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推理は魔導に相似する  作者: 伊吹契
第1章 エルフの村の殺人
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出題編 序

 死んでいる。

 血溜まりに溺れでもするかのように、男が一人死んでいる。

 うつ伏せに倒れ伏す男の首元には巨大な穴。穴は胴体を貫通し、血に染まった草花をその向こうに見せている。


「早く行け。助手になりたいんだろう?」


 俺の言葉にひくりと身を震わせ、娘が駆けていく。

 この場所から村長とやらの居宅までは直線距離で一〇〇メートルほど。状況を伝えるのに多少時間を要するにしても、五分以内には戻ってこられるはずだ。


 足を踏み出し、死体へと近づく。しゃがみ込み、全身に視線を走らせた。

 死因は恐らく心臓部の穿通性外傷。見れば後頭部にも巨大な陥没がある。

 何らかの方法で胸に穴を開けられて即死。その後、穴を開けた人物は遺体に近づき後頭部を破壊。凶器のようなものは付近に見えないが、石か何かを振り下ろされたのかもしれない。


 気に掛かるのは刺激臭。血の匂いに織り混じり漂う獣脂のそれに良く似た匂い。立ち上がって遺体を確認し、血溜まりに沈む小さな赤い果実を見つける。

 左手で果実を取り上げ、その上で右手を扇ぐようにして匂いを確認。刺激臭の原因はこの果実だ。


「クポの実、か……?」


 そうだ。俺はこの果実が何であるか理解するだけの情報を既に得ている。

 宿の主人は言っていた。獣脂に比すれば効力は劣るが、魔物除けに強い効果を発揮する果実があると。

 獣脂が魔物を遠ざける理由がその刺激臭にあるならば、似た香りを放つこの果実こそがクポの実であると考えるのは、恐らく妥当な行為だろう。


 再びしゃがみ込み、男の腕に触れる。指を滑らせ、肩、胸、首、顎と順に触れていく。

 感覚値だが、現在の気温は恐らく二〇度前後。夜間や早朝はもう少し下がるだろう。肘あたりまで死後硬直が進んでいること、また被害者が比較的若い男性であることを考えると、死後九時間から一五時間といったところだろうか。

 時計が手元にないため正確なところが分からないが、現在時刻を仮に一一時とするならば、男が死んだのは昨晩二〇時頃から深夜二時あたりまでの間と考えられる。


 いや待て。本当にそうだろうか。

 ここは俺の生きる現代日本とは異なる世界だ。まして遺体は人間でなくエルフのもの。下行性硬直の進行速度が人間と同じとは限らない。死亡推定時刻を推し量るのは現段階では早計かもしれない。

 そもそもこの世界の一日は、本当に二四時間だろうか。

 魔法の存在する世界だ。死後硬直を遅らせるような手法が何か存在する可能性も否定できない。


 頭を振り、胸部の穴へと視線を戻す。

 恐らくは致命傷となったであろうこの穴もまた問題だ。胴体を貫通する直径一〇センチほどの巨大な穴。矢で射られたり、槍で貫かれたりした程度ではこうはならない。ここにも魔法が絡んでいる可能性がある。


「ん……?」


 穴を観察するうち、不自然な点に気付く。両手で遺体を裏返し、前面を確認。背後から見た際には肩甲骨と頸椎の中間地点あたりにあるように見えた穴だが、前面からみると印象が異なる。空洞の出口が、胸骨下部に存在している。


「穴が斜めに空いている、のか」


 また立ち上がり、周囲を見回す。草原を取り囲む木々の向こうに、木で組まれた見張り台が見える。あそこから射られたのだろうか。

 そう言えばプロテクションなる魔法には、矢の貫通力を向上させる効果があるとシャドウエルフの娘は言っていた。

 仮に男がこの草原の中央に立っていたとして、風の防御魔法を掛けた弓で見張り台の上から男の背を射れば、背面から前面に掛けて下るように貫通孔を残せる可能性があるかもしれない。


 顎に手を当て、再び遺体を俯瞰する。麻のズボンが脱げ掛けている。衣服には引っ張られたような跡。何かの折に弾け飛んだと思しき上衣のボタンが、脇腹横に落ちている。


「シンイチロウっ」


 焦ったような声が聞こえ、続いて複数の足音が耳朶を撫でる。村長を連れ、娘が戻ってきたようだ。遺体を好き放題にいじくり回せるのは、どうやらここまでのようだった。


「何ということだ……」


 村長と思しき老年の男性。老化によるものだろうか。宿の主人やシャドウエルフの娘とは異なり、長い耳の先は僅かに垂れ下がっているように見える。我が身の不幸を嘆きでもするかのように、地に膝をついてうなだれた。

 シャドウエルフの娘へと視線を合わせる。周囲には数人の男。途中で出会いでもしたのか、彼女の居宅に押しかけてきていた三名の姿も見える。


「手が血まみれだ」


 俺の目の前へと足を進め、娘が言う。俺の手を取り、悲しそうに眉を寄せた。


「そうでもないさ」


 答え、指先に付着した深紅の液体に目を落とす。状況が状況だけに血に濡れているように見えるが、指を染める赤い液体の半分程度は血ではない。クポの実とやらの果汁だ。

 男は胸にポケットのついたシャツを身につけていた。

 俺が身につけるそれによく似た、ボタン留めの麻のシャツ。ポケットには採取したばかりであったのかクポの実が複数。どのタイミングかは不明だが、何らかの原因でそれらの実が破裂し、ポケット周辺に果汁が飛散したらしい。

 前面胸部に限ってだが、やや粘着質な赤い液体が多量に付着していた。


 腰から下げた革袋を漁っていた娘が、手ぬぐいのような物を取り出し俺へ差し出す。礼を言って受け取りを辞し、獣道を抜けて小川へと歩いた。水面に指を浸し、血と果汁とを洗い流す。

 シャドウエルフの娘は不安そうな面持ち。背後からは、男等が慌ただしく駆け回る音が響いている。

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