出題編 4
夕暮れの村を闊歩する。
履き慣れたデニムパンツも、奮発して買ったホースハイドのレザージャケットも、電池残量の怪しい型落ちのスマートフォンも、既に視界には存在しない。タニアの厚意で宛がってもらった宿の一室、そのベッドの上に投げ置かれている。
「シンイチロウのように、異なる世界からやってきた人物を、アーガントでは開通者と呼んでいます。シンイチロウは、開通者であることをつまびらかにするべきではありません」
タニアの言葉が思い出される。悲しげに細い眉を寄せ、随分と酷い表情だった。彼女には何一つ責任はないと言うのに。
「エスメラルダ女王国は、開通者に懸賞金を掛けています。開通者は国難を齎すと、そう信じられているからです」
今から三〇年前、アーガントに一人の男が降り立った。異界の日本なる国からやってきたその男は医師を名乗り、エスメラルダ女王国の保護下に置かれた。男が、大陸を襲った伝染病に、ただ一人抗する術を持っていたがためだった。
医療魔法。
大陸に住まう誰のそれとも性質を異にする奇蹟を、男は顕現することができた。
数え切れないほどの死者を出した流行病は、男の唱える医療魔法によって根絶された。男は英雄となり、エスメラルダ女王国にて爵位を与えられた。
一〇年後、また一人の男がアーガントに姿を現した。異界の国スリナムからやって来たその男は研ぎ師を名乗り、研磨魔法なる奇蹟によって大陸の危機を救った。突如降り注いだ鈍色の雨によって鉄くずへと変わった大陸中の剣を槍を鎧を、男は新品同様の状態へと戻してみせたという。
さらに一〇年後、また新たな開通者がやって来た。アメリカなる国からやって来たその女は調教師を名乗った。いずこかから出現し大陸各地で暴れ回った半人半馬の魔物の群を、女は鎮め、無害な馬の姿へと変えた。女の顕現する奇蹟は、調練魔法と呼ばれたという。
だが女が英雄と呼ばれることはなかった。開通者は未曾有の危機に抗し、大陸を救う。その考えに異を唱える一派が各地に現れ始めたためだった。
大陸に訪れた危機に、開通者が抗するのではない。開通者の出現が、大陸に危機を齎すのだ。台頭し始めたその考えが、大陸を二分した。
「開通者は大陸を救う英雄である。その考えを支持しているのが、アーガントに存在する二つの強国のうちの一国、アトリア教皇国です。対して開通者こそが危機の根源、そう主張するのがもう一つの強国、エスメラルダ女王国。そしてこのシェルフウッドは、エスメラルダの領内に存在しています」
タニアによれば、エルフ族は元来無欲な種族であり、懸賞金に釣られ女王国騎士団への通報を行うような者は、人間の街に比すれば少ないだろうとのことではあった。
さりとて、エルフ族に得体の知れない異界の住人を匿う積極的な理由などありはしないのも確か。身の安全を考えるならば、タニアの言は正しい。開通者であることは隠し通すべきだろう。
「女王国騎士団ね……」
つぶやき、薄く笑う。どうもこのエスメラルダなる国では、騎士団とやらが警察的な役割を担っているらしい。エルフの村シェルフウッドは女王国領南端の村。騎士団の常駐はないものの、通報があれば即座に一個小隊が駆けつける体制は整っているのだとか。
「シンイチロウ」
村の中央を横切る露店通り。周囲を見回しながら歩いていると、背後から声を掛けられる。振り返れば背の高いシルエット。名は確か、リゼリー・リム・リーグウェン。狩りとやらから帰ってきていたらしい。
「散歩か? タニアは宿に?」
言いながら俺へと向かい親しげに距離を詰めてくる。変わった女だ。
リゼリーに対して、俺はタニアの宿の宿泊客を名乗っている。つまりは何らかの理由で、ただエルフの村を訪れているだけの人間だ。にも拘わらず、まるで数年来の知人同士のように接してくる。
「村を見て回っていた。こういう場所は初めてなもので、珍しくてね。タニアなら宿にいるが……」
「そうか。では悪いが、獣脂の必要量を連絡するように言っておいてくれ。前回卸した分がそろそろ切れる頃だろうから」
通りに沿うように吹き付けた風が、リゼリーの長い銀髪を棚引かせる。了承した旨だけを簡潔に伝え、口を閉じる。余計なことは口にできない。自身が開通者であることを隠すには上手く話を合わせる必要があるが、俺にはそれができるほどの知識がない。
「それにしてもお前も不用心だな。タニアは良い奴だが多少抜けたところがあるから、一緒に行動するなら注意してやってくれ。特に森の中ではな」
「ああ、気をつけるよ。森は、やはり危険なんだな」
「それはそうさ。実際さっきも危なかっただろう? 少し前にも森で死んだ奴がいた。事故死だったが、場所が悪くてな。屍肉を漁る魔物の巣窟で死んだもんだから、ペロリといかれてしまったよ」
屍肉を漁る魔物。どうやらこの村の周辺にはそんな輩もいるらしい。
「怖いものだな」
「ああ。わたしも遺品探しを手伝ってね。ほとんど何も見つからなかったが、ああいう死に方はしたくないものだ」
「そうだな」
「そういえば、着替えたのか? さっきは妙な服を着ていたな。王都ではああいうのが流行っているのか?」
俺の身体に視線を這わせ、リゼリーが言う。俺は今、タニアから借り受けた簡素な麻の服を身に纏っている。アーガントに溶け込むためにと、タニアから服の貸与を申し出てくれた。男物の上下は、何でも宿泊客の忘れ物らしい。
「個人的な趣味だ。リズは、王都へは?」
「二年前に一度行ったきりだ。いずれは移住したいと思っているが、今のところ職の当てがない。王都で狩人は無理があるだろう? 弓以外に使えるものもない」
「まあ、そうだな……」
下手なことは言えないという思いが、どうにも発言を消極的にする。愛想のない男と思われたかもしれないが、取り立ててリゼリーに好かれるメリットもない。
「シンイチロウは、仕事は何を? 商人にも見えないが……」
リゼリーはよく喋る。早くこの場を脱したいところだが、上手い言い訳が見つからない。何と答えるべきか思考を巡らせていると、ふと、周囲の視線が気になった。
どうにも衆目を集めているような気がし、俺は自身の口元へと手を遣る。唇の動きと音声とのずれに気づかれることを恐れたがための行動だったが、リゼリーは何か勘違いでもしたのか、眉を寄せ、寂しげにも見える表情を浮かべてみせた。
「すまない。人間が村に来るのは久しぶりなんだ。だからつい嬉しくて……。話しかけるべきじゃなかったな」
「いや、そんなことは……」
今ひとつ、リゼリーの言葉の意味を掴みかねていた。だがすぐに気付く。衆目を集めているのは俺ではない。リゼリーだ。
どうやら彼女と村の者等は、あまり良い関係を築けてはいないらしい。通りを歩く者等がリゼリーにぶつける視線には、何か忌むような、不穏な色が混ぜ込まれている。
「俺はただの滞在者だ。この村の者ではない以上、連中にどう思われようと知ったことじゃない。気にするな」
頭を回転させながら、慎重に言葉を紡ぐ。
周囲の者等とは異なる褐色の肌。忌むような視線。王都なる場所へ移住したいという先刻の発言に、エルフ族より人間を好みでもするかのような言行。恐らく彼女には、エルフ族に疎まれるような出自があるのだろう。
何と言うか、実にくだらない。
「……いいのか? 見ての通り、シャドウエルフの忌み子だ。不幸を呼び寄せるなんて伝承も……」
「非論理的だ。俺好みの考え方じゃない」
少し喋りすぎだろうか。だがどうにも心中に疼くような不快感がある。
「ひろん……何だ?」
「ロジカルじゃないと言ったんだ。人が取る全ての言行は、論理の積み重ねの結果であるべきだ。シャドウエルフが何故不幸を呼び寄せるのか。論理的に説明できる者がいるのなら話してみたいものだな」
シャドウエルフという言葉がどういった存在を指すのか、まるで分からない。ここが手のひらから火の玉が飛び出すような世界である以上、シャドウエルフとやらを差別することに、魔術的に整合性のとれた理由がある可能性も否定できない。
つまるところ俺の発言は、怒りに任せた賭けのようなものだった。
「変わっているなシンイチロウ。……でもありがとう。嬉しいよ」
だが無意味な賭けに、どうやら俺は勝利したらしい。リゼリーは照れたように微笑むと、長い耳をひくりと揺らしてみせた。
「獣脂の件、タニアに伝えておくよ。またな、リズ」
そう告げ、宿に向かい歩き出す。日が暮れかけている。