91.欺瞞都市に輝く蒼光
「あああっ!!」
キャロルは〈ナイトメア・バインド〉の戒めを引き千切った。
立ち上がり、荒い息で苦痛に涙と涎を流しながら、バルカンを睨みつける。
「……なんだねその目は。さあ、都市連合の真の指導者である俺の命令だ。従いたまえ」
白々しく告げるバルカン。
エフォートは魔法兵団に囲まれながら口を開いた。
「真の指導者だって? いきなり現れて、お前は何者だ。殿下を人質に言うことを聞けとは、どういうつもりだ!?」
「白痴の振りかね。さすがにあの女の同志だな、レオニング君。分かっていることを質問しても意味はないだろう? それに時間稼ぎなど無駄だ」
バルカンは影写魔晶を手に不敵に笑う。
「この影写魔晶は通信魔晶も兼ね、今現在を映していている。つまりいつでも、あちらの兵に指示が出せるということだ。愛する王女の腕や足が斬り飛ばされる姿は、見たくないだろう?」
余計な事を話すな、という脅しだ。
『ごめんなさい、フォートッ……』
魔晶からサフィーネの弱々しい声が響く。
『いつもみたいに私のことを一番に考えて……』
言われなくても、とエフォートは吸魔石に奪われる魔力を最小限にすべく身体の内に蓄え始める。
「キャロ!」
エフォートとサフィーネのやり取りを見ていたダグラスが叫んだ。
「もう苦しまなくていい! だから、俺を殺せ!」
「!! ……それは、ダグラスが、決めたこと……?」
「そうだ。軍も親父に掌握されていた。もう俺たちの負けだ」
「そんなの……従えない! な、んで……そんな事を、言うの……! ダグラスらしくない!!」
キャロルは苦痛と絶望の中、汗と涙と涎でグチャグチャになった顔で叫ぶ。
「……キャロは! この街の地の底で、ダグラスに会って! ……初めて、ぐううっ!! ……生きているのも、悪くないって……思えたのに!!」
「そこまでだ女魔法士。それ以上話す権限は、お前にはない」
「うああああ!!」
バルカンの一言で、キャロルをさらなる罰則術式が襲った。
「バルカン・レイ!」
エフォートがなおも声を荒げる。
「これは隷属魔法の罰則術式だ! 都市連合に奴隷はいないはずじゃないのか、どういうことだ!」
エフォートの言葉を聞いて、吸魔石を仕掛けている魔法兵たちに動揺が走った。
「ちっ」
バルカンは小さく舌打ちする。
エフォートが脅しを無視するとは想定外だった。しかし、これ以上口を出せば王女に危害を加えると明確に脅迫するには、この場は少し衆目があり過ぎる。
「……それは本当かね? レオニング君」
だから、シレッと聞き返した。
「なに?」
「だとすれば、由々しき事態だ。おそらくダグラス現議長が、子飼いの魔法士に隷属魔法をかけたのだろう」
「なっ!」
絶句するダグラス。
バルカンは自身の強弁に無理があることを理解している。
だが彼にとっては、認めなければよいだけの話だ。
(どうせ、他の評議会議員の目があるわけでもない……!)
「おそらく隷属対象は、評議会全体だろう。そして女魔法士は、評議会のトップをダグラスではなく、俺と認識しているという訳だ。皮肉だなダグラス。悪事には鉄槌が下るものだ」
「クソ親父がああっ!」
うそぶくバルカンに、ダグラスは屈辱の絶叫を上げた。
「〈ファイヤー・ボール〉!」
「くだらん」
息子の放った初級魔法を、バルカンは無詠唱でレジストする。
「魔法技術でも親に勝てないお前は、小賢しい頭でも俺を超えられない。貴様は所詮、その程度だ」
「く……!」
血が出るほど、歯を噛み締めるダグラス。
そしてキャロルは悲愴な覚悟を決めた。
「ごめん……さよなら、ダグラスっ!! 〈ディメンション・リープ〉!」
空間の穴が開いた。
キャロルの目の前と、そして自分の背中に。
「ぐううっ……どうせ、用済みになったキャロは……処分、される……だったら……ダグラスを手をかける前に!」
「! 待つんだ、キャロッ!」
「キャロが消えればいいんだぁっ!」
ダグラスの制止も聞かず、キャロルは魔法を発動させた。
「〈クリスタル・ランス〉!!」
水晶の槍が目の前の穴に消え、そして同時に背後から飛び出し、キャロルを襲う!
「リフレクト」
ギィン!
空間の穴とキャロルの背中、その僅かな隙間に反射壁が張られ、水晶の槍は弾かれた。
槍が反射された、その先は。
「……これはもう見逃せん。残念だ、虐殺の反射魔法士よ。王女殿下にはまず片腕を失ってもらおう。……やれ!」
目の前で水晶の槍を制止させたバルカンが、影写通信魔晶に向かって指示を出した。
「——ッ!!」
次の瞬間、影写が鮮血で染まる。
顔色が変わるエフォート。バルカンは不敵に笑った。
だが。
「…………あー、あー、テスト、テスト。レオニング、聞こえてるぅっ?」
快活な女性の声が響くと、二人の態度が逆転した。
バルカンの顔色が変わり、エフォートは安堵の息を吐いた。
「……おどかすな、ルース」
「あははっ、ごめんごめん!」
鮮血が拭われると、影写に浅黒い肌の胸の谷間が、大写しになった。
「って、やば、これアタシの胸が映ってない? レオニングのスケベ!」
慌てて胸元を隠したルースが、今度は魔晶を覗き込んで瞳がアップになる。
エフォートは呆れて、また深くため息をついた。
「勝手に言ってろ、まったく……」
そして叫ぶ。
「ガラフッ!!」
「待ちくたびれたよ、ニイちゃん!!」
グレムリン混じりの天才魔法使いが、エフォートの直上から降ってきた。
〈浮遊〉で吸魔石の効果が及ばない高度で待機していたのだ。
「合体!」
着地の瞬間に再び浮かび、エフォートの背中に張り付く。
「いけえっ、ニイちゃん!」
「お前が仕切るな! ……俺とガラフ二人分の魔力、吸いきれるなら吸い取ってみろ!!」
次の瞬間、魔力のオーバーフローで魔法兵たちの吸魔石が次々と砕け散っていった。
「なにィ!」
「ば、馬鹿な! 九つの吸魔石を!? ……う」
「しまっ……マインド・リフ……」
魔石を砕かれた直後、連合の魔法兵たちは凄まじい眠気に襲われ、レジストも間に合わず次々と倒れていく。
「へへっ、おやすみ~」
ウロボロスの魔石を手に、ガラフは愉快そうに笑った。
「ガラフ、砕けた吸魔石から溢れてる魔力の回収も忘れるな!」
「えっ、ニイちゃんは!?」
エフォートはさすがに魔力枯渇が近いはずだが、構わずに次の魔法を解き放つ。
「〈アイシクル・ランス・クルセイド〉!!」
無数の氷の槍が、四方八方からバルカン・レイを襲った。
だがいずれも、先のキャロルの魔法と同様、彼の身体に届く寸前で制止する。
「ちっ……時間停止の結界か。地下に大規模構築式を仕込んでいるな?」
一目でその秘密を見破るエフォート。
一方、その結界の中でバルカンは、怒りに震えてダグラスを睨んでいた。
「……ダグラス、この無能め。王女どもの予備兵力は、貴様の指示で足止めしていたのではなかったのか!?」
だがダグラスはそんな父親を相手にせず、苦しむキャロルに駆け寄っている。
「キャロ!」
「離れて……ダグラス……でないと……ううっ、殺し、ちゃうっ……!」
「レオニング! 早くしてくれ!」
ダグラスは隷属解除を求めて叫ぶが、エフォートは首を横に振った。
「ダメだ。倒すべき敵が姿を見せたお前には、その前にやるべきことがあるだろう!?」
エフォートは、視線を観測所の方へ向けた。
つられて、ダグラスもその方向を見る。
「……どこまでも有能なことで、タリアたん」
観測所の上では、タリアとギールに半ば脅されて戻ってきていた評議会議員達が、こちらを見ていた。
副議長タリア・ハートが叫んでいる。
「議員の皆さん、これが都市連合の現状です! 前議長がいまだ軍に影響力を持ち、あまつさえ、強力な魔法士を奴隷として従えているのです!」
議員達がざわめいている。
(ジニアスめ、どこまで無能だ!)
バルカンは歯噛みする。
第二都市ラーマ代表のジニアスには、反主流派を装わせ、裏で繋がり現評議会の掌握を任せていた。
彼らの敗因は、副議長のタニアを女と侮り、その度胸と胆力を見誤っていたことにあった。
「……キャロ、悪い。あと少しだけ待ってくれ」
唐突なダグラスの言葉に、キャロルは顔をしかめながら頷く。
「ダグラスの……こと……信じてる、から……」
ダグラスはキャロルの身体を抱えると、その胸元を議員たちに示した。
「お前ら見ろ! これがキャロに施された奴隷紋だ、前議長バルカン・レイが主人となっている! 魔法兵団長ギャザリンクと結託し、魔術ギルドで強化魔法兵として開発されていたところを、俺が保護した!」
苦しんでいる少女を抱きながら、ダグラスは議員たちに訴える。
「ふざけたことを抜かすな! 俺が主人だという、証拠はあるのか!」
大声で叫び、遮ろうとするバルカン。
だが。
「オッサン、静かにしてなよっ! 〈ナイトメア・バインド〉!」
ガラフの放った闇魔法の鎖が、バルカンを襲う。
時間停止の結界が発動し鎖を静止させるが、ガラフは魔法を維持し、結界ごと鎖で包み込んだ。
「く、このっ……!」
時間停止を解除すれば、闇の鎖が襲ってくる。
バルカンは結界の断続的な発動に意識を集中せざるをえない。
「しょっ……証拠なら!」
バルカンが黙らされた後、一人の魔法兵が声を上げた。
「証拠なら私が見ました、聞きました!」
トーラス魔防第三小隊長。
彼だけは、ガラフの〈スリープ〉をレジストしていたのだ。
「バルカン前議長がふざけた女魔法士に命令し、彼女がそれを拒否したことで、罰則術式が発動したのです! それは私と、第三魔防小隊の全員が証人です!」
「貴様ァッ!」
結界内に閉じ込められたバルカンが喚く。
ダグラスは小隊長に笑いかけた。
「……サンキュ、トーラス」
「議長は、あなたを裏切った我々の身の安全まで考えて下さいました。ついていくべき方は明らかです」
命令書を手に敬礼するトーラス。
ダグラスは頷くと、キャロルを抱えたままエフォートに向き直った。
「ここまでお膳立てして貰えれば、もう充分だ。……頼む」
「この貸しは高いぞ?」
「ぼったくりめ。万倍の利子をつけて返してやるさっ」
ダグラスの軽口に、エフォートは薄く笑った。
「……あるべき姿へ還れ、魂よ! 忌まわしき呪縛よ、消え去るがいい! 〈魂魄快癒!」
夜の空に、蒼い光柱が屹立する。
生まれ出で、力を得てすぐに戒められ、ダグラスが権力を得て身柄を確保してくれるまで。キャロル・キャロラインに苦痛と屈辱と絶望を与え続けてきた、隷属の紋章。
その忌まわしい呪縛は清廉な輝きを受けて、消え去っていった。
「おお……」
「絶対解除不可能な奴隷魔法が、消えていく……!」
その価値を理解できる評議会議員たちが皆、目を見開き驚愕していた。
「……ダグラス」
「キャロル、お前はもう自由だ。どうする? この国では嫌な思いをしただろ。お前が望むんなら……」
「バカぁっ!」
その瞳に輝きを取り戻したキャロルは、ダグラスに抱きついた。
「小さい時から、ジジイどもの実験動物だった時から、キャロはダグラスだけが支えだった! ……もう、離さないんだから!」
抱き合う二人を、エフォートは目を細めて見守る。
「貴様ら……いいかげんにしろぉっ!」
だが鎖に包まれた結界から聞こえてきた声に、表情を変えて睨みつけた。
「ガラフ、ナイトメア・バインドを解け」
「はいよっ!」
怒りに震えているバルカン・レイが姿を現す。
エフォートは手首を回しコキン、と鳴らした。
「自由を謳いながら、他者の自由を奪う罪。そして何より、サフィを人質にするなど万死に値する。……シロウのように逃がしはしない。報いを受ける時だ、バルカン・レイ」




