出題編 12
「アーガントねぇ……。まあ貧乏人の慎ちゃんが仕事ほっぽり出して消えたわけだから、それなりの理由があるんだろうとは思ってたけどさぁ」
宿の二階。タニアの厚意で俺の寝床となっている六畳の客室。バッテリー切れのスマートフォンを右耳に押し当て、俺は女と言葉を交わしていた。
「信じろというのも無理な話か。さっき話したタニアとなら電話を代われるかもしれないが、話してみるか? 恐らく会話は成立しないだろうが」
平静を装い、ややゆっくりとした口調で告げる。喜びが胸の奥から湧き上がり、喉元まで押し寄せている。声にその感情が乗らないように、背筋を伸ばし喉を締め付ける。
電話の相手、黛冬華はため息を漏らし、やだよ面倒くさいと、つまらなそうに言った。
「ニニア語ってやつでしょ? うーん、作り話にしては凝ってるとは思うけど、でもなぁ……」
「まあ、そうだろうな……」
相槌を打ち、続く言葉を待つ。電力の代わりに魔法の存在する異世界に転移させられたなど、普通なら誰も信じないだろう。
だが彼女は探偵だ。それもすこぶる優秀な、本物の名探偵だ。俺の発する言葉。俺の漏らす吐息。周囲のあらゆる事象を情報として捉え、俺には想像もつかない手法を以て真実に至る、本物の名探偵だ。
なればこそ気付く。俺の言葉に何一つ、嘘偽りがないことに。
「この通話ってさ、魔法で実現してるんだよね?」
「そうだ。俺のスマホはとっくに充電切れを起こしてる。にも拘わらず、今こうして君と電話が繋がっている」
「白行の魔法、アドフェリシティト……あ、もしかして」
「何だ?」
「いんや別に。魔法五つ使えるって言ってたよね? ちなみに他のは何て名前? ホットリバー? エドリバー? あるいは……そうだな、ワンゴールデンファームとか?」
「そんなものはない。何を言っている?」
「あれ? 外したか。まあいいや。でも慎ちゃんさ、これが本当に魔法なら、言っちゃ悪いけど……何かしょぼくない?」
冷めた声で言い、黛冬華は口を閉じる。だが同意できない。現代日本と、アーガントなる不可思議な異世界をスマートフォンを通じて接続しているのだ。魔法と呼ぶにふさわしい、それは奇蹟に思えた。
「じゃなくてさ、さっき言ってたじゃん。アドフェリシティトは探偵との連絡・情報共有を行う魔法だって」
「……そういうことか。確かにそうだな」
俺は自身が行使できる魔法について、感覚的に理解している。魔行石を手折ったときに頭に浮かんだイメージが、肉体に染みこんだ記憶が、そうさせてくれた。
アドフェリシティトは探偵との連絡・情報共有を実現する奇蹟。厳密には、「名探偵」との連絡・情報共有を執り行う魔法だ。
「名探偵」が誰を指すのか、俺には分からなかった。いや、本音を言えば予感してはいた。
俺の知る中で、名探偵と呼べる人物はただ一人。電話の向こうにいる、黛冬華だけだったからだ。
俺は予感に従い、黛に連絡がつくことを期待して、自身でも半信半疑であった魔法の詠唱に踏み切った。結果は見ての通り。
俺のスマートフォンは自動的に起動し、通話の形を借りて黛へとコンタクトを取った。
気に掛かるのは、今眼前に顕現された奇蹟は、名探偵との連絡、でしかないということだ。
確かに連絡がつくのなら、情報共有を行うことも可能だ。だがその場合、情報共有は詠唱者の意思で以て口頭で行われる行為となり、魔法の効果とは言いがたい。アドフェリシティトの魔法は、あくまでその効果として、連絡と情報共有を唱っているのだ。腑に落ちない。
スマートフォンを少し耳から離し、画面を見つめる。通話以外に何かできることがあるのではと考えてのことだった。
「黛、君の言うとおりだ。少し待ってくれ」
言って、スマートフォンの画面へと指を伸ばす。機種本来の通話画面とは異なる、不可思議な紋様が画面には浮かんでいる。俺の左胸にある呪印と同一の形をした、灰色の紋様が。
問題は、その紋様の下だった。鋭角的な独特のフォントが用いられているが故に一瞥しただけでは気付かなかったが、「SHARE」と読み取れるように思える。
指先で、その文字に触れた。
「ひゃっ……」
電話の向こうで甲高い声が響いた。黛に何か起きたらしい。だが想像はついていた。
「どうした? 大丈夫か?」
電話に向かって問い掛ける。やや長い沈黙の後、不敵ともとれる調子の、女探偵の声が聞こえてきた。
「……平気。取り敢えず、慎ちゃんが嘘ついてないってことは分かった」
「ほう」
情報共有は成ったらしい。黛が言う。
「見た感じ、死因は左胸部の穿通性外傷、もしくは頭部外傷。ハイエナオークっていう化け物についても念のため調べた方が良さそうだね。ちなみに、下行性硬直の進度は?」
「肘あたりまでだ。死体の詳細な状況についてはまだ話していないはずだが?」
分かっている。情報共有が成されたのだ。魔力によって。白行の魔法によって。アドフェリシティトなる推理魔法によって。
「……うん。何かさ、流れ込んできた。頭に。慎ちゃんがシェルフウッドの村で得た情報の、多分大半がね」
「そうか。信じてもらえて良かった」
大半。黛はそう言った。今し方の質問から察するに、黛が得たのは、端末画面上のSHAREボタンをタップするその瞬間までに俺が見聞きした、全ての情報だろう。平たく言えば、視覚と聴覚によって得た情報の全て、だ。
魔素とやらに触れることで頭に浮かんだイメージや、触覚によって得た死後硬直の進行状況は共有されていない。勿論俺の考えや感情についてもだ。
「慎ちゃんとこの仕事は、うちの事務所で処理しておくよ。慎ちゃん自身がこれから何すれば良いかは、分かってるよね?」
「魔法だろ?」
「うん。分かってるならいい。もう切る?」
「そのつもりだ。調べなくてはならないことが多いんでな」
村での聞き込みを早々に実施したい思いがあった。黛と話したことで、俺がただ一人、自身よりも優れた探偵であると認める人物が異世界を肯定したことで、踏ん切りがついたような気さえしていた。
「それじゃ慎ちゃん、最後に一つだけ」
「何だ?」
「いろいろ不安だろうし、助けてくれる人がいるなら、頼りたくもなるだろうけど……。本質を見誤らないで。絶対に」
黛の声色は、真剣そのものだった。言葉の意味するところは分からない。だが、彼女が言うからには、きっと大切なことなのだろう。そんな風に思えた。
「務めを果たすさ。そのために俺は、ここにいるんだろうからな」
「開通者としての?」
「馬鹿言え。探偵としてのだ」
スマートフォンを耳から遠ざけ、通話の終了を企図する。画面から呪印が消失し、手の中の電子端末は、バッテリー切れの無用の長物へと回帰する。
部屋の入り口へ目を遣る。興味津々と言った体のタニアが、大きな目をぱちくりとさせながらこちらを見つめていた。