(6)遠い記憶
「……まぁ、想定内よね。こっちが気配を追えるなら、向こうも気づくはずだから」
テナエラは額を流れる汗を拭いながら、もう何度も見た店の看板を睨んだ。
彼女の言う通り、追われていることに気づいた指輪の精は、ライ達を嘲笑うかのように先程からずっと同じ道を飛び回っている。
かれこれ数十分は追いかけっこの状態で、三人の体力は限界を迎えていた。
自分の都合のせいで……と、申し訳なさそうにうむつくランランに、ライはそっと手を伸ばす。
「大丈夫、絶対に追いつくから」
「でも、ご主人様っ」
「よし、少し回復! 指輪の精、どっちに行ったかな?」
そのライの一声で、テナエラとクニックも再び前を向く。
しかし、ただ追い続けるのでは埒が明かない。
魔術で彼女を呼び寄せようか、との案も出たが、指輪の精はテナエラの術をも破る力の持ち主。我々の魔術が効くかも怪しい。
何かいい方法は無いかと、ライは必死に頭を回転させた。
魔術の発動の鍵は思いの強く乗った詞。そして魔術の強さを決めるのは、術者の力量や思いの強さだ。
現状、指輪の精に魔術の強さで勝つためには、彼女の力を上回る程の思いを乗せるしか方法はない。そう、例えば――。
「誰にも負けない強い思いとか……あああっ!」
「ライ、何か思いついたの?」
「うんっ! 彼女に協力してもえば何とかなるかもしれない!」
「……彼女?」
「――本当に、ブローチを取り返してくれるの?」
ライ達四人が向かったのは、例のブローチを盗まれてしまった女性ラシアの家。
これから結婚式を行うとは思えない程泣き腫らした目の彼女は、突然現れた“魔導師”達に驚きを隠せない。
「えぇ、その為には貴女の“強い思い”が必要なの。これから“ブローチを盗んだ犯人を呼び戻す”魔術を使うわ。だから貴女はブローチへの思いをありったけ乗せて、“ここに戻ってきて”と強く願ってほしいの」
彼女の母親は未だ半信半疑の様子だが、ラシアは違った。ブローチが戻ってくるなら何でもするわ、と直ぐに頷く。
クニックは彼女になんでもいいから敷物を持ってくるよう指示し、渡されたカーペットを路上に敷くと、その上に魔法陣を引き始めた。
初めて魔術を目にしただろう二人は、紫の炎がカーペットの上を自在に動き回るのを見て絶句する。
しかし、我々の力が本物だと信じたようで、その陣の中に入ってというクニックの言葉に素直に従った。
「いい? いくわよ」
テナエラの合図に合わせてクニックとランランは詞を並べ始めた。
魔術の使えないライとラシア、そして彼女の母親も両手を組んで必死に思いを乗せる。
「――ラシアのブローチよ、そしてそれを盗んだ指輪の精よ、今ここに戻れ!」
やがて三人が長い詞を唱え終えると、魔法陣の中央に、ポンっ、と小さな煙が上がった。
「かっ、確保~っ!」
慌ててその煙に飛び込むランラン。煙が薄れ姿を現したのは、またまたランランに羽交い締めにされた指輪の精だった。
「あっ、私のブローチ!」
指輪の精の腕に抱えられたブローチを見たラシアが、咄嗟に手を伸ばす。
しかし、彼女の指がブローチに触れた瞬間、バチバチっと火花が散った。
「渡さないわよ。これはご主人様に頼まれた品なの」
指輪の精は頑なにブローチを離さない。触れた手に軽く火傷を負ってしまったラシアは、涙を流しながら彼女へと懇願した。
「お願い、返して! それは結婚式で使う、とっても大切なブローチなのっ。それがないと幸せな花嫁になれないのよ!」
しつこく訴えかけるラシアを疎ましく思ったのか、指輪の精は彼女に向かって手をかざし、口を効けなくするよう魔術をかけてしまう。
ライ達が何を言おうとも、彼女は聞く耳を持たない。
ただ涙を流すことしか出来ないラシアを見かねた母親が、握り拳を高くあげるが、その手も彼女には届かなかった。
自らの力の強さを武器に好き放題する指輪の精。そんな彼女を見ていられないと、縋り付くようにしてランランが言った。
「ねぇ、覚えてるでしょっ? もうずっと前になってしまったけど、ボク達が共に仕えていたあの青年の事っ!」
青年。そのワードに指輪の精の目の色が変わる。
「……バカね。過去を語っても、得るものは何も無いわ」
しかし彼女は直ぐに我に返り、吐き捨てるようにそう言った。
「ボクね、あの人がお姫様と結婚する時の事、今でも鮮明に覚えてるんだ。結婚の条件として有り得ない程の量の宝石の献上を王様に求められたんだよね。あの時はボク達二人で宝石を手に入れる為に走り回ったよね」
「そっそれは、命令されたからであって、別にっ」
「でも、ボク達は確かにあの人の幸せを願っていたとおもうんだ」
「……何を言いたいの」
「キミも、誰かの幸せを喜べる心を持ってるとボクは信じてる」
ランランはそっとブローチに手をかける。
「これは、ラシアさんの幸せの為に必要な物なの。お願い、手を離してくれないかな」
ランランが囁くようにそう言うと、指輪の精はしばらく俯いた後、するりとブローチから手を離した。
無事に戻ってきたブローチを胸に付けたラシアは、ホッと安堵の表情を見せ、急いで式場へと向かう。
その幸せそうな後ろ姿を見届けた指輪の精が、小さな声で本音を零した。
「……ワタシね、もうどうしたらいいのか分からないのよ」
それは彼女からのSOSだった。
すっかり気力を落としてしまった彼女は、ライが差し出した手のひらの上に素直に舞い降りる。
「主の役に立ちたい、その一心でずっと生きてきたわ。でも、願いを叶えてあげるだけが、その人の役に立つわけじゃないって思い知った」
指輪の精は小さな体を更に縮めて、吐き捨てるように言う。
「どんな誠実な青年も、どんなに淑やかな女性も、ワタシを指にはめる事で、狂っていってしまった。それでもワタシには主の願いを叶えることしか許されていない」
どんなに純粋な人だって、身に余る大きな力を手に入れてしまえば、その人格でさえ歪めてしまう。
心を込めて仕えてきたはずの主が、みるみる変容していく姿を見るのはそれは辛いものだろう。
何十回と繰り返されるその苦しみは、彼女に深い傷を刻んでいく。
「今のご主人様もそうよ。元からあぁだったわけじゃないの」
ライが優しく彼女の頭を撫でると、フッと優しく微笑み頬を擦り寄せてきた。
「ワタシがあの人と出会ったのは、ワタシの前の主が盗賊に惨殺された日だったわ」




