(5)隠れた真実
「ドルク聞こえる? 死んじゃダメだ、しっかりして!」
ライはドルクの肩を支えながら声をかけ続けた。しかし彼はぐったりとして動かない。
ぬるぬると手に纏わりついてくる鮮血。たとえ亜種だといっても、この量の出血は致命傷に違いなかった。
まずは血を止めなくては、とライは自分の鞄から布を取り出し彼の脇腹に力いっぱい押し充てる。
「うぅ……ぐっ」
「ごめん、もう少し我慢して。僕が助けてあげるから大丈夫だよ」
だが布はみるみるうちに血でグショグショに染まってしまう。傷が想像以上に深くて抑えるだけでは間に合わないのだ。
ライは使い物にならなくなった布を放り、自身の羽織る外套に手をかける。
この大きな外套で、彼の身体を包帯のようにキツく縛れば……。そう考えたライが襟元の金具を外し始めたその時。
「い……ず……」
と、消え入りそうな声でドルクが何かを言った。
「何? ごめんもう一度言って」
「き……ず、うっ……治し、い」
「傷を、治して欲しい――そう言ってるんだね?」
ライのその問いかけに、彼は薄ら目を開けてこくりと頷く。
「うん、わかった。任せて」
治して欲しいとは、おそらく“魔術で”という意味だろう。
治癒術なんて練習で一度も成功していないが、今はそんな事をいっている状況じゃない。
ライは一番深い傷口に手をかざし、ありったけの思いを詞にのせた。
「命の精霊っ、ドルクの傷を治して。この傷口を塞ぎ、元の状態に戻して!」
――どんな形でもいい。彼の傷が癒え、流れ出る血が止まればそれでいい。
「お願い治して! この血を止めて! ドルクを助けて!」
緑に囲まれた静かな森の奥に、叫び声のようなライの詞が響きわたる。
その詞は思いついた言葉をそのまま並べているだけで、テナエラやクニック達のような詞の重みは無いかもしれない。
でも……。
「強い思いに呼応して発動するのが魔術なんでしょう? なら聞き入れてくれるよね。応えてくれるよね!」
信じることで救われる、そう信じてライは叫び続けた。
しかし、なす術もなく血は次々に流れ落ちる。彼の唇からはだんだんと色が抜けていき、荒かった呼吸も気がつけば静かになっていた。
カタカタと小刻みに震え出した彼の手。ライが必死に握りしめるが震えは止まらない。
「……ごめんドルク。僕には無理みたい。僕には出来ないみたい」
悔しくて悔しくて仕方がない。
こんな時、テナエラや仲間達が居てくれたら――そんな不甲斐ない事しかライは思い浮かばなかった。
「ダメだ、泣いてどうする。僕は勇者だ。僕は勇者じゃないかっ」
このまま何も出来ずに狼狽えているだけじゃ、燃えるガザラを眺めていたあの時から何も成長していない。
出来るまで何度もやるんだ、とライがもう一度傷口に手を当てた時――自身の親指の付け根がギラリと光ったのに気が付いた。
「……そうだ。リンリン、ランラン!」
なぜ早く気づけなかったのか。
あの時と違い、自分には支えとなる仲間がいたということに。
そんなライの思いに答えるように、ボンっと二人が姿を現す。
「お任せ下さい、ご主人様っ」
「彼の傷を治せばいいのですね?」
一瞬で事を理解した二人は、すぐさまドルクに飛び寄った。しかし、ドルクの状態を間近で見た二人は、その有様に言葉を失う。
無言で首を振ったランランに、ライは縋り付くようには叫んだ。
「僕には出来なかったんだ。だから、二人の力を貸して欲しい。……ドルクは僕の大切な人なんだ」
二人の力で抗えなければ、もうドルクを助ける方法は無い。そんなライの思いに応えたのはリンリンだった。
「大丈夫ですよ、ご主人様の命令は絶対ですから。そうでしょう?」
「リンリン……それじゃあ」
「だからご主人様。どうかワタシ達を信じていてください」
リンリンはランランの手を引いて、ドルクの上にふわりと舞い降りる。
「大丈夫、まだ辛うじて生きてる。手遅れじゃないわ」
彼女のその言葉に、今まで動揺していたランランも強く頷いた。二人はドルクの傷口を包み隠すように両手を添わせ、呼吸を合わせて詞を吐く。
「「治せ」」
二人がそう唱えた瞬間。
まるで朝日が差し込んだかのように、一瞬にして辺りが輝き始めた。
「戻せ、紡げ、恵め、起きろ」
瑞々しい植物の香りはいっそう強くなり、ひんやりとした風がドルクを優しく撫でる。生命の母体となる土からエネルギーが湧き出し、光と交じり力となる。
この森全体が秘めていた力を解放し、二人の紡ぎ出す詞に共振していた。
これが、妖精の力なのだ。
その“力”が最大になった時、突然にドルクの傷口がオレンジ色に淡く輝きだした。
そしてそこから無数の植物の芽のようなものが現れ、それらは凄まじい勢いで成長していく。
やがてツルが生えると、それは傷口の中へと進んだ。体内にめり込んだ銃弾を次々に探し当てると、なんの迷いもなく体外へと排出する。全て出し切ると今度は互いに絡み合い、負傷部を器用に縫い合わせていった。
「もう少しだよドルク、頑張って耐えて」
開始からしばらくして、ドルクの身体は初めから傷なんて無かったかのように綺麗に修復された。弱々しくはあるが、ドルクの胸は確かに上下している。
彼の身体から引き抜かれた歪な形の弾丸。そのうちの一つを手に取り、ライは唇を噛んだ。
鉛の玉がここまで歪むには、どれほどの痛みが伴ったのだろう。そんな考えと同時に思い起こされたのは、先程の連合軍の歓声。
沸き起こる怒りに、ライは黙り込む。
「ご主人様? どうかされましたかっ?」
「あ、いや、ごめん。ドルクを助けてくれてありがとう。おいで」
力を使いすぎた二人は、ふらふらとライの肩に着地する。疲れた時は神器の中に戻りたいと言う彼らだが、今はドルクの容態が気になるのだろう。今にも眠ってしまいそうな目をしながらも、ライにしがみついていた。
「大丈夫ですよっ。ボク達の魔術は一級品ですから。彼はもう痛みを感じていません」
「うん、ありがとう」
三人が見守っている中、気を失っていたドルクの眉がピクリと動いた。
「ドルク! あ、待って。無理はしない方が」
気づくや否や、彼は勢いよく身体を起こす。
「いや、大丈夫だ。助かった。ライ、お前よくここまで綺麗に治せたな。本当に何も無かったような――」
身体中の傷を確認し終えた彼はふと視線を上げると、細い目をこれでもかというほど開いて固まった。
「……お前、肩に乗せてるのって、まさか」
「あ、うん。えっと、こっちがランプの魔人のランランと、指輪の精のリンリン」
さも当然のように紹介したライに、ドルクは口をパクパクとさせる。
その態度が気に触ったのか。元々ご主人様以外には冷たい態度のリンリンが、突き放すように答える。
「そんなに驚く事じゃないでしょう? そう言うアナタも稀な存在な癖に。お互い様よ」
「い、いや、妖精っちゃあオレとは格が違うだろう。ああ、違ぇな。まずはお礼か。この通り、本当に助かった。恩に着る」
恐れ多い、というように頭を下げたドルク。
「お礼には及ばないわ。ワタシ達はご主人様の命に従っただけですから」
何気なく答えたリンリンの言葉に、さらにドルクは驚いた顔をする。なぜなら、リンリンがご主人様と言って示したのがライだったからだ。
「ライ、お前は一体何者なんだ。妖精にご主人様と呼ばれたり、軍隊にも顔が知れてるなんざ只者じゃねぇだろ」
「あ、いやっ、僕はそのぉ……」
勇者だ、と彼に正体を明かしていいものかどうか。
そう濁したライの言葉を、彼は“答えたくない”と受け取ったのか。ドルクはフッと一呼吸つくと、ゆっくりと立ち上がった。
「まぁいいや。お前が何者でも、オレを助けてくれた事には変わりゃしねぇしな。助けてくれたことにゃ感謝するよ」
洋服の土をざっくりと払うと、彼は突然に表情を消しどこかへ向かって歩き出す。
その後ろ姿に、ライは何やら嫌な予感がした。
考えるよりも先に、ライはドルクの腕を掴む。
「待ってドルク。どこに行くの? ……また、泉へ行くつもり?」
「……」
「お願いだからやめて。今頃連合軍は躍起になって君を探している。次に見つかったら今度こそ――」
「今度こそ?」
返ってきたのは、今までとは一転してドスの効いた声。
その迫力につい、ライは手を離してしまった。
「何か勘違いしているようだが、オレがその気になればアイツら人間は全員血祭りだぞ」
血祭り。
その言葉に強ばりを見せたライを、ドルクは笑い飛ばす。
「ハハッ、どうだ? 恐ろしいだろ。オレの本当の姿は、お前のその細い腕なんか簡単に噛み潰せる牙を持つ“亜種”なんだよ。お前らが散々おぞましいと忌み嫌ってきた亜種さ」
言葉だけを聞けば、完全に悪役のソレ。
でもそう言い放った彼の顔は、今にも泣き出してしまいそうな程弱々しく見えた。
――あぁ、そうか。
どうやら強すぎる詞は、時に呪いに姿を変えてしまうらしい。
人間がかけた“亜種”という呪いが、彼をきつく縛りつけ、深い傷を刻み込んでいるのだ。
ライは離してしまった手をもう一度彼へと伸ばし、今度は優しく彼の手を握った。
「バケモノが、あんなに美しいわけが無い。あんなに気高いわけ無いじゃないか。あの姿をバケモノだと感じたのなら、きっと、そう感じた人の心にバケモノが住んでいたんだ」
“亜種はおそろしいものだ”という固定観念が、そう映したに違いない。
「なぜそう思うんだ?」
「なぜって……確かに君は僕とは違う姿だし、僕よりも強い力を持っていて、簡単に傷を負わせる事もできるかもしれない。それでも僕は君をバケモノだとは思わないよ。だって――君はそんな事、絶対にしないでしょ?」
戦場で見た黄金の瞳。
真っ直ぐな意志の宿ったあの瞳は、あの人の紅い瞳にそっくりだった。
「……人間が全員、お前みたいなお人好しな馬鹿だったら良かったのにな」
「それは褒め言葉?」
「ああ、もちろんだ」
真っ白な日の光が木々の隙間から降り注ぐ。ドルクはその光を眩しそうに見ると、諦めたように地面に腰を下ろした。
「ドルク、ひとつ聞いていい?」
「あ?」
「どうして、そんなに泉を見に行こうとしているの?」
命の危険を顧みずに突き進むには、何か深い理由があるのだろう。まずはそれを知らなければならない、とライは思った。
「ハハ。馬鹿げてるって?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
「いいんだよ、自分でも死んだ一族の為に命を張るなんて古いとは思ってる。でもな、許せねぇんだよ。オレが……いや、オレたちの一族が本当の泉の守なのに」
本当の泉の守。
その言葉にライは引っかかった。
「本当のって、どういう事?」
「そのまんまの意味だ。今や教会が我が物顔で泉を囲っちゃいるが、元々その役目はオレらオオカミ一族が任されてたんだ」
そう言うとドルクは真剣な顔で語り出す。
「先の勇者、テナレディス様は終戦ののち、伝説の剣の力を地方に分散させた。当時は人も立ち寄らない未開の地だったこの場所に勇者自らお越しになって、森の生き物を束ねていたオレの祖先に力を託したんだ」
当時の長は、あまりに強いその力を持て余していたらしい。そして同時にその膨大な力がよからぬ輩に渡ることを危惧していた。そこで長は、森の奥深くにある沼に沈めたのだ。
するとどうだろう、突然に水は黄金に輝き始め、触れた物を金に変える力を持ったという。
「その力に生き物は恐れおののいた。“これは神の力だ”と。決して触れてはいけないと誓いを交わし、忘れもしないあの日までオレ達オオカミ一族を筆頭にその掟を守り抜いたんだ」
「……あの日?」
「そう、数十年前人間がオレ達の森を、そしてあろう事かあの泉を土足で踏み荒らして行った、あの悪夢の日だ」
あの日、突然の襲撃に、生き物達は懸命に抵抗した。
だが、結果は完敗。
もちろん人間が秀でていた訳では無い。聖域としていた泉で血を流す事は禁忌とされていたのだ。
その禁忌を守り、ひたすら防戦一方だった生き物達は、自らの血で聖域を赤く染めた。
「当時子供だったオレは、仲間達や一族が次々に撃たれていくのを影から見るしか出来なかったんだ」
以前テナエラが、王都と教会が結託して力の在処を探す調査団を派遣した、と言っていた。
しかしなんて残酷な事だろう。
光の民の未来の為、正義の為に派遣された団体の真実がコレだったなんて。
「……そんなの、可笑しいじゃないか」
ふつふつと沸き起こる怒りに、今のライには抗える力も人望もない。
「ん? どうした?」
「ううん、何でもない。その後の話も聞かせて」
「ああ。その後も生き残った一族は泉奪還の為に何度か奇襲をかけたが、呆気なく負けた。そりゃそうだ。力のある奴は先の戦でほぼ殺されてたからな。今やオオカミとして生きているのは知る限りじゃオレ一人になっちまった」
ふー、と息を吐いて遠くを見つめるドルク。
彼の悲しみはおそらくライが思う以上の物だろう。
「ドルクは人間が憎い?」
「あ? 憎いかどうかと気かれりゃそりゃあ憎いさ。でも今更反撃しようなんざ馬鹿なことは思っちゃいねえよ」
「……どうして?」
怒りを堪え、震える声でそう聞いたライを見て、ドルクはフハハと笑った。
そして、おちつけ、と言わんばかりに彼はライの頭を撫で回す。
「あの時、泉を強奪した世代はもうジジイだ。命令を下した連中はきっともう土に還ってるさ。今この町で必死に生きてる若い連中には、なんの責めもないんだよ。それにな、たとえ町の人全員を手にかけたとしても、死んだ一族は戻ってこねえんだ」
凄い人だな、とライは思った。
一族を殺され、泉を奪われ、それでも相手を思いやるなんて、なかなか出来ることじゃない。
「人間に下った仲間も居るしな。出生を隠して町で暮らしてるやつも多いんだよ。昨日はその仲間に会いに町に行ってたんだ」
亜種、とは何か。
亜種と人間は、どう付き合っていくべきなのか。
「ドルク、僕は決めた」
一度人間は、考え直すべきなのかもしれない。
「行こう!」
「は?」
突然に立ち上がったライに、ドルクは呆然とする。
「僕を泉に案内するのは君しかいない。いや、僕と君が出会ったのも必然的な運命だったんだ!」
「何を言って――」
ライは外套の下の剣をドルクへと見せつける。
すると彼の顔色がみるみるうちに変わって行った。
「僕は第二の勇者ライ=サーメルだ。真の泉の守、オオカミ一族の末裔ドルク、僕を泉まで案内してくれ! 僕と一緒に本当に幸せな世界を創ろう!」




