(8)弱い人間
「氷の精霊!」
目の前に立つテナエラが、剣を突き上げてそう叫んだ。
するとその剣先をめがけて、周囲から次々に光りが集まりだす。みるみるうちに大きくなった光りは、パキパキと固まりはじめ、やがて大きな氷柱へと変化した。
「行けっ!」
テナエラの号令を受けた氷柱は、まるで弓矢が放たれたかのように、指輪の精めがけて一直線に飛びだす。
鋭くとがった氷柱の切っ先が彼女のすぐ目前に迫った、その時。
「守の防壁、重複展開、強度最大!」
彼女はすかさず詞を連ね、防御魔術を発動した。
直後、地面から生え出て来るように展開されたのは鋼のような硬い防壁。その頑丈な防壁に正面から衝突した氷柱は、ギャリリリと大きな音を上げて粉々に砕け散る。
「そんな攻撃は無駄よ。あなたの力はワタシには及ばないわ!」
再び氷柱を形成し始めたテナエラに、指輪の精はそう叫んだ。
しかしテナエラは一向に攻撃を止めようとしない。
そこで指輪の精も反撃に出た。
手を拳銃に見立て、その照準をテナエラへと定める。
「業火、灼熱、砂の丘、炎の……」
彼女の人差し指が淡く紫色に光出し、装填までもう少し……という所で、彼女は詞を途切れさせた。
「……姑息ね。でも、気づいちゃったわ」
全てを悟ったような指輪の精の視線の先にあったもの。それは、高速で地面を駆け回る紫色の炎。
「その陣を使ってワタシの動きを止めようとする魂胆かしら。今までの攻撃はその陣を完成させる為の、ただの時間稼ぎだったって訳ね」
指輪の精は、魔法陣の完成を急ぐクニックへ憐れむような視線を送る。そして、ピッと指先を紫色の炎に向けた。
「残念でした」
「クニック気をつけて!」
テナエラが慌ててクニックへと叫ぶが、もう遅い。
強い風に吹かれたようにふらっと揺らめいた紫の炎は、クニックの意に反して動き出す。
「駄目です、全く俺の言うことを聞いてくれません……!」
これは非常にまずい、とテナエラは思った。
このまま指輪の精に陣を滅茶苦茶にされれば、陣は正常に発動しない。
それならまだ良い方だ。
「乗っ取られたら、たまったもんじゃないわ」
彼女ほどの力の持ち主であれば、他者が途中まで書き上げた陣であっても、陣自体を乗っ取り自由に扱う事も可能だ。
そうなれば、当初の術者であるクニックは陣に喰われる。
「……どうにかして止めなくちゃ」
テナエラは剣を握る手に力を込め、姿勢を低く構えた。そして、フッと風を切るように指輪の精へと一気に詰め寄る。
「聞きなさい、指輪の精」
ヒュン、と容赦なく突き出した剣が、すんでで避けた指輪の精の裾をかすった。
「……っ!」
ちぎれた布の破片がはらりと舞う。
「……心を捨てるのは簡単よ。でもそれじゃ、本当にモノになってしまうわ」
一瞬驚いたような顔を見せた指輪の精だが、魔法陣を操る詞を止めようとはしない。
少しでも彼女の注意を引きつけようと、すぐに次の一手を繰り出すテナエラ。
しかし指輪の精は魔法陣から目も離さずに、その攻撃をヒラヒラと避け続けている。
「ご主人様っ、ボクにも何か命令をっ」
ランランのその声に、ライはハッと我に返った。
「えっと……ランラン、君なら指輪の精を完全に抑え込むことって出来るの?」
「一瞬だけなら出来ると思いますっ」
「わかった。それなら――」
ライは焦る気持ちを抑えて、必死に頭を巡らせた。
元々の目的は、残虐なあの男から指輪の精を助ける事だ。そしてその方法はただ一つしかない。
激しい戦闘の奥でひょうひょうと立ち尽くす男。
彼の右の人差し指がぎらりと光った。
「僕があの男の指から指輪を外す」
「了解しま……って、え! ボクがではなく、ご主人様がですかっ?」
「うん。君にはクニックの陣の完成を手伝って欲しいんだ。テナエラの焦りを見る限り、恐らくクニックは危険な状態。まずは彼を助けて欲しい」
「……了解しましたっ!」
一瞬何か思うことがあるような顔をしたランランだったが、強い意志の宿るライの目を見て、大きく頷いた。
彼は急いで指輪の精の元へと飛んで行くと、彼女の周りを数週回り、何かを引き寄せるような動作をする。
すると、指輪の精はまるで網に囲われたかのように行き場をなくし、最終的に体を丸めてランランの腕の中に収まった。
「クニックさん、今ですっ!」
ランランが指輪の精を抱いた瞬間、力が解放された紫の炎は再び高速で動き始める。
炎がジリジリと音を立てながら最後の一線を刻み終えると、クニックはその陣に飛び込み、中央部分に自分の剣を突き立て叫んだ。
「我が名はクニック=ドラーフ、使徒セシルス! セメス、テラ、イガリス、トリガノス!」
すると焦げ付いた線は青白く発光し始め、ブワッと宙に浮気上がる。その光の陣は高速で指輪の精の所へ飛んで行くと、拘束具のように縮み彼女の体を縛り付けた。
「テナエラ様っ」
「任せて!」
クニックの呼びかけに、テナエラが両手を上へ掲げる。
「稲妻の精霊っ」
ダダーーーーン!!!!
彼女の詞に合わせて、晴天の空から太い稲妻が一つ指輪の精目掛けて降り注いだ。
その稲妻はクニックの作り出した拘束具に吸収され、その力をより強固なものに変えてゆく。
「こんなっ、こんなものっ……!」
指輪の精は必死に身体を捩らせてはいるが、抜け出せそうな気配はない。
――今だ。
ライは剣を握る右手に力を込め、男に向かって走り出した。
それに呼応するように男も腰からサーベルを抜く。
男が身につけている武器はそれひとつだ。それさえ弾いてしまえば彼は丸腰。あとは無理やりにでも指から指輪を外してまえばいい。
「ふざけるなァァ!」
突然雄叫びを上げた男は、ライ目掛けてサーベルを勢いよく振り下ろした。
「勢いは、逃がす……っ!」
ライは剣を縦に持ち、サーベルを払い除けるようにして軌道を左へとずらす。
ここ数日で教わった剣術。初めての実践にしては上出来だと思う。
しかし行商人である男もそこそこのプロ。払われた剣に体勢を崩すことなく次の一手を繰り出してくる。
キャン、キャン、と剣同士がぶつかる音が続いた。
くぐもった音の原因は、ライが上手く力を逃しきれていないから。
一撃一撃の重みで、徐々に手首に痛みが溜まる。
「ライっ、逃げてばかりではキリがないわ!」
テナエラの言う通り、防戦一方では勝ち目はない。
ライは意を決して、彼のサーベル目掛け剣を叩きつけた。
「うわっ……!」
が、しかし。
視界が傾いた。
力任せに振り下ろした剣は音もなくサーベルの側面を滑り、その有り余った遠心力に引っ張られるようにライは地面へと倒れ込む。
その衝撃でライの手から伝説の剣が放り出され、カランラカラン、と地面を滑って行ってしまった。
慌ててその剣を拾おうと手を伸ばすライ。
しかし、
「うっ」
ミシミシっと、背中に痛みが走った。
「動くな……動いたら切る」
はぁ、はぁ、と男はかなり息を切らしながら、ライを踏みつける足に徐々に力を込める。
「痛、い……」
「知るか! お前達は僕から指輪を奪おうとした。悪いのはお前達だっ」
「僕はただっ」
「うるさいっ、何を言おうが悪いのはお前達だろう? 君のこの痛みも、僕のせいじゃない。君が弱かったせいだ。絶対に僕のせいじゃないっ!」
まるで駄々をこねる子供のような台詞。
「指輪の足が動かないのだって、僕のせいじゃない。指輪が僕を裏切ったからだ。だから僕は悪くないっ」
過去に何があったとしても、彼がした事は許される物では無い。
ライが男の顔を見上げると、彼は目をガン開きにしてボロボロと涙を零し、両方の鼻から鼻水を垂らしていた。
――狂っていってしまった。
指輪の精の言う通りだ。
彼は正気じゃない。
「……誰かを傷つけても、貴方の傷が癒える訳じゃない」
可哀想。そんな思いから出た言葉だった。
しかしその言葉が、男の核心を突いてしまう。
「黙れ黙れ黙れぇぇ! これ以上僕から大切な人を奪っていくなっ、僕はもう嫌なんだ。もう嫌なんだぁぁぁあ!」
しまった。
男はサーベルを高々と振り上げる。
遠くでテナエラとクニックの声がしたが、恐らくは間に合わないだろう。
シュン、というサーベルが風を切る音に、ライは深々と突き刺さる痛みを覚悟した。
「……っ」
だが、体に走った感覚は想像とは違うものだった。
体の奥から水が沸き起こるような、突き上げるような感覚。
この感覚は知っている。
シュネーヴィトヒェンで一度経験した。
今なら、使える。
「精霊、僕を守れ!」
スラスラと出たその詞に答えるように、ガラス状のシールドがライと男の間に張り巡らされた。
そのシールドはサーベルを受け止めると、粘着質のある液体へと変化し、刃を包み込む。
そして氷のように固まったかと思うと、刃諸共粉々に砕け散った。
突然の出来事に呆然とする男。
その一瞬の隙にライは男の足から逃れ、タックルを組むように男を押し倒す。
人力を超えた力の発動に反抗するのを諦めたのか、大人しくなった男はライにされるがまま。
しばらく呆っと虚空を見つめていた男は、降参だというように話し始めた。
「なんだ。君も強い側の人間か。ははは……もういいや。はい、これが欲しいんでしょ?」
男はそう言って右手をライに突き出す。
その人差し指にはキラキラと輝く指輪が。
「所詮僕は指輪が無ければ何も出来ない愚か者だ。どれだけ足掻いても、君達のように力のある奴や、どこぞの領主のような金のある奴には敵わない」
「……」
「ふふふ、唯一僕を相手にしてくれた指輪さえも、ああやって傷つけた。……そうだね、僕を悪人とするなら君は彼女を助け出す正義の味方って所か? 最高のストーリーだね。まあ、もうどうでもいいや。ほら、早く。僕の気が変わらないうちにこの指輪を持っていけばいいさ」
男はそう言うと、ライに早く指輪を外すよう促す。
元々目的はそれだ。ここで彼の指から指輪を外せば目的は果たせる。
しかし、なぜかはばかられた。
「さっき、貴方は“僕から大切な人を奪うな”って言っていた。……ちゃんと、貴方の中で指輪の精は大切なヒトになってるじゃないか」
男の手がぴくりと強ばる。
「それなのに、どうして大切にしてあげられなかったの? どうしてモノだなんて言ったの?」
問い詰めるライに、男はハハハと笑って答える。
「……どうしてだろうね。それが分かっていたらこんな事にはなっていないさ」
なかなか指輪を取らないライを見かねて、男自ら指輪に手をかける。
そして指輪が少し動いた時、背後から必死な声がした。
「待ってください、ご主人様! お願いします、外さないでください」
三人に拘束されたままの指輪の精が、ありったけの大声で叫んでいた。
「ご主人様、私はやっぱり貴方の支えにはなれませんか? 貴方が幸せになる為に、私はお役に立てませんかっ!? もし、少しでも私がお役に立てるなら、私は貴方に最後までお仕えしたいですっ」
思いもよらないそのセリフ。それは男もそうだったようで、目を丸くし驚いていた。
「ふふ、ははは……。まさか、君がそんな風に思ってくれていたなんて、知らなかったなぁ。でもね、僕は弱い人間だから、きっとまた君を傷つけてしまう。だから、その言葉に甘えないでいられるうちに、僕は君を――」
男は、スッと指から指輪を外した。
「僕は君を手放すべきなんだ」




