95.王城の地下に闇は巣食う
ギルドマスター・ガイルスは謁見の間で、王が現れるのを待っていた。
らしくなく、手の内にじっとりと汗をかいていることを自覚する。
(クエストで古竜の巣に行った時の方が、まだ緊張しなかったでござーますね……)
ガイルスは自身もS級冒険者であるが、一線を退いてから長い。
この場で実戦になるような事態になれば、それはすなわち計画の失敗ではある。だが最悪の状況になったところで、それで諦めるというわけにもいかない。
(王城の衛兵程度には、まだ勝てるつもりでござーましたが……)
玉座の横で胡座をかいて座り込み欠伸をしているその者に、ガイルスは視線を向けた。
「あん? 何見てやがんだ、女男」
その者の名は、シロウ・モチヅキ。
ラーゼリオン王国が公式に認定した勇者であり、女神の祝福を受けて異世界から転生した者だ。
「……何故、勇者殿がこの場にいらっしゃるので?」
ガイルスは王に謁見を求め続けていた。
都市連合と戦争の機運が高まり続けている現状で、冒険者ギルドの長として役割を全うすべく王との協議の場を求めていたのだが、多忙を理由に断わられ続けていたのだ。
だからその日、ガイルスは手札を切る事にした。ハーミットが面会を受けざるをえないような進言を行ったのだ。
「女神教に不穏の動きあり。闇の組織〈ライト・ハイド〉と組み、勇者シロウを傀儡とした。冒険者ギルドはその証拠を手に入れている」と。
(女神教の高司祭グランはいまだ言葉を封じられ、代理司祭の手腕は乏しく組織として機能不全のまま。デマカセのネタになって貰ったでござーますが……)
ライト・ハイドという禁断の名まで挙げただけあって、ハーミットへの謁見が許可されたところまでは良かった。だがその場には、ブラフのもう一方の当事者であるシロウも待っていたのだった。
「なんだよ、オレはこの国が認めた世界を救う勇者様だぜ? どこにいようが勝手だろうが」
「それは、そうでござーますが」
「それともオレがいたら、ハーミットに話し難いことでもあんのか?」
ニヤリと笑うシロウ。
およそ予測していた最悪の事態であることを、ガイルスは確信した。
「……待たせたね、マスターガイルス」
衛兵も伴わずに、ハーミットが一人で姿を現した。
広い謁見の間に、今はハーミットとガイルス、そしてシロウの三人だけだ。
「さて、大事な話があるとのことだったね。確かシロウが怪しげな組織と組んだ教会に操られているとか、いないとか。さっそく、その証拠を見せて貰おうかな?」
ハーミットは、悪魔のように柔らかな微笑みを浮かべた。
***
「新国王ハーミットは、他人を信用しない。それが唯一の付け入る隙だと、マスターは考えているわ」
リリンと二人で王城に忍び込んだラビは、ガイルスの意図を説明する。
「だからマスターは、〈ライト・ハイド〉の名を出してまで、ご自身を囮にハーミットを引きつけている。重大な決断を人に任せることはしない、できないハーミット。マスターの相手をしている間は、不足の事態に対する対応は絶対に遅れるはずよ。その間にこの作戦、必ず成功させるわ」
「う、うん……」
「ちょっと、聞いてるの?」
「うん。難しいことは分からないけど」
「けど?」
「ラビさんが、ガイルスさんの事を好きだってことは分かるよ」
ラビは階段に躓いて転びそうになる。
「あ、あなたどれだけ恋愛脳なの?」
「えっ?」
「好きとか嫌いとか……今大事なのそこじゃないでしょ!?」
「そうかな」
「はあ、まったく……っと」
巡回の衛兵が、廊下の角を曲がって現れた。
だが二人組の兵士は、決して小さくない声で話していたリリンとラビにまるで気づかず、通り過ぎていく。
「……すごいわね、あなたの精霊術。シェイドだっけ」
〈インビシブル〉を無効化する術式を組まれている王城で、これだけ気配を消せる能力で侵入されているとは誰も思わないだろうと、ラビは感嘆する。
「うん。けどもう少し下に降りたら、この子の力も使えなくなるんだよね?」
「そうね。大封魔結界牢、あらゆる魔力やマナの働きを無効化する仕掛けの範囲内に入れば、精霊術も使えなくなるでしょう」
前に、幼馴染の天才魔術師エフォート・フィン・レオニングもその力を封じられた結界牢だ。
リリンに破れるものではないだろう。
ラビの言葉にリリンは頷く。
「つまり、そこから先は実力の勝負ってことだね。まかせて。あたしは元々、剣士なんだ」
リリンは〈魔旋〉を使える剣をエフォートに砕かれ、王都に着いた時に装備していたのは国境砦で調達した量産品のブロードソードだった。
見かねたガイルスが、あくまで貸すだけだという前提で、冒険者ギルドに保管されていたな伝説級の一刀をリリンに渡している。
その剣の柄に手をかけて、リリンはニッと笑った。
「この剣にかけて。あたしはあたしの、やるべき事をやり遂げてみせる」
「……期待してるわ、腕の方はね」
「腕の方は、ってどういう意味かな」
「シッ! ……そろそろ精霊術は使えなくなるわ、注意して」
地下かなり深くまで降り、魔法を使えない区画に二人は入った。
結界牢を過ぎて、さらに深くまで続いている階段を慎重に降りていく。
「城の地下が、こんなに深いなんて……」
「ここまでは、私も潜ったことがある。でもここから先は初めてよ。……〈ライト・ハイド〉の本拠地である可能性もある、気をつけて」
「ライト・ハイド……」
リリンは、ケノンの力でガイルスから聞いた組織の名に、身を固くする。
そんな連中に捕らえられたニャリスとテレサ。そしてシロウとシルヴィアもどうなってしまったのか。
(絶対に、助けなきゃ……ん?)
「待って」
先にその気配に気づいたのは、リリンだった。
前を行くラビの肩に手をかけ、止める。
「誰かいる……え、ニャリス!?」
「リリンかニャ? ……よかったニャ、今、会えて……」
暗闇の中から湧き出すように、猫の獣人が姿を現した。
壁に寄りかかり、苦しそうに息をしている。
「今は……ちょうど、正気に戻れて……るニャ……」
「大丈夫!? ニャリス!」
膝をつくニャリスに駆け寄ろうとしたリリンだったが、横からスラリと抜かれた剣に、行く手を塞がれた。
「待ちなさい、危険よ」
「ええっ?」
ラビはニャリスを警戒し、臨戦態勢だ。
リリンは慌てる。
「どうして!? ニャリスは時々、隷属支配を抜けられるって話でしょ!? せっかくタイミングよく正気の時に会えたのに」
「タイミングが良過ぎるからでしょう!? 少しは疑うことを覚えなさい!」
ラビの厳しい声に打たれ、リリンはハッとしてニャリスを見る。
シロウの元で五年間を共に過ごし戦友となった猫の獣人は、脂汗を流しながら薄く笑った。
「リリン……ラビの言う通りニャ。自由に動ける、ご主人様の本当の味方は……もう、リリンだけニャ。慎重に……動い、て」
「ニャリス!?」
「ウチは……もうすぐ、完全に操られ」
「待て、ニャリス」
ラビは剣先をニャリスに突きつける。
「なぜ私をラビと呼んだ? なぜ私の名を知っている?」
「そんニャの……昔馴染みの、同郷だからに決まってるニャ……久しぶりニャ、ラビ」
「……少なくとも、記憶を奪われてはいないようだな」
引っかけに掛からなかったニャリスに、ラビはまだ気を抜かない。
「ガーラント帝国との叛乱戦以来、か。あの時はよくも裏切ってくれたな、ニャリス」
「違うニャ、ラビ……顔を見ただけニャら、この城で、冒険者ギルドの秘書官してたラビに、ついこの前会ったニャ」
「……気づいていたか」
「声を掛けなくて、悪かったニャ。……あと、ガーラントの時の事は、謝らないニャ」
「なに?」
「先にウチを裏切ったのは、そっちニャ」
「……」
「ちょっと、ねえ!」
リリンが、因縁のありそうな二人のやり取りに耐えられなくなり、間に入る。
「ラビさん、話して分かったでしょう? ニャリスはハーミットに操られてなんかない! ……ニャリス!」
リリンは今にも倒れそうなニャリスに今度こそ駆け寄り、支えた。
「しっかりしてニャリス! 隷属魔法を改竄した連中はどこにいるの? そいつらぶっ倒して、解放させるから!」
「……案内したいけど、時間がニャい……ご主人様が、危ないニャ」
「えっ、シロウが?」
ニャリスはリリンの肩を掴む。
「リリン……急いで最下層に行くニャ。もうすぐご主人様も……ウチ達と同じ、操り人形にされるニャ」
「——ッ!」
「テレサを人質に取られて、逆らえないニャ」
「……分かったっ! ニャリスはここで休んでて! 行こうラビ!」
リリンは叫ぶと、振り返りもせずに駆け出した。
「待ってリリン!」
「あ……そうだ。ラビ」
走り出したリリンを止めようとしたラビに、ニャリスが声をかける。
そして。
「ッ!?」
ニャリスは懐から取り出した粉末を、周囲にまき散らした。
「しまっ……リリン、引き返して!」
「遅いニャ」
撒き散らされたのは、魔力認識を阻害するディスターブ鉱の粉末。
発せられる魔力が認識されなければ、大封魔結界牢のシステムも作動することはない。
「ラビはここで、ウチの相手ニャ」
そしてニャリスの呪術は発動する。
他者が存在を認識できない呪い。持続性はないが、シェイドの精霊術、インビジブルの魔法に次ぐ隠蔽力を持つ術だ。
これで、たとえリリンが戻ってきても二人を見つけることはできない。
「このっ……裏切りの猫め!」
「まんまと乗せられた、ウサギが愚かニャ! ハーミット様の手のひらの上で、踊り続けるといいニャ!」
兎のブロードソードと猫の曲刀が、激しい音を立てて交差した。
***
深い、深い地下へと続く階段を走るリリン。
途中でラビがついて来ないことに気づいたが、止まっている暇はない。
シロウは、何よりも自分が他者に道具扱いされることを恐れていた。ハーミットの奴隷になるなど、とても耐えられないだろう。
そして、この国の王がシロウを最初にどう使うか。
それは精霊ケノンでガイルスの心の声を聞いて理解していた。
(……シロウが誰かの道具になって、エフォートと戦うなんて!!)
絶対にさせない。
リリンは全力で階段を駆け下りた。
そして、広い地下空間へとたどり着く。
陽も差し込まぬ地下でありながら多くの篝火が焚かれて、昼間のように明るいドーム状の空間。
天井を支える柱には華美ではないが荘厳な装飾が施されている。
「——シロウ! どこにいるの、シロウ!」
空間に自分の叫んだ声が反射して、響き渡る。
いくら待っても、応えはない。
(……どういうこと?)
精霊の声で人の気配を探ろうとするが、発動しない。
魔法を封じるシステムが、こんな地下深くまで届いているのだ。
(えっ……でも、待って。それっておかしい)
そんなはずはないと、リリンでも気づくことができた。
(隷属魔法だって、魔法でしょ? これからシロウを奴隷にする場所で、魔法が封じられているなんて……)
コツン……
音が、響いた。
とっさに剣を抜き、構えるリリン。
コツン……コツン……
近づいてくるのは、足音。
それは鎧の具足による足音だ。
「……テレサ!」
篝火の届く場所に。姿を現したのは白銀の鎧を纏った騎士だった。
手には、魔旋の力を持つ突撃槍が握られている。
「テレサ! ……操られて、いるんだね」
その瞳に、かつてのテレサが持っていた誇り高い輝きはない。
感じられるのは、リリンが間違えるはずもない冷徹な殺気。
「シロウはどこにいるの? あなたもシロウも、必ずあたしが助けてみせるから。だから教えて! お願いテレサ!」
「……助ける? 誰が、誰を?」
絶対零度のその声に、リリンの背筋に冷たいものが走る。
「シロウ殿を助けるのは我。そしてハーミット国王陛下だ。それを邪魔する者は、我が排除する」
「テレサ! 目を覚まして!! あなたはハーミットに操られているのよ!!」
「下らぬことを何度も言うな、不逞な輩め」
テレサは腰を深く落として、槍を構える。
「テレサ止めて! あたしだよ、リリンだよ!」
「シロウ殿の敵! 死ね! 閃光突撃槍!」
破魔の一撃が、リリンに襲いかかった。
「裂空斬!!」
ギィィン!!
空間が裂け、軋み、破裂する。
物理攻撃の極みとも呼べる力の激突に、地下空間の空気が震え、篝火の殆どを吹き消した。
「チッ」
闇に閉ざされる空間。
だが騎士として、剣士として卓越した技量を持つ二人にとって、六つある感覚の一つを失っただけだ。
「ハアッ!」
「っと! ……ごめんテレサ、裂空斬・閃!」
テレサの突きを跳躍で避けると、リリンは大きく間合いとったその位置から斬撃を飛ばした。
「魔旋!」
しかし、鉄をも斬り裂く閃光の斬撃はテレサの技によって容易く弾かれる。
「うそっ……魔力は使えないはずなのに、なんで〈魔旋〉が使えるの!?」
「これが、シロウ殿と我の力。そしてハーミット陛下の知謀だ」
テレサは再び槍を構える。
「ここで潰えるがいい、リリン。シロウ殿を裏切り幼馴染に走った、愚かな女!」
「そんなっ……テレサ、あたしは!」
「言い訳は聞かぬ! 魔旋・閃光突撃槍!!」
魔力の旋風を纏った破魔の一撃が、正確にリリンを捉える。
「裂空斬・竜撃羅刹!!」
剣術の奥義を以て迎撃するリリン。
初撃とは比べ物にならない衝撃が発生し、地下空間の壁を震わせる!
「無駄だリリン! この一撃、剣神でも止められぬ!」
「それはっ……どうかな、テレサぁっ!!」
リリンが手にした、冒険者ギルド所有の伝説の一刀が光を放ち始めた。




