に集中しろ」
シロップは無理やり笑みを浮かべた。
おそらくパナケイアがこの傷を癒やすより、自分が死ぬ方が早い。
それを悟っている。
体の重要な器官が機能不全を起こしつつあり、パナケイアがそちらの機能の維持に回るのを感じる。
維持が精一杯で、治療に回す割合が低下していく。手詰まりである。
シロップはベルハイドの顔に手を伸ばし、頬に触れた。
「いつも……からかう感じになっちゃって、ごめんね。山窩から助けてくれた、私のヒーロー」
「な、何言ってるんだ、こんな時に」
ベルハイドは頬に当てられたシロップに自分の手を重ねる。
体温が低下していくのを感じる。
「私ね、ふふ。ちゃんと言えなかったけど、もともとね、兎の男性と結婚して、たくさん子供産むんだろうなって。そんな未来を想像しながら生きてきたんだ」
苦しそうに顔をしかめて、続ける。
「他の種族の男性を、そういう目で見たことなかったんだけど……。でもあの夜ね、そんなの吹き飛んじゃった。山窩をアッと言う間に蹴散らしたベルハイド……凄く格好良かったよ。なんて素敵なのって」
「しっかりしろ。傷が治ったら、ちゃんと話そう。お互いにな」
シロップはまた笑みを浮かべて、ゆっくりと首を振る。
「だからね、本当は凄くうれしかったの。貴方と良い関係になれて」
「ああ、ああ。俺も。俺もそうだ」
「ふふ。でも貴方が何処まで本気だったのかわからなくて。他種族の女に興味本位で手を出しただけかなとか。種族が違うから、子供も、出来ないものね……。そんな相手はやっぱり嫌かなとか」
「そんな、そんなわけないだろう、そんなこと言うな」
気持ちというものは、言葉にしないと、相手に伝わらない。
それがこんな時にはっきりするとは。
「怖くて聞けなかった……。『種族なんて関係ない』って言ってくれたら良いなって、ずっと思ってたの。私から聞けなかったから、それを察して欲しい、言って欲しいって……そんな不満をためちゃってた。ばかよねえ」
「ぐ……!」
ベルハイドはシロップの手を握りしめた。
お互い、言葉が足らなすぎたのだ。
「聞け、シロップ。種族なんて関係ない。俺はお前が好きだ。だから、だから頼む。しっかりしてくれ」
それを聞いたシロップは目を閉じ、嬉しそうに微笑む。
「……ああ、やっと聞けた。最後にやっと、聞けた。ふふ。私も好きよ。大好き」
「馬鹿、あきらめるな、最後みたいに言うな」
シロップは力を振り絞り、ベルハイドの手を握り返す。
「『生まれ変わり』って素敵な考え方よね。さくらにね、巨神の死生観を教えて貰ったの。命は消えて無くなったりしないんだって。いっとき世界に還るだけで、いつかまた命となって、生まれてくるんだって」
「駄目だ、シロップ。気をしっかり持て」
「ねえ、ベルハイド。次また生まれ変わったら、私と一緒になってくれる……?」
「ああ。だがそうじゃない、生きるんだ、生きて帰って、一緒になるんだ」
シロップが薄目を開けるが、その目はもう、何処も見ていない。
ベルハイドの手を握る力が抜けていく。
「今度はね……ふふ。同じ種族だといいな。兎のベルハイドってどんな感じなのかしら。私が猫に生まれても良いよ」
「逝くな、シロップ、頼む」
「そしたら私ね、貴方と子供作りたいな。貴方とそっくりな子供をね、私、沢山産むんだから」
「ああ、ああ。沢山、沢山作ろう、だからシロップ……」
涙で視界がぼやけ、シロップの姿が歪んで見える。
・
・
・
――否。
いつの間にか、あの高音と低音が辺りに鳴り響いていた。
シロップが景色の歪みに隠された巨大な手に掴まれ、ずるりと持ち上げられる。
バコン、と蓋の開くような音が微かに聞こえ、シロップが乱暴に放り込まれた。
再びバコン、と音が聞こえると、姿が見えなくなる。
「てっ……てめえら……」
ベルハイドは壮絶な表情で、ゆらゆらと立ち上がった。
剣、剣は――そうだ。崖の上だ。
崖から落ちるシロップを助けようと、剣をなげうって手を伸ばしたのだ。
直後、またパリパリと音が響き金属アシナガグモが姿を現した。
三本の脚を崖に突き刺しながら、垂直の壁を歩き下って追ってきたらしい。なんという移動能力か。
姿を現したのは、単に広場から離れすぎたからなのか。
それとも武器を持たないベルハイドを舐め腐っているからか。
どっちだろうと関係ない。
ベルハイドは牙を剥き、爪をじゃきんと出して身構えた。
三本の手をかいくぐり背中の箱をこじ開けてシロップを助け出すだけだ。
「返せ……シロップを……! それだけじゃない、妹、カモミールも……! 返せ……!」
身体をかがめ、飛びかかろうとした、その瞬間。
ばすばすばすっ!
唐突に3本の光がベルハイドを貫いた。
「が……っ、は……」
金属アシナガグモが、その3本の腕から光を放ったのだ。
不覚。毛民擬きだけではなく、こいつもこの攻撃が可能なのだ。
殺気もなく、攻撃の起こりもわからない。
そして放たれた瞬間には、既に致命傷を負っている。
躱すことは不可能だ。
右肩、左脇腹、左腿。
体の三カ所に孔が開き、しゅうしゅうと白い煙が上がる。
「ぐっ……」
ベルハイドは左脇腹を押さえ、ヨロヨロと後退った。
岩棚は狭く、すぐ後ろは崖だ。
ガラッと音を立て、足を踏み外す。
転げ落ちかけたその時、とっさに岩棚にしがみついた。
ズキン!と体中に痛みが走る。
右手は肩を貫かれて殆ど用を成しておらず、左手も脇腹の痛みが響いて力が入らない。
再びよじ登ることは難しいようだ。
「ふざ、けるな……かえ、せ……」
金属アシナガグモは意に介さず、ベルハイドの頭部に腕を向ける。
あれほどの攻撃でも、たいした溜めもなく次々と繰り出すことが出来るらしい。
次の瞬間放たれるであろう光に頭部を貫かれるのを防ぐすべはない。
ベルハイドは激しい怒り、よじ登れぬ焦り、もどかしさ、間近に迫る死、痛み、恐怖、あらゆる感情の渦に巻き込まれ、吠えた。
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
その瞬間岩棚の端が崩れ、がくんと体が落ちる。
とっさに掴みなおそうとするが、鋭い痛みが走り、それは叶わなかった。
「シロッ……プ……!」
一瞬前まで頭部があった辺りにパシュっと光が奔るのを見ながら、ベルハイドは漆黒の急流に落ちて行った。
◇◇◇
霊樹の集落。
さくらは自室でパンツ一丁の格好でデスクに座り、風呂上がりのコーヒーフレーバー飲料を飲み干した。
すかさずALAYAがおかわりを注いでくれる。
「ありがと、ALAYA」
「いえいえ。……おや。大脳生理学の論文をご覧になっているのですか」
「うん。論文査読するの、好きなんだよね」
世界崩壊の寸前までネットワーク上のあらゆる情報を集積しまくっていたALAYAが構築した疑似ネット環境は、さくらを満足させるだけの情報量を備えていた。
サラサラとかなりのスピードで画面をスクロールさせながら、飲み物に口を付ける。
このスピードでもちゃんと読めているらしい。
論文は数種の哺乳類と人類の大脳を比較する内容であった。
他にも幾つか同ジャンルの論文に目を通しているが、人間以外の哺乳類の大脳に進化の兆候など見受けられない。
やはり毛民への進化は『人類が滅びた後に始まった』ので間違いなさそうである。
「神の御業、か」
「ああ、『暁』の話ですか? 結局確認のしようも無いところで、推論にしかならな――」
ALAYAが話の途中でピタリと止まった。
継いで、ガクガクと震え出す。激しい動揺の動作だ。
「ん? どしたの?」
「ベルハイド。馬鹿な、そんな馬鹿な。一体……」
現在ALAYAは多数、霊樹の集落に駐留している。
そのうちの1体がずぶ濡れの重傷でヨロヨロと歩いてくるベルハイドを見つけたのだ。
「博士、集落の裏門へお急ぎください。重傷を負ったベルハイドが居ます。1人です。シロップが居ない……」
「え? え? ちょ、わかった、向かうわ」
腿まで達する大きなTシャツだけ着込んで、サンダルを突っ掛けて外に出る。
集落の裏門まで走ると、数機のALAYAと、心配そうな毛民達に囲まれ、地面に伏したベルハイドが見えた。
さくらはそれらをかき分け、ベルハイドを抱き上げる。
「ベルハイド、ベルハイド! どうしたの、なにがあったの!?」
ベルハイドは薄く目を開け、気力を振り絞って何が起きたかを告げる。
謎の敵、その能力。
シロップと自分が攻撃を受け、シロップが攫われたこと――
直後、ベルハイドは気を失った。
読んでいただき、ありがとうございます。
今回で第2章完となります。
気に入っていただけましたら☆評価いただけますと幸いです。




