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ぜんぺん。






陽は完全に落ちてしまったが、いたる所に灯る明かりで、足元には四方に影ができている。


いつものこの時間なら人通りすらない神社の境内、参道の両脇には様々に露店が並ぶ。

人々が押し合う少し手前ほどに祭は賑わっていた。


この地区の秋祭りはそれなりに有名で、地元の住民以外にも他所からたくさんの人が訪れていると聞く。

そういう自分も住む場所は他にしている内のひとりだ。


職場の足元で明々と賑やかで楽しそうな雰囲気。

それに誘われた部下が、バカ高いたこ焼きとぼそぼその焼きそばが食べたいと言い出して、あっさりと買い出しじゃんけんに負けてしまってここにいる。


「もういいだろう、戻るぞ」


人数分の炭水化物の塊が入った重たい袋を持ち直して、一緒に来ていた者を振り返る。


荷物持ちだとついて来た部下の手は空で、口には何かを食べた後の串が入っていた。


榛田(ハルタ)……お前 何しに来た」

「お祭りの食べ物って、なんでこんなに美味しいんですかねぇ」


嬉しそうな顔は、その辺りを走り回っている小学生とまるっきり同じに見える。

両手にあった重たい袋をどちらも榛田に押し付けた。



周囲の雰囲気がざわついて、様々上がった声の中には女性の短い悲鳴も混ざっていた。

その方向に人垣を抜ける。


人の輪の中心には男の背中。

その向こうには年若い女性の姿が見える。

ふたりは向かい合い、睨み合ってその場を動かない。

痴話喧嘩の類かと思ったが、男は足をふらつかせて低く唸り声を上げている。

酒に酔っているのとも違う様子に、歩みを早めて輪の中心に向かった。


男の襟首を背後から掴んで膝を折り、右腕を捻り上げるのと、向かい側にいた女性がふと視界から消えたように見えたのは、ほぼ同時。


ぞわりと寒気を感じて男をねじ伏せて膝で地面に押さえ込み、防御に持ち上げた左腕に重たい衝撃が走る。


それが足蹴りだと分かったのは、腕から離れていくスニーカーが見えたからだった。


「わぁぁぁ!! ごめんなさい!!」


慌てた様子の女性が駆け寄ってすぐ側にしゃがみ込んだ。


「止めるのが間に合わなかった!!」


けがをした子どものように左腕を擦られる。

蹴った方が泣きそうな顔をしていた。



「あぁれぇー? 師範代ー?」


呑気な声で周りに指示を出していた榛田が、そのままの声で女性に声を掛ける。


「あ! ハル!……さん」

「師範代……?」

「そうそう、ウチに来てもらってる、眞崎道場のお嬢さんですよ」


ばつが悪そうな顔で、その女性は頷くように、どうもと頭を下げた。



通報で駆けつけた巡査に男を引き渡して、事の成り行きを伝える。


先に聴取が終わった榛田が寄ってきて両手を持ち上げ、たこ焼きが冷めたと笑う。


「おクスリがバキバキにキマってますね、ありゃ、時間かかりそう」

「ああ……けが人が出なくて良かった」

「楽しい祭の夜なのに。やんちゃなおじさんには困っちゃいますなぁ」


職務上の会話をしていても、どちらとも別の方向を見ている。

榛田がにんまりと音が聞こえそうなほど口の端を持ち上げた。視線の先に居る人とこちらを何往復かしてやっと本題を口にする。


「……雨音(あまね)ちゃんです。眞崎 雨音ちゃん。可愛いですよねぇ〜」

「知り合いみたいだな」

「俺たちが近接してる時間は、会議ですもんねぇ……最近よく眞崎さんの代わりに来てくれるんですよ」


榛田の言う近接格闘の訓練はほぼ毎日行われている。

今までの師範が引退するのを機に紹介してもらい、一昨年前から地元の柔術道場に週二日ほど稽古を依頼していた。

ちょうどその時間は会議が入る事が多い。

この二年の間に眞崎さんに稽古をつけてもらったのは、両手で数えられる程度にしかない。


最近よく来る年若い女性の師範代。


部下たちが訓練の話を頻繁にしている理由はこれかと、ため息が出た。




話が済んだのか、榛田の顔を見付けるとその女性の師範代がこちらに歩み寄って来る。


「雨音ちゃん! 良い蹴りだったね! シビれたなぁ……ブルース リーかと思っちゃった!」


にこにこと上機嫌の榛田に比べて、随分と気落ちした表情をしている。


「ハルさん……師範に電話するでしょ?」

「そりゃするよ……良い事したんだもん、って……あれ?」


がくりと頭を下げて、両手で顔を押さえている。


「どうしたの、雨音ちゃん?」

「……怒られる」

「なんで?」

「……外で人に蹴りなんかくらわせて……あ、そうだ! 大丈夫ですか?」


はっと気が付いたように見上げてきた顔が、心配そうに覗き込んでくる。


榛田は可愛いと評していたが、これは美人というのではないかと今は関係のないことを思う。


「心配ない……ただの打撲だから」


左の手首には鈍痛を感じていたが、この程度は訓練をしていればよくある。


「あ、そうそう、雨音ちゃん近接格闘(CQC)のチャンプに会いたいって言ってたよね……この人だよ」

「え?! てつ せーいちろう?」


ぷは、と榛田は吹き出して遠慮なしに可愛いと声を上げた。


「くろがねです……鉄 征一朗」


うわぁ、ときれいな顔はもう一度両手で覆われる。

その奥から小さな声で恥ずかしいと聞こえてきた。


榛田の言う可愛いとはこのことかと理解する。





予想通り、家に帰ると玄関で待ち構えていた師範に、道場で座っていろと言われた。


「三時間 部屋で反省がいいです……」

「雨音……この前そう言って寝こけてたのを俺は知っているぞ」

「お父さん……」

「そういう時だけ可愛い顔でお父さん言うな。ほれ、行ってこい」

「正座はダメだよ。足の形が悪くなるよ」

「今まで散々してるが良い足だ……問題ない」

「正座は反省なんか出来ないよ。100パー足痛いしか考えないよ」

「知ってる……行け、一時間だ」

「ううぅぅ……バーカバーカお父さんのバーカ」

「お前よりはマシだ、バカたれめ」



誰もいない道場の壁際で正座する。

見張りはいないし、誰か来れば足音で分かるから正座なんてせずに時間が過ぎるのを待てばいいけど、なんだかそれは負けた感じがして嫌だ。


壁に掛かる時計を見て息を吐き出し精神統一。

気分を切り替えて、なるべく足に負担がなさそうなポジションを探してもぞもぞ動いた。



母屋の方から近付いてくる足音、あれはお兄ちゃん。


顔をのぞかせてこっちを見ると、朱音(あかね)は片方の口の端をこれでもかと持ち上げた。


「警察官にケリ入れたって?」

「……事故です」

「事件でしょ」


くくと笑うと私の前にしゃがみ込んだ。


「何その顔」


頬を摘む兄の手をぺしりと叩いて顔を見上げる。


「蹴りは入らなかった……」

「うん?」

「止められたの」

「……へぇ、雨音のケリをねぇ」

「この前 一緒に見た機関紙……CQCの大会のやつ」

「ああ、師範が警察からもらってきた?」

「蹴ったの、それで優勝した人だった」


そんなことあるのかと大笑いしながら床に座り込んだ。

仕事帰りのままここに来て、着替えもせず胡座をかいた。


「朱音……ズボンがシワになるよ」


私の心配はお構い無しに、朱音は後ろの時計を振り返って、あと何分かと聞いている。残り時間を付き合う気満々らしい。


「いいよ、どうせこれ洗濯だし……ねぇ、雨音。明日の朝 一緒に走ろうよ」

「……久しぶり」

「だね……もう雨音ほど走れないかも」


ふたりとも学生の頃は毎朝 一緒に近所を走っていた。就職や進学でお互いばたばたとして、特に朱音は前ほど稽古もしなくなった。


向いてないからとあっさり道場の後継者問題から離脱して、大学の研究室にいつの間にか就職している。


壁に掛かった名札は、今では私よりも下の位置になってしまった。


「僕も落ち着いてきたからさ……また一緒に走ろうよ」


もう足は痺れを通り越して、あるのは芯の方に重たい痛み、表面を針でちくちく刺されるような感覚。

指がぴくりとも動かせない。


「……もう二度と立てる気がしない」

「……やめれば?」

「あと……26分」

「……負けず嫌いめ」


くすりと笑うと朱音は膝の上で頬杖を突いた。




それから三日後、朱音の通勤と雨音の通学が間に合うようにランニングを終えて家まで戻ると、玄関先で立ち話をしている人影があった。


「……あ、あれ」

「なに雨音……お、榛田さん……と?」

「……くろがねさん」

「ああ、ケリ入れた」

「入ってない!」


いつまで気にしてんのと朱音はぐいと雨音の頭を押す。


ふたりに気が付いた父親が軽く手を上げて、榛田が振り返った。


「あー! 雨音ちゃんおかえりぃ、朱音君も、久しぶりだねぇ……元気?」


鉄と榛田はびしりとスーツに身を包んで、出勤前といった出で立ちだった。


「お早うございます」


予想外の朝の訪問客に、雨音はぺこりと頭を下げた。


「アメっ子ちゃん、なんか警察から感謝状がもらえるってよ?」


師である父はにやにやと笑って訪問者の用件を告げる。


雨音は思わず眉間にしわを寄せた。

やっとあの日の屈辱を忘れかけていたというのに。

想定外の相手を強く打ってしまったことも、その蹴りが入らなかったことも、一時間の正座も、苦い部分だけをありありと思い出す。


「……いりません、感謝されるような事はしてないし」

「ほらな、言ったろ、断るって」


父親がドヤ顔で榛田の肩をぽんぽんと叩いている。


「えぇ? 何言ってんのー。あの見事なローリングソバットは感謝状ものだよ?」

「捕まえたの鉄さんだし……あ、腕は大丈夫ですか?」


袖の下からちらりとのぞいているものは、シャツではなくてサポーターか何かに見えた。雨音の視線に気が付いた鉄が手首を持ち上げた。


「少し痣ができただけです、気になさらず」

「どこですか? 手首?」


ちょっとすいませんと鉄の袖を少し上げて、具合を確認する。

大丈夫だと笑っている鉄を見上げて、それでもそれなりにしっかり当たった感覚はあったので、心配はしていた。


手首の外側にわずかに内出血があるが、腫れている様子はない。

最後にデコピンの要領で、腕をはじいた。

わずかに顔を歪めた鉄に、雨音は深いため息を吐き出した。


「鉄さん……病院行きましょう」

「この程度で、大げさな」


どれどれと近寄ってきた朱音が同じよう腕をとんとんと叩いた。またも鉄の顔が歪む。


「あー……これ、折れてるね」

「でしょ?」

「それはない」


様子を見ていた師がからからと笑う。


「まあ、そう言わずに……ウチのアメっ子ちゃんも、ネル坊主もしょっちゅう骨折ってるから、言うこと聞いといた方がいい……行っといで」

「あ、じゃあ午前 外出にしときますね」


何が楽しいのかにこにこ笑う榛田に見送られる。


着替え終わった雨音に引っ張られて、渋々と鉄は病院に向かった。





診察室に入ってなかなか出てこないまま時間が過ぎていく。


雨音は唸り声を上げてずるずると椅子から落ちる寸前まで姿勢を崩していた。


「……朱音……事件でした……」


ようやく現れた鉄は、ジャケットを脱いで腕にかけていた。左の手首には固定のギプスがされている。


何故か鉄の方が気まずそうな顔をしていた。


雨音は側に歩み寄って鉄の顔を覗き込むように頭を傾けた。


「……ひびが入ってました」

「やっぱり……どれくらいですか?」

「ひと月で治ります」

「治療費を出します」

「いや! それはいけない」

「でも……」

「貴方は学生でしょう、気にしないで」

「お金がダメなら体で払います」

「……からだ?」

「責任取って、妻になります!」

「なに……?」

「一ヶ月だけ!」

「そ……くっ!」

「え? 笑ってます? おかしいですか? ていうか……なんか顔が赤くなってないですか?」

「いや……」

「なに考えてるんですか?」

「……何も」

「…………へえぇ?」



雨音はますます頭を傾け、さらに近寄って顔を覗き込んでいるのに、鉄とはなかなか目が合わない。












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