出題編 7
「ダークエルフは、母様の方なんだ。父様は人間で、母様とは戦場で知り合ったと聞いている。兄とわたしが生まれたときに、母様の方は騎士団を辞めたらしいが……」
「両親はともに騎士団に? エスメラルダのか?」
「父様はね。母様はカトランの騎士団だ。あそこなら、ダークエルフも忌避されることはないだろう?」
「ああ、そうだな。そうか。カトランか……」
リゼリーの居宅。大凡一〇畳程度の長方形の部屋の中央に、俺は立っている。壁際に幾つかの棚と流し台、くたびれた布団の載せられた簡素なベッドがある。部屋はこの一部屋以外にないらしく、つまりはリゼリーの生活水準が推して知れる。
壁際にしゃがみ込んだリゼリーは、俺に背を向けながら言葉を紡ぎ、俺は適当に話を合わせながら室内を見回す。彼女はどうも、弓の手入れをしているようだ。
「男と結ばれた以上は、カトランにはいられない。それで二人で、エスメラルダ王都に身を置いて生活し始めたんだ。ダークエルフは人間からも忌避されるが、それでもエルフの村に住むよりはマシだからな」
室内は獣脂の強烈な匂いに満ちている。ハーバルキャットとやらを狩って採取した獣脂を、ここに保管しているためだろう。
「しばらく王都で暮らしていたんだが、ルイ・グウェンの街に良さそうな仕事が見つかってね。父様が退役したのを切っ掛けに、一家で移り住もうとしたんだ」
村の男等は、リゼリーの体臭がどうのと口にしていた。だが正確ではない。リゼリーの身体から漂っているのは、獣脂の匂いだ。この場所で生活しているがため、衣服に刺激臭が染み付いているのだろう。
「だが駄目だった。魔物に襲われてね、父様も母様も、ルイ・グウェンにたどり着く前に命を落としたよ。野営中に集団で襲撃を受けてね。それでもわたしと兄のことは、必死に逃がしてくれた。二人でどうにかルイ・グウェンにはたどり着いたが……」
「生活の当てがなかった?」
「ああ。二人とも弓の扱いこそ両親から教わっていたが、それだけだった。僅かに手元に残った金を叩いて、護衛を雇ったんだ。そうしてシェルフウッドにやって来た。森に囲まれたこの場所なら、狩人が職業として成り立つからな」
「そうか。大変だったな……」
「受け入れてもらえたのは幸運だった。一応わたしも兄もエルフだからな。村人には良い顔をされなかったが、そこで前村長の鶴の一声さ。いい人だった。二年前に、森で魔物に殺されてしまったが……」
リゼリーに兄がいる様子はない。この家にあるベッドも一つだけ。恐らく兄とやらも、既に命を落としているのだろう。
「兄は三年前だ。森で死んだ。この間のブラックオークだよ。個体こそ別だが、首を噛みちぎられて殺された」
周囲を見回す俺の視線に気がついたのか、振り返ってリゼリーが言った。手には、水晶に似た青味がかった石が複数握られている。黙って俺に向かい、リゼリーが石を差し出した。
「これは?」
「礼だよ。シンイチロウには助けられた。今手元に金がなくてね。さきほど受け取った獣脂の代金ならあるが、タニアから受け取ったものをそのままお前に返すのも、ね」
「必要ない。先ほどの俺の行動こそ、君への礼としてのものだ。礼に対し礼をし合っていては、いつまでも終わらないだろう?」
「そうかもしれないが、これは拾い物だし、気にせず受け取ってほしい。魔行石なら換金性も高いし、手元にあって損はないだろう? シンイチロウは、呪印は?」
「あるにはあるが……」
魔行石とやらの正体が、漸くと掴めた。タニアが森の中で手折った石と、リゼリーが今俺に向かって差し出した石とは同一のものだ。推測だがこの石は、魔法とやらの行使に必要なそれなのだろう。
「だったら尚更だ。七行は何だ? いや、その様子だと、さては外れか?」
苦しくなってきた。リゼリーの台詞の意味が掴めない。タニアにもう少し、説明を受けておくべきだったかもしれない。断ったのは判断ミスだった。
昨晩の夕餉の後、タニアの勧めで俺は湯を浴んだ。そしてその折に、自らの左胸に刻まれた刺青のようなものに気付くことと相成った。
左胸、やや中央寄りの位置。直径にして五センチほど。馬蹄に似た形状の灰色の模様が、凹凸もなく描かれていた。
「白行の呪印です。開通者の証とも言えるでしょう。見てください」
風呂から上がり紋様について尋ねた俺に、タニアは言って右の袖を捲って見せた。タニアの右手首内側には、俺とは形状の異なる、赤い模様が刻まれていた。
「これは火行の呪印。火の魔法を行使するために必要な物です。この呪印の力を行使することで、わたしは魔法を詠唱しています。森の中で、シンイチロウに見せたものがそれです」
タニアの言によると、呪印の有無は生まれたときに決まっており、呪印を持って生まれた者だけが、魔法の行使に至るという。
呪印持ちの割合は、人間で大凡五人に一人。エルフ族で三人に一人。これといって呪印を持つことで生じるデメリットはなく、俺の胸の呪印も、特段に危険なものではないらしい。
タニアは説明を続けようとしたが、俺はそれを断り、そのまま寝床へと入った。慣れない環境での生活故に疲労がたまりやすく、ついては酷い眠気に襲われたがためだった。
危険がないならそれでいい。覚えるべきことは、少しずつ覚えていけばいい。
そう考えたが故でもあったが、ことこの状況に至っては判断を誤ったと言わざるを得ない。リゼリーに対し、返す言葉がない。
「すまない。何か気を悪くさせたか……?」
俺が押し黙ったことに不安を覚えたか、リゼリーがそう問い掛けてきた。弓を用いブラックオークとやらに立ち向かった際にはたくましい女だと思ったものだが、既にその印象も崩れ去って久しい。
男性的な口調を用いはしても、リゼリーは恐らく気の弱い人物だ。
「そんなことはないさ。魔行石、やはり受け取るよ。確かに金は、幾らあってもかまわない」
誤魔化すようにそう言って、手のひらを差し出す。リゼリーが安堵したように、その上に魔行石をそっと置いた。固く冷たい水晶体を握りしめ、俺はそれを麻のズボンのポケットに押し込もうとする。
手にした水晶体のうちの一つが、ポキリと折れた。中空に、いつか見た青い粒子が舞い上がる。
「えっ……」
リゼリーが甲高い声を漏らし、俺は自らの過ちを知る。ぞくりと、悪寒のようなものが足先から頭まで、全身を走り抜けた。
麻の服を透過して発光する白行の呪印。脳裏に浮かび上がる祝詞のような調べ。微かな浮遊感に、熱を帯びる手のひら。
タニアは言っていた。呪印を行使することで、自身は魔法を詠唱していると。
タニアは言っていた。かつてこの世界へとやって来た医師は、医療魔法を行使したと。
タニアは言っていた。白行の呪印こそ、開通者の証であると。
医師は医療魔法を行使し、研ぎ師は研磨魔法を、調教師は調練魔法を行使した。ならば探偵である俺が行使するのは、いかなる魔法であるというのか。
頭に浮かぶ五つの魔法。感覚的に理解してしまう。それらは全て真実をつかみ取るための奇蹟だ。
誰も傷つけず、誰も癒やさず、ただ真実に至るために顕現される奇蹟。
言うなれば、推理魔法。
「シンイチロウ……?」
リゼリーのつぶやきが、耳朶を撫で頭を揺さぶった。