出題編 6
深い森がその周囲を取り囲む小さな村。割拠する家屋は大凡三〇ほど。西端に二階建ての宿を置き、東端には村長の居宅であるという石造りの平屋を置く。
二つの家屋を結ぶように東西に伸びる通りは、言うなれば村のメインストリート。木の実や書物、野菜を売る露店が立ち並ぶ。
村の北西には森から続く小川から水を引く複数の畑。対して北東には一軒のあばら屋。畑では幾つかの作物が育てられ、あばら屋にはシャドウエルフの忌み子が潜む。
電気はなく、ついては街灯もろくになく、日が落ちれば、村は夜の漆黒に包まれる。
懐古的な、あるいは叙情的な。そんな村の中央を、俺は一人歩いていた。
朝日に照らされたシェルフウッドは白色に染まり、濃厚な草の匂いを漂わせている。
「リズに、大瓶で三つと伝えてください。代金はこちらに。少し額が多いですが、全部渡してください。先日のお礼も兼ねて、本来の価格で引き取りたい旨を伝えていただければ」
世話になりっぱなしでは申し訳なく、俺はタニアに仕事の手伝いを申し出た。気にしなくていいと当初は遠慮したタニアだったが、食い下がるとやがて硬貨の納められた革袋を手渡してきた。
与えられた仕事はつまるところお使い。リゼリーから定期的に買っている獣脂の受け取りだった。
朝方であるためか、村内に人影はまばら。誰かとすれ違うたびに軽く会釈をし、同じように会釈を返される。リゼリーへぶつけた視線から昨日は印象を悪くしたものだが、基本的には村には気の良い者が多いらしい。無論、だとしても油断は禁物だ。
「口の動きと音声のズレに関しては、あまり気にする必要はないと思います。気付いたシンイチロウが目敏いのです。わたしも、シンイチロウからその話を聞くまで実際気になりませんでしたし……」
宿を出る前、タニアからは随分としつこく注意を受けた。主にはこれから数日間の、俺の村での振る舞いに関してだ。
「森には絶対に近づかないこと。ほんの二ヶ月前も、森で死者が出たんです。わたしはしばらく王都に行っていたので詳しくは知らないのですが、沢で亡くなったんです。遺体は屍肉を漁る魔物に食べられてしまったとか。服も何故か見当たらなくて、ナイフと鞄くらいしか見つけられなかったと聞いています。それから村民の中には古い考えを持っている人もいて……」
正直なところ、タニアの話は退屈だった。開通者である俺の身を案じてくれているのはよく理解できたがため大人しく耳を傾けはしたが、それにしてもだ。
たっぷり一〇分ほど掛けて注意事項を叩き込まれた後、俺はようやく解放されることと相成った。宿の戸口に立ったまま、タニアは最後まで心配そうに俺を見つめていたように思う。
「ふぅ……」
時折深呼吸をし身体を伸ばしながら、俺は歩く。
土がむき出しになった村道に一歩を踏み出すたび、祖父母の暮らす田舎町にでも帰郷したかのような、懐かしい感慨に誘われそうになる。
村中央の露店通りを東端まで歩き、村長の居宅とやらの前に出る。リゼリーの家は村はずれと呼んで差し支えのない北東の奥まった場所にあるため、タニアの宿から向かえばやや時間がかかる。
村東部の細い道を真北に向かって進み、横幅一メートルほどの小川に渡された橋を越える。道らしい道のない、草に覆われた小高い丘の上に、今にも崩れてしまいそうな木造の家屋が見えた。人家というよりも、蔵や倉庫といった印象だ。
リゼリーが通行するためか、膝あたりまである草の一部は道状に踏み潰されており、それがあばら屋まで続いている。
やがて前方から声が響き、俺は足下へと向けていた視線を上げた。見れば家屋の入り口と思しき戸の前に、三名ほどの男性が立っている。当然と言えば当然ではあるが、皆エルフ族だ。村の者だろう。
「本当にお前じゃないというのなら、証拠を見せてみろ」
男の一人が言い、他の二名がその言葉に同調する。三名の男に囲まれるようにして、戸の前に立つリゼリーの姿が見えた。俯き、視線を足下にさまよわせるようにしている。
「夜間にお前が村内をうろついているのを見た者がいるんだぞ? お前が犯人でないのなら、何をしていたのか説明できるだろう?」
「だから、それは魔行石を……」
「何故そんな物をお前が集める? ハーバルキャットを狩るのがお前の仕事だろう?」
「王都へ行きたくて、それで、路銀が欲しいんだ……。獣脂の販売は、実入りが良くないから……」
「王都で何をする? お友達でも作るのか?」
「決まってない。でも、店を開いたりしたいんだ。その、食堂とか……」
リゼリーの言葉に男達が顔を見合わせる。一人が吹き出したのを切っ掛けに、爆発したかのような笑い声が響き渡った。リゼリーは完全に顔を伏せ、怯えたように身をすくませる。
気の強い女だとばかり思っていたが、俺の認識は少し誤っていたのかもしれない。あれではただのいじめられっ子だ。
「お前、自分の体臭が分かっていないのか? お前みたいな臭い女のいる店で、誰が飯なんか食うんだよっ」
「や、やっぱり、おかしいだろうか……?」
「いや、おかしくはないさ」
一歩を踏み出し、背後から集団に近づく。少し大きな声で告げれば、男等が振り向き俺を見据えた。一拍遅れて俺に気付いたリゼリーもまた、ゆっくりと顔を上げる。
「アトリアで、シャドウエルフの経営する店を見たことがある。扱っているのは食物だったが、それなりに繁盛していたよ」
口から出任せを高らかに響かせながら、男等の前に俺は立つ。リゼリーが、すがるような目を向けてきた。
「あんた、タニアのところの……」
「鴇慎一郎だ。状況を教えてくれ。彼女が何かしたのか?」
犯人という単語を男等が発したのが気に掛かっていた。彼等はリゼリーを罵ることに必死だったが、会話を聞く限り、彼女の元を訪ねてきた本来の目的は、恐らく別にあったはずだった。
「あんたは余所者だろう? 村の問題だ。首を突っ込まないでくれ」
俺がリゼリーを庇おうとしたのが気に障ったのか、男の一人がこちらをねめつけるようにしてそう言った。道理ではあるが、先刻のやり取りを見る限り、その村の問題に対し適切な解決策が採られるとは到底思えない。
もう少し、介入した方が良さそうに思えた。少なくとも、リゼリーにとっては。
「余所者だが、探偵だ。DOTという探偵事務所の名を聞いたことはないか? 繁盛していてね。王都では有名さ」
自分でも呆れてしまうほど、出任せばかりが口をついて出る。
DetectiveOfficeTOKI。通称DOT。常に閑古鳥の鳴く東京は御徒町の探偵事務所だ。そもそも無名の事務所であるが故、通称で呼ぶ者は俺以外に存在しない。事務所所属の探偵も、残念ながら代表者である俺一人だけだ。
「たん……何だ?」
男等がまた顔を見合わせる。リゼリーも怪訝そうな表情を浮かべているあたり、どうも探偵は、この世界に存在しない職業であるらしい。あるいは、シェルフウッドが辺境であるが故か。
「探偵だよ。事件解決や調査を専門に取り扱う仕事だ」
リゼリーには、昨日職業を問われていた。話の流れで答えず仕舞いになっていたが、漸く教えてやれたわけだ。
探偵という聞き覚えのない職業に胡乱なものを感じでもしたのか、男等は惑うように押し黙る。だが取り立てて、何かを疑われた訳でもないようだ。
こうなると、王都とは随分便利な言葉と言わざるを得ない。シェルフウッドの村民は、王都なる場所についてほとんど知識を有していない。村から出ることが少ないのだろう。王都ではこうだと断言してしまえば、余程突飛な内容でない限り疑われる可能性は低いように思えた。
「ダルクの……あ、ダルクという狩人がいるんだが……」
「仕事道具一式が駄目にされたんだ。昨晩の内にな。弓も矢も、へし折られて資材置き場に薪と一緒に放置されていた。あれじゃもう使えない」
幾らかの躊躇の後口を開いたリゼリー。その台詞を引き取るようにして、男の一人が言った。
「それをリズがやったと? 根拠は?」
「夜間に村をうろついている姿を見掛けた者がいる。魔行石を探していたなんて言っているが、どこまで本当だか……」
吐き捨てるように男の一人が言い、リゼリーを睨むようにする。
先ほどの遣り取りを見る限りリゼリーが夜間に村内をうろついていたのは事実のようだが、いずれにしても薄弱な根拠だ。魔行石とやらについては、そもそもそれが何なのか分からないため言及しづらい。
「そのダルクとやらは? どこにいる?」
リゼリーの発言からすると、ダルクなる人物はこの場には来ていないようだ。男の一人が答える。
「分からない。朝から姿が見えない」
「待ってくれ。本人に話も聞かずここへ? 幾ら何でも、浅慮に過ぎはしないか?」
強く言えば、男達は気まずそうに視線を下げる。
結局のところ彼等は、リゼリーを攻撃する口実が欲しいだけなのだろう。ダルクなる狩人が受けたらしい被害に、そもそも怒りを感じているのかすら怪しい。シャドウエルフへの差別意識は、思っていた以上に根深いようだ。
「いいか? 冷静に考えてみてくれ。ダルクなる狩人の仕事道具一式が、夜の間に壊された。そして本人は、まだ朝も早いというのに姿が見えない。ならば君達のすべきことは何だ? ダルクとやらを探すことじゃないのか?」
仕事道具の損壊事件の解決を望むなら、だ。個人間のトラブルとして関わりを避けるのなら、ダルクを探す必要すらない。
「まあ、その通りではあるが……」
俺の言葉に、思い当たる節があったのだろう。男達はまた互いに顔を見合わせるようにし、それぞれにリゼリーから一歩分、距離を取ってみせた。
ともすると、俺と直接的なもめ事を起こすことを恐れたのかも知れない。タニアによれば、エルフ族は人間より身体能力に劣るらしい。
「ダルクを探すなら、俺とリゼリーも手伝おう。見つかったなら、あんた等にも声を掛ける。犯人捜しはその後だ」
畳み掛けるようにそう告げれば、やがて男達は踵を返す。完全に納得したというわけでもなさそうだったが、ひとまずこの場は収めた方が良いと結論づけてくれたようだ。
「シンイチロウ、その……ありがとう」
去って行く男等の背を見つめる俺に、背後から投げかけられるリゼリーの言葉。
振り返らずとも、彼女の様子は想像できる。恐らく俯き、視線は足下に向けられているのだろう。僅かにくぐもったような声が、その様と、彼女の羞恥を伝えてくれる。
「命を救われているからな。礼とするにはまだ足りない。気にするな」
答え、小さく息を吐いた。