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(7)悪夢の再来

 半分を闇に喰われた月が砂の地平線に沈み、頭上には恐ろしいほどの満天の星空が広がる。

 ライ達が目指す方角、その先の空だけが、夕焼けのように赤く染まっていた。


「……遅かった」


 ライは全速力で走る馬から振り落とされないようにとしがみつき、遠くに見えた赤い空に声を漏らす。


「ライ、さっきの約束は覚えているわね?」

「うん、大丈夫」


――これが僕の勇者としての覚悟です。


 その言葉を聞いた皆は、分かった、とライの意見を承諾してくれた。

 しかしあまりにも無謀な行動な為、いくつかの条件を付けられる。


「無理だと判断したら、そこで諦めて帰る。闇の民と対峙した時は必ず逃げる。万が一僕が瀕死の状態になったらテナエラさんは本当に剣だけをもって逃げる、ですよね」

「そう、分かってるなら良いわ」


 ひんやりとした夜風が、額の汗を飛ばしていく。

 シュネーヴィトヒェンの城壁が肉眼で見える所までたどり着くと、空から黒い雪の様なものが降り始めた。


「ライ君、フードを深く被って」


 ライはクニックに言われた通りにフードを被る。その時に黒く汚れている自分の手が視界に入った。


「……すす

「うん、吸い込まないようにね」


 嫌な匂いが鼻を付く。焦げ臭い。


「団長様! 恐らく城門は脱出する人でいっぱいだと思います。そこから城壁内に入るのは無理です」


 一番後ろに馬を走らせる使者が、先頭のテナエラへと大声で告げる。


「了解。他に入口はあるの?」

「はい! 城壁の北側、用水路から旦那様の屋敷に繋がる道があります。そこならばきっと!」


 使者は馬の脇腹を蹴ってスピードを上げ、勇者団を先導するように走り出す。どうやらこの大きな町の城壁の外周をぐるりと回って、裏側へと回るようだ。


「あそこっ!」


 迂回途中、ライは昨日自分が潜った城門を見つけた。

 小さな狭い門から、黒く煤けた人々が大量の荷物を抱えて我先にと出てくる。


「この城壁が仇になるとはね。本当皮肉なもんだなぁ!」


 併走して走るジンが苛立ちを隠せずに大声で叫んだ。

 よく見れば、急いで用意した荷が解け城門付近で立ち往生する人や、無理やりに荷馬車を走らせて誰かを轢いても気にもとめない人が大勢居た。

 もう何もかもがめちゃくちゃだ。

 ライはそんな自己中心的に映る領民の行動に衝撃を受けた。


「そんなんじゃ全員が避難するなんて無理だよ、もっと他の人の事考えないとっ!」

「この大火災じゃ正気じゃ居られないのも仕方ないサ。さあさあ、坊! 今からあの中に飛び込む覚悟はいいかい?」


 そう。今から向かう先は錯乱状態のあの城壁の中。ライはグッと唇を噛み締めて頷き、前を行くテナエラの後ろ姿を見つめた。


 しばらくして、こちらです、と使者が案内したのは人が屈んで入れるほどの小さな扉。


「馬は繋がないでここで待たせるわ。万が一の時に自由に逃げられるように」


 そのテナエラの意見に、全員が頷く。

 勇者団は馬から降りると、急いでその扉を潜った。

 薄暗い地下水路を抜けて階段を降りたり登ったりする。そして先頭の使者が天井をまさぐっていると、パコッと一メートル四方の穴が空いた。

 どうやらこの道は侯爵家専用の隠し経路だったらしい。出た先は侯爵の住む建屋にある書斎だった。


「――ああっ! 酷いっ!」


 ライは大きく空けられていたガラスの抜けた窓枠に駆け寄った。

 そこから見えるのは、町とは思えない程の真っ赤な火の海。


「ライ! 安易に顔を出さないで」


 テナエラに肩を引かれ、慌てて窓から離れるライ。

 足元に散らばったガラスをふむ度、ジャリジャリと音が鳴る。


「これは、爆発でもしたんですかね」


 内側に粉々に飛び散ったガラスを見たクニックが、眉を寄せ言った。


「でも見て、炎は赤いわ。これは魔術に操られていない証拠――自然な火よ。何とかなるかもしれない。使者、消火する手段は何か無いの?」

「そ、それが……」


 色々な場所で同時に消火活動をしてしまった為に、地下で貯水していた水を使い切ってしまったらしい。

 急いでダムからの供給を増やしているが、それでも全く追いつかない。


「……チッ、どうしようもないじゃない」


 テナエラは両腕を捲り上げると、窓枠に近づいて両手を町へと突きつける。


火の精霊(ゴウカアネスト)、我の願いを聴きたまえ。この罪なき生を焼き尽くす荒れ狂う炎を鎮めよ!」


 自然の力で消せないのなら、魔術を使って消してみよう。そういう事なのか。

 しかし、火の力は衰える様子はなく遠くの方でまたドーンと何か爆発する音が響いた。


「……テナエラ様この広さは無謀です」

「分かってる! 分かってるけど!」

「まずはシュネーヴ卿やクリスティーナ殿と接触しましょう。彼らに加勢する事が、今できる最大の援助です」


 クニックに言われて、渋々首を縦に振るテナエラ。彼女はグッと唇を噛み締める。


「……二人は今どこに?」

「市中で指揮を取っているはずです」

「了解、急いで向いましょう」


 テナエラはキリッと窓の外の炎を睨みつけると、直ぐに踵を返し部屋の出口へと向かった。

 ゴオゴオと凄まじい音がする。階段を降り、長い回廊を走って屋敷を出ると、その音はさらに迫力を増していく。


「……なんだこれ」


 火の勢いも凄かったが、どうやら爆発の方が痛手だったらしい。まだ火の回っていない端の方も爆風に晒された家は崩れ落ち、原型を留めていなかった。


「頑張れ! 今出してやるからな!」


 吹き荒れる熱風と粉塵の中、この都市の兵士数人が崩れた家のレンガを手作業でどかしていた。

 見れば町の至る所でそういった救護活動が行われている。


「……この規模にそれだけの人数じゃ絶対に無理だろ」


 まだ火の手が届いていないこの場所も、風向き次第でいつ巻き込まれてもおかしくはない。瓦礫の下で助けを呼ぶ全員を救うだけの救助の手が十分でないのは明白だ。

 ライはいても立っても居られなくなり、咄嗟に走り出した。


「……ここですね?」


 両腕をめくりあげ、兵士の視線の先に落ちていたレンガに手をかける。


「……君は?」

「僕は勇者ライ。この町を助けに来ました」

「…………!?」


 思いもよらなかっただろうワードに兵士の手が一瞬止まる。

 すると、その反対側にも応援の手が入った。


「話は後にして! ほら、早く!」

「ジン、そっち側持ってくれるかな」

「どけ、俺がやるのが一番早ぇ」


 テナエラをはじめ全員が、ライの後に続いたのだ。


「テナエラ様、離れててください! いくよ、せーのっ」


 次々と瓦礫がどかされていく。声のする辺りを目安に探していると、少し空いた隙間から、まだ小さい手が見えてきた。


「見つけた! ここだ、ここを退かすぞ!」


 ルーザンがそう大声を出すと、兵士達がいっせいにその辺りのレンガをどかし始まる。


「もうすぐ外に出れるからねっ」


 ライがそう言って穴から伸ばされた手を握ると、その小さな手はしっかりと握り返してくれた。

 やがて人ひとりが通れるほど穴が広がると、五、六歳程の少年が、必死に這い出てきた。

 わんわん泣き叫ぶ少年を、クニックがしっかりと抱き留める。


「お母さん、しっかり!」


 テナエラが上半身を穴の中に突っ込み、穴の奥に残る人へと手を伸ばす。

 穴に引きずり込まれそうになるテナエラの腰をジンが慌てて引き上げると、それに合わせて中から女性も一緒に出てきた。


「おかぁさぁぁあん」

「リュージン……! あぁ、あぁ、ありがとうございます……!」


 クニックの腕を飛び出した少年は、粉塵で灰色に染まっている母親の腕へと飛び込む。少年を抱きとめ涙を流しながらお礼を言う母親の胸元では、ネックレスのように垂らされた小さな木の板が淡く紫色に光っていた。


「……あ、あれってまさか!」

「そうね。……こんな事になるなら、金なんか取らずにバラ撒けばよかったわね」


 ライの脇に並んだテナエラはバツの悪そうな表情で、顔に着いた汚れを腕で拭う。


「城門! 城門に向かって走ってください!」

「そんな荷物は置いてけ! 避難の邪魔だ!」 


 その後も勇者団達ははぐれないように意識しながら、兵士達と協力して領民の救助や誘導を行った。


「……これで城門が機能してれば良いんだけどねぇ」


 そういうジンも、肩で息をして滝のような汗を流していた。

 この焼けるような暑さと息苦しさの中、ろくに休みも取らずに動いていればかなりの体力を消耗する。


「……そろそろ限界かもね」


 クニックのつぶやきに、ライはクラクラとした目眩を感じながら頷く。

 周りを見れば全身煤だらけになりながら、皆虚ろな目を瓦礫に向けていた。

 満身創痍とはまさにこの事。

 誰かが区切りの声を上げなければ、ここを離れられない。

 皆の反対をよそにシュネーヴィトヒェンに向かうと決めたのはライであって、彼らはそれに付いてきてくれたのだ。

 引き上げの合図をするのは、自分なのだとライは気づいた。


「僕達も城門に行こう、きっと向こうでも仕事があるはずです」

「……了解」


 ライのその指示に、皆は目を伏せて返事をする。

 命を救いたいのは皆同じ。

 ここを離れるという事は、残る命を見捨てる事と同義なのだと、誰もが知っている。


 ライは身を切る思いで、城門の方へと体の向きを変えた。

 その時……。


 ヒュールルルル、と空を切り裂くような音が。

 そして、ピカッとした光と同時に体が吹っ飛ぶかのような風圧を食らった。

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