天下の星 2
こいつらは僕のことを【アニキ】と呼んで慕ってくれている。
伊予深森流を応用した健康的な身体を作る運動をマルイチに見せたのが始まりだったと思う。
路地裏で不労所得生活を営む人は、不健康な状態が多い。マルイチもご多分に漏れず常に青白い顔をしていたが、僕の教えた健康運動でかなり改善された。
仕組みや原理は教えていないので、長老の術理を勝手に教えてはいない。という言い訳をしている。
マルイチは「金を取って広めるべきっすよ!」とか言っていたが、僕は働きたくないのだ。金をもらって教えるのはすなわち労働ではないだろうか。
拒否反応を見せると、実のところ頭が良いであろうマルイチは解決策を持ってきた。
僕が働かずに済み、かつお金が稼げる手段。
憧れの不労所得だ。
乗り気になった僕に提示されたのは、僕が健康運動を何人かに教えて、その何人かが他の人たちに指導する。という他人任せな方法だった。
教師という職業は知性と人柄が重視されると聞く。有効性に疑問はあったが、結果的に僕が働かずに済むのなら、とマルイチの知人で試すことになった。対案も無かったし。
これが大当たりし、エラドリデルで一大ムーブメントを起こしつつある。子供でも毎週参加できるワンコインにしたのが正解だった。毎朝毎夕やってくる老人もいるらしい。
教師役もいつの間にか人数が増えていたりする。もはや店に入りきれないほどの人が僕を慕ってくれるようになったので、集まるのは僕が顔を覚えている人だけにしてもらっている。
近くの席に座っていたクマジローがどデカイ革袋を手に寄ってくる。こいつも例によって名前を忘れたので、熊みたいに毛深いのと二番目の男ということでクマジローと呼んでいる。
革袋を僕のテーブルに置いて、
「今週の上がりでやす。お納めくだせえ」
中身を見ると金色の硬貨が山のようになっていた。
「なんかまた増えてない?」
「西地区のカクジュウでやすね。アニキの健康運動が大人気だそうで、教導役が悲鳴を上げてるそうでやす」
「へえ、そうなんだ。暇なやつで手伝ってあげなよ」
僕が言うと、五人くらいが一気に手を挙げて、「オレが手配する」「いや俺が行く」「担当地区にすっこんでろ脳筋共め」「おめぇもそうだろが!」「アニキ、こいつらどうしようもねえ!」などと一人、出し抜きを狙った男にジョッキが飛んでいく寸前、僕は手を叩いた。
注目が集まったところで、指示を出す。
「お前ら五人のとこで一人ずつ手配すればいいだろ。カクジュウ、それで足りる?」
顔が角張っている十番目の男、カクジュウが「へいっ! 五人も増えりゃあ当面は行けそうでいす!」と元気よく答える。
「みんな聞いてくれ」
喧嘩になりかけた酒屋が落ち着いたところで、マルイチがみんなに呼びかけた。彼は僕に話しかける時だけおかしな口調になる。
「中央区にあるカジノ・ミラティニは知ってんな? そこのケツ持ち、エラデル・マフィアが俺らを狙ってるっつー噂がある。特に集金係は気を付けろ。カジノの地下には解体所があるって話だから、何をされっか分かんねえぞ」
おっかない話だ。
カジノとは参加費が必要な遊戯があり、その遊戯に勝利すると参加費が何倍にもなって帰ってくる場所らしい。上手くやれば大金が手に入るが、下手をすると滅多なことでは返せない額を借りるほど負けが込むとか。
そうなると、死ぬほど働かされたり、文字通り死んで金になることに使われるそうだ。僕は近寄らないつもりでいる。
「確か半々で負けるんだよなあ。よくやるよ」
「や、アニキ。カジノは胴元有利なんでもっと負けるっすよ」
僕のぼやきにマルイチが正しい情報を教えてくれた。
避けられない事態を除いて僕が勝負を挑むことはないだろう。僕は嫌な臭いを察したら大回りをするタイプなんだ。
「何が楽しくてカジノに行くわけ? 金が欲しいなら働けば良さそうだけど」
僕の疑問に酒屋のあちこちから声が上がる。
「俺ら程度じゃ一生見られねぇ金が飛び交うって話でっさ」
「ちっこい賭場でもよお、金になるって分かってる大量のコインをじゃらじゃらさせんの楽しいっすわ」
「オレもコイン高く積むの好きだわ」
「大金を掛けてるってぇ、緊張感がたまんねえんす」
一概には金のためってわけじゃあないらしい。
意見の中には僕でも叶えられそうなものがあったので、クマジローが置いていった革袋をマルイチに預ける。
「それじゃあ五枚ずつこれあげるから、みんなで両替してきなよ。銅のやつに替えたらじゃらじゃら出来んじゃない? カジノに行かなくて済む」
歓声と口笛が鳴り響く。一部「そういうことじゃあないっすよアニキ!」とか聞こえたが、まあ喜んではいるようだ。
マルイチのおかげで不労所得はたくさんもらえるようになったが、大通りはおろか、およそまともなお店には入れないので、いまいちお金の使い方が分からない。
襤褸を脱いでくださいっす、とはマルイチの言葉だ。
汚れとか気にしなくて済むから便利なのに。
「それじゃマルイチ、残りはよろしく」
「了解っす。整理できたら報告しに行くっす」
こんな大量の硬貨は持ち歩くのが面倒だ。いつもマルイチに処理を頼んでいる。
マルイチは健康運動をする場所の整備に金を出したり、僕に飯を買ってきてくれたりする。どこに集めた金を置いているのかは僕も知らない。
知らないことばかりだが、やはり困らないから気にしていない。最悪でも町を出て山に行けば腹は満たせる。
水を一気に飲み干して、僕は席を立った。充満した臭いにそろそろ頭がやられそうだ。
手をひらひらと振りながら酒屋を出る。
「ああー、鼻が曲がりそうだ……」
新鮮な空気を求めて地上へと這い上がる。
何度か深呼吸をしたところで――、僕は肩を落とした。
「……最悪な気分だ」
鼻の機嫌が悪かったのが関係あるのか、僕が常に頼りにしている予感が今の今まで働かなかった。
回避は不可能な距離に『嫌な予感』の原因が留まっているのを察した。僕とてあやふやな予感だけで狩りをしてきたわけではない。生き物の気配を知る術は他にも身に付けている。
あちらも僕の存在を察知している。緊張が増した。
酒屋にいた誰かに用事があることは確信した。そして予感がする、ってことはおそらく僕に不都合な用事がある。
とりあえず欠けた石を拾って、地下通路に投げ込む。マルイチの『不測の事態のお願い』はこれで果たした。石を酒屋に投げ込んだところで何が解決するのかは不明。
僕は「嫌だなあ」と呟きながら、民家に足を踏み入れた。
中には先程の男に代わって、胸甲の兵士がいた。すでに抜剣済みである。なお、僕が民家に入った瞬間、家の周りにわらわらと人が集まってくる気配がしている。
にたぁ、と気色悪い笑みを浮かべた兵士が怒鳴った。
「反体制派リーダー【アニキ】! 皇帝陛下に対する反逆の罪で捕縛するッ! このオンボロ小屋は囲まれている……無駄な反抗はするだけ無駄だぞ……!」
謂れのない罪に僕は溜め息を吐いた。
どれほど好意的に考えても、この男がアニキと呼ぶ僕を慕っている様子には見えなかった。
「反逆って一体、僕が何をしたと?」
「とぼけるな! お前らが広めている運動が地下組織への勧誘に繋がっていると調査で判っている!」
地下組織と言えば地下組織なのだろうか。集会所はどこも地下ばかりだし。
「健康的な運動を人に教えたら、それは罪になるのか。知らなかったな」
僕の嫌味に兵士の刃先が揺れる。
町に出てきてから、国という大きな人の集団では、規律に縛られることを知った。規律を破るのは良くないことだと周知されているのだ。
規律を破るとその内容によって刑罰が与えられる。
僕はレイナディアで暮らす上で守るべき規律を遵守してきた。つまり、僕に咎められるべき罪などあるはずがない。
それにこの兵士の眼は良くなかった。
澱が溜まって濁りに濁っている。餓えて理性を失った獣と同じ眼だ。
僕は一歩下がった。突き出された長剣が空を切る。
「御託はいいんだよ! 資金の隠し場所と組織の詳細を話すなら、今ここで処刑するのは止めてやる……さっさと吐けッ!」
避けなかったら顔に剣が刺さっていたところだが。
まあ欲望が隠せていないので僕としては簡単で助かった。
「なるほど、屍肉喰らいの類いか。こいつは頭が悪そうだし、統率者じゃないな……」
「き、貴様……! あまり調子に乗るんじゃあないッ! 戦闘開始!」
考えを纏めるための呟きをいちいち拾うんじゃあない。
勝手に激昂した兵士が怒鳴る。すると、両端の扉を蹴破ってわらわらと兵士たちが突入してきた。部屋が埋まりそうだ。
「行くぞ、潰せぇい!!」
掛け声と同時に、背負っていた盾を前面に押し出し、さながら鋼鉄の壁が左右から迫ってくる。
僕一人に難癖を付けるため、大げさな人数で来た上にやることは地味。しかし地味ながら嫌がらせが上手い。
格好つけて剣で斬り掛かって来てくれた方が楽だった。
閉所で人数差を押し付けられると圧が強い。
「仕方ないな……」
僕は股を開くように一歩を踏み出し、接地する瞬間に腰を落とす。床板を割るほどの力強さで踏み込んだ足裏が地面を捻り込んだ。
伊予流・改【波濤】。
地面を揺らがす衝撃が三度兵士たちを襲う。
不安定になった足元を不規則なタイミングで衝撃が走っては立っていられない。ましてや、圧倒的に有利な立場で油断していたところに、予想外の攻撃方法だ。兵士たちに受けきれる練度はなかった。
総崩れになった兵士たちを飛び越え、僕は路地裏に抜け出した。
「に、逃がすな! 追えーっ!」
それは困る。
この辺りの家は造りが雑だ。柱は四隅にあるのみ。僕は急ぎ一本を外から蹴り、真ん中からぶち折った。
一瞬の均衡。
支えを失いバランスを崩した民家が埃を撒き散らして倒壊するのはすぐだった。
兵士たちのほとんどは家に埋もれて、呻き声が聞こえてくるだけの状態。その有様に無事だった兵士も二の足を踏んで近寄ってこない。
彼らを尻目に、僕は路地裏へと消えることにした。
とりあえず考える時間が欲しい。
「どうしようかなあ……。しつこそうだしな」
屍肉喰らいをする獣は人の獲物を横から掻っ攫うズルいやつだが、実に我慢強く執念深い生き物だ。
わずかな隙を突いてあの手この手で獲物を狙ってくるし、その隙が生まれるまで辛抱強く監視を続けるタフネスがある。力量、数的に有利がつくなら実力行使も辞さない。
自身は他人の獲物を狙うくせに、逆の立場となると怒り狂うのも難点だ。
これは全て魔熊のことだが、一部の人間にも当てはまる。
魔熊よりも力は劣る。けれども、補って余りあるほど数がいる。そして理性の制御力という分野では魔熊よりも野性的だ。
僕がやつらの獲物として認識されてしまった以上、根本を絶たねば安寧は遠い世界の産物となってしまうことは想像に難くない。
「嫌だけど仕方ない……狩るか……」
端から枝葉を刈っていけば、そのうち根本に行き着くだろう。
群れの屍肉喰らいにおける対処法は二つ。
統率者を狩るか、数を減らすこと。
今回は統率者が不明なので他に手段はなかった。