鏡恋歌―かがみこいうた―
知人に依頼されて書いた男女二人芝居用のシナリオです。(約60分用)
山奥の洞窟。
村人からは古くから魔の棲む禁じられた山として恐れられ、足を踏み入れる事は禁忌とされている山奥にある洞窟。
奥深く口を開けたそれは入り口からして冷気が漂い、入り口の上には巨大な岩が鎮座している。
あたり一面に頭蓋骨が転がり、一見して「何かいる」と思わせる。
そこへ最近降り続く雨のせいで収穫もなく、生活に追われて仕方なく狩りに出た猟師・佐助が、そうとは気付かずに山に入ってくる。
第一幕
雨の中、猪を追って走って来る猟師・佐助。
佐助「(雨のせいで見失い)ちくしょう、大物だったのに!」
降り続く激しい雨に長時間さらされ、傘や蓑はぐっしょりだ。
佐助「(辺りを見回して)……随分遠くへ来ちまったな…」
ざんざんと降り続く雨。
佐助「(身震いして鼻をすすり)参ったなぁ…。ああ…ここ最近の雨で道がぬかるんで小さな川になってら。これじゃ麓まで歩くのは危険だな。(ふと近くにある洞窟を見つけ)仕方ない、少し雨宿りしていくか」
洞窟に足を踏み入れかける佐助。
佐助「…待てよ」
もう一度よく辺りを見回して。
佐助「……ひょっとして……ひょっとしなくても此処、立入り禁止の魔物の山じゃないのか…?」
慌てて荷物から地図のようなものを取り出し、現在地を確かめる。
佐助「…やっぱりだ! 入っちまったんだ! どうしよう…!」
留まるべきか無理にも山を降りるべきか何度か躊躇して。
佐助「(自分に言い聞かせるように)…いや、魔物の山と言ったって古い言い伝えだ。鬼や物の怪が本当に出るわけでもないだろうし…。それより風邪引いて動けなくなって稼ぎを逃す事の方が怖いからな。(洞窟を見上げて)…うわ、でっかい岩が乗ってるな…これが落ちてきたら塞がれちまう。…お邪魔しま~す……」
佐助、お題目を唱えながら洞窟の中まで足を進める。
突然、背後で岩が滑り落ち、洞窟の入り口がスッポリと塞がれてしまう。
暗闇に包まれる洞窟内。
焦って振り返る佐助、岩に駆け寄り両手で叩く。
佐助「言った先からかよ!」
女の声「ようこそ~ん!」
慌て、怯えきる佐助の前に、限り無く派手派手しい装いのキラキラな女・牡丹が鏡を持って現れる。
佐助「うわわわわわ…!」
牡丹「牡丹でぇ~す!急なお客様だから、こんな格好で失礼しまぁ~す!」
佐助「こんな所にオカマさんのバーが!」
牡丹「違うわよ!」
佐助「(女をよく見て)……………ゴージャス姉妹のどっちか?」
牡丹「違うわよ!」
佐助「あ…じゃぁラスボス? 小林の幸子さん?」
牡丹「それも違う!…っていうか、みんなこの時代まだ生まれてないじゃない!」
佐助「じゃ、何?」
牡丹「何って……これよ」
牡丹、頭の飾りを取り除ける。豊かな黒髪の頭の上に二本の角が現れ。
佐助「鬼いた! 鬼出た! 本当に鬼が出た~~!」
佐助、腰が抜けたようにへたり込み、手近な石(実は頭蓋骨)に縋りつく。
牡丹「ちょっとちょっと、人のコレクションに勝手に触らないで!」
言われた佐助、ふと石を持ち上げてみて…初めて頭蓋骨だと分かり。
ふと気付けば、辺り一面に頭蓋骨がある。
佐助「ひ・ぃぃぃぃぃぃぃ~!」
佐助、持っている頭蓋骨を牡丹に放り投げて。
牡丹「(受け止めて)投げないでよ! ジュリアーノがかわいそうでしょ!」
牡丹、受け止めた頭蓋骨を投げ返す。
佐助、思わず受け止め、改めて怯え。
佐助「誰だよジュリアーノって!(投げ返し)」
牡丹「(受け止めて)いいからそこに置いといてよ! 誰のか分かるようにしてるんだから!(投げ返し)」
佐助、受け止めて投げ返す。
牡丹、受け止めて投げ返す。
佐助、受け止めて投げ返す。
牡丹、受け止めて投げ返す。
佐助・牡丹「……やめましょ」
頭蓋骨を元の位置に置く佐助。
佐助「おやすみ、ジュリアーノ」
牡丹「どんなにいい男でも、骨になっちゃえば皆一緒よねぇ」
牡丹、鏡を弄びながら。
牡丹「ところであなた、どうやって入ってきたの?」
佐助「どうやってって……猪を追って…」
牡丹「村では、この山には足を踏み入れちゃいけないって事になってるんじゃないの?」
佐助「そうなんだけど…最近は雨ばかりで猟がサッパリだから、俺みたいな貧乏な猟師は、そうそうグータラもしてられないんだ。それでつい、大物を追いかけるのに夢中になって…」
牡丹「(意外)え、本当に?! 本当にそれだけ?」
佐助「……なんだ?」
信じられない様子で鏡を見つめる牡丹。
牡丹「(独り言)そんな馬鹿な……」
牡丹を伺う佐助。
佐助「?」
牡丹「……ここは三百年前から私の結界なの。……あ、結界って分かる? 結界って」
佐助「(驚き)三百年前……? 結界…縄張りのことかな?」
牡丹「…まぁ、そんなとこね。この洞窟とその周りは私の結界が貼ってあって、普通の人間は自分の意志で勝手に入って来れないし、自然に迷い込んでくるなんて事はできないのよ。入って来れるのは、私がこの鏡の魔力を使って呼び寄せた男だけって事にしてあるんだけど…」
佐助「…でも俺は猪を追っていて…」
牡丹「…それなの。呼んでもないのに、どうして入ってこれたのかしら?」
佐助「気がついたら此処に…」
牡丹「(がっかりと)ここに入って来れるのはいい男だけって決めてたのよねぇ」
佐助「…悪かったな…」
牡丹「(がっかりと)呼びもしないのに……よりにもよってこんなのが……よりにもよって」
佐助「(ショックを受け)それほどまでじゃないだろう?!」
やる気なさげにアクセサリー類を外し始める牡丹。
牡丹「こんなの相手に着飾ってもしょうがないし。もういいや、こんなの」
佐助「あっ! ひどい!」
牡丹「とりあえず本題に入りましょう」
佐助、ハッとする。
佐助「(怯えつつ後ずさりながら)もしかして俺をどうにかしようとか、食っちゃうとか、そういう話……」
牡丹「見かけによらず鋭いわね」
佐助「(ぼそりと)そのぐらいは誰でも……」
牡丹「でもまぁ、美人でうら若い女の家に勝手に上がりこんでる訳だから、それ相応の事はしてもらわなくちゃね」
佐助「三百年も生きてるくせに!」
牡丹「(鬼の形相)心は若いの!」
佐助「(気圧され)……はい」
牡丹「で、本題なんだけど。私がこんなに若くて美しいのはね、此処に呼び寄せられた馬鹿な男どもが、骨になるまでその身を捧げてきたからなの」
佐助「その身を……(エッチな事を考えたように、邪悪にニヤリとし)……ははぁ」
牡丹「(手にした鏡を弄びながら)……私、こう見えて貪欲なのよ。しゃぶるの大好きなの。骨になるまで可愛がっちゃう」
佐助「(うんうんと頷いてヤル気満々)待てよ。(どこか嬉しそうに苦悩)……持つかな。…俺の一晩の最高記録が一、二、三…回半…」
牡丹「そのせいで、こんなにコレクションが集まったという訳なんだけど…」
佐助、辺りに転がる頭蓋骨を見回して。
佐助「これみんな……」
牡丹「(セクシーに)そう、骨の髄までしゃぶりつくすの……」
牡丹、いきなり佐助の上に乗る。
押し倒される形になった佐助。
佐助「へっ?! いや、そんな、そんないきなり、んへへへ」
牡丹「うふふふ、怖がらなくていいのよ」
佐助「(嬉しい)いや、ちょっと……ちょっとそんな、んへへへへ」
持っていた鏡を男に向ける牡丹。
牡丹「そ~れ~」
佐助「(いきなり鏡を向けられ)……え? ……あ。ああ……(とりあえず髪を直し)」
佐助の様子を伺い、首を傾げる牡丹。
牡丹の様子を伺い、愛想笑いを返す佐助。
牡丹、もう一度鏡を向け。
牡丹「そ~れ~」
佐助「な、何?」
驚いて佐助の上から飛び退く牡丹。
起き上がる佐助。
牡丹「(鏡を見ながら)あれ?! おかしいな、いつもならすぐに丸焼きになるのに! なんで?」
佐助「(ショック)しゃっ……しゃぶりつくすって本気で食べるって意味だったんでしょうか?!」
牡丹「決まってるでしょう?! 何だと思ってたの?(小声で)……分かるけど」
岩で塞がれた入り口へ逃げる佐助。
佐助「(怯え)美味しくないぞ俺なんか、骨ばってて固くって!」
牡丹「(立ち上がり)仕方ないでしょ。ここ知られたからには、生きて返す訳にいかないもの」
佐助「(外に向かって)ぎゃぁ~!助けて~!」
牡丹「無駄無駄。ここは魔物の山よ」
鋭い爪の手を構える牡丹。
牡丹「仕方ないから、真っ当なやり方で死んでもらうわね」
佐助「うわぁ、やめてくれ~!」
牡丹「焼くのは死んでからにしてあげる」
爪で切りかかる牡丹。
上手に避ける佐助。
牡丹「往生際が悪いわね!」
佐助、胸に下げている守り袋を着物の上から握り締めて。
佐助「往生するつもりはないからな!」
もう一度切りかかる牡丹。
佐助「ハッ!」
思わず牡丹の手に真剣白刃取りを決める佐助。
牡丹「あ」
佐助「あわわわわわ……」
佐助、そのままへたり込む。
手を振り払おうとする牡丹。
身が竦んで力が抜けない佐助。
繋がったままの手を何度か振り回す二人。
なんとか手を振り払い、負けた事が信じられない様子で佐助を見つめる牡丹。
構える佐助。
爪を振り上げる牡丹。
構える佐助。
爪を振り上げる牡丹。
構える佐助。
牡丹「(ガックリと)……なんか削がれちゃったな。どうせあんた不細工だし、まずそうだし。(外を伺い)雨も小降りになってるみたい。 帰ってもらおうかな」
佐助「(俄かに信じられず)……本当に?」
牡丹「ここに居たい?」
佐助、ブンブンと首を振る。
牡丹「ここに居候されても困るもの。入り口を開けてあげる。とっとと帰って。もう二度と来られないように、一応の呪いは掛けておくけどね。言っとくけど、私の事を他の人間に言っても無駄よ。私が招いた人間しか踏み込めないんだから、頭おかしくなったと思われるのがオチよ」
佐助「二度と来たくありません!」
入り口を塞ぐ岩に向かって鏡を向ける牡丹。
牡丹「開け、ゴマ!」
何も起こらず、静まりかえる洞窟内。
牡丹「開け、ゴマ!」
何も起こらない。
愕然と鏡を見る牡丹。
佐助「(嫌な予感)……壊れたのかな……?」
牡丹「(焦って)そんな訳ないわよ! 三百年の間、一度も衰えた事のない魔性の鏡なのよ。 いつもあの岩は、この鏡の力で簡単に落としたり上げたりできてたの。(不意に焦りだし)ええ~?どうしたんだろう……さっきから鏡も使えない……私もまるで人間並みに力が弱くなってる……(入り口の岩の前で)ああ……困った、すっごい困った…! 」
佐助「(嫌な予感が濃くなり)……てことは……?」
牡丹「………閉じ込められちゃった……かも……」
佐助「(絶望)うあああああ~!」
呆然と塞がれた入り口を見つめている牡丹。
牡丹「私もひと月のうちに一人は食べないと死んじゃう……」
佐助、胸元から守り袋を出して額に当てて祈る。
佐助「お願いします、お願いします。仏様、仏様、何でもしますからここから出して下さい」
祈っている佐助を呆然としたまま何気なく見つめ、不意に飛び退く牡丹。
牡丹「何それ?」
佐助「(顔を上げて)……え? ああ、これは俺のお守り袋だ」
牡丹「(閃いて)それよ! この鏡は、あまりに大きな聖なる力の側では、魔力が中和して使えなくなるの」
佐助「なるほど!」
牡丹「…でも、この鏡の魔力は凄く強いのよ? そんな小さな板切れに、それほどの力があるとは思えないんだけど……。……ねぇ、それ捨てなさいよ」
反射的に守り袋をしまいこむ佐助。
牡丹「それさえ無ければ、いつもどおりだわ」
佐助「それは絶対駄目だぞ! これは命より大事なお守りなんだ」
強引に奪い取ろうとする牡丹。
奪われまいとする佐助。
牡丹「よこしなさいよ! そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」
佐助「駄目だったら駄目だ!」
牡丹「冗談じゃないわよ! そんなもの持ってる人間なんか早いところ出て行って欲しいもんだわ!」
必死に守り袋を奪われまいとする佐助。
佐助「これは駄目だ! 五年前に病気で死んだ俺の許婚がくれた物なんだ! どんな時でも俺を守るようにって、彼女が何度も息を吹きかけて祈ってくれた大事な物で……もう俺の一部なんだ」
言葉に詰まる牡丹。
大事そうに守り袋を元に戻す佐助。
沈黙が流れる。
立ち上がり、岩を押してみたりして調べ始める佐助。
佐助「(明るく)あっ、大丈夫そうだぞ。土が雨で柔らかくなってる。二人で一緒に押していけば、少しずつなら動くかもしれない」
牡丹「本当かしら?」
岩を押してみる佐助。
佐助「ほら、少しだけど動いてる。人が一人通れるだけの隙間ができたら、俺は出て行くから。こう見えてけっこう身軽だから、少しの隙間でも通れるはずだ。そうしたら、何もかも元通りだろう?」
佐助を見ている牡丹。
佐助「一日じゃ無理だろうけど、少しずつ押して行けば何とかなるかも。とりあえず一緒に頑張ってくれよ」
牡丹「変な感じ」
立ち上がり、佐助と同じように岩を押してみたりして調べる牡丹。
牡丹「ほんとね。これなら何とかなりそうだわ」
微笑する佐助。
佐助「名前…まだ言ってなかったな。俺は佐助だ。よろしく」
牡丹「ふん、馴れ馴れしい」
高飛車に言い捨てると、佐助に顔を背けながら岩を押しに掛かる牡丹。
牡丹「(独り言)なんで男なんかと……」
なんとか岩を押して動かそうとする二人。
第二幕
一人で岩を押している佐助。
佐助「まいったな、これ。全然動かなくなったぞ。(奥に向かって)おーい、鬼さーん。牡丹さーん」
返事がない。
佐助「(独り言)……何だよ。自分だって閉じ込められたままでいたくないなら、少しは手伝うぐらいしてもいいじゃないか」
鏡を手に出てくる牡丹。
牡丹「なんか言った?」
佐助「うわっ! びっくりした! 呼んだら返事ぐらいして欲しいぞ」
牡丹「だから今したじゃないの」
佐助「……ああいえばこうだ」
牡丹「用がないなら呼ばないでよ。鬼だからって暇だと思ったら大間違いよ」
牡丹、奥へ帰ろうとする。
佐助「(引き止めて)何もする事がないんだから暇じゃないか! 一緒に頑張ってくれないと、あんただって外に出られないぞ。雨が止んで、道が乾き始めてるから全然動かない」
牡丹「何よ、命令してるの?」
佐助「(ムッとして)おいおい、それは違うだろう」
牡丹「いいのよ、私は。当面の食料はまだあるし。それが無くなっても、あなたが弱ってきたところで殺して食べちゃうもの。そのあと邪魔なお守りを岩の隙間から外に捨てちゃえば魔力は元通りよ。そのお守りさえなければ良かった話なんだから。……何よ、勝手に入ってきて勝手に閉じ込めて。もとはと言えばあんたのせいなのよ」
佐助「勝手に閉じ込めたのはそっちじゃないか!」
牡丹「開けてあげようとしたのに、動かなくさせてるのはあんたのお守りでしょ。巻き添え食らってんのは私なんだからね」
佐助「最初は殺そうとしたくせに!」
牡丹「(聞き流し)何で私が人間の男ごときのために、そんな重労働しなくちゃいけないのよ。地面が乾いちゃったら動かないわよ、そんなに大きな岩。そんな事してるより、とっととお守り捨てちゃった方が早いんじゃないのかしらね。そうしたらこの鏡の魔力で、そんな岩すぐに動かせるのに」
黙々と岩を押している佐助。
牡丹「……何よ無視して。あら、何か気に障った事でも?」
嫌味ったらしく佐助を伺う牡丹。
ムッとしている様子で、ただ岩を押している佐助。
牡丹「ふん」
奥へ戻りかけるが、佐助の足元に守り袋が落ちているのを見つけて嬉しそうに手を伸ばす。
牡丹「あ、こんな所に!」
佐助「あっ!」
言われて気がついた佐助、慌てて拾おうとするが牡丹に取られてしまう。
しかし、持った途端に熱い物に触れたように取り落とす牡丹。
牡丹「熱いっ!」
佐助、落ちた守り袋を拾い上げてから牡丹の指を気遣う。
佐助「大丈夫……?」
気遣いを拒むように佐助に背中を向ける牡丹。
佐助「熱い……?」
手の中の守り袋を不思議そうに眺めている佐助。
佐助「もしかしなくてもこれのせいか…?」
答えず、火傷した指を擦っている牡丹。
佐助「……そうか、鬼はこういう物に触れないんだな? どれ、見せてみな」
牡丹の手を取ろうとする佐助。
拒む牡丹。
牡丹「いいわよ!」
佐助「良くないだろ」
強引に牡丹の手を取ると、腰に下げている袋から薬を出し、塗ってやる。
佐助「ほらみろ、これ後で水ぶくれができるぞ」
言いながら指に布切れを巻いてやる。
おとなしく手当てを受けている牡丹。
佐助「これでよし。(ふとおかしくなり)ふふ、鬼も火傷するんだな」
手当てが終わるなり、照れたようにパッと手を離して後ろを向く牡丹。
牡丹の後ろ髪に、白髪の束を見つける佐助。
佐助「……あれ?」
よく見ると、昨日まで艶やかだった黒髪に白髪が混ざり初めている。
佐助「牡丹さん」
牡丹「何よ」
佐助「髪……白くなってる」
ハッとする牡丹、思わず岩の隙間の光が差し込む場所まで行って、自分の髪の中を探って見る。
内側からバラバラと零れてくる白髪。
牡丹「きゃぁぁぁぁぁぁぁ~~!」
佐助「そんなに白かったっけ?」
牡丹「大変、若さがどんどん失われてるんだ!」
佐助「……?」
牡丹「私は三百年前に生きてた人間なのよ。本当なら、この肉体は三百年前に死んでなくちゃいけないの! 鏡の魔力が中和されてるから、私の魔力も使えない。鏡が壊れる時は、私が消える時なの。このままあんたがいたら私、容赦なく老けていって……しかも今、お守り触っちゃったから!」
佐助「(驚いて)元は人間だったのか……?」
うっかり口を滑らせた事に初めて気付く牡丹。
牡丹「どうでもいいでしょ」
佐助「どうして人間が鬼に……鬼って人間がなれるものなのか? それとも、鬼って元々は人間なのか?」
牡丹「教養ないわねぇ! 昔から人間が鬼に変化するなんて話、いくらでもあるじゃない。学問の神様の菅原道真は自分を陥れた人たちを恨んで、鬼になってそいつら焼き殺したのよ。その魂を慰めるために、天神様として祭ったんだから」
佐助「へぇ……」
牡丹「それから自分の娘を間違って殺した老婆は、本当の事を知ったときに気が狂って人の生き血を吸う鬼婆になったし……あ、これが安達が原の鬼婆の話ね。……若い娘が恋しい男を
想う余り、嫉妬に狂って鬼になったとか……って、これが安鎮清姫ね」
佐助「……初めて知った」
興味深く聞いている佐助。
牡丹「こんなのもあるの。寺の小坊主が…ある真夜中、和尚さんに本堂に呼ばれたの。……今日はおまえに聞いて欲しい事がある。ずっと秘密にしておったんじゃが、我慢できなくなったので聞いてくれ。小坊主は、いつも優しい和尚さんの切羽詰った様子に、話を聞かないわけにいかない。本堂の仏像の前で蝋燭の明かりだけ、ゆらゆら揺れていて……和尚さんは語り出したの。おまえがここに来る前に、わしにはとても可愛がっている小坊主がいた。実の息子のように可愛がり、寝食を共にし、片時も離さなかった。ところがある日、病気で彼が死んでしまった。余りに悲しくて悲しくて、骨にするのも忍びなく、何を思うたか、わしは彼を食べてしまったのじゃ。しかし困った事に、それから人の肉の味を憶えてしまい、おまえのような小さな男の子を見ると美味そうでならない。そんな自分を誤魔化すために毎晩こうして教を上げていたが、それも限界のようじゃ。…すまぬがおまえ、鬼になったわしを哀れと思うて死んでくれ。そう言って小刀を取り出した時! 仏像の裏に隠れていた強盗が悲鳴を上げながら逃げていったんだって。和尚さんの作戦勝ちって話」
佐助「なるほど、頭いいな!……って、それは違う!」
牡丹「(必死)そんな事よりお守り捨てなさいよ!」
佐助「(拒絶)いや、それは!」
猛烈に岩を押しに掛かる牡丹。
牡丹「(佐助に)出てって! 早くその板切れ持って出てって、あんたなんか!」
体当たりしそうな勢いで岩を押す牡丹。
複雑な表情で牡丹を見つめる佐助、再び岩を押しに掛かる。
佐助「よし、じゃ息を合わせて……せ~の、だ。……せ~の!」
一緒に岩を押す二人。
佐助、ふと顔を上げて辺りを見回す。
佐助「……?」
着物の上からお守りを握り締めて、何か考え、
佐助「(牡丹に)何か言った?」
牡丹「(必死に押しながら)何も!」
佐助「(独り言)……まさかな。空耳か」
再び岩を押しに掛かる佐助。
第三幕
壁に立てかけた鏡の前に俯いて座っている牡丹。
髪の毛はもはや真っ白で、背中も曲がり始めた体つきには覇気がない。
身体を拭きながら、片足をひきずり気味に奥から歩いてくる佐助。
佐助「洞窟の奥に湧き水があって助かったなぁ。温泉だったら言うことなしなんだがなぁ…なんて、贅沢言ってる場合じゃないか」
壁を向いて落ち込んでいる牡丹を見止め、後ろ姿に
佐助「どうした?」
無言で振り向く牡丹。顔がすっかり老婆になっている。
佐助「(恐怖に上げそうになった声を押さえ)……あちゃ~」
牡丹「あちゃ~、じゃないわよ! あんたのせいよ!」
佐助「自業自得と言った方が。(取り繕うように)いやいや、でも。そんなに目立たないよ。うん、それほどじゃない。暗いから分からないし」
牡丹「分かるわよ、はっきり分かるわよ。自分で見て腰抜かしたわよ」
佐助「(思わず)確かに」
牡丹「(無言で睨む)」
佐助「あ、いや……」
気まずい沈黙。
佐助「(気を取り直して)とりあえず、一日でも早く岩を退かそう。そうしたら、俺は出ていく。そっちは元に戻る。それが一番だ」
佐助、座って片膝に布を巻く。
牡丹「脚…どうしたの?」
佐助「いや、痛むんだ。肉離れでも起こしかけてるかな? このところ、ちょっと無理しすぎてたかもしれないしな」
牡丹「ふぅん……」
牡丹、小さな箱を取り出そうとしながら。
牡丹「これ、痛み止め……」
佐助「(牡丹と同時に)あんた、そんな身体じゃ、力仕事は辛いだろう? 今日から俺一人で押してみようか? 何か頑丈な棒切れでもあれば、『てこ』みたいにできるんだけどな…」
慌てて痛み止めを隠し、複雑な表情で佐助を見る牡丹。
しかしすぐに自分の顔に気付いて、誤魔化すように顔を背ける。
牡丹「……余計な気は回さないで頂戴。私は手伝いたい時に手伝うの。指図しないで」
佐助「(苦笑し)そうだな」
あっさりとした佐助の言葉に、少々の罪悪感と自己嫌悪を憶えたように、所在無さげにで痛み止めを手の中で弄ぶ牡丹。
佐助「……これでよし。さて」
布を巻いて膝を固定した佐助、気を付けて立ち上がり、岩の状況を調べてみる。
痛み止めを渡すタイミングを外している牡丹。
佐助「大丈夫だ。少しづつだけど、ちゃんと動いてる。……ああ…せめてもう一度雨が降ってくれないものかな。降らなくてもいい時は無駄に降り続けるくせになぁ?」
言いざま、体重を掛けて岩を押してみる。
瞬間、妙な音と共に佐助の片脚の骨が折れる。
佐助「ぎゃぁ~~~~~!」
倒れ込む佐助。
驚いて駆け寄る牡丹。
牡丹「どうしたの佐助! ねぇ、どうしたのよ?!」
佐助「骨が、骨が~~~!」
牡丹「(おろおろして)…ちょ、ちょっと待ってて!」
佐助「ぅぅ……助けてくれ小梅……」
牡丹、奥に戻って掛け布と水を取ってくる。
戻ってくると、先ほど渡し損ねた痛み止めを差し出し。
牡丹「ほら、飲んで」
佐助「なんだこれ…」
牡丹「痛み止め! すぐに治まるから、とりあえずこれ飲んで」
手を伸ばすが、痛みの激しさに上手に受け取れない佐助。
牡丹「……な、何よ! そういうこと?!」
僅かに躊躇する牡丹だが、口移しで佐助に薬を飲ませる。
牡丹「わざとでしょ、このスケベ!」
佐助「(痛みを堪えながら)いや、この前までの牡丹さんならともかく……今はちょっと…」
牡丹「なによそれ!」
牡丹、言いながらも、痛みに片脚を押さえて丸くなっている佐助を仰向かせる。
されるままに、おとなしく横になる佐助。
佐助「……あ……?」
牡丹「もう、痛くないでしょ」
佐助「(戸惑いながら)早い…」
牡丹「鬼の秘薬なのよ。蜘蛛の脚と干したミミズを粉にして人間の血で固めたの」
佐助「ゲッ!」
牡丹「(笑いながら)単純ねぇ。ちゃんと薬草で作った物よ」
佐助「……ありがとう」
牡丹、照れ隠しに乱暴に掛け布を佐助の上に投げつける。
佐助「(掛け布を掛けながら)……参ったなぁ。そんなにヤワな身体じゃないつもりでいたんだが」
牡丹「たぶん、鏡とお守りの魔力が強すぎて人間の身体にも悪い影響を及ぼしてるんだと思う。……もしかすると、鬼の瘴気を浴びて何日も暮らしてる事も悪いのかもしれないけど。…どのみち暫く動けないわね」
話しているうちにも、牡丹の髪がパラパラと抜けていく。
牡丹「あ……」
牡丹、それに気付いて壁際に移動する。
不意に離れた牡丹をいぶかしむ佐助。
佐助「どうしたんだ…?(手に牡丹の抜けた髪が絡み)……あ、髪が……」
沈黙が落ちる。
牡丹「……ねぇ、小梅って誰?」
佐助「(その名が出た事に驚いて)え?」
牡丹「さっき呼んでたから」
佐助「(照れて)ああ。……それが、五年前に死んだ許婚だよ。幼馴染だったんだ。本当は梅っていうんだけど、背がちいちゃかったから、小梅って呼んでた」
牡丹「ふぅん……」
佐助「そう呼ぶと、あいつ怒るんだ。ほっぺた膨らませて、真ん丸い顔がもっと真ん丸くなってさ。あいつは子供の頃から身体は丈夫な方じゃなかったから……俺、妹みたいに可愛がってたんだ。こんな弱くっちゃ嫁に行けないって泣くから、だったら俺がお前を嫁に貰ってやるって、ずっと言っててな。十五の時、本当に約束した。その時に、くれたお守りが、これ」
牡丹「(優しく)ままごとね」
佐助「でも、俺たちは本気だったんだぞ? 俺は、嫁を貰うなら小梅しかいないって思ってたから、他の誰にも目が行かなかった。恋愛感情とか、そういうんじゃなくて……いや、それもあったんだろうけど……でも、そういう次元じゃなく、小梅が好きで大切だったんだ」
牡丹「でも、死んじゃった?」
佐助「うん。あの頃、村が流行り病に冒されて。……あっけなかったな」
牡丹「それで終わり?」
佐助「ああ。それだけだ」
牡丹「……それで、五年もまだ忘れられないの?」
照れ笑いして答えない佐助。
何か考えている牡丹。
牡丹「……馬鹿じゃないの?」
佐助「(笑いながら)そうかもな。(ふと思い出して)……そういえばあいつ、昨日の夢に出てきたんだ。あんたと話をして欲しいって」
牡丹「えぇ?」
佐助「この間、岩を押してる時にも、同じ事を言ってる小梅の声が聞こえたような気がしたんだ。その時は、空耳かと思ったんだが……でも結局、こうして話してるな。(笑って)これも小梅の導きなのかな?」
黙っている牡丹。
佐助「教えてくれよ。どうして鬼になったのか…」
牡丹「聞いてどうするの」
佐助「知りたいんだ。人間がどうして鬼になるのか、俺はよく理解できない。たぶん俺は、そこまでの強い感情を知らないんだと思う。だから分かりたい。もし嫌でなかったら、話してくれないかな?」
牡丹「変な人ね」
佐助「そうかな」
牡丹「(思い出すように)……私は、三百年前の私は……、田舎の貴族の娘だったの。六人姉妹の一番下だったから、なに不自由なく甘やかされ放題、贅沢三昧に育ったわ。でも私はつまらなかった。毎日毎日、変わらない景色を眺めて。私の機嫌をうかがう同じ顔ばかり合わせて。外の事は、何も知らない。だから、侍女たちから聞く町の話が唯一の楽しみだった。そんな日々が何年も続いたある日……私は我慢できなくなって、侍女たちが買い物に行く時に、変装してこっそり付いて行ったの。……そこで、彼に会ったのよ」
佐助「彼?」
牡丹「そう、顔だけいい貧乏な遊び人だったけど。世間知らずだった私は、すぐに好きになったわ。それからはお忍びで逢いに行って、彼が忍び込んで逢いに来てくれて、もう夢中だったの。楽しくて楽しくて……彼が好きでたまらなくて、彼と一緒にいる自分が好きで……逢ってる間だけ、私は生きてるんだなって実感ができたの。これが本当の私だって思えたの。逢えない時は身体が千切れるんじゃないかと思うほど淋しくて。今、彼が何をしているのか不安で、誰といるんだろう、何を考えてるんだろう、忘れられていないかしら。もう居ても立ってもいられなかった。彼も同じだって言ってくれたわ。……でも、所詮は私たちの仲は世の中では認めてもらえない事は分かっていたから、一緒に過ごしている時が長くなれば長くなるほど、苦しくなってきて……最後の方は一番好きな人に逢ってるのに、お互い辛いって溜め息ばかりついてたっけ」
佐助「……お互い自分の事しか見えなくなってたんだな」
牡丹「……そう。相手を見つめているようで、実際は、その瞳に映る自分を見ていたのね。…その時はそんなこと、気付きもしなかったけど」
佐助「それから?」
牡丹「ある日とうとう、嫁になって欲しいって言われた。私もう嬉しくて嬉しくて、何があっても、誰に反対されても一緒になるんだって燃え上がっちゃった」
佐助「そういうものかもな」
牡丹「でも……それが、あいつの狙いだったの。……都へ行って、私を不自由させない男になって帰ってくる。一番綺麗な花嫁衣裳を持って、堂々と結婚を申し込みに来る。……だからそのための旅費を貸してくれって言われた」
佐助「(嫌な予感をこらえつつ)……田舎からじゃ、大変な、旅だもんな」
牡丹「私は何も疑わずに家のお金を持ち出して、軍資金も一緒に、彼にあげたわ。……あとは分かるでしょう。そのまま連絡もなしに、彼は帰ってこなかった。三年は、信じて待ってた。何かあったんじゃないかと不安になって、もう三年。裏切られたと泣き暮らして、もう三年。恨み始めて、二年が経った時。お化粧していた私は、鏡の中の自分に『どんなに綺麗にしても、もう無意味よ』って言われたの。気がついたら、殺してやるって叫びながら、鏡を持ったまま都の方に夢中で走り出してた。……後は憶えてないわ」
佐助「その時の鏡が…」
牡丹「そう、これよ」
沈黙が流れる。
佐助「……ひどい男は、どこにでもいるよな。そういう奴こそ鬼なんだ。鬼はそいつだよ。あんたじゃない。……どうしてあんたが、なっちまったんだよ」
驚いて佐助を見る牡丹。
佐助「あんたが鬼になる事なんてなかったじゃないか。そんなに人を好きになって、そんなに信じて、与えるだけ与えて……愛するってそういうことだろ? そんなあんたが魔道に堕ちるなんて勿体無かったよ。どうせなら、鬼なんかよりもっと……」
牡丹「もっと…?」
佐助「(照れくさい)……その、もっと……ほら、天女とか、そういうものに……なっても良かったんじゃないかな……と……」
牡丹「(驚き、照れ)……なぁに、それ。……私なんか、鬼じゃなきゃ、せいぜい蛙かバッタでいいところよ」
佐助「(断固と)そんなに卑下するな」
牡丹、驚いて佐助を見る。
佐助「結果はどうでも、一人の人を本気で愛して、重ねた時間は胸の奥で生きてるんだからな。その時に感じた幸せや温もりや優しさは、あんたが生んだものなんだよ。あんたの心から生まれた、すごくすごく美しくて尊い感情なんだ。それを全部踏みつけるようなことはしなくていいんだ。そんなに頑張ってた自分を、わざわざそんなに苛めたら可哀相じゃないか」
牡丹、ただ呆然と佐助を見つめる。
牡丹「……でも……」
そこで不意に照れと意地が込み上げ。
牡丹「う……うるさいわね! あんたが言うと安っぽい! キモチワルイ! そういうあんたはどうなのよ! 五年も前に死んだ許婚のお守り抱えてそれから色っぽい話の一つもないんでしょ。そっちの方がおかしいわよ」
佐助「(気にする風はなく)あっ、そういう事を言うのか? 人が親身になってやったのに!」
牡丹「恩着せがましいわね、小梅に言われたから聞いただけでしょ!」
佐助「小梅って勝手に呼び捨てに……ちくしょう、このサイババ!」
牡丹「失礼ね、鬼婆よ!」
佐助「失礼ってそりゃサイババに失礼だろ!」
牡丹「サイババってそもそも誰よ!」
思わず笑ってしまう二人。
佐助「(笑いを隠しながら)ああ、もう寝る寝る!寝るっ!」
掛け布を頭から被って寝てしまう佐助。
三秒ほどで鼾が聞こえる。
そっと伺う牡丹。
牡丹「ちょっと……(つついてみる)」
すっかり眠っている佐助。
牡丹、思わず笑う。
牡丹「……こんな男も……いたんだ…」
髪を梳くと、ハラハラと抜け落ちる。
牡丹「(鏡を弄びながら)……なんか馬鹿馬鹿しくなっちゃったな」
佐助に視線を戻し。
牡丹「私といると、あなたもどんどん弱っちゃうわね……」
淋しそうに、佐助に手当てしてもらった指を握り締める。
第四幕
守り袋を手に起き上がっている佐助。
佐助「そう言われても……」
牡丹「だって閉じ込められて三日も過ぎてるのよ」
完全に白髪になり、腰が海老のように曲がった牡丹。
老いた顔を隠すために、角から布を垂らしている。
牡丹「もうそれしかないと思うの。人間の力であの岩を転がすなんて、やっぱり何年もかかるわよ。そのまえにこっちが弱ってきてるもの。だから、そのお守りを外に投げ捨ててくれれば、私が今ある力を全部使って動かすから」
佐助「手放せない……というか、手放したくないよ」
牡丹「私が信じられないのは分かるけど、別に今更、あなたを食べようとは思わない」
佐助「違うんだ。俺が言ってるのはあんたの事だよ」
牡丹「私?」
佐助「俺が帰ったら、もう会えないんだろ? またここで一人……もういない男への憎しみだけを抱えて生きていくのか? いいのか、それで? そんなんで?」
牡丹「(戸惑い)何を言い出すのかと思ったら……(わざと高飛車に)さては私に惚れたわね?」
佐助「(笑って誤魔化し)でも、何か方法はないのかな、と思って」
牡丹「私の事なら心配要らないわ。……私はただ、早く若さと美貌を取り戻したいだけなの。あんたのためなんかじゃないわよ」
佐助、黙っている。
牡丹「(その辺の骸骨を弄りながら)淋しいなんて感情、もう忘れたわ。煩わしいから思い出したくもない。でも佐助と一緒に暮らしてて、人間だった頃を思い出すことが多くなって、疲れちゃった。だからもう、早く出て行って欲しいの」
佐助「(淋しい)……分かった」
牡丹、痛み止めの小箱を手渡す。
牡丹「はい、おみやげ。痛み止めが何日分か入ってるわ。玉手箱じゃないから大丈夫よ」
佐助、それを受け取る。守り袋を暫く見つめて、やがて岩の側まで片足を引き摺って行くと、ためらいなく守り袋を岩の隙間へ放り投げる。
魔性の鏡を見ている牡丹。
徐々に光り出し、力を取り戻しつつあると分かる鏡。
牡丹「(輝く鏡を手に)力が戻ってきた……。じゃ、開けるわね」
佐助「……ああ」
岩の前に立っている佐助。
少しためらう牡丹。
しかし意を決し、岩と佐助に背を向けた状態で、魔性の鏡を背後に向けて掲げる。
光を集める鏡に佐助が映っている様子。
牡丹「……!」
鏡を見て震え出す牡丹。
牡丹「(様子の違う声で)おおおおお……そうか…そういうことか……」
佐助「牡丹?」
牡丹「(鏡を見ながら)……お前……お前だったのか……」
佐助「え?」
牡丹「私を裏切った……あれはお前の前世か!」
振り向く牡丹、顔を隠す布が剥がれ落ちる。
鏡と共に魔力を取り戻したらしく、美しい容貌に戻っている。
佐助「(ショック)俺が……?!」
牡丹「忘れない……忘れようものか……!」
牡丹、鬼そのものの様子で佐助に近付く。
佐助、思わず飛び退こうとするが、片脚に引き摺られて転んでしまう。
牡丹「どうして私を裏切った……どうして私を騙した……」
佐助「(思い出せず)ちょっと待ってくれ、ちょっと待ってくれ、そんな、」
牡丹「あの痛み、あの苦しみ、忘れようものか…!」
佐助「待ってくれ、俺は、」
牡丹、爪をかざして佐助に襲い掛かる。
佐助、上手にそれを避ける。
もう一度襲い掛かる牡丹を、受け止める佐助。
しかし普通の女の力でないため、歯が立たない。
佐助、怨念に囚われた牡丹を悲しく見つめながら何か考え。
佐助「……そうだな……うん、そうだな。(無防備に抵抗しようともせず)…俺の前世、そんなにひどい事をしてたなら……殺されて当然だ。……そのために、俺はここに導かれたんだろう」
牡丹「うあああああ――っ!」
佐助「ごめんな……」
牡丹、鋭い爪の手で佐助の胸を抉る。
佐助、牡丹を抱きしめる。
崩れ落ちる佐助。
薄暗く光っている鏡。
鏡の中からがやがやと声が聞こえ、何かが映し出されている様子。
牡丹、思わず鏡を振り返る。
遊び人の声(※佐助の声を少し変えてください)「ああ、疲れた。よう、おやじ、酒を一杯……と思ったけど……いいや、やっぱりやめ。できるだけ倹約しなきゃな。あいつのためだ」
遊び人の声「(誰かと話している別の状況らしい)いやぁ、別に女嫌いってわけじゃねえよ。ただ、田舎に女が待ってるんだ。すげえ家のお姫様だから、それだけの男になって、堂々と迎えに行きてえんだ」
遊び人の声「(落ち込んでいる)あいつ、俺のことなんか忘れるんじゃねえのかな。忘れられてたらどうしようかな……」
始めて知った、遊び人だった男の都での生活ぶりに愕然とする牡丹。
遊び人の声「(落ち込んでいる)手紙……書きてぇな。字が書けたらな……」
まだ息がある佐助、起き上がろうとしながら牡丹を見る。
牡丹「(鏡を見ながら)…どうしよう…どうしよう、私……」
遊び人の声「(友達と話してるらしい)ちょっと隣町まで行って来らぁ。いい仕立て屋がいるっていうんだよ。もう三年経っちまった。でも…(心底嬉しそうに)…やっと迎えに行けるんだな」
友達Aの声「頑張れよ色男!」
友達Bの声「いよっ、日本一!」
遊び人の声「(山を登っているらしい)おっと、危ねぇ危ねぇ。あっちこち切り立った崖ばっかりだ。滑ったら間違いなく御陀仏だぜ」
牡丹「(鏡に映る風景にハッとして)ここは……」
遊び人の声「でも、こっちから行きゃ今夜にでも隣町に着くだろうからな。(楽しみに)すげえいいのを作ってやる……待ってろよ、牡丹」
足を滑らせる音。
牡丹「(鏡を見て悲鳴を飲み込み)あっ……!」
遊び人の声「うわっ……」
人が崖から転落していく音が響き、続いて叩きつけられる大きな音がする。
その音と共に、洞窟の天井を見上げる牡丹。
遊び人の声「(今際の声)……牡丹……おまえを、泣かせたく……ねえのに……、牡丹……牡丹……」
長い静寂。
牡丹「(呆けたように天井を見上げて)……ここに……この上に……」
鏡を取り落とす牡丹。
佐助「……良かったな、裏切られた訳じゃなかったんだな……」
佐助、虫の息で起き上がろうとし、また倒れる。
受け止める牡丹。
牡丹「……私の方だった……私の方だったの……」
佐助、頷きながら牡丹を抱いている。
牡丹「裏切ったのは私の方だったの! ずっとずっと、裏切り続けてたのは、私!」
頷きながら抱いている佐助。
牡丹「勝手に恨んで……三百年も、たったの今まで恨み続けて……。ここに落ちたあの人の想いの中で……こんなに想ってくれていたあの人の心に包まれていながら、あの人を恨んでたなんて!」
佐助を抱きしめる牡丹。
牡丹「私の花嫁衣装を買いに行くために……。信じていれば良かったのに。ただ愛したままに信じてあげていれば良かったのに……。生きていてくれるなら、それで良かった。他の誰かと幸せになってくれた方が良かった! そんなことに三百年も気付けなかったの。鬼になるに相応しいほど醜かったのは、やっぱり私の心だったのよ!」
頭を振る佐助。
佐助「……俺は前世は思い出せない。……でも、そうやって鬼になっちまうほど淋しい思いさせた俺が悪かったんだ……。ごめんな、牡丹」
牡丹、その言葉に驚いたように佐助を見つめる。
佐助「……本当は、好きだった。今の俺も、あんたを好きになってた。……三百年待たせちまったけど、謝る事ができて良かったよ……。許してくれな…?」
声が出ない牡丹。
息絶え、全身の力が抜ける佐助。
息を呑む牡丹。
牡丹「駄目……こんなの駄目よ!」
動かない佐助。
牡丹「信じてさえいたら……信じてさえいたら……」
鏡を取る牡丹。
牡丹「鏡よ、最後の力を放ちなさい! 私はどうなってもいい! 私の魂と引きかえに、彼の魂を戻してあげて!」
鏡が眩しく輝く。
客席ともに暗転する舞台。
洞窟と岩が爆発する音。
明転。
晴れやかな空の下。
横たわっている佐助。
小鳥の声と、光の眩しさに目を覚ます。
佐助「……あ?」
佐助、起き上がって辺りを見回し、側に鏡の破片があるのを見つけて拾う。
佐助「……俺は……生きてる? え、ここは? 洞窟は?(胸の辺りを探り)傷がない。(ハッとして)……牡丹!(立ち上がりつつ辺りを探しながら)牡丹、牡丹」
人影はなく、気配もない周囲に牡丹の死を悟る佐助。
佐助「(破片を胸に当てて)…消えちまったのか……?(沈痛に)……嫌だよ。最後に一目でも出てきてくれよ……このままなんて俺、嫌だよ……。(呼びかけ)牡丹―!」
足元にピョンとヒキガエルが飛び出る。(ヒキガエルは人形でもジェスチャーでも構いません)
佐助、それを見つけて這いつくばり
佐助「(絶望的に)まさか、おまえ……」
ゲロゲロ鳴きながらピョンコピョンコと飛び跳ねる蛙。
佐助「(絶望)まさか牡丹、なのか…?…こんなになっちまったのか牡丹……」
佐助、飛び回る蛙を這いつくばって追いかけつつ
佐助「(半泣き)なんてこった…そうか、その身を引きかえに俺を助けてくれたんだな…。自分はこんなヒキガエルに……。カエルかバッタなんて自分で言ってたからってそんな……。そんな事しなくても、俺はあのままで良かったのに。だから言ったじゃないか。もっと幸せになっていいんだよ、って! 馬鹿だな、どうしてそうやっていつまでも自分から幸せになろうとしないんだよ……」
這いつくばったまま、飛び跳ねる蛙を掴まえて掌に載せ
佐助「(泣きながら)……でも、でもな……俺の気持ちは変わらないからな。(真剣)愛してるぞ。俺の命かけて、例えば蛙になっても、俺は牡丹を愛してるぞ。もう一度やりなおそう。(蛙を見つめながら)……綺麗だ。君の心のように、とても綺麗だ。日の光を受けて君の身体が翡翠のようにきらめいている。ああ……綺麗だよ牡丹」
蛙相手に熱く想いの丈を語る佐助。
佐助「…なんていうか、つまり、たぶんこれはアレだな。前世、俺が君を苦しめていた罰なんだな。大丈夫だ。大切に幸せにしてやる。毎日鶏肉と、魚と、新鮮な虫と、沢山食わせてやるからな。今度こそ一緒に幸せになろうな。(蛙にキスをして)ん~~~」
牡丹の声「ちょっと」
佐助「(驚いて蛙に)今、『ちょっと』って言ったか? 口は利けるのか? もしかして今のキスのせいか? じゃ、もっとキスしたら元の姿に戻れるかな? ん~~、ん~~~~~」
佐助、蛙に何度も愛情込めてキスをする。
佐助の後ろで、人間の姿に戻った牡丹が自力で瓦礫の山から這い出す。
角も消え、人間の娘の姿になっている。
それに気付かず、蛙にキスをし続けている佐助。
やっと這い出した牡丹、ゼイゼイと荒く息をしながら佐助の肩を小突いて
牡丹「ちょっと、って言ってんのよ、この唐変木!」
佐助、振り向くと同時に驚いて蛙を取り落とす。
佐助「ブハッ!」
牡丹「(照れくさそうに笑いながら)……はじめまして」
佐助「ぼ、牡丹?!」
立ち上がる佐助。
にわかには信じ難く人間になった牡丹を見つめるが、やがて嬉しそうにニッコリと微笑む。
佐助「人間……だな。それが本当の牡丹なのか?」
牡丹「奇跡よ。貴方の愛が、私に起こしてくれたの」
嬉しさに声も出ない佐助、その言葉に頷きかけ、ふと気がついたように頭を振って。
佐助「いや、俺じゃない。俺たちの愛だ。ずっと昔から、俺たちの心が出逢って結ばれるまでには、これだけの歳月が必要だったんだ。やっと辿り着いて、本物になった……。そりゃ奇跡も起きるさ!」
牡丹「じゃ……今までは、ここに辿り着くまでの途中だったのね」
佐助「長い長い回り道だったんだな。でも、無駄じゃなかったぞ。もう何があっても平気だ」
同意するように頷く牡丹。
牡丹「……さっき蛙に言ってたこと、本当?」
肯定するように力強く笑う佐助。
佐助「……三百年前にしてやれなかったこと、させてくれるか?」
牡丹、嬉しそうに微笑む。
佐助「牡丹!」
牡丹「佐助!」
抱き合う二人。
おわり