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推理は魔導に相似する  作者: 伊吹契
第1章 エルフの村の殺人
22/34

出題編 21

 事件現場は、ハイエナオークなる魔物の生息地だった。

 ハイエナオークは死肉を漁る習性を持ち、その群れに食料と見なされた遺体は死骸は、数時間で跡形もなく消えるという。それこそ、血の一滴すら残さずさっぱりと。


 問題は、ダルクの遺体がそのままの状態で残存していたことだ。

 ハイエナオークの活動時間帯、恐らくはその少し前。遺体消失に最も都合の良い時間帯に、狩人の殺害はなされた。にも拘わらず遺体は欠けることなく現場に残り、翌朝俺とリゼリーとに発見されることに相成った。


 ハイエナオークがダルクの遺体に手をつけなかった理由は明白。遺体前面に付着していたクポの実の果汁だ。

 刺激臭を放ち、強力な魔物除けの効果を持つという深紅の果実。狩人のシャツのポケットに入れられていたそれが破裂したことで、遺体は魔物除けの力を手に入れた。

 それさえなければ、ダルクの遺体は草地の魔物によって食い尽くされ、翌朝には消えてなくなっていたはずなのだ。キカの言葉を借りれば、そこに死体があったことにすら気づけぬほど、きれいさっぱりと。


 犯人は何故、クポの実の果汁を処理しなかったのだろうか。リゼリーが村長宅付近をうろついていたとはいえ、人気のない夜の村内だ。幸いとすぐそばには小川もある。布を濡らすなり何なりし、胸部に付着したクポの実の果汁を拭き取ればよかったのだ。たったそれだけで、遺体は翌朝までに魔物が片付けてくれた。

 遺体は消え、証拠は残らず、ダルクの死に気付く者はいなかったかもしれない。嫌われ者の狩人のことだ。禄に探されもせず、行方不明として処理された可能性も、一定程度あったはずなのだ。


 いや待て。本当にそうだろうか。

 ハイエナオークは屍肉を漁る魔物だ。仮に遺体が奴らによって食い尽くされたとして、身につけていた衣服まで消えるものだろうか。

 ハイエナオークが遺体に手をつけなかった理由はクポの実の果汁が原因で間違いないだろう。だが仮に果汁の付着がなかったとしても、服を脱がせて持ち去る必要はあったのかもしれない。

 ダルクの衣服には、無理矢理引っ張ったような跡が残されていた。ボタンも外れて落ちていたうえ、下衣にに関しては半分脱げかけていた。少なくとも犯人は、何らかの理由で衣服を持ち去ろうとした可能性が高い。


 いずれにせよだ。

 犯人は何故クポの実の果汁を放置し、現場を去ったのか。

 どうもこのあたりに、事件解決のヒントがある気がしてならない。


「考え事か? シンイチ」


 陽光降り注ぐシェルフウッドの村道。背後から不穏な呼び名で声を掛けられ、俺は振り向く。弓を片手にリゼリーが立っている。

 時刻は朝の一〇時。遺体発見から、ちょうど二四時間ほどが経過していた。


「あだ名で呼びたいのか? だとしたらシンイチは不適当だ。別人の名前になってしまっている」


 リゼリーとの距離を詰め、俺は右手の弓へと視線を遣る。もう誰にも奪わせないとでもいうかのように、シャドウエルフは強くそれを握りしめている。

 俺の言葉が理解できなかったか、リゼリーは小首を傾げるようにして間の抜けた表情を浮かべた。


「事件の捜査は順調か? わたしの弓が使われたんだ。絶対に捕まえてくれよ?」

「そうだな。そのつもりだ」


 リゼリーを連れ、そのまま村道を進む。村内に、ダルクの死を嘆くような雰囲気はない。単純に疎まれていたが故だろうか。あるいは魔物の蔓延るこの大陸では、人死になど珍しいことでもないのだろうか。


「仲が良いな」


 前方から歩いてきた男が、唇を歪めそう声を掛けてきた。覚えている。昨日の朝、リゼリーの自宅へ押しかけてきていた男の一人だ。名は確か、ネネト・ネルダーウィン。聞き込みの対象とした二〇人の一人だ。


「いいのか? あんた。ダルクを殺したのは、その女かもしれないんだぞ?」

「どうだかな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 答え、心中で毒づく。殺人者はリゼリーかもしれない。その通りだ。彼女が有力な容疑者の一人であることは、勿論俺も分かっているのだ。


「ダルクは優秀な狩人だった。嫌な奴ではあったけどな。それでも村にとっては損失だ」

「優秀でなかろうとも、人が死ねばそれはコミュニティの損失だろう。犯人は捕まえるし、罪は償わせる。リズが犯人だと判明したのなら、そのときは躊躇わず捕縛するさ。勿論、君が犯人だった場合も同じだ」


 言えば、ネネトは笑い、小さく鼻を鳴らした。


「そう言えば、販売業を営んでいると言っていたな。店はこれからか?」


 リゼリーが俺の服の裾を掴んでいる。何か訴えたい訳ではなく、単に不安なのだろう。どうも彼女は、ネネト等を前にすると萎縮してしまうらしい。


「ああ、これからだ。何か入り用か? あんたは村のために働いてくれているらしいからな。特別に二割増しで売ってやるよ」

「ありがたい話だな。魔行石の取り扱いは?」


 魔行石の手持ちは、既に切れてしまっていた。故に俺は、いま推理魔法の詠唱ができずにいる。頭の中で組み立てた一つのロジックを、検証できずにいる。


「シンイチロ。魔行石ならわたしが幾つか持っている。お、お前にならわたしがやる」


 早くネネトの元を離れたいのか、リゼリーが囁くように言う。俺の名前はまた妙な箇所で切られている。何故この状況下で新しいあだ名に挑戦するのかは不明だが、漢字の概念を教えてやりたいところだ。


「いいのか? うちの魔行石なら、匂いもないぞ? その女の持ち物のように、体臭が染みこんだりはしていないからな」


 服を掴むリゼリーの指先に力が込められる。石に匂いは染みこまないだろう。随分と適当なことを言う。勿論、ただの嫌味であることは理解している。

 リゼリーの服、その胸元を掴み上げ、鼻を近づけた。匂いを気にしているのか身を離そうとするシャドウエルフ。ネネトを見遣り、告げる。


「たくましい、戦士の匂いだ。彼女が強く生きている証拠だろう。俺は嫌いじゃない」


 事実、その通りだろう。

 リゼリーは確かに獣臭いが、それは正しくは彼女の体臭ではない。職業柄衣服に染みこんでしまった獣脂の匂いだ。

 俺の言葉に何か思うところでもあったか、リゼリーが泣きそうな顔をした。


「お熱いことだな。まあ好きにするといい。俺は人殺しが捕まってくれれば十分さ。その女か、あるいはあんたじゃないかと思っているがね」

「俺が殺人者か。確かに、否定できる材料はないな。捕まえるか?」

「なあ、余裕ぶっているが、本当は怯えているんじゃないのか? キカの旦那もあんたを疑ってた。この村じゃ魔物に殺される奴はいても、人の手で殺される奴なんてこれまでいなかったんだ。だがあんたが来た途端……」


 嫌みたらしく、ネネトがそう言ったときだった。俺の衣服から手を離したリゼリーが、叫ぶように声を張り上げる。


「シンイチロウは人なんて殺さないっ」

「リズ、落ち着け」


 使命感か。それとも守られることに嫌気が差しでもしたか。強く反論されることは珍しいようで、ネネトは面食らったような様子を見せている。


「優しいんだっ。お前とは違うっ。わたしと仲良くしてくれるし、母様のことも悪く言わなかったっ。シンイチロウが人殺しなら、お前達だって人殺しだっ」


 激高するリゼリーの両肩を抱くようにし、落ち着かせようと試みる。俺を庇おうとしてくれるのはありがたいが、怒りすぎだ。特に最後の発言は酷い。最早意味不明だ。


「お前なんじゃないのかネネトっ。人殺しはわたしの弓を使ったんだっ。わたしの家に忍び込んで弓を盗んだんだっ。わたしの家の防御結界を通れる者は少ないんだぞっ。でもお前なら通れるっ。だから……」


 弓を握りしめ怒る女に恐れをなしたか、ネネトは後ずさり、そのまま去って行く。小者らしく、村道につばを吐き捨てることも忘れない。態度の悪いことこの上ない。


「リズ」


 鼻息荒い女の肩を抱いたまま、俺はその切れ長の瞳をまっすぐに見つめる。距離の近さに緊張しでもしたのか、長身のシャドウエルフはびくりと肩を震わせた。


「落ち着け。それから、結界の件はあまり声高に主張するな。君の立場を悪くする」

「シンイチロウ……」


 リゼリーがつぶやく。

 村長宅の前にはキカが屹立し、こちらを見つめている。

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