(8)火の精霊
「気の精霊、守の防壁!」
凄まじい暴風の中、ジンは咄嗟に詞を唱える。
すると、ヒュン、と瞬時に半透明な空気の層が形成され、勇者団を守る盾となった。
「……クッソ、凄い魔術だねぇ」
飛ばされて来た何かの破片が、ジンの頬にスッと細い血の筋を作る。
「ジン! 助かった、加勢するわ」
テナエラが姿勢を低くし、風に抗うようにジンの元へと歩いていく。ジンの隣に並んだテナエラは、彼の腰に左腕を回し、右手を空気の盾にそっと添わせた。
「……ハハ、ありがとうございます、こりゃ独りじゃ手に負えない」
爆風はなかなか収まらない。どうやら連続してどこかが爆破されているようだ。その度に何度も地面が大きく揺れた。
ライ達が一歩も動けずに居る中、ヒュールルルル、と一際大きな音が響く。
「――だめだ! みんな伏せてっ!」
ジンがそう叫んだ時、バーン、と心臓に刺さるような音がなった。
やばい、と思った瞬間に身体に何か大きな塊がぶち当たったような衝撃が来る。
――これは、もしかしたら、死んだかもしれない。
体が宙に浮いた瞬間、そんな言葉がふと頭をよぎった。
ガラガラガラ、と大きな音を立てて、ライの身体はレンガの残骸に打ち付けられる。
「――っ」
ビリリ、と背中に痛みが走り、それでライは自分がまだ生きていた事を知った。
「……ゔっ……ぐっ」
起き上がろうとすると、ヌルっとした感触が手に伝わってくる。
それに驚きき自分の右手を見てみると、ベッタリとした鮮血が着いていた。
「う、わっわあああ!」
大声を上げると、ズキッとした痛みが頭を襲う。怯えながらにその部分を左手で触れると、新たな血が。
「……ヒッ」
出血源はここ、頭だ。ドクドクと脈をうつ感覚はあるが、恐ろしいことにそこまで痛みは感じない。
――これで、死ぬのか。
初めて感じた死の気配に、体がガタガタと震え始める。
誰かに助けを乞おうにも、数メートル先すら見えない。
この場所を照らす明かりは町を燃やしつくそうとしている炎しか無く、舞い上がる粉塵に反射して一帯が不気味な赤いモヤで包まれていた。
「ラ、ライっ」
声のした方へ振り向くと、すぐ側の瓦礫の向こう側から、肩を真っ赤に染めたリラ神官が慌てて駆け寄ってきていた。
「リ、リラ神官っ! 僕、僕――」
「大丈夫、目を閉じて。私に体を預けて」
リラ神官は縋り付くライの体を支えながら、右手を出血している部位にかざす。
「命の精霊、この者を救いたまえ、傷を修復し、生きる事を許したまえ」
「……うっ」
「……もう大丈夫。精霊達が君の生を許してくれた。だから、そう、落ち着いて」
リラ神官の優しい口調に、幾分か落ち着きを取り戻したライは、改めて出血部に手をやる。
すると不思議なことに、傷跡すら分からないほどに治っていた。
「……あ、ありがとう」
「うん。よし、立とう。他の皆を探すんだ」
他の皆――そうだ、皆も爆発で一緒に飛ばされてしまったんだ。
改めて辺りを見てみると、先程まで辛うじて残っていた建物も跡形もなく崩れていた。
舞い上がっていた粉塵も薄れ、目に飛び込んできた物は、数十メートル先にまで迫ってきていた轟轟と燃える炎。
「……急がないと、あの火が来る」
ライは立ち上がり、他のメンバーを探す。
「テナエラさーん! ジンさーん!」
「クニック! ルーザン!」
リラ神官と共に大声を出し探すが、どうしても炎の音にかき消されてしまう。
瓦礫から自力ではい出てきた兵士達も、炎から逃げるようにバタバタと城門へと走って行ってしまった。
ライは手当り次第にレンガを退かして探すが、この広い瓦礫の山ではどうする事も出来ない。
「リラ神官、どうしよう! 見つからない!」
「……」
リラ神官も今にも泣き出しそうな表情で炎とライを交互に見る。
「……ライ、逃げよう」
「嫌だ! まだ皆が」
「皆はもう逃げてるかもしれない」
「……絶対嘘だ!」
「ライ!」
ピシャリと名前を呼ばれ、捜索のために踏み出した足が止まった。
「君を待ってる人達が沢山居る」
認めるしか無いのか。
「ここへ向かった時点で、我々は覚悟を決めて来ています」
もう、自分の力ではどうしようもないのだと。
「……ごめんなさい」
ライがリラ神官の元へと行こうとした時。
炎の方から、ルーザンの怒鳴り声が微かに聞こえてきた気がした。
ライは弾かれたように振り返る。
じっと目を凝らすと、炎に呑み込まれる寸前の場所に、クニックとルーザンらしき姿を発見した。
「二人とも! 早くこっちへ!」
リラ神官が叫ぶが、二人からの返事は聞こえず、その場から動く様子もない。
彼らが動かないのにはきっと理由があるはず。
「……行かなきゃ」
ライはリラ神官にそう言うと、足を瓦礫に取られながらも必死に炎に向かって走って行った。
「シマリス、手伝え!」
ルーザンが大きなレンガを持ち上げながら言う。
「ライ君、そっち持って。リラ神官、回復術を!」
レンガを支えながら、絞り出したような声のクニック。
そのレンガの下に何かあるのか、と隙間から覗き込むと、そこには見覚えのある物が見えた。
黒の軍手を嵌めた色白の手。
「――ジンさん!」
あまりの衝撃にライは目を見開く。
「いいから持ちあげろ!」
「は、はいっ!」
命の精霊への詞を並べ続けるリラ神官の前で、三人は懸命に大きなレンガに手をかけた。
「んぬぁ! 動け……動けぇ!」
ジリジリと近づいてくる炎。
顔や腕など、むき出しになっている部分がヒリヒリと焼けるように痛い。
「火の精霊、止まれ、止まれ!」
クニックが片手間に詞を並べるが、火は全くもって聞き入れない。
どうしよう。どうしたらいい。どうするべきか?
ライは、そんな意味の無い言葉しか浮かばなかった。
「チッ……お願いだ言うことを聞いてくれ!」
クニックもルーザンも焦りを隠せない。このままでは全員が炎にのまれてしまう。
回復術を唱えるリラ神官も険しい表情だ。
飛んできた火の粉が手元のレンガに積もっていく。
もうダメだ。見なくてもわかる。
火はすぐそこだ。
もし、自分に力があったなら。
もし、自分が魔術を使えたら。
もし、自分がきちんと勇者を務められていれば、こんなもの助けられるはずなのに。
ライが自分の不甲斐なさに嘆いていると、レンガの隙間から見えるジンの手が、微かに動いた。
視線をあげれば、諦めのない目をしたクニックとルーザン。それに、声が掠れるほど大声で唱えるリラ神官が居る。
「……僕だって」
されるがままに奪われるのはもう御免だ。
ライは肺いっぱいに息を吸った。
「――いい加減にして! 止まれって言ってるのが聞こえないの!?」
ライの叫びが、一帯に響き渡る。
そして、あろう事か火の勢いが――一瞬止まった。
「……ラ、ライ君」
火が自分の詞を“聞き入れた”。そう分かったライはそのまま大声で火に指示を飛ばす。
「そう、そのままここから離れろ。下がれ! いいから下がれ!」
ジリジリと、まるで後ずさるように離れていく炎。
「……すげぇ。火が退がっていく」
その偉業に皆驚きを隠せない。
「ルーザンさん、今のうち。今のうちに何とかしましょう!」
「あ、ああ」
火は消えた訳では無い。そして次も詞を聞き入れるとは限らないのだ。再び救助を再開させると、ピーっと上空を飛んでいた鳥が鳴いた。
「!」
ライがその鳥の存在に気づくと同時に、ドドドド、と馬の蹄の音が聞こえて来た。
その音は徐々に近づいて来て、ライ達の目の前に姿を表す。
武装した兵士の集団。その数およそ十二騎。
「すまない、待たせたな! 今助ける!」
その先頭で細い剣をライ達へと向けたのは、短く切られた漆黒の髪の、美しい女性だった。




