出題編 13
黛冬華と知り合ったのは、大凡三年ほど前のことだ。
当時の俺は既に探偵で、今同様、時折思い出したかのように齎される調査依頼をこなし糊口を凌いでいた。
一方の黛は女子大生。素行調査とも殺人事件とも勿論探偵とも、何ら関わりを持たない生活を送っていた。
邂逅は一月。スキー場からもほど近い、長野県北部のとあるペンションにて。
俺と黛とは共に宿泊客の立場で、一件の殺人事件に遭遇することと相成った。突発的犯行でしかなかった当該の事件はさして複雑なものではなく、探偵という職業からか宿の主人に事件捜査を許された俺は、犯人を特定。拘束し、吹雪の止んだ翌朝に到着した警察に対して状況説明を行った。
捜査の開始から犯人の特定に至るまでの間、俺の補佐をしてくれたのが黛。殺人犯の魔の手から我が身を守るための最良の策は、犯人たり得ない男性と行動を共にすること。そんな独自の考えに基づき、黛が俺のそばを離れなかったことで成立した関係性だった。
探偵業の一体何が、彼女の関心を引きつけたのかは分からない。
だが東京に戻ってから少しして、黛は俺の事務所へとやって来た。助手を自称し俺の元で探偵術を学び、独立したのが一年前。
「名探偵・黛冬華事務所」などというふざけた文言を看板に記し、以降は俺と似たような境遇に身を置いて探偵業を続けている。
金は常になく、故に二十歳そこそこの女であるというのにいつも同じ服を身に纏い、蕎麦ともやしばかりを食べている。
それなりに良い大学を出ているというのに、選んだ職は先行きの見えない私立探偵。年長者として彼女の将来を想うならば、本来は止めるべきであったように思う。
それでも独立に反対しなかったのには理由がある。
ひとえに、黛冬華が天才であったためだ。
推理力。行動力。機動力。判断力。決断力に忍耐力。大凡探偵に必要と思われる大半の能力に於いて、彼女は先輩である俺のはるか上を行っていた。
彼女の助言にて推理が形を成したこと、調査が実を結んだこと、数え始めればきりがない。
単純に頭が良いのだろうか。
勿論それもある。だが彼女の最大の武器は、注意力と発想力だ。どんなに小さな違和感も見逃さず、豊かな想像力にて、拾い上げた微かな不和を真実を紐解くための鍵へと昇華させる。
その能力を幾度も目の当たりにしてきたからこそ、俺は夢を見たのだ。彼女ならば、黛冬華ならば、創作物の世界にて颯爽と事件解決を図る彼等のような、本物の名探偵になれるのではないかと。
「シンイチロウ」
タニアに声を掛けられ、ふと我に返る。
場所は宿の食堂。俺はいつかのように食卓の角を挟むようにして、タニアと二人椅子に腰を下ろしている。黛と言葉を交わしたことで、久しぶりに昔を思い出してしまった。タニアに詫び、食卓上に身を乗り出す。
「さっきも言ったが、聞きたかったのは魔法についてだ」
タニアが今食堂にいるのは、俺が頼み込んだ故だ。まずは魔法について、俺は理解を深めなければならない。魔法を行使することで何が実現できて、何が実現できないのか。それを理解しなければ、件の殺人事件の解決など望むべくもない。推理を組み立てる上での前提条件が整わないためだ。
仮にどこかの邸宅の一室で他殺死体が発見されたとして、室内に犯人の姿がなく、かつ部屋の扉の鍵が死体発見時に掛かっていれば、通常はこう考える。
犯人は室内で被害者を襲い、殺害後部屋を出て外から鍵を閉めたのだろう。
だが部屋の鍵が室内から発見され、かつ複製の不可能なものであったとすればどうだろう。犯人が鍵の掛かった部屋から脱出する手段はなく、密室殺人という謎が捜査者の眼前には立ち塞がることになる。
部屋に秘密の抜け道があるのではないか。あるいは何か、鍵を室内に置いたまま、それを使わずして外から扉を施錠する方法があるのではないか。
捜査者は考えを巡らせ、様々なトリックを思い描くだろう。
だがもしもその世界に魔法があったなら。
一キロ離れた場所から任意の扉を施錠する奇蹟が顕現できたのなら。あらゆる捜査は無駄になる。いかに優れたトリックを発見しようと、そんなものには何の意味もなくなるのだ。
だからこそ黛は言い、俺は理解した。魔法について知らないことに、事件解決は図れないと。
「魔法は、魔行石を折ることで出現する魔素を利用して詠唱される。魔法を唱えられるのは、生まれつき呪印を肉体に保持する者だけ。魔法には七つの、行と呼ばれる区分が存在する。火行、木行、日行などだ。火行の呪印を持つ者は火行の魔法のみを行使することができ、木行の呪印を持つ者は木行の魔法のみを行使することができる。ここまでは合っているか?」
タニアとの会話。リゼリーとの会話。それらから推察できる事実はこの程度のものだ。加えて言うなら、日行の魔法にはさして役に立つものがないか、相当に大がかりなものしかない、という事実も推察可能だ。リゼリーは俺の白行の呪印を日行の呪印と勘違いし、こう言っていた。光属性の魔法は行使されることがない。
タニアは頷き、口を開く。
「合っています、シンイチロウ。わたしはお見せした通り火行の呪印を、リズは木行の呪印を持っています。火行の呪印は炎属性の魔法を、木行の呪印は風属性の魔法を行使可能にしてくれます」
「他には、どういった種類の魔法がある?」
「まず、水行の呪印。この呪印を持っている者は、水属性の魔法を行使できます。金行の呪印の持ち主は刃属性の魔法を、土行の呪印の持ち主は土属性の魔法を行使することが可能です」
「つまりは七曜か。日行の呪印は光属性の魔法に対応するんだったな。となると月行は闇か。日行の呪印が外れと称される理由は?」
少なくともリゼリーは、そう表現していた。
「日行と月行は、そうですね、言葉は悪いですが、外れと呼ばれることも多いです。使用できる魔法が存在しないのです」
「存在しない? そんなことがあるものなのか? では日行と月行の呪印は、持って生まれても意味がないということか?」
本当にそうならば確かに外れだ。だがそうなると、日行と月行の呪印は何のために存在するのか、という話になってくる。タニアは言う。
「現時点に於いては、その通りです。ですがこの先もそうだとは限りません。数年後には、使用できるようになっている可能性も十分にありますから」
言って、タニアは立ち上がる。キッチンへと向かったところを見ると、紅茶か何かを淹れてくれるようだ。ややあって戻ってきたタニアの両手には、予想通り湯気立つカップが握られていた。
「少し、魔法について講義をしましょう」
やや疲れても見える、しかし整った面立ち。
カミルの葉の涼やかな香りが、鼻孔をくすぐった。