86.評議会の行方(2)
「……時間を無駄にしたくないという事ですね、レイ議長。では私からご提案がございま」
「サフィーネ殿下ぁ、発言は許可していないよぉ」
サフィーネの言葉を遮って、軽薄の仮面を被ったダグラスは笑う。
「ラーゼリオンの王女様は知らないだろうけどぉ、評議会には評議会のルールがあるんだよっ。郷に入っては郷に従え、殿下もこの国に来たのなら、ルールは守らなきゃねっ?」
「あら、先に議事進行を無視して私の発言を遮ったのは、レイ議長ではありませんか?」
負けずに王女も、愛らしく麗しい至上の微笑みで応じる。
「横紙破りはルトリア代表だけに許された特権でしょうか。それ以外の者はルール通りにしろ、という事ですか? 第二都市ラーマ代表のジニアス議員も、同じお考えでしょうか」
サフィーネの名指しに、議場が騒ついた。
何故なら指名されたジニアス議員は、態度を表面化させてはいないものの、ルトリアの独裁傾向を良しとしない反主流派の筆頭だ。そこまでラーゼリオンの王女は把握しているのか、という驚きだった。
会議前に入念な調査と下準備をしていたのは、ダグラスだけではない。
「答える必要はないぞ、ジニアス議員!!」
別のルトリア出身議員が、立ち上がって声を荒げる。
「小娘、今の発言は評議会への侮辱だ!!」
「……確かに、侮辱ですな」
ルトリアに次ぐ規模を誇る第二都市ラーマの代表、ジニアスは立派に蓄えた自身の髭を触りながら呟く。
喚いたルトリアの議員はニヤリと笑ったが、続いたジニアスの言葉に凍りついた。
「我ら都市連合評議会は、自由闊達な議論を旨とし、かつ効率を重視する。無用な形式には拘らん。議事進行のハート副議長に無許可で配布された事前資料は、大いに役立った。次は、王女殿下の時間を無駄にしない為の提案とやらを、ぜひ聞きたいな。それでこその連合評議会だ」
皮肉たっぷりのジニアス議員の言葉に、ダグラスの表情は変わらない。
だが会議の流れは確実に変わった。
そして、そのタイミングを見逃すタリアではない。
「ではサフィーネ殿下。議事進行者の権限を以て、発言を許可します。ぜひご提案を拝聴させて下さい」
サフィーネはすっと立ち上がり、円卓の議員たちを見回した。
「寛大なご対応、感謝申し上げます。さすがは進歩的国家の都市連合評議会の皆様ですわ」
「世辞はいらないよっ。それともそれがご提案かな?」
「いえいえ、とんでもございませんわ」
ダグラスの野次にも動じず、サフィーネは前髪を掻き上げる。
血が止まっただけの生々しい投石の痕が露わになり、数人の議員から戸惑いの声が聞こえた。
王女は微笑む。
「この程度の傷で皆様の同情を引こうとした、私が愚かでした。無駄な時間を無くす為のご提案、それは単純かつ効果的です。……互いに腹を割ること。交渉事における古今東西万国共通の価値観は、ギブアンドテイクです。腹の探り合いや無駄な牽制など時間の浪費でしかない。私は一切の隠し事をせず、都市連合に提供できるメリットを提示しますわ。……皆様も、それを期待してこの場にいらっしゃるのでしょう?」
堂々たるサフィーネの言に、議員たちはどよめきは大きくなる。
「調子に乗るな! ラーゼリオンの野蛮人め!!」
その時、円卓の外から下品な声が上がった。
「何が交渉か! ギブアンドテイクか! 我らと対等のつもりか? 蛮族の王女ごときが!」
「……円卓についていらっしゃらないようですが、あの方はどこの議員ですか?」
サフィーネがわざとらしい困惑顔で、ダグラスに問う。
議長が素でウンザリしてしまった隙に、つるっ禿げの眼鏡の小太りはなおも喚いた。
「き、貴様! ついさっき会ったばかりであろう!! 儂は都市連合最大都市の市長だぞ!! 無礼な! 不敬な!!」
「さっき……ああ、ハート議員のお宅で」
「そうだ! よくも儂をこんな目に!!」」
「ふふっ。サバラ市の領土である議員宅に不法侵入されたと、こんな公の場でお認めになるのですね」
「ぐっ!?」
硬直するロイド。
サフィーネと視線を合わせたタリアは薄く笑った。
「レイ議長、お聞きの通りです。サバラは後ほどルトリアに正式に抗議しますので、そのおつもりで」
「……」
あくまでダグラスの表情は変わらない。
自爆したロイドは、さらに叫び続ける。
「黙れ黙れ黙れ!! 国を追われた王族は媚びへつらえ! 地に頭を擦りつけて慈悲を乞え! そしてさっさと虐殺の反射魔法士を、反射魔法の構築式を差し出せばよいのだぁっ! あと儂の髪を返せぇぇ!」
「……キャロ」
「はぁい。バァン!」
無詠唱で放たれた〈ストーン・バレット〉が、ロイド市長の肩を直撃した。
エフォートはふざけた女魔法士の一連の魔法発動を目撃する。
「ぐはあっ」
「わ、警備員の魔法が暴発しちゃったね。まあ、サバラに迷惑をかけた天罰っつーことで。係官、治癒院に運んだげて」
ダグラスの指示で、痛みで気絶したロイドは数人の係官の手によって運び出された。
「いやあ、お騒がせしたちゃったねぇ」
「あの、仮にも市長を評議会の人間が撃つというのは、大丈夫なんでしょうか。この国ではそのあたりの権限は、分割されていないのですか?」
素朴な疑問ですが、という体でサフィーネは皮肉を口にする。
先程のラーマ代表ジニアスが、ガハハと笑った。
「良くはありませんなあ、議長。この責任どうなさる?」
「どうもこうもないよ。キャロの魔法は暴発しちゃっただけー。ねっ?」
「えー? うんそーだよー? ダグラスがそう言うんだったらねっ」
ケラケラと笑うキャロル。
ふん、とジニアスも鼻で笑った。
今はこれ以上の追及はしないつもりのようだったが、牽制できただけで充分なのだろう。
実際、ダグラスの軽薄な笑顔は若干引き攣っているようにも見える。
ロイド市長が晒した醜態で、会議の流れは反ルトリアで決定的になった。
「ちっきしょー……ホントにもう、あの無能野郎め。株式制度施行で経済市場の爆上げっつー手柄がなかったら、今の地位には絶対いねーんだけどなぁ」
ダグラスは忌々しげに愚痴る。
勇者よくやった、と思う日が来るとは、サフィーネは思ってもいなかった。
議長は自分の頭をがりがりと掻いた後、はあ、と深呼吸した。
「あーもう、ここは素直に負けを認めよっかな! サフィーネ王女、あんたのテーブルの上に乗ってやるよっ。えっと、ギブアンドテイクの話だったよな」
方針を切り替えてきたダグラス。いささか遅かったきらいもあるが、損切の決断ができるというのは有能の証明だ。
「腹を割れっつーなら、こっちが先に割ってやるよっ。評議会があんたらに要求するのは、虐殺の反射魔法士が知るすべての魔術構築式の開示。もちろん反射魔法と、街中で今日ぶっ放してくれた戦略級も含むぜ。破壊対象を選択できる爆発魔法とか、使い道がありすぎんだろ。……ああそうだ、あとはおまけで」
「おまけで?」
サフィーネ王女の反問に、ニイッと笑うダグラス。
「王家承継魔道図書もつけてくれ」
「……!」
ダグラス以外の議員たちは、なんだそれはという顔。
サフィーネだけが一瞬、身を固くした。
「こちらの要求はそんなとこかなぁ。議員さんたち、他に何かあったっけ?」
「レイ議長」
ジニアスがヘラヘラ笑う議長を睨んでいる。
「王家承継魔道図書、とはなんだ?」
「ん〜、なんだっけ。ラーゼリオンに伝わる魔道書だっけ?」
サフィーネに振るダグラス。
「……カビの生えた魔道書ですわ」
王女の答えに、ダグラスはクククと笑った。
(……!)
どこまで知られているのか、サフィーネはここが分水嶺だと悟る。
正直に知られていないことまで話してしまっては、渡してはいけない力までみすみす渡してしまう。
だがダグラスが把握していることを過小に申告してしまっては、やはりサフィーネに腹を割る気などないと、交渉におけるアドバンテージをまた奪われてしまうだろう。
「……失礼、カビは生えていなかったかもしれませんわ。ここまで来て隠したのでは、皆様の信は得られないでしょう」
サフィーネはそれらしく躊躇してから、口を開いた。
まだ、想定外の状況ではない。
「王家承継魔導図書。ラーゼリオン建国より王家に伝っている、神にも届く魔導の叡智が記された書物です。復活した魔王が最初にラーゼリオンを狙うと言われているのは、これを潰す為と言われてますわ」
ざわっとまたも、議員たちがどよめく。
もっとも反応を示したのは、傍聴席に座る連合の魔法士たちだ。全員が立ち上がっている。
「神にも届く、ってのはちょっと大袈裟じゃないのぉ? サフィーネ殿下」
先に承継図書の名を出してきたくせに、ダグラスが茶化してきた。
「そっちが連合にするつもりの要求が大きいから、自分のカードの価値を上げときたいんだろうけどさぁ。ハッタリは良くないよぉ?」
議長のその反応で、サフィーネは彼の目論見を確信する。
ダグラスは、サフィーネが承継図書の力を明かさないと踏んでいたのだろう。
そして会議の後に、力を隠しただろうと王女を脅迫し、承継図書の力を独占しようとしたのだ。
(……手のひらの上で踊っているのはどちらかしら、ダグラス・レイ)
王女の口に、演技するまでもなく笑みが零れた。
(先の評価は修正が必要みたいね。この男……あの兄には及ばない)
「では先に、私たちの要望をお伝えしましょうか」
スカートの裾を上げて一礼し、サフィーネは微笑む。
「私の要求は、街の外で待機しているビスハ兵たちを含む、ラーゼリオンから亡命してきた仲間たち全員の安全保障と市民権。そして」
「……そしてぇ?」
「評議会議員の椅子をひとつ、私にお譲り下さい」
議場は、水を打ったかのように静まり返った。
そして。
「ふざけるなっ!!」
先程も喚き声を上げたルトリアの一議員が、また大声を張り上げた。
「言うに事欠いて、どこまでも図々しい……! ここは小娘のいた王国ではないのだぞ!!」
「分かっておりますわ。ですが、長年この国を苦しめてきた反射魔法と、破壊対象識別式の戦略級大魔法の魔術構築式。それから王家承継魔道図書の譲渡。これらには充分以上に、議席一個分の価値があると思いますわ」
サフィーネの言葉に、傍聴席の連合魔法士たちはものすごい勢いで頷いている。
「くっ……ははっ……はあっはっはっは!」
ダグラスは声を上げて笑い出した。
「……何がおかしいのでしょうか? レイ議長」
「いやぁだって殿下ぁ。そりゃかなり、自分たちを高く見積もり過ぎっしょ。だって、虐殺の反射魔法士の反射魔法は、ついさっきウチのに破られたばかりだよぉ?」
「あ! きたこれキャロの出番だ! やっていい? やっていいってこと?」
金髪ツインテールの魔法士キャロルが、目を輝かせて飛び上がった。
「待ってなキャロ。……それに戦略級魔法はともかく、王家承継魔導図書なんてラーゼリオン建国時から伝わってるってことは、つまり何百年も昔の魔法技術ってことだろ? それで連合の議席一個買えるとか……この国を安く見てんじゃねーよ」
最後の言葉で、ダグラスの声のトーンは低くなる。
そのプレッシャーは、さすがは八大都市連合の評議会議長だ。
だが、サフィーネとて長年ラーゼリオン王国で孤独な政争を生き抜いてきている。その程度で、怯えはしない。
「わかりました。では承継図書の力の一端、今この場でお見せしますわ」
「……へえ、この場で?」
ダグラスは軽薄の仮面を取り戻し、薄く笑う。
「はい。レイ議長以外の方は、承継図書の力をご存知ない様子。では実演して差し上げなければ、私の要求とメリットが釣り合うか判断ができないでしょう。それとも議長やルトリアが独断で決められますか?」
「……だから、カビの生えた魔道書の力なんて見せられても、時間の無駄だ」
「そうおっしゃらずに。一見の価値はございますわ。それとも……評議員の皆様、見もせずに無価値と決めてかかりますか?」
「無論、拝見させてもらう」
サフィーネの言に誰より早く答えたのは、ジニアス議員。
他都市の議員たちも次々に頷いた。
「構わないだろうな? レイ議長」
「……ま、べつにいいけどぉ。ただし虐殺の反射魔法士にやらせるのは無しな。承継図書の力なのか、そいつ自身の力なのかは、こっちには見分けがつかねえし」
「はい。もとよりそのつもりです。承継図書の実演は私がします」
サフィーネは席から離れ、円卓の中から外へと出た。
「……お前が?」
「はい。近くに開けた場所はありますか? さすがにこの場では、議場を破壊してしまいます」
「本気か……ククッ、ならついでにもう一個、価値の判定をさせてもらおうかなあ」
ダグラスは笑う。
サフィーネも微笑みながら、応じる。
「なんでしょうか?」
「さっきも言った、反射魔法にも価値はねえって話だ。キャロ!」
「やっちゃう!?」
キャロルがダグラスの前に飛び出した。
「ああキャロ、出番だ! サフィーネ殿下、あんたにはこれから魔術実験場で、うちのキャロルと模擬戦をやってもらう」
「……は?」
「議長、何をっ!?」
タリアが驚いて口を挟もうとしたが、ダグラスは一睨みでそれを抑える。
「実戦で使えねえ魔法なんて、意味がねえ。この国が求めてるのは、前方のラーゼリオン軍、後方の魔王軍に対抗できる力だ。たかが魔法士ひとり相手に勝てねえ力なんざ意味はねえからな。だから、反射魔法と承継図書。その二つに果たしてそこまでの力があるか、確かめさせてもらうぜ。……おい、虐殺の反射魔法士!」
ダグラスが、円卓の中の席で座ったままのエフォートに呼びかけた。
「……」
エフォートは俯いたまま、答えない。
「お、おい! 聞いてんのかテメエ!」
「……」
サフィーネはため息をつくと、俯いたエフォートの元へと歩み寄った。
「フォート」
耳元で呟かれ、ビクッとして顔を上げるエフォート。
卓の下でパタンと手帳を閉じる音と、ペンが床に落ちる音がした。
「あ、ああ、すまないサフィ。なんだ、終わったのか?」
「終わったって言うか、出番だよ」
「テメエ、マジで話を聞いてなかったのかよ!?」
ダグラスはまた、素で声を張り上げてしまう。
「承継図書の魔法を使うテメエんとこの王女と、うちの魔法士キャロル・キャロラインの模擬戦だ! テメエにはひとつだけ、反射魔法を使った王女の援護だけを許可するぜ! それ以外の魔法は禁止だ!! いいな!!」
ハッとして、エフォートはサフィーネの顔を見つめる。
そして至近距離にいる彼女に、ごく小さい声で呟いた。
(すごいなサフィ。予測したパターンのひとつが、本当に的中したじゃないか)
(頑張ってそう誘導したんだよ、後で褒めてね。で、そっちは? 目途はついた?)
エフォートは閉じた手帳に視線を移す。
そして。
(……まかせてくれ。これ以上君を傷つけさせたりしない!)
サフィーネの額に残る傷を見て、エフォートは断言する。
亡命王女ウィズ反射魔術師対ふざけた女魔法士の戦いが、始まろうとしていた。




