第1楽章 「前奏曲~装甲人員輸送車のスケッチ~」
時間軸としては、第1話「大浜大劇場の死闘!倒せ、吸血チュパカブラ!」の第2章「大浜大劇場の死闘!守れ、歌姫の美声!」の直前です。
人類防衛機構の各支局が保有している装輪式装甲人員輸送車は、小隊以上の人員の事件現場への移動手段として、通常は運用されておりますね。
されど、その強固な装甲による高い安全性から、危機に見舞われた民間人の方々を保護する移動避難所として運用される事も、決して少なくはありません。
現在こうして大浜パーク駐車場に停車している装甲人員輸送車もまた、避難民の方々の保護に運用されているのですから。
しかしながら、私共が今回保護させて頂いた方々程、装甲人員輸送車に似つかわしくない方々も珍しいのではないでしょうか。
自衛隊車両と同様の国防色でペイントされた、この重厚で物々しい装輪式装甲人員輸送車には。
「まさか、あんな事になってしまうなんて…」
シンプルで質実剛健な装甲人員輸送車の座席に腰掛けて、このように不安げに囁き合う、年若くて美しい女性達。
その誰もが類い稀なる美貌に派手なメイクを施し、19世紀末から20世紀初頭の華やかな洋装に身を包まれている事からも、この方々が単なる民間人でいらっしゃらない事は、一目瞭然でしょう。
阪急電鉄が有する宝塚歌劇団に対抗する形で、阪堺電気軌道が母体となって大正13年に旗揚げされてから今日に至るまで、順調に世代交代を重ねて来られた、大浜少女歌劇団。
そんな大浜少女歌劇団北組の名だたるスター達が、まさかこの装甲人員輸送車に集合されるとは、私にとっても思いもよらない事でした。
自己紹介が遅れてしまい、恐悦至極でございます。
私は、堺県立御子柴高等学校1年A組に在籍させて頂いている、生駒英里奈と申す者です。
そして未熟者ながら、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局におきまして、特命遊撃士として少佐の階級を頂いております。
以後、お見知り置き下さいましたら幸いでございます。
「大浜歌劇団北組の皆様!どうか御安心下さい!この装甲人員輸送車はナパーム弾の直撃にも耐えられるように設計されております!吸血チュパカブラの攻撃など、物の数ではありません!その上、装甲人員輸送車の周囲では、我々特命機動隊が厳重な警戒体制を取っております!どうか御安心下さい!」
車内前方でレーザーランスを肩掛けした私の隣では、紺色の制服の上に黒いアーマーを装着した特命機動隊の江坂芳乃准尉が、大浜少女歌劇団の皆様を何とかして落ち着かせようと、懸命に大声を張り上げていらっしゃいます。
人間や家畜の血液を常食する危険な特定外来生物である吸血チュパカブラが、メキシコ発のコンテナ貨物船に紛れ込んでしまい、船員を殺害して海に逃亡した。
そして吸血チュパカブラが大浜付近に泳ぎ着き、事もあろうに大浜少女歌劇団北組の「歌劇・吸血鬼ドラキュラ」で満員御礼の大浜大劇場に乱入してしまった。
と、まあ…
これが、今回の事件のあらましなのでございます。
「オリエさん…お気持ちは確かに分かりますが…」
「ヒナノは…ヒナノは何処に?」
女吸血鬼カミーラ用の青白いメイクを施されたイブニングドレス姿の女性の不安そうな呼び掛けも、ヴァン・ヘルシング教授用の紳士服とコートを御召しになった、金髪ショートヘアの長身の女性には、どうやら届いていらっしゃらないようでした。
北組娘役スターの1人である八幡百恵さんに、同じく北組男役トップスターの東雲オリエさん。
その他の方々も、つい先週に大浜大劇場へと足を運んだ私としては、記憶に新しい顔ぶれでした。
先週、父から頂きました株主優待券で入場致しました際には、最前列付近の特等席で拝見させて頂いたので、その息遣いまでもが伝わってくる迫力でしたが、今日はその特等席よりもさらに近い所に、大浜少女歌劇団北組スターの皆様が座っていらっしゃる。
もっとも、先週は観客と出演者という結び付きだった、私と大浜少女歌劇団の皆様との関係性は、今日は特命遊撃士と避難民のそれに転じてしまいましたし、このような緊急事態で、手放しで喜ぶ訳にはいかないのですが。
「江坂芳乃准尉、大浜少女歌劇団の皆様にも、ここは一端第2支局に避難して頂いた方が安全ではないでしょうか?」
顔馴染みの江坂芳乃准尉に、このように私は申し出ました。
第2支局に正式配属になって間もない私のパトロール研修に同行して頂いた御縁があるので、江坂芳乃准尉とは3年来の御付き合いになるでしょうか。
思い起こせば、当時の私は中学1年生にして研修中の少尉に過ぎず、江坂さんにしても曹長でした。
お互い順調に昇格出来たのも、健やかに生きてこそですね。
「自分も同感であります、生駒英里奈少佐。」
既に観客の方々の避難は、これと同タイプの装甲人員輸送車や警察の人員輸送車によって、無事に完了致しました。
後は、大浜少女歌劇団の皆様の避難だけなのですが…
「そんな…待って下さい!ヒナノが…ヒナノがいないんです!」
東雲オリエさんの悲痛な訴えが契機となり、重苦しい空気に支配されていた装甲輸送車の車内は、不安げなどよめきで満たされていきました。
大浜少女歌劇団北組娘役トップスター、白鷺ヒナノさん。
春公演の「歌劇 吸血鬼ドラキュラ」でもヒロインのミナ・セワード嬢役を射止めたプリマドンナは、可憐な容姿と優れた歌唱力から誰にでも愛される、北組が誇るもう1つの顔と呼ぶべき御方。
そんな方が避難先である装甲人員輸送車に乗っておらず、安否不明となってしまったのですから、歌劇団員の皆様の御心痛は、尋常ならざる物と御察し申し上げます。
「私達北組は、全員で1つです!誰1人欠けても、それは北組ではありません!ヒナノを残して私達だけ逃げられません!どうか、ヒナノが保護されるまでお待ち下さい!」
男役トップスターの東雲オリエさんからこのように懇願され、他の団員の方々からも御願いされた以上、彼女達の意思に反して装甲輸送車を発進させるのは、私達としても躊躇われるのでした。
何しろこの装甲人員輸送車には、江坂芳乃准尉とその部下の方々、そして特命遊撃士である私が護衛として車内に同乗し、車外の警護も特命機動隊曹士の方々が固めております。
それに加えて、その耐久性に至っては、つい先だって江坂芳乃准尉が太鼓判を押したばかりです。
そこまで万全の体制を敷きながら、大浜少女歌劇団の皆様の意向を無視して発進させてしまったら、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局に所属する私達の沽券に関わる事態に繋がるかも知れませんね。
このような事情も相まって、私達は装甲人員輸送車の強行発進に踏み切れないのでした。
「白鷺ヒナノさんの捜索は、吸血チュパカブラ駆除作戦と並行して、私達と警官隊が合同で行っています!どうか御安心を!」
そのため江坂芳乃准尉も、宥め賺すようなやんわりとした説得をするのが関の山のようでした。
それにしても、先のオリエさんの「誰1人欠けても、それは北組ではありません!」という御言葉は、大浜少女歌劇団の友情の深さを物語る何よりの証と、私の心に伝わりました。
特命遊撃士としてのメンツだけではなく、純粋な共感の意の表現として、彼女達の友情に応えて差し上げたい。
父から頂いた株主優待券で定期的に公演をチェックしている立場上の身贔屓もあったのかも知れませんが、私にこういった考えを抱かせる程に、大浜少女歌劇団の友情は心に迫る物でしたね。