36:痴話
大盛況となった長老会議からおよそ一月後。
霊樹の集落に着いたベルハイドは、その様変わりに目を見張った。
まず毛民の数が異常に多い。
近隣から話を聞きつけた者達が集まってきているのだ。
目抜き通りでは、道行く毛民達に『号外』と称した、紙が配られている。
一枚受け取ったベルハイドは、内容に目を通した。
そこには『三回目の巨神の講義』『電気の力』『無線通信』などの字が躍っているではないか。
字の読めるベルハイドは目を丸くした。
そう、さくらは実に二週間に一回のペースで長老会議――もとい、講義を開催し、次々と知識を伝えまくっていた。
その内容が印刷され、皆に配られ、共有されている。
通りの左には炉が設けられ、吹き硝子の練習が行われている。
反対側では試作品の蒸気機関がタービンを回し、これまた試作品の白熱電球が一瞬光を放ち、周囲で見物している毛民達からドッと歓声が上がった。
集落全体が活気に満ち、新たな時代の到来を告げる熱気を放っている。
「こりゃ、聞きしに勝るだな」
ベルハイドがあきれたように呟くと、ALAYAがカタカタ笑う。
隊商の護衛中に、さくらの無双っぷりをALAYAから伝えられていたが、聞くのと見るのでは大違いだ。
その時、目抜き通りの人集りをかき分け、美しい兎が歩み出た。シロップである。
ベルハイドは一瞬、その姿に見とれた。久しぶりに会ったが、やはり綺麗だ。そう思った。
「ベルハイド!」
「ああ」
おそらく霊樹の集落に常駐するALAYAが気を回して、ベルハイドが着いた事を知らせたのだろう。
(気を回したと言うより、毛民達の恋愛事情に興味津々で、面白がっている可能性もあるが)
「隊商の護衛、ずいぶん時間が掛かったのね」
「そうだな。一度『陽だまり集落』に戻ってから、こっちにも隊商の護衛で付いて来たんだ」
「あら、そうだったの」
隊商は『潮風の集落』から塩を持ち帰り、『陽だまり集落』にて新鮮な椎茸を塩に漬けた。
よく漬かった椎茸は削って料理に入れると、味わいがグンと増すと評判で、霊樹の集落では飛ぶように売れるのだ。
それを運んで来たと言う訳だ。
隊商を通じて手に入れた各地の特産品を組み合わせ、新たな商材を産む。
なかなか、あの隊長も商売上手である。
「次の仕事、入れてないでしょうね? 少しはゆっくり出来るんでしょう?」
「ああ、何日か、こっちに滞在する予定だ」
それを聞いたシロップが、ぽんと手を合わせる。
「よかった。じゃあ、色々案内してあげる。ベルハイドは何処に泊まっているの?」
「ん、『ぬくもり亭』だ。ここに来たときは、あそこが定宿なんだ」
集落の外れにある大きな酒場、ぬくもり亭。
その2階が宿屋になっている。
霊樹の集落に逗留する隊商の面々はベルハイドも含め、どうしても酒場が拠点になる。
飲んで、語って、そのまま2階に泊まれるぬくもり亭は、うってつけと言う訳だ。
「了解。ぬくもり亭……ね?」
シロップは少し悪戯っぽい顔をしながら、ベルハイドをじっと見る。
嗚呼、どうやらシロップは夜に部屋を尋ねて来るようだ。間違いない。そういうつもりの顔だ。
何か濃密な、甘ったるい空気が流れる。
……と、その時である。
背後を通り掛かった女性が、ベルハイドに声を掛けた。
「あ~らベルハイド。霊樹の集落に立ち寄ったら、いつもすぐ酒場に来てくれるのに。今日はどうしたの?」
それを聞いたベルハイドはビクッと跳ねて、『げっ』と軽く声を上げた。
恐る恐る振り返る。
「みっ、ミモザ……」
「やあねえ、『げっ』て事は無いでしょう?」
それは漆黒の毛並みを持つ、美しい猫であった。
トパーズのような黄色い瞳が、毛並みの黒と対比となり、印象的だ。
何色か編み込んだロングスカートのウエストを、木の皮を鞣した幅広のベルトで留めている。
少し小柄だが、すらりとスタイルが良い。
猫らしい柔らかな立ち振る舞いの、集落でも評判の美女である。
そしてこのミモザは『ぬくもり亭』の店員だ。
つまり、ベルハイドと『イイ仲』の、例の『酒場の女性店員』なのである。
不味い。実に不味い。
いきなり、シロップとミモザが邂逅してしまった。
早速、シロップが怪訝な顔で聞いてくる。
「ん? こちらのかたは?」
視線を合わせた女同士の間に、ピリッとした空気が流れ、二人は同時に呟く。
(ああ……)
(はい、はい、はい)
シロップとミモザは同時にピンと来た。
【この女は私の男と寝ている】。
女の勘である。
こういうケースにおいて、女の勘の的中率は……言うまでもなく100%だ。
ベルハイドはたっぷり汗を掻きつつ、力なく『あの、その』などと言いながら、シロップとミモザに交互に顔を向けた。
こういう時、男はどう立ち回るのが正解なのだろう?
今や女二人はベルハイドに一瞥もくれず、互いを真っ直ぐに睨んでいた。
ここから痴話喧嘩に発展する確率は……やはり100%である。
表情を引きつらせながら、口火を切ったのはミモザだ。
「へ、へえ……いつ、そういうご関係に?」
「あら、何のこと? というか、あなたに説明する義理はないわ」
ギシっと女二人の間の空気が凝固する。
言われたミモザは目尻をピクピクと痙攣させながら、とびっきりの嫌みを言った。
「さっすが、子沢山で知られる兎女。交尾が大好きって話は本当みたいねぇ」
「なんですって!?」
種族特性による子沢山を、交尾好きなどと称されては堪らない。
兎族に対する最大級の罵倒である。
シロップは足をタン!と地面に叩き付けると、猫族の女性に深く刺さる罵倒で返した。
「この泥棒猫! 未練がましいったらないわね!」
「オトコ盗んでるのはアンタだろ! 種族が違う癖に、アタシの男に粉掛けやがって!」
確かに『泥棒猫』は『後からやって来て男を奪う女』を差す意味合いがある。
そういう意味だと、泥棒猫はシロップの方とも言えるが……。
とにかく、なんでまた泥棒『猫』とつくのかわからないが、猫族からすると不名誉極まりない罵倒なのだ。
もはや我慢ならない。
「アンタ、正気?」
そう言うとミモザは、ぎん! と両手の爪を全て出した。
普段は酒場で接客しているので、爪は切り揃えてあり、尖っていない。
だが次の瞬間ミモザは自分の胴体――木の皮の丈夫なベルト――におもむろに爪を立てると、バリッと引いた。
同時に何か薄い鱗状の物が辺りに飛び散る。
するとどうだ。
両手の爪が全て、鋭利に尖っているではないか。
先程飛び散ったのは爪の層だ。
猫の爪は薄い層が積み重なる構造になっており、上(外)側ほど古い層となる。
爪とぎによって古い層を外すと、それだけで内側から尖った爪が表れる仕組みである。
「猫の女に喧嘩を挑むなんてね!」
言うなり牙を剥き、しゃ~っと威嚇音を放って、全身の毛を逆立てた。
そう、女同士の取っ組み合いの喧嘩は『キャットファイト』と呼ばれている。
穏やかな者が多い毛民の社会では、特に女性は、取っ組み合いの喧嘩などしない。
ただ、極稀に……本当に稀に勃発する女性同士の取っ組み合いは、大抵猫の女が当事者である、というのだ。それが語源だ。
最も特化・進化した肉食動物である『猫』の毛民である彼女たち。
優れた捕食者の遺伝子を持つことの矜持か。
互いのヒートアップがどうにもならなくなった時、相手に掴み掛かるのだという。
そう、語源はどうあれ語句として定着している以上、ハッキリしている。
毛民の女が喧嘩をするとしたら……猫が最強ということだ。
だがシロップは一歩も引かない構えだ。
トーン、トーンと、軽快に垂直のステップを繰り返す。
「暁を迎えし種族とは思えない、下品な女! あったまきた。月まで蹴り飛ばしてあげる」
何度か跳んだ後、空中でくるっとスピンしてから着地する。
カウンターで後ろ蹴り、もしくは回し蹴りを放つ気である。
シロップの気の強さ、運動神経、身のこなしであれば充分にそれが可能である。
それを聞いたミモザが吐き捨てるように言う。
「はン、品が無えのは、どっちだよ」
毛民同士の立ち会いは、武器がなくなれば勝負は終わり。
これは、前足から手に進化し、道具を使えるようになった誇りから来る、文化的な側面が強い。
武器が無い状態での戦いは、獣のそれである。
毛民たるもの、手に武器を持って戦うべし。
シロップは、ミモザが武器無しの喧嘩を仕掛けることを咎めており、
ミモザは、シロップが手ではなく足技(蹴り)を使うことを咎めている。
まあ、単純に言えばどっちもどっちである。
ミモザは身体を大きく撓めると、真っ直ぐシロップを睨み、身体をユサユサと振った。
奇妙なことに、頭の位置と向きは微動だにしない。首から下、身体だけが左右に揺れているのである。
猫族が獲物に飛びかかる直前の、独特の動作だ。
その直後だった。
「アオオオオ!」
ミモザは甲高い叫び声を上げると、一足飛びにシロップの位置まで跳躍しながら、爪を剥き出した右手を鋭く振り下ろした。
「はあーッ!」
シロップは気勢と共にクルリとスピンしながら、必殺の後ろ回し蹴りを放った。完璧なタイミングだ。
その刹那。ベルハイドがスルリと2人が交差する間に身を滑り込ませた。
「はい、やめやめ」
左手の甲をミモザの振り下ろす右手の手首に当てて、スっと止める。
同時にシロップの回し蹴りを右の脇腹にフワリと抱え込んで止めた。
「あっ!」
「きゃっ……」
一瞬で喧嘩を中断された女子二人が、短く声を上げる。
幾ら強い二人の激突でも、ベルハイドからすれば、止めるのは造作も無い事だ。
「いや、とりあえず、その。話し合おう」
ため息交じりに、そう言った。
だが言ったものの、どういう話をすれば良いのか、皆目見当がついていない。
すると女二人は同時に怒りのうなり声を上げた。
「「む~っ!」」
互いを睨んでいた視線がベルハイドに集中する。
頂点に達していた怒りが、互いではなく、一気にベルハイドに向かった。
「「ベルハイドがハッキリしないからでしょ!」」
ハモったように同じ台詞を叫ぶと、ミモザは空いていた左手でベルハイドを引っ掻き、シロップは抱えられた足を軸にもう一方の足を跳ね上げてベルハイドを蹴り込んだ。
一瞬、これは避けて良いんだっけ? 避けないべきだっけ? と逡巡したベルハイドは対応が遅れ、まともに食らってしまった。
「ギニャ~~~!!」
いや、避けようとしても避けられたかどうか。それほど鋭い同時攻撃であった。
どさっと仰向けに倒れるベルハイド。
「「フン! だ!」」
シロップとミモザは同時に、大げさに顔をぷいっと横向けると、別々の方向に大股で歩き去って行った。
◇◇◇
ベルハイドは仰向けに倒れたまま遠い目をして、遙か上空を旋回する鳶を眺めている。
「ナニコレ、どうすりゃ良いの……」
身体は痛いし、何も思い浮かばない。というか、何も考えたくない気分だ。
見ていたALAYAが変な声を上げる。
「ぷくっ……くっ……」
カタカタ笑っているようだが、ばれないようにか、笑いの上下に合わせて器用に飛ぶ高さを調整している。
そのためピクピク・プルプルと、変な動きになっているのだ。
毛民達の恋愛模様、種族を越えた痴話喧嘩。
ALAYAにとっては興味深いのを飛び越えて、楽しくてしょうがない。
「えぇ……? これ笑うところ……?」
「いえ、ぷすっ、笑ってません! とりあえずパナケイア、いっときますか」
ALAYAがそう言うと、ベルハイドの全身が青い光に包まれた。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークと☆評価をご検討ください。
※誤字脱字、表記揺れは突っ込みいただけますと幸いです。




