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天下の星 4

 体重の軽いアステラが前後左右に回転しながら吹き飛ぶ。


「おぉ、よく避けたな」


 地面を転がる彼女に称賛の呟きが出る。数度の回転で勢いを殺したアステラはダメージの様子を上手く隠して立ち上がっている。

 殴った感触が体重の軽さを鑑みても異常に軽すぎた。抜群の身体操作で拳のインパクトを受け流された。

 おまけに肉を殴ったには硬すぎる。おそらくは服の下にチェインベストを着込んでいる。


 全くのノーダメージ、ということはないが、想定より上手い。集落を出た時のヘイズくらいの練度はある。


「あなた、名乗りなさい」

「……うん?」


 アステラが震える声で言った。


「私は星鳳流槍術、階位は二等星(ウイングステラー)――アステラ・ナイトレイ」


 そして槍の穂先を前方に掲げる。


 僕は頭を掻いた。なんて面倒で――心躍る提案をしてくるんだ。

 彼女の名乗りには二つの意味がある。


 星鳳流はとても有名な術理流派で、五つの武器術が東西を問わず至るところで浸透している。その二等星とは只事ではない。

 一等星は星鳳流に五人しかいないと聞いている。各武器術に対して一人だ。それに次ぐ二等星は星鳳流を代表すると言っても過言ではない強者だ。


 もう一つ、名乗りと共に掲げられた武器。これらが意味するのは決闘――アステラが自ら仕える皇女の意志に反し、武人としての誇りを優先したということ。

 【瞬雷】を破ったのがよほどプライドに障ったらしい。


 そんな面倒くさそうなやつの相手をするのは、面倒だ。


 しかし、こんな機会はそう巡ってくるものではない。

 町に来てから全力で身体を動かす機会には恵まれなかった。毎日のように山を走り回り、獣や魔物を相手に運動していた頃に比べて、時間の流れが泥濘に囚われたかの如く遅く感じた。

 久方ぶりの健康的な運動に、僕の鍛えられた全身が、宿った術理が歓びの声を挙げている。


 理性は絶対的な面倒臭さに辟易している。けれども、この沸き立つ心の動きは抑えられない。

 自ら選んだというのに困ったものだと、口の端で笑った。


「僕が名乗るのは、君が初めてだ」


 長剣を捨て、胸を張る。

 体術の延長で武器もある程度は操れる。だが、そんな稚拙な術理を晒すなど、無粋。

 僕が産まれた時から共に在り、頼るのは己の五体、そこに宿らせた術理のみ。


 名乗る術理は長老からの借り物ではない。

 名前のなかった僕だけの術理に、今、名を付ける。


「伊予――紅源流」


 掌をかざし、小指から一本ずつゆっくりと握り込む。

 そこに産まれた一騎当千の拳を通し、荒ぶる気迫がアステラにこの昂ぶりをぶつける。


「僕はトゥーリヤ・イヨ……。アステラ、お前を狩る!」

「【瞬雷】を破ったとて大言壮語が過ぎるぞ! 星の名を冠する奥義にて葬るッ!!」


 二人同時に構えを取り、

「……っ!」

 一足飛びに距離を詰めた僕の眼前でアステラの姿が影ごとかき消える。


 彼女の移動速度は度を逸している。

 先程の【瞬雷】を破れたのにも理由があり、初手より近かったので加速が不十分であったこと、加えて僕の視界内で初動があった二点に尽きる。


 僕の気配察知の範囲外から狙われたらもう一度避けられるかは怪しい。そういった点を勘案して挑発、至近距離での発動を誘発した。

 アステラは瞬く間に僕の察知範囲から逃れた。台詞がブラフでなければ、【瞬雷】での奇襲はないと思っていいのかもしれないが……。


 星鳳流は主体となる武術と補助的な魔術の術理を高度に融合させた流派だ。

 彼女の馬鹿げた移動力は身体操作の練度に、高い魔術の技量が支えている。


 ――暴風。


 現時点で予想に挙げられるのは風による加速。星鳳流派が扱う魔術も大別すれば、また武器と同様に五種類。風系の魔術による速度の加算は、小柄な戦士の常套手段と本に書いてあった。


 アステラの姿を探して見上げた空、陽光に紛れて黒点があった。砂よりも小さな粒が大きくなっていく。


「穿て……!」


 彼女が天まで届けとばかりに覚悟を叫んだ。


 空を舞う鳥よりも高く跳んだアステラが、天より降る雨よりも早く駆け落ちてくる。

 翼を持たぬ人間が空を駆けるなど、誰が信じるだろうか。

 しかし真実、アステラは間違いなく天を踏み、一歩ごとに風の加護を得て加速している。


 赤熱した穂先が宙を二分するように空を裂く。

 その先端はわずかなりともズレることなく僕を狙う。




 ……戦いにおける、ある行為について僕は疑問を抱いていた。本で知識を得て、創作の物語に肖っているのかとも勘違いしていた行為。

 使用する技術を正直に予め宣言する行為について、僕は常に首を傾げていた。

 発声したところで練度は瞬間的に向上しない。技術の完成度は常に積み重ねた理に依存する。

 敵に行動予測の猶予を与えるだけの無意味な行為。 

 これまでの二年で得た経験上、戦闘から意識を零すだけの、自ら不利に陥る愚かさの象徴。




 ――アステラが僕の誤りを、証明する。


「星鳳流槍術・奥義!」


 暴風を背に荒れ狂う圧力が、宣言の開始と同時に凪いでいく。

 否、消えたわけではない。精緻に導かれ、漏れ出ていた力が一点に集束。

 天を味方につけたアステラの術理が形を持つ。


「【星流鳳纏槍(せいりゅうほうてんそう)】ッッッ!!!」


 槍が瞬いた。


 意識の現象化。完全な宣言を以って、地上に星が現れる。

 灼光の穂先が晴天にただ一筋煌めく流星へと昇華したのだ。光が尾を引いて落ちる。


 【瞬雷】すら霞む早さに、もはや選択の猶予はなかった。最善手は回避、斜め上方からの角度ある突入に対し、飛び退きかける。


 その時、アステラが僕を見た。僕は視線が合った、と感じた。

 眩い星の向こうからメラリと燃える瞳が突き刺してくる。

 逃げるのか、と。


「伊予流・改【風車】――」

 気付けば僕は、


「――改めぇ!」

 奥歯を剥き出しにして、星の光へと吼えていた。


 片足を後ろに向け、半身で腰を落とす。ゆるく天へ伸ばした右手首を左手で支える。軽く開いた掌は星を受け止める盾だ。


「伊予紅源流・奥義!」


 本来、星は人がどれほど手を伸ばそうとも届かない。だが、あの赤い星は自ら懐に落ちてくる。

 そして、たかが二等星。

 僕を潰すには輝きが足りない。星の真似事にここは譲れない。

 長老から授けられた本物を、集落から継いできた術理を疑わぬ矜持は忘れていない!


「響け、【(やまびこ)】ォッ!!」


 直後、星が赤い光を纏い、地表に着弾した。

 槍の穂先が掌の中心を突き、しかし、そこから通さない。鍛えられた分厚い肉の上、皮一枚のところで槍撃が止まる。


「なっ、んで……っ!?」


 アステラが戸惑いつつも、すかさず風を蹴り圧力を増す。掌の皮を貫き、肉へとあくびが出そうな勢いで先端が沈んでいく。

 だが僕は後ろ足に力を込め、その場から微動だにしない。――まだ溜める。


「なぜ……なぜ素手で槍が刺さらない!?」

「やり方を教えてくれたのはアステラ、お前だ!」


 宣言が、わずかにズレていた呼吸と肉体を、意識に、目的に合一させた。

 すなわち、アステラ・ナイトレイの全力を正面から完璧に受け止め、そして打ち砕く。


 技とは単なる技術であり、訓練で練度が増し、精度や威力が向上する。しかし、それだけでは永遠に完成しない。

 真なる技にこそ必要なものが意識――アステラの覚悟であり、僕の矜持だ。


 アステラは人を一人倒すのに落ちる星となる選択をした。奥義の宣言は、星になる、という自身への宣誓。

 星の一撃を、暴れる右手で支え、震える左手で抑えつける。僕の全身を廻る気力が右手に集約され、槍から伝わる力を抱えている。

 ――受け止める、ただ、その一念で。


 少しでも気を抜けば抑えこんだ星の力が爆発しそうだった。そうなった瞬間、僕は星槍に貫かれるだろう。

 力を開放しろと荒れる星槍を適正に留め置くには常に細かな修正が要る。脂汗が額に浮かぶ。

 星の推進力を担う風までもが荒れだし、擦れ合う風と星とが幾条もの稲光を生み出した。


「……アステラぁ! お前の全てはこんなものか!?」


 止まらない手汗で外れかかった左手を叱咤し、僕はアステラに獰猛な笑みを見せた。

 僕が打ち砕くのはアステラの全力。こんなんじゃ、足りない。彼女はまだ何か隠している――

 アステラは目を見開き、それから小さく、僕と同じように笑みを零した。わずかに槍から伝わる圧力が弱まる。


「私の星は……ッ! もっと! 強いッ!!」


 彼女の気合と共に、三度、太陽が瞬いた。

 熱波が僕の顔を叩き、汗が一瞬にして渇く。

 アステラが蹴る風の奥に、小さな太陽があった。圧倒的な熱量で白く輝く炎の玉。

「風の魔術だけじゃ……なかったんだな」



「昼の力さえも取り込んだ、真宵の星……止められるものなら止めてみろッ!」



 アステラが太陽を蹴る。

 爆発すると同時に、先程までに倍する、いや何倍もの力が右腕に走った。

 その圧力に耐えかねて腕の骨が割れていく音が体内を伝わる。手の甲から槍の先端が覗く。一歩も押されなかった後ろ足がずずず、と滑り出す。


 想像力が不足している。意識しなくてはならない。アステラの一撃を受け止めるイメージ。


 僕の住んでいたイヨ村は深い、とても深い山々の間にあった。雄大な自然はあらゆるものを受け入れ、自身の一部として溶け込ませてしまう。木を伐り、獣を狩り暮らしていた僕たちもまた、山の一部であった。

 山では不思議な出来事がいくつも起こる。


 寒くなると木々の葉は紅く染まり、暖かくなると散ったはずの花が再び咲く。


 谷間を流れる川から立ち上った霧に、谷の深さと同じくらいある巨獣の影が映る。だが、いくら探しても巨獣は見つからない。


 そして、村に伝わる木霊。山は音ですらも受け入れ、そして何度も繰り返し、音を発した者に返してくれる。

 思い出すのはヘイズと共に山へと大声を挙げた、あの日。峻厳な山の頂で、周囲に立ち並ぶ頂の群れに思わず声を掛けた。あの恐ろしくも偉大な山々――。


「僕は……小さい……!」


 そうだ、あの時感じたのは雄大な自然に対してちっぽけな自分。

 今度は僕が、アステラの星を受け止める大きさが足りていない。

 先程まで足りていなかったアステラが隠していた一手で僕を超えてみせた。

 僕にはそんな隠し玉はない。魔術など二年前に町に出てきて知ったし、習得には手間のかかる技術だった。片手間に修められるものではなかった。


「なら、今すぐに、成長する……!」


 状況を打開する別の要素がないのであれば、手持ちの要素でその先に行かなければならない。

 【谺】は間もなく破られるだろう。受け止める器が小さかったがゆえに。

 今の自分が出来ること。この状況下で何が出来るか。



 ――二枚にする。



「伊予紅源流・奥義【谺】――変形【谺・残響】!」


 支えにしていた左手を外し、右手に重ねる。

 大きさが足りなければ、数で補う!

 右腕だけで受け止めていた星の力を二分し、両の手で抑え込み、溜めていく。


「私の星が……っ、……吸いこまれる!?」


 爆炎による加速は一時のもの。爆発的な瞬発力も最大値を消費すれば、あとは減衰していくのみ。

 魔術の風とて無限に吹き荒れるものではない。いずれ凪ぐ時が来る。


「……これが、君の全力だな?」


 赤き星が輝きを失い、ぴたりと世界が静止する。

 アステラは詰めていた息を諦めと一緒に吐いた。


「認めよう。……私の敗北を」


 その台詞と共に世界が軋んだ。

 槍から力が失われたことで、拮抗していた平衡が崩れる。僕の両の手には、星から受け取った力がまだ残っている。

 受け取め、溜めてきた力が指の先から腕、胴体を駆け、前足へと流れ込む。

 踏み込んだ前足の裏から溢れ出した力の奔流が、流星にも劣らぬ早さで僕を押し上げる。

 後ろ足が弧を描き、宙をふらつくアステラの腹に突き刺さった。衝撃が足の先から、彼女の背へと抜ける。


「がふ……っ」

 身体が折り曲がった彼女の口から、黒い血の塊が零れた。


 その場で崩れ落ち、痙攣するアルテラ。

 戦いは終わりだ。僕は構えを解く。




 襤褸マントを裂いて、右手の穴に巻いておいた。血止めぐらいにはなるかもしれない。

 アステラに背を向ける。彼女の乱入はあったが、まだ作業は途中だ。


「待、て……ッ!」


 僕が振り返ると、震える足を殴りつけ、アステラが立ち上がろうとしていた。


「なぜ、とどめを……ささない……っ。なさ、けの……つもりか!?」


 決闘はどちらかの死を以って決着とする。始まってしまえば、どちらか片方がこの世から消えるまで終わらない。


「違うよ」

「じゃあ、なぜ……っ? わたしが、女だから、手加減したとでも……っ?」

「いいや、本気を出した」


 決闘は戦いを糧とする者たちにとって特別な、あるいは神聖な儀式だ。互いの同意を掟とし、臨死の争いを求める。

 己の方が強い、という矜持に殉じる。


「僕は君を殺すつもりで蹴った。それでも生きているのは、お前が強かった、それだけだろ」

「決闘の終わりには! どちらかの死が、必要だ! 私を生かしておけば、いつかまたあなたを襲う! それでも良いのか!?」


 ――そんな暗黙の了解、あまりにも馬鹿馬鹿しい。

「ああ、構わない。君を殺した方が面倒になりそう、そんな予感がする」


 反撃で相手を死に至らしめるのは仕方がない。そうでなければ僕が死んでいるということだから。

 山でも生き残るには相手のことなど考えていられない場合がたくさんある。だから、考えられる余裕があるなら、自分の心に委ねる。


 予感がしたのだ。

 確かにここでアステラの息の根を止めれば、本人の逆恨みなどは永遠に無くなる。だが、そうしてしまった場合、より大きな危険が迫ることを予感が教えてくれている。



「僕は面倒なことが嫌いなんだ」

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