37:異変
痴話喧嘩から何日か後、新月の夜。
ぬくもり亭の酒盛りから抜け出したベルハイドは兎の診療所を訪ね、戸を叩いた。
すると戸口からひょっこり兎の男の子が顔を出す。シロップの弟だろうか?
「こんばんは、シロップさんは在宅ですか?」
「はい」
男の子が顔を引っ込めてしばらくすると、ゆったりとした部屋着を着たシロップが出てきた。
同時に戸口から、何人もの男の子や女の子のがひょこひょこと顔を覗かせる。
いや、それだけではない。
跳ね上げ式の木窓がパタパタと何カ所も開き、似たような顔つきの兎たち老若男女がワラワラと顔を覗かせるではないか。
なんと言う大所帯。
皆、シロップの親族というわけだ。
ちょっとツンとした感じでシロップが訊いてくる。
「何? どうしたの?」
「その……ちょっと話があるんだ」
ふむ、とシロップが頷く。
同時に、顔を覗かせている親族が好奇心でザワザワした。
誰? 彼氏? など、口々にささやく。
「あーもう、野次馬しないで!」
シロップが声を上げ、手をバタバタ振って親族を引っ込めようとするが、効果がない。
ちょっと待ってて、とベルハイドに告げると皆を押し込むように家の中に引っ込んだ。
ややあって、部屋着の上からいつもの短いマントを肩に羽織って出てくる。
「ここじゃなんだから、場所を変えましょ」
「そうだな、ゆっくり話せる場所が良い」
シロップは少し考えてから言う。
「……誰かに聞かれたりしないほうがいい話?」
「ああー。そうだな。できれば」
「じゃ、思い切って集落から出ましょう。裏山の展望台。どう?」
「わかった」
「承知しました」
――とALAYA。
ベルハイドはシロップと顔を見合わせる。
いくら気配が小さいとは言え、いつのまに来ていたのか。
「いや、なんで当然のようについて来ようとしてるんだ、ALAYA」
「え? 駄目ですか?」
「駄目に決まってるだろ……」
「ふふふ、妖精さん、こういう話は他人が首を突っ込んだら駄目なのよ」
「そんな……」
ALAYAがかくっと傾く。
肩を落とす仕草だ。
残念がるALAYAを尻目に、2人は集落の裏門から出立した。
◇◇◇
星空のもと、草原を進む。
裏山と言っても、霊樹の集落は草原のただ中にあるので、少し距離があるのだ。
しばらくすると、ようやく裏山の袂に着いた。
石作りのアーチをくぐり、展望台へと続く登山道へ入る。
道はよく整備されていて、石で階段状に補強されていた。
新月なのでとっぷりと暗い夜であるが、シロップに土地勘があるので、進むペースは悪くない。
ほどなくして、展望台に着いた。
シロップによるとここは『星見の展望台』というのだそうだ。
心地よい風が吹き抜ける。
真っ暗な景色の眼下に、霊樹の集落の光が見えた。
何より凄いのは、星見の名に恥じぬ、星空だ。
真っ暗な新月の夜、視界の上半分が満天の星空。
空気の澄んだこの世界でも、晴れ渡った新月の夜は、最も星が綺麗に見える。
星空が遮られる形で、遠く山の稜線がわかる。それほど、全天が星に埋め尽くされていた。
しばし眺めていると、時折流れ星が走る。
スッ、スッ……と少しの間で2つ、3つと流れ星が数えられた。
流星群の時期でもないのに、流れ星がこれほど頻繁に見える物か。
普段なら月明かりが邪魔して見えないような微細な流れ星までもが見えるのだ。
「はは。こりゃあ、凄いな」
「今日は特別ね。新月の夜で、こんなに晴れ渡っているんですもの。ここに来れば、この景色を見せてあげられると思ってね」
そう言いながらシロップは展望台の端にある手すりにふわりと飛び乗り、座った。
星空を眺め、足をパタパタ振りながら訊いてくる。
「……それで? お話ってなんですかね~、肉食男子さん?」
「またそーいう……」
どうしてこう、茶化す感じなのか。
まあ、いい。
ベルハイドはひらりと跳んで、手すりの上、シロップの横に座る。
「こないだはなんと言うか、気まずい感じで物別れに終わったからさ」
「あ~、そうねえ」
「なんというか、その。あの日――巨神の谷でさ。俺達、そういう関係になってから、ちゃんと話してなかったろう」
「ちゃんと話してくれませんでしたねえ」
一瞬ベルハイドは眉を寄せ、左上の虚空を見ながら考えてしまう。
あれ? 俺が悪いんだっけ? シロップも大概ふくれっ面だった思うのだが。
そこへシロップがジト目で訊いてくる。
「酒場のあの子は? 彼女なんじゃないの?」
やはり、そこに話が行くか。
覚悟はしていたが。
「いや、そういう訳ではないんだが……」
「ほうほう。彼女じゃない相手と、そういう事しちゃうわけだ?」
斬り込んでくる。
言外に『私も同じ扱いなのね』という圧を感じる。
ベルハイドは言葉に詰まった。
シロップがたたみかける。
「どーりで、他種族の私にも手を出すわけですね~。さすが肉食ですね~」
「まてまてまて」
不味い方向に話が流れている気がする。
こんなことを話したいのではない。
「大事なのは、だな。今現在、互いが互いをどう思っているかだろう?」
シロップは少し眉をひそめながら『ぶはっ』と吹き出し、苦笑した。
結局ベルハイドがそこを言わないから、今こういう微妙な感じになっているのだ。
シロップは星空を見上げると、悪戯っぽい顔で言う。
「はい。じゃあ、まずは肉食男子から。どう思ってるのか。どうぞ」
この期に及んで、まだ茶化す。
そういう駆け引きじみたことは、もう良いだろう。
ベルハイドは両手でガシッとシロップの両肩を掴むと、ぐいっと自分の方に向けた。
いよいよ来たか……とシロップが目を見開く。
「だから、俺は!」
「は、はいっ……!」
・
・
・
その瞬間、ふいに、ベルハイドが停止した。
シロップが怪訝な顔をする。
ベルハイドは表情もなくなり、微動だにしない。
いや、耳だけが辺りを探るように動いている。
聴力の高いシロップも異変に気が付いた。
「え、何? この音……」
何処からともなく、奇妙な高音と低音が僅かに響いてくる。
初めて聞く音だ。
ベルハイドが唸るように声を絞り出す。
「間違いない。あの音だ。妹が……カモミールが神隠しに遭った、あの夜に聞いた音だ」
「それって……!」
ベルハイドがきょろきょろと辺りを見渡す。
音の出所が掴めないのだ。
「何処からだ? ……糞、音が妙に響きやがる」
「まって」
シロップが目を閉じ、音に意識を集中する。
「少し距離があると思う。多分山頂の向こうから、かな」
「よし、向かうぞ」
◇◇◇
山の反対側、中腹の広場。
あの音がいよいよ激しくなっている。
ベルハイドとシロップは岩陰から広場を伺った。
真っ暗で見えにくいが、目を凝らす。
一見何も無いただの広場だが――違う。
奇妙なことに、所々、景色が歪んで見える。
広場の真ん中に『大きな歪み』がある。ゆらゆらと景色が波打つが、場所は移動しない。
その周りに『中くらいの(それでも見上げるような)歪み』が4つほどあり、それはゆっくり動きまわっているようだ。
そして辺りには多数の『小さな歪み』がある、これはせかせかと動いていた。
大きさは毛民くらいだろうか。姿の見えない、不思議な毛民。そんな感じだ。
そしてどれもが移動に際して、音が殆どしない。
周囲に響く高音と低音に聴覚がかき乱されているせいもあるだろうが、それにしても、ほぼ無音だ。
ベルハイドは気付いていた。
おそらく、ベルハイドが戦いの際に使っているような、魔法による消音だ。
となると、姿を見えないようにしているのも、魔法による物か。
いや、魔那によって姿を隠せるなど、聞いたことも無いが……。
しばらく様子をうかがっていると『小さな歪み』達は何かを集めているのが見て取れる。
何かと言っても、傾向性があるわけではない。
そこらの草花、小石、土。さらには蛙、野鳩、昆虫。
とにかく何でもかんでも収集している。そんな風情だ。
そして『小さな歪み』達に運ばれた物が『中くらいの歪み』に渡されていく。
野鳩がぎゃあぎゃあ鳴いたまま運ばれていくのが見える。
シッカリと『小さな歪み』に捕まれているようで、逃げられないらしい。
バコン、と蓋が開くような音が僅かに聞こえ、野鳩が『中くらいの歪み』に渡されると、またバコン、と閉められたような音が聞こえる。
それだけで野鳩の姿が見えなくなり、鳴き声も聞こえなくなった。
これでわかった。
こいつらは周囲の景色を歪めて、透明なように見せかけ、姿を隠しているのだ。
そしてこいつらに『収集』された物は、あっという間に姿が見えなくなり、声も聞こえなくなる。
つまりこれこそが、神隠しの正体というわけだ。
新月の暗闇の中、景色を歪めて姿を隠し、音も殆どしない。
加えてこの感覚をかき乱すような、高音と低音。
これでは、あの時何が起きたのか、理解できなかったのも無理はない。
むしろ少しの差で、ベルハイドも攫われていたのかも知れなかった。
そう、妹を――カモミールを攫ったのは、こいつらで間違いない。
ベルハイドはスゥー……と深呼吸すると、両手でスラリと抜刀しながら、真っ直ぐ広場に歩み出た。
歩みながら朗々と声を上げる。
「こまんど・たーみなる。ぼいすふぃるたー・かっと」
聖句の詠唱だ。ベルハイドの身体が青い輝きに包まれた。
シロップが慌てて止める。
「ちょ、ちょっとベルハイド!」
「ユビキタス、機能限定解除。刃よ震えろ!」
ベルハイドはシロップの制止も聞かず、魔法を使った。
身体を包む青い光が双刀に移り、ピィンと甲高い音が響く。
そして広場の真ん中に向けて剣を突き出すと、大きな声で投げかけた。
「お前ら、過去に若い猫の女を攫った事があるな?」
ぴたりと、歪み達の動きが止まった。
しかし、何も答えは返ってこない。
あたりには例の高音と低音だけが響いていた。
次の瞬間、ベルハイドは自分の周囲の景色が歪んでいることに気が付いた。
恐らく『中くらいの歪み』が手を伸ばし、自分を掴もうとしているのだ。
「ちっ!」
ベルハイドは瞬時に跳躍し、間一髪、捕まれることから逃れた。
暗闇の中、見えず、聞こえず、気配もない。これは厄介だ。
ふわりと宙返りして着地すると、ちらと後ろに目を向け、少し顔をしかめる。
ここは広場の端だが、山肌の反対側に跳んでしまったのだ。
端の向こうは切り立った崖だ。
100メートル近い険しい崖で、その下は急流が轟々と音を立てていた。
未知の相手と向き合うには、少々位置取りが悪い。
ベルハイドはフー……と息を吐き、双剣を構え直した。
直後、またゆるりと景色の歪みが向かってくる。
再び『中くらいの歪み』が手を伸ばして来ているらしかった。
それに合わせてベルハイドは剣先を下げて溜めを作る。
命まで取る気はない。だが是が非でも、妹の事を聞き出さねばならない。
腕の一本や二本、覚悟してもらう!
「ぬううッ!」
ベルハイドは伸びてきた手らしき部位を、全力で斬り上げた。
ぎいん、と甲高い音が響き、ゴトンと何かが地に落ちる。
手応え有りだ。
するとパリパリと、妙な音が響いた。
地に落ちた歪みの切れ端の周りに雷のような光が奔ると、ずるりと歪みが消え、金属製の三本指の巨大な手が姿を現した。
見事に、手首のあたりで切り落とされている。
同時に手首の向こう、腕の方も姿が現れてきた。
パリパリと音を立てながら歪みが消えていき、ムカデのように細かい多関節の、長大な金属製の腕が見えてくる。
そしてその全身が、姿を現した。
長い三本脚、ムカデのような腕も三本。
全身金属製の、巨大なアシナガグモのような姿であった。
胴体にあたる部分は小さいが、大きな箱を背負っている。
おそらくあの箱に、収集物を詰め込むのだろう。
ややあって、金属アシナガグモの周囲に居た『小さい歪み』の何体かにも、パリパリと光が奔る。
そうして4体ほど、姿を現した。
こちらは頭、胴体、二本脚、二本腕。直立している。
背格好は、毛民のように見えた。
真白く分厚い服を全身に纏っており、頭部はツルツルとした丸い兜(?)で覆われている。
さくらが眠っていた透明な筒……何と言ったか、確か『強化プラスチック』。
もしくは前回の講義で教えて貰い、今職人達が盛んに練習している『吹き硝子』。
そんな質感だ。
だが奇妙なほどに周囲の景色を反射しており、兜の中の様子は窺えない。
内側からは、外が見えているのだろうか?
その毛民擬き達は腰に装着された筒状の物を抜いて手に持つと、筒先をベルハイドに向けながら歩を進め、取り囲んで行く。
同時に広場の中央にある『大きな歪み』から、おおおーん……と不気味な音が響いた。
するとどうだ。
金属アシナガグモと毛民擬き達にパリパリと光が奔ると、再び全身が景色の歪みに覆われて行くではないか。
やがて完全に元の通り『中くらいの歪み』と『小さな歪み』に戻ってしまった。
「ち……」
ベルハイドは舌打ちすると、双剣を構え直した。
暗闇の中、透明な者と相対するには、かなりの集中が強いられる。
その時、岩陰から様子を伺っていたシロップは『小さな歪み』達が完全にベルハイドを取り囲み動きを止めたのを見た瞬間、全身の毛がぞわっと逆立った。
「ベルハイド!」
短く叫ぶと、一気に駆けだした。
相手からは殺気を感じない。
感じないが、兎族は『暁』で毛民となる前、獣の時代長きに渡り『襲われる』『捕食対象となる』事が多かった種族だ。
その本能が告げていた――相手を取り囲むように動く者が、その動きを止めた時……次の瞬間に来るのは『攻撃』である。
シロップはベルハイドに向かって跳躍すると、空中で身を捻りながら、ベルハイドを横に蹴り飛ばす。
「うおっ!?」
飛ばされたベルハイドが短く声を上げた瞬間だった。
『小さな歪み』達から放たれた幾重もの光の筋が、ベルハイドと入れ替わったシロップの身体を貫いた。
ばすばすばすっ!と嫌な音が響く。
それでも何とか着地したシロップであったが、自分が今の一瞬で信じがたいほど深刻なダメージを受けたことを理解した。
「あ……うあ……?」
倒れそうになるのを支えようと脚を前に出し、結果としてヨロヨロと歩く。
その先は――切り立った崖である。
体勢を立て直したベルハイドは、暗闇の中シロップの身体から白い煙が何本も立ち昇るのを見た。
「なんだと……」
いったい、何が起きたのか。
不味い。このままだとシロップが崖から落ちる。
「シロップ!」
猛然と駆けだし、シロップに手を伸ばす。――が、僅かに届かず。
ずるりとシロップが崖下に落ちていく。
「おおおおっ!」
ベルハイドは躊躇無く崖から身を躍らせると、身体が自由落下を始める直前に崖の縁を蹴り込み、真下に向かって加速した。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークと☆評価をご検討ください。
※誤字脱字、表記揺れは突っ込みいただけますと幸いです。




