(2)選ばれし者
「……こりゃ、すげぇわ」
「ああ」
剣の間にたどり着く前に、事態が如何に深刻か分かってしまった。
むせ返るようなキツい匂い。魔術士には少なからず“魔力の匂い”が分かる。
それが凄まじい濃度で廊下まで充満していた。
「魔術兵団第三は直ちに留の魔法陣を書け! 魔法陣でこの充満している魔力を吸収する。前線の一、二団が防いでるのも時間の問題だ」
上官が荒々しく指示を飛ばす。
クニック達第三は、従うように火の精霊に語りかけ、地面に大きな魔法陣を焼き付けにかかった。
「ゴウカアネスト!」
至る所から魔術を使う為の詞が聞こえる。その言葉に従うように、地面に焼け焦げた跡が広がり始めた。それは規則的に直線や曲線を描がき、徐々に魔法陣の形をとる。
「クニック、無事か?」
「ああ、何とか……。これだけの魔力相手にしてりゃ、俺らの精力が吸い切られるのも時間の問題だな。目眩してきた」
莫大な魔力が充満したこの空間で魔術を使うと、力のコントロールが難しく、必要以上の力を発揮してしまいやすい。魔術を使い過ぎれば最悪の場合は死に至る。魔術を使うのも命懸けなのだ。
「第三、留めの魔法陣完成しました!」
「了解、直ちに発動の呪文にかかれ!」
第三の兵士達が、一同に魔法陣を起動させる詞をならべると、床に焼き付いた陣が淡く紫色に光り始め、渦を起こしながら空中の魔力を吸い込み始めた。
やがて魔力のモヤが晴れると、前線に出ていた第一、第二の兵の姿が現れてくる。
「第三、直ちに救護活動開始!」
膨大な魔力に晒された前線の兵士達は、ぐったりと地面に倒れ込んでいた。
クニックも命令通り彼らに駆け寄る。
その救護活動中に、ふと視線を上げれば、その先――魔力の発生源である剣の間の中に横たわっている小さな人影を見つけた。
「……大変だ。悪い、ここは頼む」
「おい、クニック? どこに行くんだ、よせ! そっちは危険だ」
仲間の心配をよそに、クニックは未だに高濃度の魔力を生み続ける剣の間へと一人突入する。
むせ返るような魔力の匂いに、呼吸すらも苦しい。ここの部屋には廊下とも比べられない程の魔力が充満していた。
魔術兵団として訓練を積んできたクニックでさえ、こんなに強い魔力を目の当たりにするのは初めての事だった。魔力は目に見えないものだと習ってきたが、ここまで強力になると光を放つらしい。まるで流星群の中に居るような感覚になる。
クニックは魔力にコントロールを奪われないよう細心の注意をしつつ、倒れている人影へ小走りで近づく。その人物が識別出来る距離まで来ると、予想通りの顔に、慌てて抱き上げた。
「ご無事ですか!? テナエラ様!」
「……んん……」
真っ青な顔をするテナエラ。しかし辛うじて意識はあるようで、うっすらと目を開けるとクニックの背後を指さす。
「……?」
つられるように指し示された方に視線を向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「こ、これは……まさか!」
ここが剣の間と言われる所以。それは、例の伝説の剣が納められているからである。常に祭壇の上に魔術強化ガラスのケースに収められていた剣。なんとそれが、そのケースを破壊し飛び出し、宙に浮いていたのだ。
この恐ろしい程の魔力も、この剣から吹き出ているように見える。
これを“剣の目覚め”と呼ばずになんと呼ぶのだろう。
招集を受けた際にクニックが思った“最高の状況”が目の前にあった。
「お……おお、おお! 神が、神が我々を救いに来てくださった……! テナエラ様、テナエラ様! おめでとうございます! 新勇者万歳、新勇者万歳!」
感動のあまり、我を忘れて大声で万歳を三唱するクニック。そのままの勢いで、抱き抱えられた状態のテナエラに、早く剣を抜くよう促す。
が、しかし、テナエラは静かに首を横に振った。
「……?」
「な、った」
「え?」
「抜けな、かった……」
つう、とテナエラの右目から涙がこぼれ落ちる。
「……どういうことです?」
沸き起こっていた感情が、一瞬にして冷えて固まる。
よく見れば、彼女の両手が酷い火傷を負ったような状態になっていた。
「……私は、勇者じゃ……なかっ、た」
そこまで言うと、テナエラの体からガタッと力が抜けてしまう。
「テナエラ様、しっかりしてください! テナエラ様!?」
返答の無い彼女を抱きながら、クニックは未だきつく鞘に収まったままの伝説の剣を睨みつける。
「君も今までの彼女の頑張りを見てきただろう? 君が一番彼女の近くで見てきたはずだろう!? 彼女が勇者では無いというのなら、一体誰が勇者なんだ! 彼女以上に適した人がいるのなら教えてくれ!」
八つ当たりにも近いクニックの叫び。
しかし、それに応えるように、剣はさらに強い光を放つ。
「……っ!」
そして、フッと風が吹いたかと思うと、剣は剣先を頭にして、どこかから引かれるように飛んで行ってしまった。
一瞬の出来事に呆然とするクニック。
剣の居なくなった“剣の間”は、なにか巨大な魔術が解けたかのような、ひっそりとした静かさに包まれた。