(10)信じる力
ガラガラガラ、と大きな音を立てて近くの建物が崩れていく。
その度に噴煙が大きく舞い上がり、黒い雪を降らせた。
この火と攻防を続けてどのくらい時間が経ったのか。どれだけ全力を注いでも、火は着実にこちらへと範囲を広げてきている。
「太陽さえ登ってくれればこっちのもんなのにねぇ」
ジンのセリフにつられて見上げるが、夜明けには程遠い空が広がっていた。真っ黒な空がオレンジ色の激しい火を続々と吸い込んでいく。
「ゲボっ、ゲホ」
「大丈夫ですか」
先程からフラついていたリラ神官が、体をくの字に曲げて咳をする。
「……大丈夫、これ以上術者の数を減らす訳にはいかないからね」
クリスティーナの連れてきた騎士達は既に半数がリタイアしていた。
火を食い止める為のこの術は、それだけ精力を消耗するという事なのだ。
「すみません」
「気にしないで」
皆と一緒に詞を唱えているのに、全く疲れを感じないのは、おそらく魔術を使えていないからだ。
少しの足しにもなれない自分に、ライは悔しさともどかしさでいっぱいになる。
「リラ神官、変わるわ」
「テ、テナエラ様!?」
二人の間に割って入ってきたのは、まだ青白い顔色のテナエラ。大事を取って後ろで休ませられていた彼女だったが、居ても立っても居られなかったのか。
「いえ、無理はよくありません。貴女先程まで立つのも難しかったのに」
「心配ありがとう。でも、その言葉そのまま貴方に返すわ」
退いて、とリラ神官の肘を引くと、テナエラは火に両手を向けて唱え始める。
「いい加減にその暴走をやめなさい。今すぐ我を思い出し、その愚行を恥よ!」
魔術を操るのは心の乗った詞。
荒々しい彼女の言葉に、火が一瞬たじろぐ。
「クリスティーナ、助けてくれてありがとう。毒殺紛いの行為、私はチャラにしてあげるわ」
突然声をかけられたクリスティーナは、少し驚きバツが悪そうな顔をする。
「……感謝される資格はない。私達は私達の都合で行動しているだけだ。寧ろここへ戻ってきてくれた事に礼を言いたい」
「ふふ、それならこのお人好し勇者に言ってちょうだい」
トントン、とテナエラに肩を叩かれた。
「ほらね、大丈夫。自分を信じて」
「……ありがとうございます」
彼女なりのフォローか。
でも少し罪悪感が紛れたのは確かだった。
「だ、誰か火から出てきたぞ!!」
避難待ちの民衆から、大かな声が上がった。
その方を見れば、火だるまになりながら崩れ落ちる人影が。近くの人達が荷物から布を出して、体に付いた火を消そうと叩く。
「あ、赤子だ! 赤子だ!」
なかなか火の消えない人影の腕の中から、這うようにして赤ん坊が出てきた。
「あの人あのままじゃ死んでしまうわ」
テナエラがその人物に駆け寄ろうとした時。
「まさかっ」
クリスティーナが勢い良く走り出した。
慌ててライも彼女の後を追う。
クリスティーナは火の消された人物の体を仰向けにすると、その顔を確認して言葉を失った。
「ハハ、お前の力で治してくれ。痛くてかなわん」
酷い火傷を負っているその人物は、苦痛に顔を歪ませながらも彼女へとそう言う。
「勿論です」
クリスティーナはそう言うと、その人物の額にゆっくりと優しく口付けをした。
すると、みるみるうちにケガは治り、ただれた皮膚も元通りになっていく。
「……っ……ふぅ、はぁ……んっ」
治癒の魔術。それはかなりの痛みを伴うようで、その人物は火傷でただれた顔をくしゃくしゃに歪めた。
その顔も魔術で徐々に修復されると、見覚えのある顔に今度はライが絶句する。
「……シュ、ネーヴ卿!?」
「——お前は……! なぜここに?」
なんと、火だるまの人物の正体はシュネーヴ卿だったのだ。
「透視鏡を渡したのか」
力の使いすぎでぐったりとするクリスティーナは、こくりと頷くだけで返事をする。
「……そうか。いや、いい判断だ。そして君、この町のために戻ってきてくれたのだな。礼を言う」
シュネーヴ卿はライにそう伝えると、フラフラしながら立ち上がり、再び火の方へと歩いていく。
「ど、どこに行くんですか」
「この火の向こうにはね、まだ沢山人が取り残されてる」
「ムリですよ! さっきだって凄いケガを——」
必死に止めるライの口を、シュネーヴ卿は大きな手で塞いだ。
「お前にも“守りたいモノ”があるだろう? 私にも私の“守りたいモノ”があるんだ」
守りたいモノ。
「私はこの町の領主だからな。この町のモノはひとつ残らず守りたいんだ」
火でボロボロになった服を纏うシュネーヴ卿は、ライの頭をガシガシと撫でると、恐ろしく燃え上がる火の中へと飛び込んで行ってしまった。
「バカみたいだろ、うちの領主。魔力なんてすっかり持ち合わせて無いくせに、正義感だけ強いんだ」
ジャリ、と立ち上がったクリスティーナはそう言うと自分の持ち場へと戻っていく。
その横顔は凛々しく、不安を微塵とも感じさせない。
そうだ、彼女はシュネーヴ卿が無事に帰ってくると信じているんだ。
彼女の後ろ姿を見て、ふと蘇ってきた言葉があった。
――ライ、詞には魔力が宿るの。気持ちが強く乗れば乗るほど詞の力は強くなる。だから、信じなさい。あなたが信じる事がお父さんやお母さんを助けることになるのよ。
あの日、初めて詞という物の恐ろしさに触れた日。
リサが教えてくれた言葉だ。
「テナエラさん、クリスティーナさん! 消そう。この火、消そう!」
逃げてばかりでは、失う物が増えてしまう。
それを守るためには、この火を消すしかない。
「何言ってるの。この術者の人数でこの大火災が消せるわけないでしょう?」
テナエラの意見は最も。そんなことは百も承知だ。
しかしライは両手を横に大きく広げて、堂々と言った。
「ここにいる皆、皆に信じてもらうんだ! “この火は消える”って。そして“今すぐ消えろ”って念じてもらうんだ! みんなの力が集まれば、絶対この火は消える!」
まずは、自分が強くそう信じる。
とにかく信じるんだ。
ライの意見を聞いたテナエラとクリスティーナは互いに顔を見合わせて、同時に頷いた。
その連絡は兵士を通じて避難待ちの人々へと伝達される。
今この塀の中に居る人数は一体どのくらいだろう。その人数分の思いを一つに火へとぶつければ、それはそれは大きな力になるに違いない。
「……いきます」
ライは崩れた家のレンガの上に登り、伝説の剣を大きく天へと突き上げる。
「せぇーのっ!」
そして勢い良く剣を振り下ろした。
『火の精霊、この火を消したまえ!!』
千人近い人々の声は、海のうねりのように轟いた。
発せられた声は激しい波に姿を変え、そのまま火を呑み込んでいく。
——消えろ……!
全員の思いが、カタチになった瞬間だった。
フッ、と視界が真っ暗になる。
「……消えた」
「消えたぞ、消えたぞ……!」
ぐったりとする術者達を他所に、避難待ちの民衆から、わぁ、と歓声が上がった。
ライは暗がりの中レンガの上から飛び降りると、急いで地面に倒れ込んでいるテナエラの元へと向かう。
「大丈夫ですか!」
「……なんとかね。でももうこんな事はゴメンだわ。肩、貸して」
「う、うん」
ライにしがみつき体を起こすテナエラ。ライは彼女を支えながら辺りを見渡す。
夜目にも慣れてきて、町の有様が分かってきた。焼き尽くされた面積はかなり広く、その被害は甚大。
なぜもっと早くに思いつかなかったのかと悔やまれる。
「アッハッハッ! この人数分の力の窓口になったんだ。死ななかっただけマシだな」
ゴロンと仰向けに横になるルーザンが、ひと仕事を終えたと言わんばかりに高らかに笑う。
クニックもジンも、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
駆け寄ってきたリラ神官が、東の空を指さす。
「助かりました、ほら、あそこ」
城壁ギリギリの所に、一際輝く星が一つ。
「あれは……!」
「ええ、明けの明星ね」
明けの明星——朝日を呼ぶ星だ。
あの星が登れば、時期に夜は明ける。
「我々の勝利だ!」
「闇の民に打ち勝ったぞ!!」
今まで闇の民に対峙した町は跡形もなく消し去られた。しかし、今回は違う。
これだけの人々が生き残ったのだ。
その歴史的快挙に民衆は湧き上がった。
「テナエラさん! やりましたね」
「ええ、あんたもなかなか頑張ったんじゃない?」
テナエラにもわしゃわしゃと頭を撫でられ、ライはくすぐったく感じる。
「どうします? このまま避難は続けた方が——」
続けた方がいいんですかね? と聞こうとして、ライは言葉を飲んだ。
焼けただれた町の方、かなり遠い所にある何かが目に入ったからだ。
「どうしたの?」
「テナエラさん、あそこ……」
「ん?」
スっと指さした先。
そこには、この場にはそぐわない真っ白なローブに身を包んだ“謎の人影”があった。
まるで焼けた砂地に舞い降りた白雪のよう。
「……嫌な予感がする」
その人物は、ゆっくりとこちらを振り返る。
『——』
そして、何かを言った。
それと同時に、
ダーーーーーーン!!!
背後の城壁が大きく崩れ落ちてきた。




