星は君を見た 1
豪奢な私室から繋がる幅広いベランダ。そこには三つの人影があった。
レイナディア帝国第二皇女、エリナエールは四年にも渡る潜入調査の報告を聞き、任務を終えた男を労う。
「なるほど……顛末は把握しました。長い間、お疲れ様でした」
「ありがたきお言葉」
そして、もう一人に顔を向けた。
戻ってくるなり床に額をつけて微動だにしない部下、アステラ・ナイトレイに困ってしまった。
「アステラ」
「申し訳ございませんっ」
何かを話そうとするとすかさず謝罪が飛んでくるのもげんなりする。
男に何とかしろ、と視線で促すが、彼は肩を竦めて頭を振った。
「オレからは伝達ミスで申し訳ないとお伝えしましたが」
「確かにアステラが先走った感じは否めないけれど、マルボル、もう少し頑張ってくれない?」
「いやぁ、オレも忙しかったもので」
非難がましいじとっとした眼にマルボルは飄々とうそぶいた。
溜息をつくとエリナエールは分厚い報告書を部屋の中に放り込む。
「ともかく、これで帝国に巣食った害虫を一つ潰す手掛かりが出来た。幸運なことに被害無し。そこにアステラは何か不満があるのですか?」
「……私は姫様と星鳳流の名の下に決闘を仕掛けたにも関わらず敗北し、なおかつ生き恥を晒しております。捧げる誇りを穢しました……」
「わたくしはあなたが生きていて嬉しく思いますよ」
「しかし、私は……」
「こうしてアステラが前に居るから穏やかな振りをしていますが、もしもあなたが殺されていたら、わたくし、今頃は剣を持って城を出ているでしょう」
「ひ、姫様……」
ようやく顔を上げて感極まる表情を浮かべるアステラに対し、「うわー、やりそう……」とか呟いているマルボルをきつく睨みつける。
それから下手すると城を出かねないアステラに毅然として命令する。
「アステラ……あなたを負かすほどの猛者が今後、どこかに埋もれるとは考えがたいです。いずれ再会した時のために自身を鍛えなさい。この地上で一際輝く一等星となるのです」
目の端からぽろりと溢れた涙を拭い、より引き締めた相貌でアステラは頷いた。
「かしこまりました! なお一層の研鑽を誓います!」
「期待しています。……では、あなたをいとも簡単にあしらったという男について……教えてくれるかしら」
マルボルがどこからともなく取り出した資料を手に話しだした。
「ではオレから。名前、年齢共に不詳の男。通称は【アニキ】。エラドリデルに現れたのは一年ほど前のようです。その前は辿るのが難しいですが、どうも大陸北東の大森林方面から来た、という説が濃厚」
「あなたが追いきれないとは珍しい」
「アニキは好んで浮浪者をしてましてね。顔が隠れるほど伸び切ったぼさぼさの髪と襤褸マントが目印……だけれど、そんな浮浪者はいくらでもいるもんで。大陸北東方面の訛りを強く感じました」
ふうん、と相槌のような鼻声が入る。エリナエールが表にした指先で続きを誘う。興味を持った証拠だ。
「そんないくらでもいる浮浪者の中で、どうしてあれほどアニキに入れ込んだの、マルイチ?」
「やー、姫、ここではマルボルで」
デカくて丸い顔が苦い顔をするので、エリナエールは少しいい気分になった。いつも言葉の剣は軽くかわされてばかりだから。
「アニキは普通じゃなかった。実力は未知数のところがありますが、世間一般の枠にはハマらないんだろうな、とは思いました」
「あなたにとって特別だった、ということ?」
「姫に次ぐくらいには」
「安心したわ。右手が飛んでいってしまうかと焦りました」
冗談めかして言ったが、エリナエールの本音だ。マルボルは有能だが、それ以上に信頼がおける相手として重宝している。
「可能であれば取り込みたく、調査を進める傍ら、仲を深めていたわけです。せっかちな公爵軍のせいで泡と消えましたが」
「わ、私も申し訳ありません……」
公爵軍をぶっ飛ばしただけなら、アステラの持つ権限でどさくさに誤魔化せた。だが、アステラまでぶっ飛ばされて仲良くするのは難しい。
「アステラはいつも冷静であること、そして状況判断力を磨くように」
「はい……」
マルボルが報告書を一枚めくる。
「エラドリデルを出てからは南へ向かっているようです。近くの村で服を調達しています。そこから先は足取りが掴めていません。ここ、帝都を通ったとは思いますが、日数的には真っ直ぐ進んで隣国ブルズアイズに入っていてもおかしくはないです」
「あら、あんなに大それた事をするくせに、迷うことなく一直線に逃げるのね。誰の差し金かしら」
「姫の寄り道が多い散歩に胃を痛めている哀れな兵士かと」
しれっと嫌味で返すマルボルに舌打ちをする。無作法を注意をしてくるばあやは就寝の時間だ。
「実際に戦ったアステラからは何かあるかしら」
「名と流派を決闘の際に交わしました。名はトゥーリヤ・イヨと。伊予紅源流の使い手で、剣も使えるようですが、徒手空拳の格闘術が主体の模様です」
エリナエールはふむ、と顎に手を当てた。マルボルの調査で不詳になっていた部分が早速明らかになったが、新たな謎が生まれた。
「伊予紅源流……聞いたことのない流派ね。帝国では星鳳流が主流だけれど……有力な格闘術の流派なんてこの辺りにあったかしら」
疑問に対し、マルボルは否定の意を示した。
「帝国……というよりもグステニア大陸では星鳳流が強いですからね。そこから派生した流派は数ありますが、伊予紅源流とやらは初出かと」
「ええ……姫様。あの流派は確実に星鳳流とは出自が違います。あまりにも……」
アステラは口にしながら言葉を探す。初めて出会うスタイルの敵を表す言葉。
「……そう、あまりにも……私たちとは異質でした」
マルボルの報告書に目をやる。
「あなたは私と彼の決闘を見ていたのですよね。どう思いましたか」
しかし、マルボルは苦笑して一歩引いた。
「おいおい、文官のオレに戦闘分析は求めるな。お前さんが消えたと思ったら決着だったよ」
「役に立たない……」
「お前さんの治療をしたのはオレなんだがな」
ぱん、と軽く叩いた音でエリナエールが注目を取り戻す。
「二人の仲が良いのは喜ばしいことだけれど、わたくしはアステラの感想が聞きたいわ。……異質とは?」
「失礼いたしました」
謝罪の後、多少の沈黙でアステラは考えを纏めた。
「そうですね……まずは力の根源が違う気がします。私たち星鳳流に限らず、身体の強化は行いますが、それは魔力を用います。ですが、彼は魔力に干渉している様子はありませんでした」
「肉体に宿る生命力を十全に扱う……ということかしら。今となっては時代遅れの技術を取り入れる流派にあなたが負ける……?」
「考えるに、それが答えなのでしょうが、違う気がするのです。それだけでは説明がつかない」