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(9)幸せの時

 男の指から指輪が離れると共に消えてしまった指輪の精。

 全てが終わった路地裏に、サァサァと乾いた風が吹き抜けた。


 その場に座り込むライに、背後からテナエラが声をかける。


「指輪は?」

「ここに……」


 男に渡された指輪を見せると、彼女はその指輪をつまみ上げた。

 精巧な金細工の施された、幅の広い美しい指輪。

 建物の隙間から差す西日を浴びて、少し動かすだけでもギラギラと煌めいた。


「左手、貸して」


 言われるがままにライが左手を差し出すと、彼女はその親指に指輪をスッと嵌める。


 すると……。

 まるで花が開くかのように、フワッと指輪から指輪の精が現れた。


「……」


 なんとも複雑な表情の彼女。彼女は倒れ込む前の主人を一瞥してから、張り付いた笑顔をライに向けた。


「お呼びでしょうか、ご主人様」


 その顔はなんとも痛たましく、ライは胸が張り裂けそうになった。

 男から解放される事が彼女にとって一番の幸せだったはず。

 でも、本当にそうだったのだろうか。

 彼女の表情を見る度に、段々と自信が無くなってくる。


「……ねぇ、君はどうしたかった? これでよかったんだと、思えてる?」


 今更聞いても遅い。己の罪悪感を拭う為だけのとても狡い質問だろう。

 

「ご主人様、今私のご主人様は貴方様ですよ」


 決められたルール。

 それに従うしかない指輪の精。


「そうじゃなくて、君の気持ちを聞いているんだ。もし、僕のやったことがかえって君を傷つけているとしたらっ」

「ご主人様」


 ライの言葉を遮るように指輪の精が言った。


「ワタシには分かりません。何が正解なのか、何が正しいのか。今までワタシが自分の未来を選んだことなんてありませんでしたし。ただ、ワタシは……」


 そう言うと、男の方をチラリと見た。


「ワタシの幸せを願ってくれた人には幸せになって欲しいです」


 “ワタシ”をこれ以上傷つけないように、自ら指輪を外した男。

 それは“ワタシ”が幸せにしてあげられなかった男へ向けられた言葉だった。


「ご主人様、最後に少しお時間を頂くことを許して貰えますか?」

「……うん、もちろん」


 ライの返答を聞いた指輪の精は、フワッと飛び上がると男の方へと向かった。

 男が差しのべた右手に、彼女は慣れた様子で舞い降りる。


「ありがとう、ございました」


 一言だけそう告げた指輪の精。

 彼女がその手を飛び立とうとすると、咄嗟に男は彼女の手を掴んだ。


「……前主人様(ごしゅじんさま)


 男は無言で指輪の精を見つめた。


 ただ、それだけ。

 それだけだった。






「へぇ〜なるほどねぇ。それで、ランプの魔人のランランと、指輪の精のリンリンが仲間になったって訳ッスか。いやー、すごい巡り合わせ。で、なんで“リンリン”?」


 ジン達と合流したライは、夕食を囲みながらその日の出来事の報告を行っていた。

 もちろん話の中心は新しく仲間に加わった二人だ。


「ふふ、ワタシは指輪の精よ? 指輪はリング。だからリンリンと名前を貰ったの。素敵でしょう?」


 一つの区切りとして受け入れたのか、先程までのしんみりとした空気を微塵も感じさせないリンリン。卓上で忙しく配膳をしてくれたりと、既に仲間に打ち解けていた。


「だーっはっは! シマリスの名付けセンスなんか? ひーっ、笑っちゃいけねぇのは知ってるが……ダメだ、笑っちまう」

「失礼しちゃうわね。ご主人様の事を悪く言ったら許しませんからね」


 とととと、とリンリンがルーザンのコップに追加の酒を注ぐと、彼は嬉しそうにそれを口に運ぶ。


「でもまぁ、助けてやってくれよな。ウチの可愛いシマリスちゃんは弱っちいからよ。常に二人が傍に付いていてくれりゃあ安心ってもんだ」


 ほろ酔いのルーザンは、普段に輪をかけて饒舌。まるで親戚の叔父さんのような言い草だ。

 ライがへへへ、と笑っていると、リンリンはなにやら神妙な顔つきになる。


「……ご主人様が弱いって、どういうことです?」


 彼女の台詞が、やけに響いて聞こえた。


「おいおい、そんな怖い顔すんなや。別に悪口じゃねーよ? ただ単に俺らと比べれば魔術も剣術も覚束おぼつかねぇって話だ」


 凍りついた雰囲気を一掃するように、ルーザンが笑いながら言った。周りもつられて、そうそう、と相槌をうち、再び食事を再開させる。

 ライも、これは言われては仕方がないな、と半笑いを浮かべるしかない。


 しかし、どうもリンリンは納得のいかない様子。

 まるで怒りに耐えているかのように、瓶を抱えている手をわなわなと震えさせる。


「……何言ってるんです? このメンバーの中で一番強力な魔力を纏っているのはご主人様だというのに!」


 彼女の一言に、クニックのスプーンからドボドボとシチューがこぼれ落ちた。

 ちょうどパンを口に含んでいたテナエラも、思いっきりむせてしまう。


「ゲホゲホ、ンン。えっとー、ごめん。さすがに何言ってるか解んないんだけど」

「解らない? そんな訳無いじゃないですか。ご主人様からはかなり強い魔力を感じます。それを否定するなら、昼間に発動させた魔術はどう説明するんですか?」


 うっ、と言葉に詰まったテナエラ。

 話の見えないルーザンが、隣に座るクニックにこっそりと聞く。


「昼間ったぁ、何があったんだ?」

「ライ君、今日の乱闘で自衛魔術を使ったんです。確かに練習も無しにあそこまで完璧に張れるのは奇跡かと思いました」


 一同が考え込む中、リンリンは呆れたように話を続ける。


「まさか皆さんが気づいていなかったとは驚きです。ねえ、ランラン?」

「えっまあ……そうですね。さらに言うなら、ご主人様の魔力はボク達にも抗えない程の強さです。それでも普段魔術が扱えない理由は、恐らく上手に気持ちが乗せられていないからかと」


 これには当の本人も驚きを隠せない。


「僕に、強い、魔力がある……?」


 そんなまさか――。

 ライは自分の掌を信じられないといった様に見つめてみる。

 なんの代わり映えもない掌だが、自分もテナエラやリンリンのように、この手から魔術を生み出すことが出来るというのだろうか。


「……想像がつかない、けど」


 でも確かに、すんなりと腑に落ちる部分もあった。今日の自衛魔術も、シュネーヴィトヒェンで火を遠ざけた時も、本気で助けて欲しいと願った。

 その願いの強さは練習中の、蝋燭に火を灯したい、なんてものとは格段に違う。


 上手く気持ちをのせられないだけ――それが本当だとすれば、後は練習あるのみだ。


「なるほどね。それが勇者に選ばれた所以だとしたら納得が行くわ。ただ、現状は宝の持ち腐れとしか言えないけれど」


 テナエラも渋々と言った様子だが、認めざるを得なかったようだ。


「俺たちだって、一日や二日で魔術が使えるようになった訳じゃないからね。子供の頃から魔術学校に通って数年かけてやっと手にした力だ。だからライ君、そんなに気負わなくても大丈夫。少しずつ頑張っていこう」


 クニックの言葉に、皆がうんうんと頷く。


「さあ、そうと決まれば早速今夜から練習を厳しくするわ。ライ、早く食べ終えて宿に戻るわよ」

「はっ、はい!」


 あわててパンを口に詰め込むライ。

 そんな彼の腰にはかの有名な魔人のランプ。そして左手の親指には美しい金の指輪がついている。


 あわてて喉に食事をつまらせ、皆に爆笑されているやや頼りない主に、ランランとリンリンは顔を見合せた。


「なんて幸せな時間かしらね」

「うん。ボクもそう思う」


 ふと見上げた空には大きく膨れた月が輝いていた。


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