(1)仲間の素顔
「――と言うように、王都にて新勇者が名乗りを上げた模様です。一つ目の力であるこの鏡を受け取りに、ここへ向かってきています」
石造りの講堂。規則的に設けられた窓から差し込む夕日が、赤い絨毯を燃えるように照らす。長いテーブルに顔をつきあわせて座る老人たちは、非常に難しそうな表情をしていた。
「……渡す訳にはいくまい」
「何をふざけた事を申す! それではまるで我々が背信者であろう」
「ではそなたは我々の領地が枯れてもいいと言うのか!」
老人達の会話は徐々にヒートアップし、机に両方の握り拳を叩きつけ立ち上がる人も出る始末。
「この農耕に適さない荒れた土地で、我々が生きていけるのはどうしてだと思う?! 交易の町としての収入が有るからだ。その交易が成功しているのも、いち早く近隣の情勢を掴み、それに適したを商品を売買出来ているからこそ。全てはその遠方をも見通すことの出来る“透視鏡”の力あってこそですぞ! 勇者様の希望だとしても、手放すなど以ての外。そうでございましょう!? シュネーヴ様!」
シュネーヴ――この領地の長である男性に全員の視線
が向けられた。彼は立派に蓄えた鼻髭を弄りながら、大きく項垂れる。
「大丈夫?」
「あっ、ありがとうございます」
クニックの馬に乗せてもらっていたライは、彼に手を借り馬から降りた。
王都を出てからほぼ無休で走り続けた一行は、日が傾く頃合を見計らい、途中の宿場町で夜を過ごすことにしたのだ。
慣れない馬の背で一日を過ごしたライの身体は既にバキバキ。それをほぐそうと大きく伸びをすると、空の高い所にギラリと輝く一番星が見えた。
ここは王都と内陸の地域を結ぶ貿易の道上にある宿場町。絹や宝石、食物、香辛料などを運ぶ行商人で賑わう町――のはずだった。しかし、今は通りの両側に競うように軒を連ねている宿は扉を締め切っていて、活気とは程遠い雰囲気を纏っている。
「随分、閑散としてるな」
前を歩くクニックが人気の無い通りに眉を寄せる。
本当に彼の言う通りだ。ほとんどの宿屋の扉にはCLOSEの文字が下げられていて、どの部屋にも明かりは見えない。
リー、リー、と遠くから聞こえる虫の音と、暗く静かな町並みが昨晩のガザラの惨劇を思い起こさせた。
町の中心まで来たのに、未だに誰一人ともすれ違わなかった一行はさすがに不気味に感じ始め、どうしたものか、とお互いの顔を見合わせる。
まだ日没直後でそこまで遅い時間帯という訳では無いのに、ここまで人の気配がないのは異常だ。既に闇の民の襲来を受け、もぬけの殻になってしまっているのだろうか。
そんな議論をしていると、今来た道の背後から、ペタ、ペタ、ペタ、と足音が滲み寄って来た。
「――ヒィッ!」
「静かに」
つい悲鳴を上げてしまったライの口をテナエラが慌てて塞ぐ。
しまった、と仲間の様子をうかがうと、彼らは全員
剣に手をかけ、警戒の体勢を取っていた。
新月の翌日は闇の力が強く一時間も経たずに月は隠されてしまう。もう既に西の空にその姿はなかった。月の加護が薄れた瞬間、闇と共に忍び寄る物と言えば、思い立つものはただ一つ。
出立一日目にして闇の民と遭遇してしまったのか、とライも震えながら背負っていた剣に手をかけたその時。
「ちょ、ちょっと待ってくだせぇ、旅のお方! そ、そ、そんな物騒な格好はよしてくだせぇよ! ここは平和な宿場町ですぜ!?」
建物の間の暗闇から現れたのは、頭に頭巾を被った割腹のいい親父さんだった。彼は帳簿とペンを手にゼェゼェと息を切らしている。
しばらく彼を注視していたテナエラだったが、警戒不要と判断したのか腰元の剣から手を離した。
「失礼、この暗さと静かすぎる街並みに、少々警戒してしまいまして」
凛とした彼女の声が空気を裂くようにして響く。彼女が右手の掌を地面に向け皆に警戒を解くように指示をすと、それに安堵したのか、親父さんは額の汗を腕で何度も拭っていた。
「いやぁ、ワタシも走って近寄っちまって……そりゃあ警戒しますよねぇ。大変に申し訳ねぇ……。と、ところで、皆さん今晩の宿はもうお決まりで? 決まっていなければぜひワタシの宿を使ってくだせぇ!」
突然に目を輝かせた親父さんは、持っていた帳簿を強引にテナエラに押し付けてくる。
テナエラは戸惑いながらもクニックと目を合わせ、彼が頷くと、お願いするわ、と短く言った。
「いやぁ、有難い! 実はワタシはそこの角の宿の店主をやってるものでして……。しかしまぁ、よくこんなご時世に旅なんてする気になりましたなぁ」
店主は持っていた帳簿とペンをテナエラに渡そうとしたが、彼女がクニックを親指で指したので小走りでクニックの元へと駆け寄った。クニックはそれらを受け取ると真っ新なページに自分の名前と宿泊人数、頭数を書き込む。
「やはり、人出が少なくなってますか?」
「そりゃあもちろんさ。ここ最近じゃぁめっきりだね。闇の民の復活のせいで行商人まで減っちまって、半数以上の宿は営業すら諦めてる。旦那達みたいな旅の御一行なんてそうそうお目にかかれねぇ。ワタシは凄い幸運の持ち主って訳だ、ははっ!」
ヘラヘラと笑う店主だが、経営はかなりの危機的状況なのだろう。彼に案内されて行った厩戸に馬が居た気配は微塵も感じられなかった。
「本当に二部屋でいいんですかい?」
部屋数を二部屋にと頼んだテナエラの申し出に、店主は目をパチクリとさせる。
「ええ、本当に申し訳ないのですが、我々も旅費が少なくて。食事も各部屋で取りますので、運んでください」
「かしこまりました。ごゆっくりとしてくだせぇ。何せ見ての通りガランとしてますから! はっはっは」
店主の乾いた笑いが、人気の無いフロントに虚しく響き渡る。
直後にバチッと目が合ってしまった。ははは……と引きつった顔しか出来ず、助けを求めるように隣に立つクニックを見上げるが、彼も同じように眉を下げて空笑いしていた。
そんな気まずい空気の中、店主から部屋の鍵を受け取ると、みんなは馬から下ろした荷物を、それぞれ分担してかつぎ上げた。ライがやっとの思いで持ちあげるような重い袋を、皆は軽々と数個持ちあげ、客室のある二階へと上がって行く。
ついその重さにふらつくと、後ろを着いてきていたルーザンがすかさずに言った。
「シマリス! 落とすなよ」
「だ、大丈夫ですっ! 落としません!」
袋を四つも担いだルーザンが、二段飛ばしでライの脇を抜かしていく。
「そんなこと言うなら先輩、坊の荷物手伝ってやったらいーんじゃないんすかぁ?」
「ガハハ、それではシマリスのためにならねぇんだよ。まぁ、こりゃぁアレだ。俗に言う愛のムチさ」
「――だ、そうなんで。がんばってね、坊」
ルーザンとは師弟関係らしいジン。彼までもがライをおちょくりながら、ライと手すりの間をすり抜けて行く。
「大丈夫ですか? 少し手を貸しましょうか?」
「いいえ、これくらい、大丈夫です……勇者ならこのくらいはやらないと……!」
心配してくれたリラ神官を断り、ライは手すりに縋りながら登って行く。
勇者としての自覚を持つ事――出発前にテナエラに言われた言葉だ。その自覚というものが何なのか、未だに理解は出来ていないが、こういった小さな事を頑張っていく事が大切な気がする。
ライが必死に荷物を二階まで引っ張りあげると、既に他の皆は部屋へ入ろうとしているところだった。手前の部屋に手をかけているのがルーザン。その背後にジン。そして奥の部屋に入って行ったのはテナエラとクニック。テナエラもクニックもなんの躊躇いの様子も見せずに一緒の部屋に入り、パタンと扉を占めた。
「……え? 同じ部屋!?」
驚きのあまりつい声に出してしまったライに、一同目を丸くした。そして後から込み上げてきた笑いを必死に堪えるように、肩をプルプルと震わせている。
「え……!? なんで笑ってるんですか!?」
「いんや、なんでもねぇよ……ブファ! なぁ、シマリス。お前今何を思ってる?」
「え。いや、その……あのお二人、夫婦だったんだ……って驚いてます」
ライのその答えに、三人はついに堪えきれなかったようで、声に出して笑い始めた。
「ライ……そうですよね、外から来た君は知らなかったのですね」
「イヒヒヒ、いや、いいよ。リラ神官黙っておこうぜ。面白言ったらありゃしねぇ」
「傑作だね坊……ぷぷ、あははは!」
ゲラゲラと笑う三人。ジンなんて目に涙を浮かばせる程だ。
え? え? とアタフタするライを置いてルーザンもジンも、リラ神官さえも手前の部屋に入っていってしまう。
「あ、あの僕は……!?」
パタンと扉を閉められ、一人廊下に残されたライは大慌て。
急いでルーザンの方の部屋の取手に手をかけようとすると、突然に扉が開き、にゅっとルーザンの顔が出てきた。
「むさ苦しい男集団の部屋と、甘〜い夜を過ごす美男美女の部屋。どっちがい〜い?」
「えっ、いやもちろんこっちですよ! 入れてください!」
「や〜だよ〜」
ルーザンが意地悪をして扉を閉めようとする。絶対に鍵まで閉められるオチな気がしたライは、必死に扉を開けようと引っ張りあった。
「開けてくださいよっ! 嫌ですよ僕、さすがに嫌ですって。僕だって分かりますよ、絶対気まずいじゃないですか!」
「――シマリス、後ろ」
「……え?」
背筋が凍るような嫌な気配がした。
いつからそこに居たのだろうか、恐る恐る振り返ると何時になく不機嫌な顔のテナエラが立っていた。
「何してるの、あんたは私達の部屋よ。早くしなさい」
そのあまりの怖さにライは、ヒィッ、と悲鳴を上げ、ドアノブから手を離した。